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第83話 一人じゃない

一月に入って、数日が経った。

お正月ムードも去った日本の首都東京の、とあるビルからあたしたちは外に繰り出す。


「そう、美香と伸一、やめたんだ」

「……ごめん。私、止められなくて」

「なんで美月が謝るのよ。全然気にしてないってば」

「……そんなわけ、ないでしょ?」


そう暗い顔をされても困る。伸一が辞めるだろうなってことくらい容易に想像できていたし、衝撃はそんなにない。

確かに悲しいけれど、耐えきれないほどのものではないのだ。


「それより仕事行かなきゃ……」

「もっと正直に気持ちを話してくれてもいいのよ?」

「そんなこと言われても、本当にそんな思いつめていたりなんかしないわ。

それにあたしは今の仕事が充実していることが本当に嬉しいの。実際かなり忙しいし、いちいち去る者のことなんかに構っていられないわ」

「……それにしたって、最近無茶し過ぎよ?ダンスも歌も練習量がバカみたいに増えてたし、テレビの仕事も辛かったら少しくらい断ったって……」

「大丈夫よ。若くいられるのもそんなに長くないし、今稼いでおかないと社長さんに返したい借金も返せないまま引退になっちゃいそうだもの」

「……忘れようとしてない?仕事で」

「……全然、なんのことかさっぱりわからないわ」

「麗奈、本当に……」

「もういいでしょ、予定が押してるの」

「麗奈!!」


最近、美月の小言が増えた気がする。

大晦日の歌謡祭も、正月のつまらないバラエティ出演も終えたのだから、もっと労ってくれてもいいのではないだろうか。

いや、わかってる。これは全部、あたしのことを心配してくれてのことだってくらい。

正直、美月の言う通りなのだ。あたしは、忘れようとしている。

忙しさの中にいれば、自分の存在証明ができるアイドルでい続ければ、あたしは伸一のことを少しの間でも忘れられる。

何も考えないで踊っていられれば、あの夜のこと、思い出さなくても済む。

遠く、あいつから遠く離れたところに行けば、きっといつかあたしの心の中から消えてくれると、信じているから。


「雪、降らないといいなぁ」


前に止めてあったタクシーに乗り込んで、車窓から空を見上げる。

曇り空は今にも泣き出しそうで、でも、泣いてもらっては困る。

あたしも泣かない。だから頑張って耐えてほしい。

そんな願いを、誰に言ったでもないこの願いを心の中だけでつぶやき、あたしは今日もアイドル山橋レナとして仕事をこなす。

こうして走り続けることは、決して無駄ではないはずだから。

目的地に着いた。さあ、頑張ろう。

ドアが開き、外に出ようと足を踏み出した瞬間だった。


「麗奈っ!!」

「…………え?」


視界が揺らぐ。

黒いアスファルトがグンと引かれるように近づいてきて、そして……


「あ……れ……?」


鈍い音とともに全身に痛みが走った。

ああ、あたし、倒れちゃったんだ。


「麗奈、大丈夫!?」


焦った声の美月が近寄ってくるが、ぐにゃりと曲がる視界ではその顔をしっかりと確認することはできない。


「どうしましたか!?」

「救急車!救急車お願いします!!」


救急車だって?そんなおおごとにする必要はない。

あたしは全然平気だ。立ち上がって、今日の仕事をこなすんだ。

でも、体は微動だにせず、美月に抱きかかえられたまま動こうとしない。


「麗奈、ごめん……限界だって気づいてたのに……ごめんね……」


やめてよ。

そんな悲しそうな顔、しないでよ。

やめてよ。

あたしをここに残してよ。

そうじゃなきゃ、もう思い出にしかいない香奈まで遠いものになってしまう。

いやだ。こわい。

もう、とっくにひとりぼっちだけど、でも、それだけは奪わないで。

そんな願いは虚しく、視界は暗転。




次に、自分が山橋麗奈だと自覚したのは、知らない天井を見上げた時だった。

ゆっくりと起き上がり、周りを見渡す。

個室の病室から覗く外の景色は、香奈の病室を思い出させて。

リアルに、死を意識させてくる。


「誰か……」


人は、いなかった。

あれからどれだけの時間が経ったの?収録は?

考えることはたくさんある。でも、その時感じたのはたった一つ、寂しいという感情だけ。

こんな地獄を、恐怖を、香奈はずっと経験してきたのかと思うとゾッとする。

あたしには、目覚めて数秒のこの時間さえ、苦しくて辛くて……


「うあ、うああああああああああああああっっっ!!!」


涙が、止まらないというのに。


助けて。

あたしをひとりにしないで。

置いていかないで。忘れないで。

———伸一っ……




「麗奈!?」


「…………ぁ」




一瞬だけ、期待した。

期待した自分が信じられなくて、あまりに醜くて、消えてしまいたくなった。


「目が覚めたのね……よかった」

「のの……」


ののは花束を抱えて病室に入ってきた。

泣き声が聞こえたからか、心配そうにあたしを見つめている。


「大丈夫?」

「大丈夫……だよ」


そんなわけ、ないけれど。


「今日は何日?」

「1月14日。麗奈、二日も眠っていたのよ?」

「仕事は……」

「それは麗奈のとこの社長さんがなんとかしてくれたって。体調不良は仕方ないよ。気にやむことはないって」

「そう……」

「あ、ちょっと何してるの!?」

「何って、外に行こうとしているだけよ」

「麗奈、栄養失調だったって。今はちゃんと休まなきゃ」

「無理よ。仕事があるもの」

「そんな状態で行ったって……」

「うるさい!!!!」

「っ……」

「あ……ごめ……」


情けない。

年下のアイドルに心配され、お見舞いされ、たしなめられた挙句八つ当たり?最悪すぎる。


「麗奈……クリスマスからやっぱり変だよ。やっぱりあの日歌えなかったこと、まだ気にしてるの?」

「…………」


そうじゃない、なんて。

そこじゃないだなんて、言えるわけない。


「そんなの、歌歌う仕事していたらよくあることじゃない!

たまたまそれが今来ただけ!ね?だから大丈夫!」

「ごめん。でも本当に……」

「あたしのせい?」

「っ…ちが……」

「あたしが、麗奈に余計なこと言ったから、こうなっちゃったのかな……」


でも、煮え切らないあたしの態度を見て、ののはついに涙をこぼし始めてしまった。


「ごめんね……なにか役に立てばって……麗奈がまた元気になれればって思ったのに。

あたしっていつもそう。余計なことばっかして、場を余計混乱させていく。良かれと思って、悪化させていく」

「違う!のののせいなんかじゃない!!」


こうして、今、寂しかったあたしの前に現れてくれた。

あたしのこと、元気になってほしいって、応援してくれた。

そのことにどれだけ救われているか、どれだけ励みになっていることか。


「やっぱり、あたしじゃだめなのかな」

「……え?」

「麗奈の心の支えには、なれないのかな」

「そんなことない!」

「でも麗奈、何にも話してくれない!あたしバカだから麗奈がどんなことに悩んでて、どう思ってて、どう苦しんでいるのか言ってくれなきゃわかんないよ!!」

「それは……っ」

「友達に……なりたかった」

「ぁ……」


ののが、心の内をさらけ出している。

そして、その言葉は皮肉なことに、あたしと同じ想いで。

でも、その達成度が明らかに違って。


「あたしは麗奈のこと友達だと思ってるけど……麗奈は、どうなの?」

「あたし、だって……」

「ごめん。麗奈、起きたばっかなのにこんなこと言って。本当、どこまで最低なんだろ、あたし」


いつも根拠のない自信に満ち溢れたアホの子。

そんなイメージにそぐわない、あまりに悲痛な表情を湛え、彼女は花束を花瓶に移す。


「でもお願い。もう少し、休んでて。このままじゃ、麗奈が壊れちゃうよ」


そこまで聞いて、やっと自覚した。

ののは、友達だったんだって。

美香とおんなじくらい大切な、親友だったんだって。


「そろそろ風間プロの人も来ると思う。みんな本当に心配してたから、ちゃんと話してあげて。」

「…………」

「色々ありすぎたのよ。きっと、風間プロのみんなも休めって言うはず」


風間プロのみんなには、これだけ迷惑をかけ続けたのに、まだ心配してくれると言う。


「それに、麗奈のことを待つファンだって沢山いる。ネットには麗奈のこと心配してる人が沢山いる」


ファンのみんな。あれだけ振り回して起きながら、まだあたしのファンでいてくれる人がいる。


「のの」

「……何?」


だから、これだけは言っておかないと。


「ありがとう」

「っ……じゃあ、これから仕事、あるから……」


こんなあたしのために、泣いてくれて。

本気で、心配してくれて。

あたしは一人じゃないって、励ましてくれて。




そうして、ののは出ていった。

静寂の中、考える。

このままでいいのか。

こうして休んで、いつか復帰して、そうしたらまた歌える?

元気な姿を、見せられる?


「馬鹿ね、そんなの無理に決まってるじゃない」


それなら、道はもう一つしかない。

止まったままの足を動かせるのは、自分だけなのだ。

心配してくれる人がいる。待っていてくれる人が、友達が、確かにいたのだ。

なら、あたしは進まなきゃいけない。


これは、きっとあまりに最低なこと。

史上最低な裏切り。誰もが不幸になる結末へ続く道。

でも、それでも。

たとえ誰に恨まれても、傷つけても、苦しめても。




———この心に、嘘はつけない。




そうしてあたしは立ち上がる。

あの場所に、行かなきゃ。

行って、伝えなきゃ。言えなかった、たった一言を。全てが始まって、終わるあの場所で。


ゼロから、また、始めるために。




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