異次元の魔女 2
時刻はもうそろそろ五時を回ろうというころ、僕と逢瀬川は鈴音の家へとたどり着いた。実際は十五分もあれば到着する道のりなのだが、久しぶりで迷ってしまったためにずいぶんと時間を食った。それぐらい、僕と鈴音は今まで距離を置いていたのだ。事実、オカルト研究会がなくなってから、僕は一度たりとも鈴音と話したことはない。
豪邸がぞろりと並ぶ住宅街の中でも、ひときわ大きなお屋敷の前で立ち止まって、僕はインターホンを鳴らした。自分がとても場違いなところにいる気がして、なんとなく緊張してしまう。しばらくしてマイクから「鍵は開いているから、どうぞ」と声がして、僕たちはそのまま中へと足を踏み入れた。
居間では鈴音遥が革張りのソファに座って何やら本を読んでいた。僕の背丈の倍はあるような天井の部屋にシャンデリアが付いていて、壁には油絵が飾ってある。昔に聞いた話では、父親が古物商をしているか何かで、芸術には造詣が深いのだそうだ。いかにも高級そうなたたずまいに僕は借りてきた猫のような落ち着かない気持ちになった。
「いらっしゃい。まさか久地ヶ先くんも一緒に来るなんて。やっぱり仲がいいのね」鈴音はゆっくりと持っていた本を置いた。「さあ、遠慮なくかけてちょうだい。今、紅茶を切らしていてコーヒーしかないのだけど、いいかしら?」
「ぜひ、いただくわ」
逢瀬川が返事をして、それから僕も会釈で返事をした。鈴音がキッチンへと向かったところで僕はようやく緊張の糸が切れて、どっかりと倒れこむようにソファに座った。
「いつ来ても落ち着かないな、この家は」
「あら、いいところじゃない。広いし綺麗だし。ここに住みたいぐらいだわ」
「そりゃあ、お前は似合いそうだよな」僕は嫌味のつもりで言った。「そういえば、逢瀬川はどこに住んでるんだ?」
「それは教えられないわ。だって久地ヶ先くん、ストーカーになりそうなタイプだもの」
ボランティアで案内してやった人間に対して、なんて言いぐさだ。僕は文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、どうせ逢瀬川のことだから僕の言うことなんてどこ吹く風だろう。言っても無駄なら、むやみにエネルギーを消費する必要はない。
しばらくして、鈴音がコーヒーとお茶菓子をお盆に載せて帰って来た。カップには金色の装飾がしてあるうえに、お菓子も見るからに高級そうだ。僕は再び気おくれすると同時に空腹感がして、少し恥ずかしくなった。
「わざわざ来てくれてありがとう、逢瀬川さん。まさか今日の今日、来るとは思わなかったけれど。道は迷わなかったかしら?この辺、意外と入り組んでいたでしょう」
「それは大丈夫だったわ。久地ヶ先くんが案内してくれたから」
「そうだったの」鈴音がくるりと僕のほうを振り向いた。「ありがとう、久地ヶ先くん。おかげさまでお客様に手間を取らせることがなかったわ」
お礼を言われながら、僕は何となく肩身が狭い気がして無言でうなずき、沈黙を埋めるようにコーヒーに口をつけた。鈴音が僕に向けて笑いかけたようで、なんとなくにらまれたような強烈な敵意を感じたのだ。ひょっとしたら鈴音は逢瀬川でなく、僕のほうが嫌いなのかもしれない。
「逢瀬川さん、実はちょっとした相談があって呼んだのよ」
鈴音は一冊の本を取り出した。住宅のカタログだった。この近所にあるようないかにも立派な家ばかりが載せられていて、記されている金額も桁が一つ間違っているのではないかと見間違うようなものだ。鈴音は僕たちの反応を確かめるようにゆっくりとページをめくっていく。そうして、カタログの中でも一段と高級で一段と立派な家のところで手を止めた。
「『海の見える丘の上の庭付き大邸宅!都会の喧騒から離れた落ち着いた雰囲気!静かにエレガントな住空間を楽しみたい方にお勧め!』……ってなんじゃこりゃ。ずいぶん高そうな家じゃんか。逢瀬川相手に引っ越しの相談でもするつもりなのか、鈴音?」
「うふふ、わざわざ読んでくれてありがとう。でも買うんじゃないわ、久地ヶ先くん。売りたいのよ」鈴音が満足そうな声で言う。「これはうちの別荘なの。夏休みとかにしか使わないのだけど、私が進学で県外に出てしまうからこの際売りに出して両親の海外旅行資金にしようって話になっているの」
「進学って……受験はこれからじゃないか」
「あら、久地ヶ先くんはこれからなの?私はもう推薦で決まってしまったから」
にっこりと微笑む鈴音に、僕は妬みのこもったふくれっ面で返した。僕は地元の国立大に行くにあたって今から勉強しなければないのに、かたや鈴音は優雅にお茶を飲んでいられることに大きな不公平を感じる。鈴音と僕の境遇の差は今に始まったことではないけれど。
「それはさておき、相談っていうのはずばりこの家についてよ」
鈴音が勿体ぶって話し始めた。
鈴音の話によると、別荘を売るにあたって厄介な噂が立っているのだ。いわく、別荘は異次元の魔女が住む館とのことで、普段は人里離れたところで黒魔術を行い町に災いをもたらし、時たま迷いこんだ人間を生贄に捧げて悪魔を召還しているというのだ。冗談のような噂話だが真に受ける人間が多いようで、中高生はおろか近所の大人まで別荘に近づかないという。田舎という狭いコミュニティであるため情報が浸透していくスピードが異常に速く、このままでは買い取り手が決まらないどころかカタログからも外す必要があると不動産屋から言われているらしい。
「それをどう解決してほしいというんだよ」
「噂を晴らしてほしいのよ」鈴音は僕たちの前にじゃらりと鍵を置いた。「三日間、私の別荘に泊まってくれないかしら。別に缶詰になれっていうんじゃないのよ。好きな時に家を出ていいし、買い物に行っていい、学校に行ってもいい。ただ人がその家で寝泊まりしているっていう事実が欲しいの。家の窓から光が漏れていることを周囲に知らせたいのよ。そうすれば、根も葉もない子供の噂なんて吹き飛ぶと思うの」
「だからって、なんで逢瀬川が泊まらなきゃならないんだ?」
「だって、逢瀬川さん、超常現象を追っているんでしょう。うちの別荘が万が一本当にお化け屋敷だとしたら、逢瀬川さんの望むところであるはずだわ。逆に何も起こらなければ、私から逢瀬川さんに謝礼を払うわ。もちろん、一人で泊まるのが嫌なら友達を誘ってもいい」
鈴音の言葉に、僕は黙った。鈴音と逢瀬川は初対面もいいところだ。どこか知らない別荘に泊めるような間柄じゃあない。しかも、その別荘はいわくつきときている。普通なら女子高生に宿泊を勧めるべき場所ではないのだ。いくら友達を呼んだどころで、親元を離れて三泊もさせようというのだから、明らかに普通じゃない。
しかし、と僕は逢瀬川のほうを向いた。逢瀬川はさして動揺した様子もなく、興味深そうにカタログをめくっている。
逢瀬川は不死身だ。おまけに、少なくとも僕の知る限りでは、無制限に増殖する上に人の口から出現したりする化け物だ。別荘に何か問題があったところで、彼女の身を案じる必要はまるでない。
だったら、僕は一体何に心配しているのだろう。何かとてつもなく嫌な予感がする。不死の逢瀬川をもってしても、霊媒体質の僕をもってしても、取り返しのつかないことが起こってしまう気がするのだ。
「返事は今じゃなくていいわ」鈴音が僕と逢瀬川に笑いかけながら、テーブルの鍵をひっこめた。鈴音からは余裕というか、嘘のようなエレガントさを感じる。「また明日、学校で返事をちょうだい。お友達を集める時間も必要だろうし。あら、逢瀬川さん、まだコーヒー飲んでなかったのね。良ければ、戯れにあなたの運勢を占って差し上げるわ」
鈴音は逢瀬川のカップを手に取ると、泡状のミルクをゆっくり注いでいく。そうして表面に出来上がった白い塊を、マドラーの先で慎重に動かす。みるみるうちに、模様のようなものがコーヒーの上に出来上がる。
「まあ!」鈴音が大げさに声を上げた。「これは……ちょっと口にするのがはばかられるわ、逢瀬川さん」
「気にしないで。ぜひ、聞かせてちょうだい」
「それじゃあ言うけど」鈴音はもったいぶって言った。「逢瀬川さん、あなた、もうすぐ死ぬわよ」
鈴音の表情は、まるで魔女のように見えた。




