after.1 俺たち
「あれ、時間間違えたか?」
いや、そんなはずがない。俺が“彼女”とのデートの時間を間違えるはずがない。
時計を見る。時刻は深夜0時を回り、もうまともにデートなんかできるような時間じゃない。
そうでなくてももう12月。寒さは肌を突き刺すようで、雪でも降るんじゃないかと思うほどだ。
……こんな時間に呼び出しちゃうなんて、悪いよな。やっぱり俺が彼女の元に向かった方がよか
「うっひゃあっ!!!?」
「はぁ〜、あったかぁい……ふふっ」
突如後ろから首に回されたとてつもなく冷たい何かはすでに失いつつあった俺の体温を容赦無く奪い取る。
こんなことをいきなりしてくる奴を、俺はこの世界で二人しか知らない。
「こーら、なにやってる」
「いいじゃん、寒い中迎えに来てあげたんだから」
「頼んでないだろ?」
「あー!伸一くんそういうこと言っちゃうんだー!傷ついたなー!寂しいなー!」
「あー、もうわかったよめんどくさいなぁ」
「なによそのいい加減なかえ……し……」
首に回された、もう互いの体温が溶け合って少しだけ暖かくなった赤い手をどかし、その主と向かい合う。
そこにあったのは、寒さか熱か、またはその両方かのせいで真っ赤になって、ちょっと困ったように笑う、愛しい人の顔。
「えへへ……ちょっと、恥ずかしいね?」
「柄にもないことしやがって」
気づけば背中に手が回り、引き寄せる。急に近づいた彼女は、マフラー越しの髪から、麻薬のように甘くとろける香りを放ち、どうしようもなく俺をおかしくさせる。
もう、手とか、首だけじゃ、収まらない。
全身で二人の体温を、溶かしあう。
「んぁ……」
「んっ…………んっ、はぁ……」
ちなみに言い忘れていたが、深夜とはいえここは都内の駅前。
周りの目線も、もちろんある。
「本当、バカップル極めてるな、俺たち」
「伸一くんが、エッチなんだよぉ……」
「全部俺のせいですかい」
ちょっと恨めしそうに、でも隠しきれないくらいに嬉しそうにしている、彼女の全てが愛おしい。抱きしめてもキスしても、たとえその先まで終えても、止まらないくらいに、愛してる。
「美香、もう、ホテル行っちゃおうか」
「もう、バカ。それしてたら朝までになっちゃうでしょ?
私、明日も仕事あるんだから」
「サボっちゃってもいいよ。俺もサボるから」
「だーめ。もう、お互い社会人なんだよ?しっかりしなきゃ」
そして名残惜しくも彼女————樋口美香は俺を押しのけ、しかしふんわり軽いキスをした。
「ごはん、食べに行こ?」
「……わかった」
「もう、年上なんだからしっかりしてよね?」
美香は俺の腕を取り、組んで、夜の街を歩き出す。
彼女と会うのは、実は二週間ぶりで、本当は色々と……もう本当に色々とヤりたいことが、おっと失礼しました、やりたいことがあったのだが、ようやく二人の都合が合う日を見つけられたのだ。
……それでもこんな深夜って、とんだブラック企業に入社してしまったものだ。
「どこ食べに行く?私なんも考えないでここ来ちゃったから」
「うーん、お腹減ったし、たくさん食べれればいいかな?」
「じゃあサ◯ゼでいい?」
「うん、安いしそれでいいよ」
「もちろん奢りだよね?」
「えー、俺今月ピンチなんだけど」
「毎日のように飲み会してるからでしょ?ねぇお願い先輩!」
「おま、それ卑怯だろ〜?」
「えへへ〜、どうだ、逆らえないだろ〜」
美香が俺のことを先輩から伸一くんと呼び始めてから、もう1年になる。
大学生になって、美香はすごく綺麗になった。長かった髪も短く整えられ、最初は皆の困惑を生んだものの、結局誰しもがこれもこれでアリ、否、これこそが至高、という考えに染まり結局高評価だった。
あまりにもの美貌と元アイドルということもあって、大学のミスコンは殿堂入りということになり、優勝者に花束を渡すというなんともいえない役割に任命されていたくらいだ。うん、分かりにくい。
そんな彼女もやがて卒業し、今では某コンビニ会社の本社勤めをされている。それに対し俺は公務員、いわゆるお役所勤めとなったので、もう先輩じゃない。従って呼び方を変えることになり、伸一くんとなったのだ。
こんな感じで、お互い忙しくなってしまい、なかなか合う機会を作れずにいる。二週間前に会ったその前は一週間と少し前、さらにその前も二週間は会えずにいた。
まぁ、それにはまた別の理由も絡んでくるんだけど。
「むぐむぐ……このたらこ◯ースシ◯リー風パスタって店とかによってソースとか味とか変わらない?」
「そう?私サ◯ゼくるといっつもサラダとお肉だからわかんないなぁ」
「ほら、食べてみてよじゃあ」
「えー、あーんしてー」
「ここ人前だよ?」
「さっきもっと人の多いところでキスしてたじゃん」
「……本当、お前言うようになったよ」
「もう5年も一緒にいるんだもん。遠慮だってなくなるよ」
「ほれ、あーん」
「んー、おいしー!」
「はは、やっぱり可愛いな、美香は」
「何その顔!安い女とか思ったでしょー!?」
怒った顔も最高に可愛い、俺の自慢の彼女だ。
そうして恙無く食事が終わり、さすがの東京でも明かりが少なくなって来た深夜2時。
「でも本当、寒くなって来たね」
「ああ、そうだな」
「雪、降るのかな?」
「……まださすがに降らないだろ」
「私、雪は好きだなぁ」
お酒入れていないはずだが、どこか浮かれたように、彼女は歩く。
その少し後ろを、俺は見守るように歩いた。
「ふーん、ふふーん、んんんー。んんんーんんーんんー♫」
「っ……」
けど、その歩みが、無意識に止まってしまう。
だってその歌を、俺は知っていたから。忘れるはずが、なかったから。
「どうしたんだよ、急に」
「うん、なんかね。COSMOSって、秋から冬に変わる時の歌でしょう?」
「……忘れたよ、そんなこと」
「なんとなく、ね。浮かんで来たの」
それは、今おそらく最も勢いのある歌手、山橋レナのデビュー曲にして、五年前一度だけ歌われた幻の曲。
そんな、俺たちにとってあまりにも重要で、大切で、そして……悲しい歌を、なんとなく鼻歌で歌えてしまうものだろうか。
「……手、出して」
「うん」
美香は従順にも俺に右手を差し出した。
その小さな手を強く握ると、力強く引っ張った。
「お前、もう今日帰してやらないから!」
「あーあ、お巡りさんに連絡しなきゃ……本当に明日仕事なんだからね?」
東京都の、少しだけ外れ。
駅にそこそこ近く、そこそこおしゃれな住宅街のマンションに、俺は今住んでいる。これこそが、俺と美香が会いにくくなった理由だ。
学生時代に住んでいた家から出て、新しい家に住むことに対し俺の親は別段反対しなかった。
美香は、複雑そうな顔をしていた。あの家には、あの部屋には、どうしよ王もなく色々なものが残っていたから。
悲しいことも、嬉しいことも、詰まりすぎていたから。
だからそれを失くしてしまうことは、やっぱり悲しいことではあるけれど、どこかホッとしてしまう。だから、彼女は賛成も反対もしなかった。
けれど、美香は今もあの神奈川某所にあるアパートに住んでいる。仕事が終わってそれから会おうで気軽に会うには、少々距離が開いてしまったのだ。
さすがに終電がなくなるくらいに夜遅くなったときはタクシーで帰ったりしているが、今日はそうはいかない。
朝まで、とことん付き合ってもらうことにしよう。
「なぁ、美香」
「なぁに?」
呆れたような顔でこちらを見てくる。俺のことを性欲魔人とでも思っていそうだな。いや実際これからやることはそれと相違ないのかもだけど。
「好きだよ。すごく」
「……うん」
でもそうすることこそが、言い訳しながら終電をいつも逃す彼女の、本心だと思いたいから。
***
ブー、ブー。ブー、ブー。
……………
………
…
「あい、もしもし」
『よっ、今夜空いてるか?あの話、ちゃんと相談しようぜ!』
「朝からうるせぇぞ雅也。あとその話を今するな。隣で美香が寝てるんだ」
『あ……まじか』
「だろ?」
『ああ、朝からそんなピンクな世界を想像させられたらな……』
「黙れ」
『それはともかく、シチュエーションとか大事だからな、ちゃんと下調べしないと。で、ちゃんとデートの約束くらいはしたのか?彼女、1日丸々休みとるの難しいんだから』
「…………」
『え、してないのか?』
「緊張しちゃったんだよ!いざその……するとなると」
『ふっざけんな!しろ!今すぐしろ!早くお前がプロポーズしないと、ののちゃんが一生俺にオーケーしてくれな』
「ふにゃあ……?」
「あ、美香が起きる。それじゃあな」
『……ったく、10時に新宿で。詳しいことは後でな』
「わかったよ」
……………
………
…
小鳥の鳴き声が聞こえる。
朝日が窓から差し込んで、1日の始まりを知らせる。
「むにゃむにゃ……」
ああ、そんなことどうでもいいくらいに、寝顔可愛いなぁ。
はぁ、そうだよな。そろそろ、腹括らないとな。
美香と結婚、したいから。
移動したンゴ