第84話 この心は
「あ、先輩」
「よ」
今日は、雪が降っていた。
一月十四日、美香のセンター試験当日。午後3時過ぎ。
「先輩、地味な格好なんで探すのに苦労しましたよ
「今日のお前にだけは言われたくねぇよスレはここでしたか〜」
わらわらと蠢く受験生の中に、メガネに三つ編みの地味な少女を見つけるのはかなり手間だった。
美香がアイドルだと知っている人に騒がれると面倒なので、センター試験はまさに超地味委員長ちゃん(ただし羽○と違ってひんぬー)の格好で臨んだのだ。
「さ、早くいきましょう。少ない休日です」
「そだな」
美香は最後の引退ライブと受験に挟まれ、スケジュールは過密を極めているのだが、一段落つく今日だけはレッスンも勉強もお休みなのだ。
「さーて、今日は沢山わがまま聞いてもらいたいなぁ」
「いいけどほどほどにな」
「ん?今なんでもって……」
「言ってないから」
今更だけどこいつは女の子なのにどうしてホモビのネタを知っているんだろう……
「まぁでもともかくお金は結構下ろしておいたぞ?」
「え、奢ってくれるんですか!?」
「いいよ、今なら大抵のレストランなら奢ってやれる!」
「さっすが先輩太っ腹!よっ、カリスマ家庭教師!」
「これは受験も勝ったな!ガハハ!!」
高笑いする俺たちを怪訝そうな目で見る帰宅途中の学生達。
恥ずかしい、早く行こう。
「寿司か?肉か?フレンチか?」
「どれも美味しそうで悩む……でも」
美香は、上目遣いで俺を見つめる。
息がかかるくらいに顔を近づけてきて、そして……
「今日は、先輩の部屋でゆっくりしたいなぁ……」
「っ!?」
熱っぽく、俺の耳に息を吹きかけてきた。
「何顔赤くしてるんですか?やーらしー!」
「お、おお、おま、ちょ……」
最近、美香の小悪魔っぷりが増し増しでお腹いっぱいだ。
家でいいと言うのなら、今日は出前で何か頼もう。
そんで、二人でずっと身を寄せ合っていよう。
俺たちは家に。
“俺たち”の家に、帰るのだ。
そして、その選択がとんでもない間違いだったと気づいたのは、それから2時間後。
結局なんの注文もせず、彼女が肉じゃがと主菜の天ぷらを作っている途中だった。
ピンポーン、と、やっぱり何度聞いても無機質なインターホンがなり響いた。
「誰だろう」
「今ちょっと手が離せないんで、先輩出てください!」
「ここ俺の家だし俺が出るのは当然なんだけどな……」
なんか、もう奥さんみたいだ。
やだ恥ずかしい、これだから最近の若いのは……
と思っていると、2回目のピンポーンが鳴る。
仕方ない、出るか。
「こんばんは、どちら様で……」
「石田!いるならすぐに開けなさい!!」
「今井?」
「早くして!!」
「わ、わかった……」
いつもうるさい女だったが今日は特に騒がしい。
と言うより、焦っているような、追い込まれたような顔をしていた。
ただ事じゃない。何かあったのだ。
そしてそれは、きっと……
鍵を開けると出てきた、雪を沢山体につけている小柄な少女。
今井ののは俺の家に入るやいなや靴を脱ぎ捨て、走ってリビングに入って行ってしまった。
ってかまずい。今は美香がいるんだった!!
「今井!これは……」
俺もすぐに後を追い、リビングに入る。
だがもちろん接触は避けられず、美香と今井は顔を合わせてしまっていた。
「…………」
「…………………」
絶句したように美香を見つめる今井は、少し諦念のこもった瞳で床を見つめた。
「そう言う、ことだったんだ……」
「ごめん、言えなくて。でも私は先輩のこと……」
「知ってるわよ。だから、そのことについてあたしから言うことなんて何もない。そんな資格もない」
ゆっくり、今井はテレビに近づいて行った。
「ねえ石田、最近テレビ見た?」
「……見てないけど」
「じゃあ、見て」
今井は急激に感情を殺した声音で俺にそう指示する。
でもそれは、今の俺の家にとってはタブーみたいなもので。
もう少し。もう少し経ってからじゃないと、触れてはならないパンドラの箱で。
「石田ができないなら、あたしがやる」
「今井!」
「のの!!」
とっさに止めようとする俺と美香だったが、今井の方が早い。
テレビの電源は二ヶ月ほどの時を経て、久しぶりに入れられたのだ。
繰り返すが、今は午前6時。
夕方の、ニュースの時間だった。
『本日お知らせいたしますのは話題のニュース、山橋レナさんについてです』
「……え?」
どうして、今、このタイミングで始まるんだよ。
他にもやること、沢山あるだろ?
天気予報とか政治家の悪口とか、あるだろ?
『山橋レナさんが三日前倒れ、そのまま入院してしまいましたが……その原因について世間では色々と騒がれていますね』
『はい、ネット上ではスキャンダル報道をした雑誌社のせいだ、その時に沸いたアンチのせいだ、などというこの前の事件を絡めての意見などが多く囁かれているそうですね』
そんなことを。
俺をこの上なく揺らしてしまうことを、どうして今言うんだ。
「先輩……」
「美香……」
でも、ダメだ。
今の俺が、彼女の元に行ったらダメだ。
「あの、クリスマスライブの日にね……」
「っ……」
それは、俺が行かなかったライブ。
麗奈との、最後の別れを、俺が無視してしまったライブ。
「麗奈、歌えなかったのよ?」
「は?」
「本番で、声出なくなっちゃったの」
なに、言ってんだ、こいつ。
麗奈は、あんなんでも一応プロだぞ?ライブで歌えなくなるなんてありえない。
「それから根を詰め過ぎて、ほとんど寝ないくらいに頑張って……自分に大丈夫って、言い聞かせてるみたいだった」
「だから、倒れたって言うのか?」
「そう。麗奈はもう限界だった。心も、体も、壊れてしまっていたんだよ?」
「そんなこと言って……俺にどうしろって言うんだよ……っ」
「石田……」
「そんなこと言われたって、俺にはもう、関係ないんだぞ?あいつは、それを望んだんだぞ?」
それに、俺のそばには、最高の彼女がいる。
麗奈には麗奈の道が、ちゃんとある……
「どうして……わからないの?」
「今井……?」
でも、そんな俺の突き放したような態度は。
「麗奈が……あの麗奈が、素直になれるわけないじゃない!!」
今井を、泣かせていた。
こんなにも必死に、麗奈のために、俺に問いかけている。
このままでいいのか、このまま、逃げ続けられるのか、と。
でも、それでも……
「俺は、行かない。今更見舞いに行って、何を話すって言うんだよ……」
守りたい場所は、ここにあって。
風間プロを裏切ることになっても、麗奈との思い出を裏切ることになっても、親友の協力を裏切ることになっても、美香だけは。
彼女さえいれば、歩いていける。
この心は、全部美香の……
「今日、麗奈が病室からいなくなった」
「っ!!」
脳が、焼ける音がした。
何かに動かされるように、俺の足は理性の枷から解き放たれ、動き出す。
どこに?決まってるだろ?
麗奈の元に。
あいつのそばに、いてやらないと……
「先輩っ!!!!」
でも、その時、美香が俺の腕を両手で繋ぎとめようと、強く握ってきた。
「ダメです、行っちゃ……」
「美香……」
「先輩の彼女は、私なんですよ!!」
「……ごめんっ!」
最低だ。
これはもう、謝って許されるようなことじゃない。
でも、あいつが一人になってしまっている。
一人で、泣いてしまっている。
その光景が、あまりにリアルに脳裏に浮かんできて、次の瞬間には、美香の手を解いてしまっていた。
全部、全部全部、お前のせいだ。
「麗奈っ!!」
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「ごめん。あたし、美香の友達だけど……麗奈の友達でも、ありたいの」
「……ぅっ……ぅぅっ……」
「でも、こうしなきゃ、また動き出すことなんて、できない」
「じゃあ、私は……っ……私は、どうしたらよかったの……」
「そんなの、わからないよ」
「結局……勝てなかった。麗奈さんの事、忘れさせる事、できなかった……」
「……じゃあ美香は、このまま終わるの?」
「……え?」
「全部流れに任せてしまって、それでいいの?」
「そんなの……私にどうしろって……」
「それじゃあ、前と一緒だよ。去って行く先輩の背中を見つめる、ただの後輩の女の子」
「っぁ……」
「あたしもこれから麗奈を探す。こんなこと、一ヶ月前にもあったけど」
「あの時とは……違うんだよぉ……」
「あなたは何を捨てるの?何を……選ぶの?」
「私、は……」
「じゃあ、ね」