after.2 あいつら
「はぁ……」
吐く息が白い。
夜空は冬らしく澄んでいて、雲間から覗く星はその輪郭までもわかるほどに鮮明に見えた。
全く、今日はいつになく忙しかった。
社会人3年目とは言え、まだまだ新人扱い。先輩から容赦なく投げかけられる注文は数え上げればきりがない。
それでも俺はまだいい方だ。公務員は9時くらいには家に帰れるが、世に言う社畜……身近な例でいうと美香などはよく終電を逃したりしているらしい。なんともまぁ恐ろしい社会だ。
とは言え俺も仕事をいろんな部署から引き受けて時間外労働に回したりしているから、社畜根性が染み付いているとも言える。
全く、こうならないための公務員だったのに、どうしてこうなっちゃったんだろうな。
『————伸ちゃん、こっちやっといて』
『おい石田!連絡行ってないって言ってるぞ!』
『すまん、コーヒー頼めるか?』
「…………くっ……ははっ……」
懐かしい、な。
もしかしたら、今の美香よりひどい社会人生活が。
……今よりも楽しい社会人生活が、あったのかな?
「あほくさい」
本当に、あほくさい。
そんなことわかっていて、それでも好きな人がいたから、今俺はこの立場にいる。
生活を安定させて、幸せな家庭を……なんて考えて学生時代の俺が公務員試験のための勉強をしていたなんて知ったら、美香は引くだろうか。重すぎるって。
でも、遊びで付き合えるほど、俺たちの道のりは生易しいもんじゃなかったから。
「よ、久しぶり」
「おう。しかしこの……あれ?」
この登場人物の出し方二話連続で正直気がひけるな、なんて相変わらずよく意味のわからないワードを吐きそうになった俺を止めたのは、今日会うはずではなかったもう一人の姿を見てのことだった。
「のの?本物じゃん」
「しー!しーっ!」
俺に向かって必死に指を口に当ててみせる少女……に見えるが本当は大学も卒業した立派な社会人、今井ののが、そこにはいた。
その風貌は五年前と全く変わらず、怪しげな帽子とサングラスもそのままだ。
「お前、今日仕事ないのか?」
「昨日大きな撮影終わらせたから。とは言っても、今日もさっきまで別の撮影だったんだけど」
「……それはそれはお疲れ様です」
「本当よ。疲れて眠りたかったのにまーくんが……」
「まーくん?」
「…………雅也くんが、絶対来いってしつこいから、仕方なく来てあげたのよ?」
「いや別に頼んでないし……」
ののがいる可能性を考えていなかったわけではないが、多忙な身だ。可能性は低いと思っていた。
「そうひどいこと言うなよ。ののちー電話で伸一プロポーズ大作戦について話すって言っただけで飛んできたんだぜ?」
「あっ!バカ!なんで言うのまーくん!……じゃなかった、雅也くん!!」
「……もういいよそのまま呼び合ってくれて」
今までの会話で概ね察せたと思うが、今井ののは今もアイドル活動を続けている。
出会った当初からかなりの人気を誇っていたが、今はその比ではない、何倍もの数のファンを獲得し、様々なジャンルにも手を出した。
今ではアイドルという括りよりも、歌手兼モデル兼女優という言い方の方がしっくりくるくらいだ。
「じゃあ立ち話もなんだからどっか入ろうぜ。ほら、この前いい店見つけたって言ったろ?」
「うん、寒いし」
そんな彼女がこうして目の前にいる。
まるで、普通の女の子みたいに、俺たちと接している。
まぁ、雅也は一応彼氏だからいいかもしれないが、俺なんかと会ってくれるというのは、なんだか自分の価値を理解しきれていないんじゃないかと思えてしまう。
「ほら、いくわよ伸一」
「……わかったよ、のの」
でも、わざわざこんなところに来てくれた理由は、すごく明確で。
純粋に、俺と美香のことを気にしていてくれるのだって、わかって。
「お前はいいやつだな〜」
「わっ、ちょ、なに!?頭撫でないでよ!」
「お前人の彼女に何やってるんだよ……」
いい友達を持てたな、なんて、しみじみ思うのだ。
***
「ったくあのセクハラカメラマン!!何が『も、もっと誘うように……デュフフ……』よ!!」
「んだとぉ!?俺のののちーになんてこと要求してるんだこのど変態がぁ!!」
まぁ、それから適当に店に入って適当に飯を食って適当に飲み始めて、1時間と少し。
カウンター席に残ったのは俺たちだけとなり、いい感じに……というには少々過ぎるほどに、三人とも酔っ払っていた。
「どうなんだよ、伸一は。お役所仕事なんだろ?お?」
「俺は学生時代にしっかり勉強してお役所仕事を手に入れたんだ。お前ら社畜とは計画性ってやつが違うんだよ」
「んだとこのインテリ陰キャ野郎が!」
「はっ!俺にとっては褒め言葉だね!」
「やるか?」
「やるかぁ!?」
「うっさいわねぇちょっとは静かにしなさいよ!」
「「……はい」」
さっきまで仕事の愚痴を大声かつ30分ノンストップで語っていましたがそれは……
「で、伸一。あんたこれからどうすんのよ?」
「これからって?」
「……わかってるでしょ?」
ああ、わかっている。酔ってはいても、今日一番話したいこと、話さなきゃいけないことが、あるんだ。
「俺、美香にプロポーズしようと思う」
「………………」
「………………」
「だ、黙るなよ!」
言わせておいて沈黙とは、こいつら本当に性格が悪い。
「「へぇ〜」」
「お前ら……」
まじで性格悪いな。
「でも、やっとって感じだね」
「そうだなぁ、美香ちゃん、ずっと待ってたっぽいし」
「え?そうなの……かな?」
「美香だって23だし、あんた25なのよ?時期としては、すごく適当だと思うけど」
「でも、つい最近まで学生だったわけだろ?
社会人として、もっと色々自由にやりたいこととかあるのかなって思うと、言い出しにくくてさ」
「……それ、なんか俺もわかるな」
「まーくん?」
「気を遣う、なんて言い方したら簡単かもしれないけど、本当に色々考えるもんなんだよ。一生のことだからな」
意外だった。あの適当でチャランポランだった雅也が、ここまで真っ当な考えを持っていたなんて。
「そ、っか……」
「うん、そうなんだよ……」
でも、本人(彼女)の前でそれを言うのはどうなんだろうかと思うぞ。ほら、なんかしんみりした空気になっちゃったし。酔いで記憶消えてるといいな、雅也。
「でも、俺、やっぱり美香が好きなんだ。家に帰ったら美香がいて、家で待っていたら美香が帰って来て……そんな毎日が、欲しいと思ったんだ。
……本当、自分勝手かなとも思うんだけどさ」
「そんなことないよ」
「結局、結婚とか付き合うとかって、自分勝手の押し付け合いだしなぁ……」
悟ったようで、少し気恥ずかしい雅也のセリフだが、確かにその通りだと思う。
みんな自分勝手で、でも、それが結局誰かのためになって、それが繰り返されて今に繋がって。
押しつけ合いながら、生きているんだ。
「好きなんだったら、仕方ないよ。一緒にいたいんなら、仕方ないんだよ」
酒のせいで、テンションのアップダウンが激しい。
「それで、どんな風にプロポーズするんだ?」
「それを相談しようと思ってさ。普通にレストランでデートしてそこで……みたいなのもいいとは思うんだけどさ。
でも、一生に一回だし、もっと印象的で思い出に残るようなことをしたいなぁ、なんてことも思っちゃうんだよ」
「へぇ……でもそう言うのも素敵じゃない?」
「そうだなぁ、伸一に似合うかどうかはともかくとして」
「……うっせ」
全く、本当に失礼なやつらだ。
でもきっと、こいつらも俺のことをそう思っているだろうからお互い様だな。
「で、どうだろう?
町中に仕掛け人を配置してみんな一斉に踊り出す……みたいなのは規模がでかすぎて俺の財力じゃできそうにないし、何か低予算かつ派手なのを一つお願いできないかな?」
「伸一、やっぱお前、ただの伸一だったわ」
「うっせ!金だけはどうにもならんだろうが!」
こっそり結婚式用の金を溜め込んでいることは内緒だ。それはできれば使いたくないからな。
「ねぇ、伸一……」
「ん?どうしたのの?」
すると、さっきから静かに水(隠語ではない)なんか飲んでいたののが、ぽつりと声をかけて来た。
「提案、してもいい?」
その、らしくないあまりにもしおらしい態度に、嫌な予感レーダーがビンビンだったが、言い出した手前引けない俺は、それを渋々と聞くのであった。
やべぇキャラが思い出せねぇ