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恋の楽譜〜アイドルだって恋がしたい!〜  作者: 無糖
after story 五年越しのプロローグ
98/98

after.4 朝日が眩しい


 

「私、やってみることにしたよ」


 目が覚めた時、朝食を作りながら、さも当然のことのように俺に告げられた言葉。

 一瞬意味が分からず混乱した。しかし、すぐに昨日話したことだと気付き、俺はベッドを飛び出した。




 ***




 なんで?


 結局その疑問はふて寝したところで分からなかった。

 いいや、本当はわかっていた。

 彼にはわかっていたのだ。私が今になっても麗奈さんを……あの一年間を引きずっているってことを。

 当たり前のことだ。だって私にも、彼が忘れてなんかいないことがわかっていたんだから、彼に分からないはずがない。

 でも、理解はできても納得はできない。

 だって、今である必要なんて、ないじゃないか。

 私たちのあの日々を清算する、そのためにもう一度歌ってみる。なんとも単純だけど、私には、私たちにとってはその意味は非常に大きいのだ。

 だって、歌わないことは、——だから。

 それは私が負わなきゃいけないもので、同時に私を支えてくれているものと言ってもいい。


「わかんないよ、もう」


 つん、と横で心地よさげに寝息を立てる彼の頬を突く。この男、私がこんなに悩んでいるのにもかかわらずなんて幸せそうなんだ。腹が立ってきた。


「んしょ……っと」


 が、このままベッドに入れずというわけにもいかない。暖房を効かせてあるとはいえ12月。風邪を引いてしまっては大変だ。


 ああ、好きだなぁ。


 喧嘩しても、やっぱりそう思えてしまう。だからいっつも本気で怒れない。当人が気づいているかは別としても、ね。

 うーん、もういい!やめだやめ!

 いつまでも悩んでいたって解決しない!こういう時は気分転換だ!

 時計は深夜の二時を指していたが、ここは東京。眠らない街だ。散歩するのも悪くないだろう。


「じゃあね、伸一君。もう帰ってこないかもしれないよ?」

「すー……すー……」

「はぁ、そんな遅くはならないから、いい子にしてるんだぞ?」


 寝ている人間に何を言っているんだ私は。

 そろそろと部屋を出て、街に繰り出す。冷えた空気と、楽しげな空気で、少しでも心を整理できるように。




「ねぇちゃんいい身体してんねぇ!おじさんと遊んでかない!?」

「えっと、これから帰りますんで……」


 うーん、正直この時間帯でナンパされるなんて思わなかった。ってかこれナンパっていうのかな?絡まれてるだけ?まぁ十中八九そうなんだろうけど。


「あー、酔っ払っちまってぇ〜だめだ俺はぁ〜ねぇちゃん介抱してくれぇや〜」

「あ、ちょ、どこ触ってるんですか!」


 しかしこのおじさん、見たところ一人だ。歳は50あたり。ハゲてはいない。なんともラッキーな人だ。

 終電はもちろん終わってるし、このまま放置していたら、朝まで地面に転がって寝ている、なんてことになりかねない。


「うぃ〜」

「…………ああああ、もう!」


 どうしてこんなについてないんだ。ただ私は散歩したかっただけなのに……


「寝るとこ、あるんですか?」

「えあ〜」


 ふらふらのおじさんはポケットから一枚の名刺を取り出す。

 スナック……ぶるぅべりぃ?なんとも胡散臭い。せめてとれいんを最後に付け足してほしい。


「水瀬香……いわゆるママのことかな?ここにいけばいいんですか?」

「そうそう〜ねぇちゃんおくってちょ〜」


 なんで私がこんなことを……ああでも、考え方を変えればこれも気分転換と言えるのかもしれないな。スナックなら、ちょっとお酒でも飲んで行ってしまおうか。

 あとでそれっぽく新一君に言って困らせてやろう。そうしよう。


「へへ〜」

「ねぇちゃん、嬉しそうだなぁ?おれといっしょがいいのんかぁ?」

「違います」


 とりあえずこのおじさんを押し付け……じゃなくて、引き取ってもらおう。

 お金さえ出せば始発まで泊めるくらいはしてくれるはずだ。




「いらっしゃい……ってなんだ、小娘じゃないか」

「えっと……」


 大通りの外れ、裏路地に少し入ったところにある、これまたテンプレートなスナック、「ぶるぅべりぃ」。

 こう言った店に入ることは初めてなので恐る恐る扉を開けると、やっぱりテンプレートなことに中にはギラついたドレスを着た派手な見た目の中年女性がタバコ片手に佇んでいた。


「よぉママ!元気かぁ?」

「……それに、うるさいのも来ちまったようだねぇ。田端のオヤジ、今日は会社の飲み会なんじゃなかったのかい?」

「ああ?あんなのに付き合ってられるかい!息苦しくて抜けて来ちまったよ!」

「追い出されたの間違いじゃないのかい?ったく、そんなべろんべろんになっちゃって……」


 ママ、と呼ばれた女性は私のそばでふらふらしていたおじさんの服を引っ張り、近くの空いているソファに座らせた。


「ママ、手荒いな〜」

「うるさいよ飲んだくれたち。もっと頼みな」

「ウイスキーロックで」

「ふっ……はいよ」

「おいお前そんな飲んで大丈夫かよ」


 薄暗くてしっかりと確認していなかったが、店自体はあまり広くない。一般家庭のリビングほどだ。そこにいくつかソファ席とカウンター席があるくらい。今はそれなりに席が埋まっているようだ。

 客同士が仲良く話しているところを見るに、全員常連。明らかに私は場違いで、居心地の悪さを感じる。早々に撤退したほうが良さげだ。


「あの、それじゃあ私は……」

「待ちな」


 と、思ったのに。


「こんなもん押し付けて、自分は何もせず帰るだなんて……そんな虫のいい話、ないだろう?」

「う……」


 どうして、こうなっちゃうんだろう……




「それで伸一君がぁ!」

「おうねぇちゃん、もっと言ってやれ!」

「そだそだ!昔のことを持ち出す男なんてぇのはろくなもんじゃねぇ!」

「伸一君を悪く言わないでください!すっごく優しくてかっこいいんだから!」

「あ、あれ……?」

「でもなんでだろう。どうしてなんだろう。私、無理だよぉ……」


 いや本当に、どうしてこうなっちゃったんだっけ?

 そうだ、あれからママさんの言われるがままに酒を飲まされ、悪乗りしたおじさんたちがどんどんお酒を奢ってきて飲まされて……それで、えっと……まぁいいや、なんかいい気分だし。


「そんなの、決まってるじゃない……この時期になって過去の清算みたいな真似する理由なんて一個しかないでしょう?」

「え?ママわかるの?」

「男は黙ってな!」


 ママさんにはどうやら伸一君がどうして私にライブをやれだなんて言ったのかわかるらしい。おじさん方にはさっぱりらしいのに……女だからなのかな?いや私も女なんだけど。


「教えて……っていうのは、きっとずるいんだよね」

「ふふ、よくわかってるじゃないか。あんた鈍いけど、いい女だよ。ちょっと待ってな」


 ママさんは一瞬だけ優しげに微笑むと、店の奥へ引っ込んでしまった。ガチャガチャと音がするし、何かを探しているのだろう。


「待たせたね」

「あ……」


 そうして持って来たのは、マイクとカラオケセット。

 スナックにはカラオケがある……これもまたなんてテンプレートなのだろうか。


「歌いなよ」

「え?」

「あんたうまいこと隠してたけど、昔テレビ出てただろ?彼氏が言ってきたことも、その時のことと関係があるんじゃないのかい?」

「……ママさん、エスパー?」

「そんなわけないよ。ただちょっと記憶力が良いだけさ」


 まさかあんな一瞬しかアイドル活動していなかった私を覚えてくれている人がいるだなんて思わなかった。ましてやママさんは女性だ。完全に想定外のことだった。


「でも私、人前では……」


 伸一君とカラオケに行く、二人で軽く歌いながら帰る、なんてことは自然にできる。けれど、多くの人に聞かせることを意識した瞬間に、声が出し方を忘れたように出なくなってしまうのだ。


「へぇ、そうかい。歌わないっていうのなら、そこで寝ているオヤジ、外に放り出すよ」

「……え?」

「それとあんたがさっき飲んだ酒の分全部、あんたに払わせるからね?」

「えええええ!!!?」


 なんて理不尽だ。おじさん助けて……


「…………(わくわく)」

「あの……」


 ダメだ、おじさんたちは期待に満ちた目で私を見ている。


「私、お金そんなに持ってきてないです……せめて朝になれば下ろせますから……」

「もうそういう話じゃないのはわかってるだろ?いいからさっさと歌っちゃいな!」


 背中をバンと叩かれる。うう、気持ち悪いよぉ……


「はぁ……一曲、で、いいですか?」

「ああ。選曲は任せるよ」


 はぁ、一曲。そうだ、それくらいならなんとかなるかもしれない。

 専用のお立ち台の上に立ち、マイクを握る。ここはカラオケ。一緒にいるのは伸一君だけ、伸一君だけ、伸一君だけ……


「っ……」


 曲が流れ始める。だが、私は何も言葉を発することができない。


「っぁ……」


 思い出す。あの一年間を、思い出す。


「……止めるか」


 ママさんはぽつりと呟いて音楽を止めた。

 私は涙が止まらなくて、しばらくそこで泣いていた。




 早朝、始発も動き出す頃。

 私は泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。頭も痛い。お酒というものは本当に良くないものだな、なんて思いながら目をこする。

 お客さんも大方帰ったらしい。その場には眠っている田端というおじさんとママさんしかいなかった。


「起きたかい?ならさっさと帰んな」

「……私……」

「金は男どもからもらっているから大丈夫だよ」


 なんだか申し訳ないな。


「それじゃあ、ありがとうございました」

「礼を言われるようなことは何もしていやしないさ」


 早く帰らないと伸一君が心配してしまうだろう。荷物を持って扉を開ける。


「好きなものを、好きって言えない人生はつまらないよ」

「……え?」


 扉を閉めかけた頃、そんな声が背後から聞こえた。


「好きなら、好きのままでいればいい。それだけだよ」


 ママさんは笑って、私を手で払うように身振りした。

 軽く頭を下げて店を出る。


 私の好きなことは、なんだ。

 私は歌が好きか。


 答えがわかりきっている問い。

 それを口にするんはとても簡単なようで、とても難しい。それはきっと、私以外でもそう。


「……っ!」


 気づけば、早朝の東京を走っていた。

 駅前の繁華街を抜け、住宅街に向かう。




「春風に、飛んでった。君のいた場所に、花びらが舞った……っ!!」




 走りながら、歌いながら、息を切らせながら。

 今の私はどんな顔をしているのだろうか。


 ああ、朝日が眩しい。



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