不死の呪いと、僕の日常について 2
「こんにちは」挨拶をすると、守衛のおじさんは面倒くさそうに頭を下げた。「一年の富田行穂さんに会いに来たんですが」
「ああ、連絡もらった高校の。聞いてますよ」おじさんは名簿をめくりながら言う。「じゃあ、ここにサインして。それから首に入館証を下げてください」
僕たちはおじさんにお礼をして、北東大学構内へと足を踏み入れた。もらった地図には研究室までの道順を書いてもらってあるものの、建物が迷路のように入り組んでいてどこをどう行けば目的地にたどり着けるのかさっぱりわからない。
「とりあえず、適当に入ってみましょう」
逢瀬川に続いて、僕は目の前にあった建物に入った。壁は全面真っ白で、病院にでも来たような気分になる。何の建物だろうと確認しても、近場には看板も掲示板もない。そのうえ廊下には人っ子一人いないのだ。そろそろ午後五時だ。ひょっとしたら、大学には部活動や何かがないから、三時ごろに授業が終わった段階でみんな下校するのかもしれない。
「あの、すいません!」
ようやく見つかった人物に、すぐさま僕は声をかけた。ちょっと驚いた顔をした振り返ったその男性は、大学生というよりはサラリーマンに近いと思うほど年上に見える。大学の講師か、あるいは職員の人だろう。
僕たちはきょとんとした男性にいきさつを説明した。地図を見て、富田行穂の名前を出すと合点がいったようで「ああ、彼女の後輩ね」とつぶやいた。
「生物研究ラボなら、僕も所属している。よければ、案内するよ」
「生物研究?生物ですか」僕は思わず尋ねた。「富田さんは史学科に在籍していると聞いてるんですけど……」
「普通はそう思うよね。でも彼女、変わってるでしょ」
男性は苦笑いのような愛想笑いのような微妙な表情をした。きっとこの人も、富田先輩には困っているのだろうと僕は心の中で同情した。
男性は大学院生なのだと言った。元々は別の大学にいたものの、大学院への進学を期に北東大学に来たのだそうだ。「今の時期、就職も難しいし。やっぱり、つけられる箔はつけておくに越したことはないからね。ここを出ておけば、旧帝大卒業みたいに見てもらえるし」と言った男性の顔は、どこか疲れて見えた。
「そこ行くと、富田さんは恵まれてるよね」
「なんでですか」
「だって、彼女のご実家はそもそも地主だろう。農業はもうやっていないと聞いたけれど、先祖代々の広大な土地があってマンション経営をしているし、事業でも成功していくつも工場を持っていると聞く。いざとなれば実家で働ける。それに富田家からは何人も市長や知事が輩出されているじゃないか。彼女がまったく別の学部なのに好き放題うちのラボに来れるのも、ご実家が大学に多額の寄付をしているからだと思うよ」
研究室の前まで来て男性は「僕はここで帰るよ」とその場を後にした。巻き込まれたくないのだそうだ。一体何に巻き込まれるのだろうと不思議に思いながら、僕たちは研究室の戸を開けた。
今回は、声をかけて案内してもらう必要もなかった。研究室のど真ん中、室長席に富田行穂先輩が堂々と陣取っていた。白衣を着て、長い髪を後ろで縛っている。他の学生は彼女の視線から逃れるように、こそこそと端のほうで作業をしている。見た目は富田先輩が断然若いというのに、その風格はまるで社長か何かのようだ。
富田先輩は待ち構えるように戸を凝視していたらしく、すぐに目があった僕はたまらず顔をそらして、それから慌てて会釈をした。
「久しぶりだね、久地ヶ先会員」富田先輩はにやりと笑った。「それから、あなたは逢瀬川さんだね。教頭先生から話は聞いているよ。さあ、入った入った」
富田先輩の手招きに従って、僕たちは研究室の中へと入った。
研究室は壁の全面に本棚があって、ぎっしりと本が敷き詰められていた。研究室というよりは資料室のようだ。高校の実験室のようなものだと想像していた僕は少し拍子抜けしたものの、この場所なら展示に必要な材料がすべて見つかりそうだと安心した。
「適当に座って、今お茶を出すから」
案内されるがままに、僕たちは近くにあった丸椅子に腰かけた。ひどく居心地が悪い。僕たちがこの空間で一番年下だからだろうか。見れば、とても二十代には見えない人たちも、何人かうろうろとしている。それとも資料のタワーに挟まれて、圧迫感があるからか。
富田先輩が、実験器具で暖められたコーヒーを、どこからか持ってきた湯呑に入れて出してくれた。他の研究員たちから向けられる白い目に、僕はたまらず顔を伏せた。一方の富田先輩は全く気にしていないらしく、大声でああでもないこうでもないと世間話を始めた。
「それで、今日は教頭のお使いで来たんだっけ、文化祭のクラス展示の。聞いてるよ」唐突に富田先輩は本題に入った。「大変だね、後輩たちよ。一応使えそうな本や写真はまとめておいたから。好きに持って行って。見た目も恥ずかしくないように百貨店の紙袋に入れてあるし」
富田先輩が満面の笑みで差し出した紙袋を、僕はパラパラと確認した。地域の歴史、地元の文化財、城跡とそれにまつわる歴史的背景についてなど、五、六冊の巨大な本が入っていた。いい加減な富田先輩にしては用意してくれたほうだが、これでは学校の図書館でも十分に間に合う。
「あの、ここにある本を借りることは出来ないんですか」
「ここの本?」富田先輩はお茶菓子をかみ砕きながら答える。「貸すのは別に構わないけど、ここにあるのは歴史とは全然関係ない生物研究の本だよ。挿絵もあんまり入ってないからつまらないし。あたしも正直なに書いてあるかイマイチだから、どの本渡したらいいのかわからない」
「わからないって……でも、富田先輩、興味があってこの研究室にいるんじゃないんですか。本当は史学科だって聞いてますけど」
「ああ、そうそう。面白そうだなって思って」
富田先輩は丸椅子でくるりと後ろを向くと、先にあったガラスケースを指さした。中では、真っ白いネズミがもぐもぐと何かを食べている。近づいてケースをつついてみる。ネズミは少し驚いたような顔をしたものの、さして興味を持たずに再び餌を食べ始めた。
「それは実験動物なんだけどさ、人に慣れてるから」
しゃべりながら富田先輩は何かの薬を注射器に入れると、おもむろにネズミをケースから取り出して一気に差し込んだ。みるみるうちに注射器の中身がなくなっていく。富田先輩はばたつくネズミを、まるでベッドに携帯電話を放り投げるようにケースに戻した。
「見てな」富田先輩がおかしそうにネズミを見つめる。「このマウスはさ、再生医療とかに使われる、いわゆる万能細胞の被検体でさ、あちこちいじくってるから理論上は普通のマウスの十倍は長生きする。普段は自分の細胞を培養して作った餌を食べてるんだけど」
僕たちはじっとネズミを見つめていた。するとネズミは突然バタバタともがき始め、ものの十秒もしないうちに動かなくなった。あまりにショッキングな様子に、僕は一言も発することが出来ない。
「それがこうなるわけさ。今、このマウスに投与したのはただの毒薬じゃない。血液を凝固させて、細胞に行くはずの酸素の流れを完全に遮断する。そうすることで、死なずに無限増殖を繰り返す細胞さえ殺すことが出来る。例えばがん細胞とかね。あたしはそういうのに魅かれてここに出入りしてるのよ。ゾンビを殺す研究って、なんかそそられるでしょ」
富田先輩が自慢げににやりと笑った。
ゾンビを殺す研究と聞いて、僕はつい逢瀬川の顔を覗いた。きっと、喜びに打ち震えた表情をしているだろう。何せ、不死の自分を殺すことこそ、逢瀬川まなみの目標なのだから。
しかし、意外にも逢瀬川は落ち着いていた。むしろ、まるで興味を示していないと言ったほうが正しいのかもしれない。ただぼうっと、さっきまで元気だったネズミの死体を見つめているだけだ。
近くにいた研究員が慌てた様子で駆け寄って、大声で騒ぎ始めた。どうやら、富田先輩が殺したネズミはとても大切な実験体だったらしい。「また作ればいいじゃない」などと、タメ口でへらへらと話す先輩に、その研究員は額に血管を浮き上がらせている。怒りが頂点に達しているのだ。あの分では、いかに血液を固めたところで彼の血液は止まりはしないだろう。
他の研究員も集まり始めていよいよ収拾がつかなくなってきたところで、富田先輩はまるで野良犬でも追い払うようにして僕らを研究室から追い出した。
「ここじゃなんだから、場所を変えよう。明日の同じ時間に、あたしんちに来てちょうだい。あそこならゆっくり話せるし」
鼻の先でぴしゃりと戸が閉まり、仕方なく僕たちは帰りのバス停へと向かった。道のりはなだらかな下り坂で、自然と顔がうつむく。少し離れて、後ろから逢瀬川の足音が聞こえる。
僕は振り返って、逢瀬川のほうを見た。逢瀬川はトボトボと、足元を見つめながら歩いていた。いつもの逢瀬川から考えたら、まったく似つかわしくない。逢瀬川はもっと、何が起こっても気丈であるべきだ。
「どうした、なんか調子悪いのか」
「別に」逢瀬川が答える。「なんでもないわ」
「何でもないってことはないだろ。今日の逢瀬川、いつもと違うぞ。不死身でも病気になるんじゃないか」
「風邪にだってかかったことはないわ。だから体調はいたって良好よ。ただ……」逢瀬川が僕を見つめていった。「ただ、何となくこれで何もかも終わってしまうと思うと、少し寂しいのよ」
「終わってしまうって、一体何が?」
逢瀬川は答えなかった。僕たちは無言のままバスに乗って、それっきり一言も言葉を交わさなかった。
遠ざかっていく大学が、なんだかやけに薄暗くぼやけて見えた。




