不死の呪いと、僕の日常について 4
静まり返る室内で、僕はハッとして富田先輩の顔を改めて見つめた。どれだけの時間が経ったのだろう。富田先輩は相変わらず微笑んだまま、僕の前に座っている。
「あの」僕はたまらず口を開いた。「事情がまったく呑み込めないんですが」
「何がだい?久地ヶ先という家系が犬神憑きで、この町に災いをもたらしたという話だよ。単にそれだけだ。そしてその家系が、つまるところ君ん家なんだよ」
「いやいや、それはありえないでしょう」
僕はかぶりを振った。額やわきの下のあたりが、じわりと汗をかくのがわかる。それだけ富田先輩の発言は衝撃的で、信じがたかった。
「ありえないっていうのはどういうことかな」
「だって、他でもない僕自身、そんな話を聞いたことがない。自分の生い立ちや家系にかかわることであれば、大なり小なり知っているはずです」
「それに対する答えは、まず一つには久地ヶ先家にかつてのような力がないことだよ。その当時でこそ犬神の力を使って栄華を極めたが、正体がばれてしまってからは皆も対策しようがあるからね。久地ヶ先家は没落の一途をたどり、犬神稼業も廃業したというわけさ」
「そんな、それにしたって」
「第二に」富田先輩は僕の話を遮って進める。「犬神憑きの話題はその経緯から、大昔にタブーになっている。だから当時から今に至るまでご意見番である富田家を除けば、百五十歳を超えるお年寄りでもない限り、誰も久地ヶ先家の所業や、犬神憑きであったという事実を知りやしないのさ。ただ何となく、久地ヶ先の人間は汚らわしいというイメージだけは残っているけどね。身に覚えはないかい、見ず知らずの他人に理由なく嫌われたようなことは」
そう言われて、真っ先に思い浮かんだのは三角の家に行った時のことだ。僕の素性を知らなかったうちは暖かく迎えてくれたのに、帰りにはまるで疫病神のような扱いだった。しかし、それにしたって僕に思い当たるのはその一件だけだ。僕が悪の一族の末裔であると断定するには、それだけでは全く足りないはずだ。
「第三にはね」
必死になって記憶を遡る僕に、富田先輩は畳みかけるように話を続ける。さすがにこれ以上は、と僕は顔を上げて先輩のほうへ向き直った。先輩の顔はやはり穏やかで、しかし同時に能面のような冷たさを併せ持っていた。あたかも、被告人に罪状を言い渡す裁判官のようだ。僕は背筋がぞくぞくして、体中が縮みあがるのを感じた。
「久地ヶ先くん、第三の理由は君自身にあるんだよ」
「僕自身にある……それは一体」
「君はストレス性の健忘症だ」富田先輩はずばりと言った。「簡単に言い換えれば、何か嫌なことがあるとその出来事をきれいさっぱり忘れてしまう、都合のいい脳みそを持っているんだよ。だから久地ヶ先くん自身にとってどうしようもなく辛い経験や過度のストレスを感じると、その記憶はなかったことになってしまう」
「は?」僕はたまらず口を開いた。「さすがにそれはないでしょう。だって、僕にはちゃんと生まれてから今までの、常識的な範囲の記憶がある。話せと言われれば今からだって、時系列に沿って話すことが出来ますよ」
「じゃあ、久地ヶ先くん。君は去年のオカルト研究会での活動を覚えているかい?」
「もちろん覚えていますよ。春に入会して、新入生歓迎会と称した泊りがけの百物語をしました。夏には合宿で、一泊目は肝試し、二泊目にはミステリーサークル作りと宇宙との交信訓練。秋の文化祭ではお化け屋敷で、それからハロウィンの仮装大会もやったはずです。そのあとは富田先輩が受験の関係で辞めて、それからオカ研は自然消滅したはずです」
「うん、大体あっているよ」
「そうですよね」僕はホッとして頬が緩むのを感じた。「だからやっぱり僕が健忘症であるなんてことは」
「じゃあさ、そのイベント一つ一つの中で、久地ヶ先くん自身が何をしたのか覚えているかな。例えば、合宿の肝試しの時はどうだい」
唐突な質問を受けて、僕は言葉に詰まった。他のメンバーが何をしていたかはすぐに思い出せるのだ。例えば怖がりだった三角はいつまでも出発出来ずにいたし、逆に鈴音は意気揚々と自慢のオカルトグッズを揺らしながらかけていった。富田先輩は、怖がらせる側に回っていたから、肝試しコースのどこかにスタンバイしていたはずだ。しかしどうしても、自分がどこで何をしていたのかが思い出せない。
助けを求めるように僕は富田先輩のほうを向いた。富田先輩は黙って僕を見つめている。沈黙が怖くなった僕は何か一言口に出そうとしたものの、喉を通して空気が出てくるだけで声にならない。生唾を飲み込もうとしても、口の中はカラカラに渇いている。
「ほうら、思い出せないだろう」富田先輩が勝ち誇ったような笑顔で言う。「答えを言うと、君は肝試しの途中で奇声を上げ始めて、オカ研のメンバーに襲い掛かり、それから肝試しをやった山の中を駆けずり回ったんだ。まるで手が付けられなかったよ、ちょうどさっき見せた犬神憑きの子供のようにね。いなくなってしまったもんだから、みんなで手分けをして一晩中探したさ。結局、朝方になって木の陰でしゃがみこんでいるのを見つけた。びっくりしたよ。だって、ぶつぶつと独り言をつぶやくだけでこっちの呼びかけには反応しないし、周りには久地ヶ先くんが食べたらしい小動物が散乱していたんだもの」
僕は思わず頭を抱えた。富田先輩の話は何一つ記憶にない。すぐさま否定したかった。しかし一方で、じゃあその時僕が何をしていたのかと聞かれると、何も思い浮かばない。まるで僕の記憶から切り取られたように、肝心な部分がすっぽりと抜け落ちているのだ。
「それはほんの一例だよ。そもそも富田家にいるあたしは、犬神憑きについてばあちゃんたちから聞いていたからね。オカ研で初めて会った時から、久地ヶ先くんの正体は知っていたし、注意して見ていたんだ。それにしても君の振舞には驚かされたよ」
「それは、去年の僕は少し荒れていたから……」
「君はいつもそう言うね。しかしそれも自分の都合よく事実を改変しているんだよ。確かに去年の君は悪ぶっていたけれど、それも所詮高校生のレベル。ちょっと学ランのボタンを外したり、遅刻の常習犯だったり、髪の毛をワックスでつんつんにしたりっていう程度だ。だけど実際には、さっき見せた犬神憑きの少年のような奇行を繰り返してあちこちからひんしゅくを買っていたんだよ。ほら、これも覚えていないだろう」
言い終わって、富田先輩はすっかり水滴だらけになったグラスを持ち上げて麦茶を一息に飲み干した。富田先輩がガタン、と音を立ててグラスを置いたせいで、僕は飛び上がった。
「本当はこんなことを言うつもりじゃあなかったけど」富田先輩は前置きをして、それから深呼吸をした。「久地ヶ先家が、いや久地ヶ先くんがこの町に存在すること自体が大きな問題なんだ。昔からの悪い事実を思い出させるし、現在進行形で久地ヶ先くんは完全に犬神に取り憑かれている。さっきの子供の比じゃあない。もはや犬神の権化と言ってもいい。あたしも必死になって、その呪いを解く方法を探したけれど、もう疲れちゃった」
富田先輩はお菓子と麦茶をそそくさと片付けながら話し続ける。僕のほうを見ようともせず、とっととこの場を去りたいと言いたげだ。まだ聞きたいことが山ほどもある僕は先輩を呼び止めようとするものの、やはり言葉が出てこない。
「だから、お願い。もう出て行ってくれないかな、この町から。いや、それじゃあ引っ越した先でまた同じような事件を起こすんだろうな。うーむ」
すこし溜めて、それから富田先輩は告げる。
「もう死んでくれないかな」
あまりに残酷なセリフだった。
そのまま富田先輩はその場を後にして、その場の空気に導かれるように僕も無言で富田先輩の離れを出た。富田先輩の話のせいでこの家全体が僕に敵意を抱いているように思えて、僕は出来るだけ音を立てずに早歩きをした。幸い、道中誰にも会うことはなかった。
富田家の玄関を出る間際、遠くの建物から富田先輩が「おうい」と声をかけてきた。
「子供たちがまだその辺りで遊んでいるけれど、声をかけないでおくれ。ここらの子供は、久地ヶ先くんを刺激しないために出来るだけ仲良く接するようしつけられている。でも、出来ればあまり関わってほしくないんだ」
手を振りながら、富田先輩は追い打ちをかけるように非情なことを言う。僕は返事もせずに、そのまま富田家へと背を向けてすごすごと帰路についた。
少し歩いた先で、逢瀬川がポツンと立って僕を待っていた。僕たちは言葉を交わすこともなく、駅へ向かって歩いて行った。




