異次元の魔女 4
気が付くと、僕は一階のリビングの窓から屋敷の庭を覗いていた。朝なのか昼なのか、はたまた夕方なのかわからない、妙な明るさだった。庭では小さな女の子が遊んでいて、その様子を少し離れたところで両親らしい男女がほほえまし気に見守っている。とても幸せそうで、僕も一緒に遊びたいような気分にさせられる。
階段脇の大時計が鳴り響き、僕はふと我に返った。時刻は六時を指している。夫婦が手招きをして、女の子を屋敷へ入れようとするものの、女の子はまだ遊び足りないらしくいやいやをして夫婦を困らせている。仕方なく夫婦は先に屋敷の中へと入っていく。
リビングにやって来た夫婦と鉢合わせになり、僕は会釈をした。夫婦からはまるで反応がない。どうやら夫婦には僕の姿が見えないらしい。僕は彼らから目を話して、女の子のほうを観察することにした。
女の子は、庭で一人ままごとをしていた。いくつかの人形やぬいぐるみと、可愛らしいおもちゃの食器を並べていて、まるでお茶会のようだ。僕は楽しそうに一人遊びをしている女の子を見ながら、あたたかな、癒されているような気分になった。
ふいに女の子が顔を上げて、向こうをじっと見つめた。視線の先を追うと、森の入り口で真っ黒い服を着た老婆が、女の子に手招きをしている。女の子は、呼ばれているのが自分であるとわかったらしく、人形を置いて老婆のほうへ駆け寄っていく。
老婆の姿から、「魔女」という言葉が僕の脳裏に浮かんできた。焦った僕は大声を上げて女の子を呼び止めるものの、声が届かないらしく女の子はそのまま森へと走っていく。焦った僕は、追いかけようと玄関へ向かった。
そこで驚くべきことが起こった。外に出られないのだ。出ようとしても、ドアノブがピクリとも動かない。決して、鍵がかかっているわけではないのに、まるでドアノブ自体が初めから飾りであるかのように一ミリも動かない。
僕は玄関から出るのをあきらめて裏口に回った。しかし同じことだった。それからリビングに戻って夫婦に警告しようとしても、彼らには声が聞こえない。窓を突き破ろうとしても結果は変わらず、まるで僕自身が空気か何かになったかのように、建物にも人にも干渉することが出来ないのだ。
僕はリビングの窓から必死になって女の子に呼び掛けた。もちろん女の子は僕のほうなど見向きもしない。そのまま森までたどりついた女の子は、老婆に手を引かれて奥へと姿を消してしまった。
去り際、ふと気が付いたかのように老婆が振り返り、僕のほうを見てにやりと笑った。
あいつが異次元の魔女だ。
僕は無力感にさいなまれながら、魔女の背中をにらみ付けた。
*
再び気が付いた時、僕はベッドで横になっていた。窓から差し込む日の光と暖かな風に、僕はようやく朝になったのだと気が付いて、慌てて飛び起きた。
急いで一階のダイニングに向かうと、すでに起きていた逢瀬川が朝食をとっていた。
「あら、おはよう、久地ヶ先くん。昨夜はよく眠れたかしら?」
のんきなことを言う逢瀬川に、僕は昨日の出来事を報告した。しかし、話を聞き終わった逢瀬川は「それって、いわゆる夢じゃあないかしら」と言うだけだった。
確かに逢瀬川の言う通り、僕が夢を見ただけというのが自然だ。慣れない、しかもいわくつきの場所で寝たために緊張している人間であれば、似たような悪夢を脳内で再現してしまうものだろう。それに逢瀬川いわく、この屋敷から霊的なものは感じないという。だとすれば、誰に聞いてみたところで、単に僕が夢を見たのだと答えるだろう。
「もう二晩ね。うふふ、いいアルバイトになりそうだわ」
屋敷からの登校中、楽しそうな逢瀬川の横で、僕は夢について考えていた。
果たして、本当に僕が夢をみただけなのだろうか。
逢瀬川と僕は、ちょうど昨日魔女が女の子を連れ去っていった森の中を歩いている。ひょっとして、何かの力が働いたせいで、僕だけがピンポイントに狙われているのではないだろうか。しかし、超常現象のスペシャリストのような逢瀬川が何も感じないというのであれば、やはり何もなかったというのが正しいのかもしれない。
学校についてからも、女の子と老婆の夢が頭から離れなかった。
霊的なものでないなら、あるいは何か昔の出来事を追体験しているのかもしれない。強烈な過去の事件が建物にしみついて、それを僕に見せたというのもありそうなことだ。もっとも、考え方が超常現象ありきになっているのは、あまりうれしくないけれど。
僕は相も変わらず田上ルミカにまとわりつかれる逢瀬川を後目に、教室を出た。逢瀬川は、今回あまり役に立ちそうにない。事件について聞くなら、適任が別にいる。
「調べてほしいことって、一体どうしたんですか、久地ヶ先先輩」
唐突に現れた僕に、三角章子はいぶかし気に尋ねた。
新聞部の部室で、出してもらったお茶を飲みながら僕は経緯を説明した。ちょうど他の部員は出払っているとのことで、遠慮なく話すことが出来た。
「なるほど。それで私に、過去に起こった誘拐事件について調べてほしいと」
「そうなんだ。頼まれてもらえるか?」
「コンクールへの応募も終わりましたから、まあ時間はありますけど」三角は少し渋るようにして言った。「でも、私たち新聞部はこの町の歴史的事件や何かはあらかた調べ終わってるんです。特に私は、久地ヶ先先輩もご存じのとおりオカ研に所属していましたし。正直言って、そういう事件は聞いたことがないんです」
「それでもいい」僕は食い下がった。「調べてもらって、それで結果、望む情報が見つからなくても構わない。まずは一度、調べてみてもらえないか。もちろん、手の空いている時でいいんだ」
必死に頼み込む僕に、三角は「まあ、そこまで言うなら」と了承してくれた。こと、調査という部分において、三角よりも腕の立つ人間を僕は知らない。三角に見つけられなければ、僕の心配が杞憂に終わったということで、それならそれでいいのだ。
「ちなみに、聞きたいんですが」三角が意を決したようにして言った。「今回のことも、逢瀬川先輩がらみですか?」
真剣そうな三角の目に、僕は少し言葉に詰まったものの「そうだよ」と答えた。「それから、鈴音もだ」
「鈴音って、あの鈴音遥先輩ですか?」
三角はとても驚いたようで、目を丸くして身を乗り出した。あまりの勢いに、僕は三角の額がぶつかるのではないかとさえ思った。
「そうだけど……」
「やめといたほうがいいですよ、先輩」三角は真剣な顔をしていった。あまりの剣幕に、僕は背筋がぞくりとするのを感じた。「鈴音先輩は最近いい噂を聞きません。表面上は学校のマドンナですけど、取り巻きを使ってひどいイジメをしているとか、援助交際をしているとか、そういう噂が絶えません。もちろん、どれも信憑性の低いものですが、それにしても一部から嫌われていることは確かです」
「人気者だからひがまれてるんだろ」
「そうかもしれません。でも、特に超常現象という部分では鈴音先輩を頼るのはおすすめできません。先輩も覚えているでしょう。鈴音先輩が、かつてオカ研でどういう人物だったかを」
確かに、三角の言うことはもっともだ。
勧誘されて遊び半分で加入した僕や、町の歴史に興味があってやって来た三角とはまるっきり違って、当時の鈴音は本当のオカルトマニアだった。今でも得意としている占いをはじめとして、呪いめいたまじないや、降霊の儀式やら、そういう邪悪なものに対して鈴音は非常に造詣が深かった。アクセサリーや何かも、もっとエスニックで年季が入ったものを好んだ。そういう意味では、鈴音のほうが僕よりもよっぽど逢瀬川のパートナーにふさわしいようにさえ思う。当時の印象では、ファンタジー好きの夢見がちな少女という印象しか受けなかったが。
「渡りに船ってやつさ」
「まあ、無理に止めようとはしませんけど。気を付けるにこしたことはないと思いますよ」
渋々と言った顔の三角に礼を言って、僕は新聞部を後にした。
次に僕が向かったのは、駅前にある喫茶店だった。待ち合わせているのは、三角に口酸っぱく警告をされた鈴音遥だ。三日間の宿泊の間、毎日経過報告をすることも約束していた。逢瀬川からは特に伝えることはないとのことなので、向かうのは僕だけだ。
指定されていた喫茶店はレトロな雰囲気で、戸を開けるとカランコロンと音を立てた。戦後すぐにオープンしたのだと聞いたことがある。開業者の息子である二代目の現店長は静かな場所を好むひとで、流れているジャズの音楽以外はほとんど会話さえ聞こえない。
喫茶店の一番奥、ちょうど柱の陰になっているところのソファ席に鈴音はいた。取り巻きの連中と談笑していたが、僕の姿を見るとにっこりと微笑んで反対側の席を指さした。他にはほとんど客もなく、僕はブレンドコーヒーを片手にまっすぐと鈴音のところへ向かった。
「こんにちは、久地ヶ先くん。うちの別荘は楽しんでくれているかしら」
僕が「まあまあかな」と答えると、取り巻きたちがひそひそと耳打ちを始めて、それから小声で笑い始めた。馬鹿にされているようで少し気分が悪いものの、無視して報告を始めた。僕の話が終わるまで、取り巻きの二人はこちらをちらちらと覗いては、不愉快な声を上げていた。
「ふうん、それじゃあ逢瀬川さんは何も感じなかったって言うのね」鈴音は落胆を隠しもせずに言う。「なんだか興醒めだわ。逢瀬川さんならそういうのに敏感だと思っていたのに」
「まあ、まだ初日だから、今日以降で何かあればまた報告するよ」
「そうね。久地ヶ先くんの夢の話も、続きがあれば教えてちょうだい」鈴音は退屈そうに言った。「それにしても、久地ヶ先くんはなんでまた逢瀬川さんと付き合っているのかしら。オカルト研究会にいたあなただから、超常現象的なものに興味があるのは理解できるけれど、逢瀬川さんからはそういう特別な素養は感じられないわ」
「そうかな」
僕は少し居心地の悪いものを感じて目をそらした。ここで下手に逢瀬川の秘密が知れ渡ってしまえば、逢瀬川にとっても僕にとっても決していい結末は迎えられない。ましてや、相手は学校で一番人気のある鈴音遥だ。何か勘づかれて根も葉もない噂をまき散らされでもしたら、それこそ一瞬で学校中に広がってしまうだろう。
「もうちょっと相手を選ぶ必要があると言っているのよ」鈴音は僕に諭すように言う。「逢瀬川さんについては少し調べてみたけれど、夏休み明けに転校してきたことを除けばまるで一般人じゃない。もちろん容姿が優れているのは認めるけれど、だからと言って久地ヶ先くんにふさわしいとは思えないわ」
鈴音の言葉の端々に少しとげがある気がして、僕はむっとした。逢瀬川の特異性を知っているのは僕だけだ。他の誰かに、ましてや鈴音にとやかく言われる筋合いはない。
「忠告、どうもありがとう。でも誰が僕にふさわしいかは、僕が決めるよ」
僕が少し強めに告げると、鈴音は一瞬顔をゆがめて、それからすぐにいつもの笑顔に戻った。
「そう。ならいいんだけれど」
鈴音の取り巻きは僕たちが話している間、終始ひそひそと耳打ちを続けていた。




