最終話 恋の楽譜
時間とか諸々の都合上割とやっつけで作りましたが、「https://youtu.be/pQFy9a8DzfE」で劇中歌「melodies」のピアノデモを聞けます。
一応これも相当やっつけですが、動画にはあの子の最終場面の表情が描いてありますので興味があったら是非(画力が低いのは仕様です⭐︎)
二週間、なんてものはあっという間で。
まだあと何日もある、大丈夫、大丈夫と思っていると、気づけば目前に迫っている。
ああ、知っていた。知っていたとも。
俺たちがこんな決断を、こんな変化をする時、必ず空は涙を流すことを。
外に出たくない。
こんなにも寒いのに。こんなにも、辛いのに、どうして決断なんかしなければならないのだろう。
「くそ……」
でも、行かなければならない。
覚悟ができていないのは、俺だけだった。
他の二人は、すでにもう、答えを出した。ならば、俺だけが停滞するわけにはいかない。
動け、動け、動け。
一月ももう末。
約束の日は、やって来る。
それなのに、俺はまだ答えを出せずにいた。
***********************************
「麗奈……」
「あ、みんな……」
風間プロに戻ったのは、伸一と美香との会話を終えてから約1時間後だった。
オフィスの中にはいつもの顔ぶれがおり、その少しだけやつれた顔を見れば相当に心配しせてしまったことがよくわかった。
「ごめ…………わ」
「良かった……本当に……心配したんだから……」
「もう、大げさだよ」
美月はあたしを思いっきり抱きしめ、優しく撫でてくれた。
病院から抜け出すなんてさすがにやりすぎたかもしれないとは思うけど、まぁこんだけ動けたのだ、どうせもう退院していい頃だろう。
「そうだぞ麗奈ちゃん!過労で倒れて、その上病院からも抜け出して……もしかしたら自殺とかって思ったら心臓飛び出しそうだったんだぞ!!?」
「蓮見さんの方が大げさすぎだね……」
確かに過労で倒れた末に自殺というのもよくあることのような気もしなくもないな。申し訳ないことをした。
「山橋」
「わ、ちょ、博多さん……?」
博多さんはあたしの頭を無言でクシャクシャと撫で、それからやっぱり無言で自分のデスクに戻って行った。
きっと、彼もあたしのことを心配してくれていたんだろう。
こんな、まるで実家のような安心感が、とても暖かい。
「美香から、話聞いた?」
「ええ、麗奈のライブのハコを取ってほしいって……よく話はわからなかったけど」
「そう……」
まぁ、そんな深いところまで美香の口から話せるわけもないだろう。
「あたし、伸一と会ったの」
「……そう、よね」
美月の様子からして、伸一はここまで探しに来ていたらしい。
立場なんかないくせに、バカなんだから……って、乙女になってる場合じゃないな。
「あたし、伸一に告白した」
「「「ぶっ!!」」」
「ちょ、汚い」
「ま、ままま待って!!意味が全然わからない……だって、伸ちゃんには……」
「うん、伸一には美香がいる。そんなの、ずっとわかってたの。
でも、それでもあたし、やっぱり伸一のことが好きだった。渡したくない。あたしだけを見ててほしい。本気でそう思う」
あれ、今相当恥ずかしいこと言ったはずなんだけど……なんだか、あんまり嫌な気持ちはしない。
一度覚悟を決めると女の子は強いと聞くが、本当だったのか。ま、美月は顔を真っ赤にしているけど。
「だからあたし、美香とおんなじ日にライブする。それで、伸一を絶対こっちに来させたい」
「そ、そういう意味だったの……」
「だからさ、美月……そしてみんな、お願い。ライブのハコ、小さくてもいいから取ってください」
深く、深く頭を下げた。
美香に頼ませたんじゃ、ダメだ。
あたしは、変わらないといけないんだから。
「そう思ってさっきから探していたけれど、空いているところが少なくて……」
確かに、ライブ当日は日曜日。完全貸切にできるところなんて、そうそうないだろう。
「いいじゃねぇか」
「社長さん……?」
と、思っていると、奥から出て来た社長さん。
その目はとても優しく、あたしを見つめていた。
「社長さん、あたし、記者会見まで開いてもらって……あんなに迷惑かけたのに……っ」
「いいんだ、もう」
ぽん、と、あたしの頭に手を乗せ、優しく撫でる。
「覚悟、決まったんだろ?なら、もう俺にお前は止められない。
ライブの会場は任せろ、何としてでも取ってやるから」
「社長、さん……」
それは、まるで父のような。
大きくて、暖かな手のひらだった。
「よし、金を引っ張ってくるか。ある程度出せば引っ込むやつらも多いだろ!
麗奈の本当の復帰ライブだ!きっとものすごい集客ができるぞ!!」
「そうね……うん!やりましょう!」
「そっすね!!風間プロの力、見せてやりましょう!」
「しょうがない、樋口の方は俺が一人でなんとかしますよ」
みんな、本当は美香の引退ライブで忙しいはずなのに、あたしなんかの
わがままを聞いて動いてくれようとしている。
見えていないだけで、あたしはこんなにも恵まれていて、幸せな人間だったのだ。
そんなこと、もっと早く気付くべきだったのに。
「ねぇ、みんな」
でも、そんなみんなの思いを。
「お願いが、あるの」
あたしは、最後の最後まで裏切る。
***********************************
「ラ、ライブで対決!?」
「うん、まぁ、そういうことにして来た」
「いや、まぁ確かにあたしも『このままで終わるの?』とかけしかけるようなこと言ったけど、まさかこんなことになるなんて……」
「うん、まぁ言っちゃったものは仕方ないよね!麗奈さんも賛成してくれたし」
「……あんた、なんかこの数時間で一気にたくましくなったわね」
「そうかな?まぁ、そうなのかもしれないけど」
覚悟、決まったから。
先輩たちと別れた後、そのまま今井家に向かい、ののと一緒に紅茶をすすっている現状。
一世一代の大勝負を前にしているとは思えないほど、私は今、リラックスしていた。
「でも、ののには本当、たくさん迷惑かけちゃったね」
「いいのよ、そんなの。でも……やっぱりまだ心配」
「何が?」
「あんた、もし選ばれなかったりしたら、どうするの?」
「そういうの聞く?ねぇ聞いちゃうの?」
本当に、デリカシーのない親友だ。
「あたしね、アメリカに行く」
「……え?」
「お母さんとお父さんと、そしてお兄ちゃんがいるアメリカに、行く」
「ちょ、ちょっと待ってよ!なんでそんな急に!?意味わからないよ!」
「落ち着いてよ……」
「落ち着いていられるかぁ!?」
ののは興奮した様子でバンバンとテーブルを叩いている。紅茶がこぼれてしまいそうだ。
「だ、だいたいあんた、家族のこと大嫌いで、それで家出て来たんじゃないの?」
「ま、そうなんだけど」
というかこの前で決定的な決別をしたばかりなんだけど。
「でも、麗奈さんや香奈ちゃん、そのお母さんのこととか見てたらさ、やっぱこのまま家族と永遠に断絶っていうのも、よくないんじゃないかなと思って」
「美香……」
「麗奈さんにはもう会えない家族がいて、どうやったってその人には会えない。
でも、あたしの家族はみんな、会いに行こうと思えば会いに行けるんだよ?」
「でも、あんたの家と麗奈の家とは事情が違うじゃない……」
「そうだね。行ったところできっとあたしはお父さんがしたことを許せないし、兄のことも、一生根に持ち続けると思う」
「なら……」
「でも、それでも、家族だから」
「っ……」
「あんなんでも、本当に最低で、人間の屑でも、家族だから。
きっと……っていうか、絶対喧嘩になる。泣いて、怒って、行ったこと後悔すると思う。
でも、どうやったって私にとって替えのきかない家族なんだから、仕方ないじゃない」
そしていつかは、きっとみんなで笑顔になれる日が、くるかもしれない。
麗奈さんと香奈ちゃんと、二人の母親のように。
「そっか……美香がそんなにいうなら、止めないけど……」
「のの?」
「うぇ、うぇぇぇぇぇぇぇぇん」
「え、えぇ!?ちょっとのの、待ってよあんた何泣いてんの!?」
「だって……だってぇ……っ!!」
「あ、えっと……もう」
本当、バカな親友だ。
「のの、泣かないで」
「寂しいよ……美香がいなくなっちゃったら、寂しいよぉ……」
「大丈夫」
そんな子だから、あたしとこんなにずっと一緒にいてくれたのだろう。
親友で、いてくれたのだろう。
ののを抱きしめ、笑いかける。
「私は残るよ?先輩に、きっと選んでもらう」
「重い……そんなの、重すぎるよ……」
「うん、自分でもわかってる、っていうか、私が重い女だってことくらい、先輩だってよくわかってるよ」
「そんなんじゃ……選ばれるわけないじゃないぃ」
「な、なんて失礼なやつなんだこいつ……」
でも、そういうところをひっくるめて、私のことを好きと言ってくれた先輩も、確かにいたから。
だから、私は諦めたりなんかしない。最後の一瞬まで、きっと力強く歌いきってみせる。
二週間後のライブを、これ以上ない最高のステージにするんだ。
***********************************
足取りが重い。
駅って、こんなに遠かったか?
美香と何度も通った、川沿いの桜並木。
それを見るだけで、この一年のたくさんの記憶が蘇ってくる。
花火に行った日もあった。告白した日も、された日もあった。
数え切れないほどの思い出が、この街には積もっているのだ。
でも、その先。
一緒に行ったカフェや、一緒に行った海辺や、一緒に過ごした家。
俺を変えてくれたあの子との思い出だって、この胸に無数に刻まれていて、それは今でも俺に勇気を与え続けてくれる。
選ぶって、なんだよ。
そんなこと、俺にできるはずないだろ?
だって、ほら、こんなに手が震えてる。
こんなに頭が痛い。
こんなにも強烈な吐き気がする。
今だって、少しでも気を抜いたらその場にしゃがみ込んでしまいそうなんだぞ?
どちらが好き、と聞かれたら、そんなのどっちも好きって答えるしかないじゃないか。
それが最低だって言われることだとしても、仕方ないじゃないか。
二人とも俺にとってはかけがえのないものをたくさんくれた。それを返せるようなことを、何もしていないというのに、一方を切り捨てて一方を選ぶなんて、あまりに残酷じゃないか。
逃げてしまいたい。全て失うことになって、得るものは何もない。
でも、それじゃ駄目なのか?誰か一人が悲しむより、みんな傷ついた方が、幸せなんじゃないのか?
「伸一」
「……ぁ」
俺を呼ぶ、声がした。
聞き覚えのあるその声は、いつも軽薄なのに今日だけはとても真面目に聞こえて。
ぼやける視界の先、手を差し伸べるのは……
「雅也?」
「ほら、立てよ。お前には、行かなきゃいけないところがあるはずだろ?」
いつだって、俺が迷う時には決まって現れる、親友の姿だった。
「どうして、お前がここに……?」
「どうしてって、お前がどうせうじうじ悩んで転げ回ってるんだろうなぁと思ったから、助けに来たんだ」
「ふざ……けんなよ?」
雅也とは最寄駅も違うし、そもそも今日俺が何をするかなんて伝えた覚えはない。
もし、こいつがここに来る理由があるとしたら……
「ま、ののちゃんから聞いたんだけどな。しっかし案の定死人みたいな顔してノロノロ歩きやがって」
「うるせぇな……」
「ま、とりあえず電車乗ろうぜ。どっちにも間に合わなくなるなんてことになったら最悪だろ?」
無理やり腕を引かれて、駅に近づいて行く。
やめろ、と叫び出したかった。
でも、この場でそうするのが最適であることくらい、俺にだってわかっていた。
そして、俺に悩む暇なんて与えないとばかりにちょうど来た電車。くそ、いつもは15分に一度しか来ないくせに、今日だけは空気を読みやがって。
そして、ゆっくりと電車は動き出した。
「お前、どこまで行くんだ?」
「ん?あぁ、俺これからののちゃんの家に行くことになってるからさ、その最寄までだよ」
「そっか……」
会話は、そこで途絶えた。
電車は、容赦なく進んで行く。
「…………………………………………………」
「………………………………………………………………………」
静かだった。
雪はどんどん積もっていき、地面はもう車のタイヤが通ったところしか見えなくなっていく。
そんな景色を窓から見ながら、間違いなく一駅一駅と、目的地との距離を縮めていくのを実感し、その度に焦りが俺の心の内をかき乱していった。
「俺、未来のことなんてあんまり真面目に考えたことなかったんだ」
「伸一……」
「もっと簡単なことだと思ってた。いつか普通に、どこにでもいるような素敵な人に出会って、歳をとって、その果てに結婚したり子供ができたり、気づけば孫ができたりするものだって、勝手に思ってたんだ」
今なら、小学生の子供だって思い描く、普通の生活。
特に大きな悲劇もなく、かと言って大きな喜劇もない、そこそこに幸せな未来。
「こんなに辛かったんだな……こんなに、苦しかったんだな……っ」
見落としていたんだ。
欲しいものが、求めたものが全て手に入らないなんて、当たり前のことを。
「なぁ、伸一」
「……なんだよ」
きっと、こいつは正しいことを言う。
例えば、お前は本当に好きな方を選べ、とか、一緒に笑っていきたい人は誰なんだ、とか、そう言うことを言ってくれる。
「逃げても、いいんだぞ?」
「……え?」
でも、こいつは、俺の逃避を、認めてしまった。
「あー、ののちゃんは怒るだろうなぁ」
「どう言う意味だよ、それ」
「逃げていいんだ。壊すのが怖い、三人で、みんなでいた時間が大事で、その思い出を汚したくないって、せめて自分の中だけでも永遠にしていたいって言うのなら、それでもいいと思うんだ。
そうして出した結論は確かに一つの答えで、誰に責められていいものじゃない。お前は何一つだって悪くないんだから」
しかも、さっき俺の脳裏をかすめた迷いと、おんなじ内容で。
「でも、それじゃあ……」
「美香ちゃんも。そして、麗奈ちゃんだって、きっと本当はそれがいいって思ってるはずなんだぜ?」
「な……」
そんな馬鹿な。だって、二人は……
「それでも二人は、本気だったんだ」
「……っ!」
「何を捨ててでもいい。他の何を台無しにして、ぶち壊してでも、お前といたいって言ったんだ。
誰かに譲れるくらいの想いは本物じゃない。他の何かを思いやってしまうくらいのものなら、それは偽物の想いだ」
「偽、物……?」
「お前は、どっちだよ」
雅也は、静かに問いかける。
怒ってもいない。笑ってもいない。
ただ、俺の表面だけの言葉じゃなくて、もっと奥底にある心に話しかけているようだった。
「片方のためなら、もう片方を切り捨てられるか?
片方の子がどんなに苦しんだとしても、好きなもう片方と幸せに生きていけるか?」
「俺、は……」
その時、アナウンスが今井家への最寄駅に着いたことを知らせて来た。
雅也は立ち上がり、さっきまでの真面目さを忘れ、いつも通り軽く、俺に笑いかけた。
「俺もさ、ずっとそれがわからないんだ。本物の気持ちってやつ」
こいつはたくさんの女の子と付き合い、それと同じ数別れてきた。
その中で、俺と同じような迷いに至ったことがあるのかもしれない。
「ま、親友を送り出す言葉としてはあまりにもありふれた言葉なんだけどさ」
そして雅也は電車を降り、俺に向かって指を指した。
「後悔はするなよ?」
電車の扉は閉まった。
ゆっくりと、再び速度を上げて行く電車。
俺はその背中に、何も言えなかった。
『東京駅、東京駅』
そして、乗り換えのタイミングが来てしまった。
まだ、戻れる。雅也が言ったように、俺は悪くないと言い聞かせて戻ることが、できるのだ。
外は夕暮れ時の終わり。本格的に暗くなって来た空。
何かに操られているように、フラフラと乗り換えのホームに向かう。
すると……
「…………え?」
『本日、雪のため運休が出ております。運転再開時刻は未定です。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。繰り返し申し上げます。本日…………』
「は、はは……なんだよ、それ……」
神様さえも、俺に行くなって言ってるみたいだ。
これなら、言い訳できる。
どうしようもなかったって言って、また今度、ちゃんと言うからって言って、期限を延長できる。
仕方ないんだ。だから、俺は……
そうして、元来た道を振り返ろうとした時。
「♫叫び出せ心
動き出せ秒針よ
どうか聞かせておくれよ
好きだったあの歌………♫
♫でも忘れないよ
後悔したことさえ♫」
聞こえたんだ、あの歌が。
俺を変えてくれたはずの、あの歌が。
停滞の中で安心しきって、動かなくなって、熱を失った、廃材のような俺を、“次”に進ませてくれた、あの歌が———!!!!
「っ!?」
あたりを見渡しても、誰が歌ったかなんてわかりはしない。
ここは首都の、さらにその中心に位置する駅なのだ。人なんて腐るほどいる。
きっと、何気なく口ずさんだだけかもしれない。
気分が良くなった酔っ払いのおふざけかもしれない。
でも、思い出した。
あの日の感動を。あの日の衝撃を。
ここで動かなかったら、あの日の前と同じだ。
変わらないことを望んで、沈んで行く泥舟。
それじゃあ、今までのことが全部無駄になってしまう。
俺が彼女と彼女と過ごして来た全ての日々を、否定してしまう。
嫌だ。それだけは、絶対に譲れない!!
「ぁっ……ぁぁぁあああ……っ!!」
俺は、誰かの笑顔を踏みにじれるほど、好きになれたか?
本気に、なれたか……?
「うお…………うおあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
叫ばずにはいられなかった。
乗り換えなどせず改札を抜ける。
雪は容赦なく降り積もり、風は体温を奪っていく。
傘なんてない、滑らない靴?当然今日なんかただのスニーカーだ!
すっ転んで、恥かいて、でも立ち上がって、走る。
どうなったっていい。もし俺が走らないことでこの地球の人類が皆救われると言われたって、絶対に止まってなんかやるもんか。
だって、会いたいんだ。
君のそばにいる瞬間が一番幸せで、一番楽しくて、こんな雪景色も、春の桜も、夏の海も、秋の紅葉も、全部全部、一緒に過ごしていたいから。
————好きなんだ。誰よりも、何よりも!!
「まだかっ!早く……早く行かなくちゃ……っ!!」
走りながら腕時計を見る。時刻は夜9時を回り、既にライブは終わりかけと言えるだろう。
悔しい。俺の足はこんなに遅かっただろうか?
会場までの残りほんのわずかな距離が、ひどく、遠い。
でも、行くんだ。
伝えたいこと、伝えなきゃいけないことが、あるんだ。
好きだって……
大好きだって、愛してるって、ずっと想ってるって。
「ぬうおおああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
真冬の東京に、叫びが響き渡る。
その時………
「あ………」
一度止んだはず雪が、降り始めた。
その雪はそっと優しく俺の頬に触れ、街に触れ、冷たいアスファルトの上に、そっと着地する。
ああ、こんなに寒かったのか。
思い出したかのように、冬は俺の肌を貫いてくる。
でも、この寒さが、雪が、本当にありがたい。
だって、この悪寒も、吐き気も、震えも、全部寒さのせいにしてしまえるから。
その時…………
「——————この心はあなたに捧げる恋の楽譜♫」
「…………っ!?」
幻聴?
違う。間違えるはずがない。
雪も溶かすように、甘く、切なく、愛おしい、あの歌声を、俺が間違うはずがない。
だって、好きだから。
この歌声が好きで好きで、仕方なかったんだから。
「ふ……ぅぁぁ……っ…………ぁぁぁぁっ!!」
気づけば、涙が零れ出していた。だって、この曲を俺は知っているから。
これは、愛の歌。
俺が、一人の孤独な少女の寝顔を見た時に抱いた、恋のような気持ち。
その想いを込めた、世界にたった一つの歌なのだから。
しかしそれは、一人の冴えない男に恋をした女の子の恋の楽譜へと姿を変え、人を、俺を、この上なく惹きつける。
ああ、そうか。ならもう、何の迷いもない。
そこにずっと、俺の心はあるのだから—————————
***********************************
「お疲れ様、美香」
「はい、お疲れ様でした美月さん。今までご迷惑おかけして、本当にごめんなさい」
「ううん、そんなの……」
美月さんはどこか伏し目がちだ。
きっと、気にしてくれているのだろう。
「よう、美香」
「社長さん……っ!?」
すると、楽屋に社長さんが入って来た。
「今日のライブ、すごく良かったぞ」
「ありがとうございます……私も、最後にこんなところで歌えて、本当に嬉しいです……っ!!」
最後のライブは、無事終了した。
お客さんは、たった数曲しかない私の歌を本当に楽しそうに聞いてくれて、本当に嬉しかった。
まさかのドームで、緊張でどうにかなりそうだったけど、最後までやりきれて、良かった。後悔のない、いいステージにできたと思う。
「アメリカに行くんだってな……」
「ああ、ののから聞いたんですか?」
「ああ、まぁな。あいつ、泣きながら何とかしてくれって俺に言うもんだから大変だったんだぞ?」
「あ、はは……でも、もう決めたことですから」
そう、ののに話した時点ではまだ予定だったものが、今日でついに、確定になったのだ。
「じゃあ、私着替えて……帰ります。また今度ご挨拶に伺わせていただきますので……」
「おう、そうだな。じゃあお前らも俺の後ろ隠れてないでなんか言え!」
「わ!二人ともどうしたんです?」
社長さんが促すと、その影から出て来た残りの二人、博多さんと蓮見さんだ。
この二人にも本当にたくさんお世話になった。感謝しても仕切れないくらいの恩がある。
「みがぢぁぁぁあああん!!本当に行っちまうのかよぉぉぉぉxおいおいおいおいおい……」
「そ、そんなに泣かないで蓮見さん!ほら、手紙とか書きますから!」
「樋口」
「は、博多さん……むぎゅ」
「なっ……なななななななななああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!?」
蓮見さんとの感動の別れをしていると、近づいてきた博多さんに思いっきり抱きしめられていた。
く、苦しい……
「そーちゃん!このセクハラホモ!!バイだったなら最初からそう言いなさいよね!?」
「感極まって……ついな」
美月さんに剥がされ、離れて行く博多さん。ああ、びっくりした。
「それじゃあ私たちは出るわ。気をつけて帰ってね?」
「はい。今日は……今日まで、本当にありがとうございました!!」
そうして、風間プロの皆さんは去っていった。
残された私は深く、今までの感謝全てを込めて頭を下げ、みんなを見送る。
さようなら、本当に短い間だったけど、楽しかったアイドル時代。
脱ぎ捨てた衣装に向かって、一人心の中で呟いた。
着替えを終え、残っているスタッフさんに挨拶をすると、私はようやく会場の外に出ることができた。
外では雪が降っており、東京にしては珍しい銀世界だった。
ああ、でも、これで本当にアイドルはおしまいなのか。
そう思うとこみ上げてくるものがあるなぁ……
「ぃぐ……」
ううん、そうじゃない。今日アイドルが終わるなんて、そんなことわかってたもん。
今どうして私が泣きそうか。その理由は、もっと重く、苦しいもので……
「ぅぇぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………ぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」
先輩には、選んでもらえなかった。
最前列に空けた席はぽっかり空席になっており、最後までそこが埋まることはなかった。
全力で挑んで、全力で負けた。
でも、さっきまではアイドルだったから。
だからどんなに苦しくて、辛くて、悔しくても、泣くわけにはいかなかった。
でも、もういいよね。
もうアイドルじゃなくなったんだから、いいよね。
ただの失恋した女の子になったって、いいよね。
「ぅわああああああああ」
「うっさい、恥ずかしいから、そんな大声で泣くな」
「何よそれ!!?今私はとてもブルーな気分な……の……」
うるさい野郎だ、ぶっ飛ばしてやる。
そのくらい思って、振り向いた先には、花束を持った、私の大好きな人が……
「ま、短い間だったけどお疲れ様。これは祝いの花」
「え、嘘……どうしてここに……?」
「間に合わなくって、ごめんな?いや、この雪だったから電車止まってて。結構走って来たんだぞ?」
「いや、そうなんだけどそうじゃないって言うか……」
だって、私は選ばれなかった女の子で。
失恋して泣いている、ただの女の子のはずで。
「言いたいこと、謝りたいこととかたくさんあったんだけど、そういうの走ってる途中で全部吹っ飛んじまったから、これだけ言うな?」
「え、まって、心の準備が……」
「美香、好きだ」
「あ……」
こんな、町のど真ん中で何を言っているんだこの人は。
もうちょっと雰囲気とか、空気を読むってことはできないのか。
本当に馬鹿……本当に……
「私も大好きです!先輩と、ずっとずっと一緒にいたい!!」
その時、思いっきり私の体を抱きしめる、先輩の両腕。
「恥ずかしい……こんなとこで。痛すぎですよ、先輩?」
「ちょっとは空気読めよ、お前」
うん、でも、まぁ、そう言うところも含めて互い様と言うか。
「もう、離さないよ?」
「お手柔らかにな?」
大好きかなって、思うんだ。
***********************************
社長さんや美月たち風間プロが用意してくれた、本当に小さなライブハウス。
これは、みんなへの裏切り。
あたしの最後のわがままは、この場所に、誰も客を入れないでほしいというものだったのだ。
当然反対されると思った。けど、みんな笑顔でそれを許してくれた。
そう、このステージ自体が、君と出会って変われたあたしの起こす奇跡なのだ。
「ふふ……」
あたしはステージから客席を見下ろして、少し笑った。
「それじゃあ、本日最後の曲になります」
勝手に借りてごめんね。
今日だけだから、許してね。
「—————恋の楽譜」
出会いは必然
可能性の起こす奇跡
桜が運んだあなたのことよ
見つけてくれたことだよ
変わるわけがない
変わることは許されない
あなたとあたしの繋がりだった
似ていたから苦しかった
不安に溺れそうで踠いてた
水平線、白く跳ねて
このままでいいのかな
厳しく叱るようで
足を踏み出させる
この心はあなたに捧げる恋の楽譜
振り向きたくなると
逃げ出したくなると聞こえる
あなたの楽譜
別れは運命
おはようとおやすみのように
素直になれない言葉はきっと
駄々のこね方を忘れた
誰かの一番になりたかった
そうでないと不安だった
鮮やかな色映す
幸せと言えた言えた場所を
失くしたくはないよ
この心はあなたに捧げる恋の楽譜
暗い海の底に
取り残されたと時も
あたしを
守ってくれる
過ごした時はやがて消えてく
思い出に変われば強くなれるの?
それなら強くなんてならなくていい
恋をした記憶だけは、残っていて
この心はあなたに捧げる恋の楽譜
込められた祈りが
込められた感謝が
どうかあなたに届きますように
初めて恋した心にさよならをしよう
泣き虫で弱い自分と別れたら
きっと頑張っていける
「ありがとうございました」
深く、深く頭を下げる。
真っ暗な、誰もいないステージに。
——————あたしが恋した、君に。
Fin.
次回、エピローグで完結です。
もしifエンドに需要があったらどっかに書き込んでみてくださいもしかしたら書くかも笑