第82話 最悪のアルバイト
「考え直す気は、ないのか?」
「はい」
「前にも言ったが、その選択は俺たちだけじゃなく、あの麗奈と二人でやった学祭の協力者、みんなを裏切ることになるんだぞ?」
「わかっています」
「そして何よりファースト、セカンドライブで稼いできたファン全員を裏切ることになるんだぞ?」
「それも、重々承知の上での決断です」
「……そうか」
重苦しい空気の社長室。
行き場をなくしていた私を拾ってくれたこの会社には本当に返しきれないくらいの思い出と、返しきれないくらいの恩があるはずなのに、この仕打ち。
我ながら最低だとは、思う。
「お前がそう決めてしまったのなら仕方ないな」
「はい……」
「でも最後にけじめはちゃんとつけろ」
「……以前おっしゃっていた、引退ライブのことですか?」
「ああ」
社長さんは一枚のプリントを取り出し、私に差し出してきた。
「急なことだ。そこまで大きなハコは用意できなかったが……短い間でもファンになってくれた人への義理は果たせ。いいな?」
「……わかり、ました」
断れる雰囲気でもなかった。
それに、私自身どこかでけじめはつけないといけないと思っていたことでもある。
先輩と一緒にいたい。だから、アイドルはもう続けていられない。
「失礼します」
そうして、私は深く頭を下げてから社長室を出た。
見慣れたはずのオフィスも、随分と久しぶりに見える。
仕事をしていたみんなは私を見ると立ち上がり。近づいてきた。
「美香ちゃん、本当に辞めるのか……?」
「すみません蓮見さん。私、何にも返せないままで」
「樋口、まだもう少し続けていたって……」
「博多さん……色々親切にしてくださってありがとうございました。でも、もう決めたので」
「美香これって……」
「美月さん、違います」
「でも……」
「先輩は関係ないです。ただ純粋に、向いていないっていうだけで。
私には麗奈さんみたいにいつでもマスコミに気を使わなきゃいけないような生活はできないなぁって、思っただけ」
「本当に伸ちゃんは関係ないの?」
「……ないです」
言い切った。すると美月さんも納得したようにうつむき、一歩下がった。
そして、息を大きく吸ってから、またいつもの美月さんらしい笑顔で蓮見さんと博多さんの背中を叩く。
「ほら、いつまでもしみったれた顔しないの!引退ライブ、するんでしょ?とびっきりの値段で売り込んで、伝説のステージにしてあげるんだから!ね!?」
「そ、そうだよな……ああ、そうだ!」
「わかってるさ……最後まで頑張ろう、樋口!」
「みなさん……っ!」
ふと、涙がこぼれそうになるが、堪える。
私にできること、そしてすべきことはたった一つ。
「ありがとうございました!最後まで宜しくお願いします!!」
深く頭を下げて、感謝の意を示すことだけ。
でも、一番そうしたいはずの人は、やっぱり今日もこの場所にはいない。
テレビ画面の奥で、平然と仕事をこなしているのだ。
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美香があのビルから出てきたのを確認して、気づかれないようにビルに入った。
カン、カン、と、無機質な音を立てる階段。
あれから、俺たちはずっと一緒だった。
イヴからの翌朝に樋口が掛け布団だけの姿でジト目を向けてきていた時はなんて夢だと思って二度寝したらめっちゃ怒られた。
それから二人で布団に入ったまま出ないでいたり、大晦日には一緒にガ○使を見たり、初日の出を見たり、それから初詣にも行って、家に帰って寝て、目が覚めたら隣に裸の樋口がいていい初夢だなぁ思って二度寝したらまた怒られたり……
まさに完璧なリア充生活を堪能した二週間。
でも、いくらそれが幸せだったからと言って、向き合うべき問題から逃げていいわけじゃない。
美香は言わなくていい。自分が全て伝えると言っていたけど。
これは、俺の口からしっかりと伝えなければならないことだと思うから。
糾弾されるのも、軽蔑されるのも、俺の役目でないといけないと思うから。
「おはようございます」
「……伸ちゃん……!?」
「どうも、美月さん。それに、博多先輩、蓮見先輩」
「石田、お前どうして……」
「とりあえず、中に入れ。話はそれからだ」
博多先輩は、俺をオフィス内に引き入れ、ソファに誘導してくれた。そこに美月さんがお茶を持ってきて、差し出してきてくれる。
社長室は閉ざされ、社長さんが出てくる気配はない。
「……今回は、話があってきました」
正面には美月さんが座り、その傍らに博多先輩と蓮見先輩という、いつか見たような陣営だった。
「伸ちゃん、あなた、美香と寝たの?」
「ぶっ!!」
「ちょ、美月さんいきなり冗談きついっすよ!!」
「そうだぞ、石田がそんなことするわけない。それに、樋口だって言っていたじゃないか。石田は関係ないって」
「うるさいモテない男ども!女にはね、雰囲気で処女と非処女がわかるのよ!」
「そんなバカな……」
本当、いきなりすぎて俺は茶を吹いてしまった。
でも、実際今日俺が言いにきたのは、つまりはそういうことで。
俺を信じてくれている男先輩を裏切る、最悪な連絡事項で。
「……はい。俺は、樋口と恋人関係になりました」
「なっ……」
博多先輩が絶句して俺を見つめる。
そして、蓮見先輩は……
「嘘だよな?」
「……嘘じゃ、ありません」
「だってそんな……太郎!?」
「石田、お前っ!!」
そう俺が言った瞬間、蓮見先輩が俺に掴みかかってきた。
「どういうことだよ……」
「はすみん、やめなさい」
「だってこんなのおかしいだろ!!」
蓮見先輩は一気に俺のことを引き上げて睨みつけてくる。
「なぁ石田、お前は女の子だったらなんでもいいのか?アイドルを彼女にした自分にでも酔ってるのか?ああ!?」
「そんなこと……っ!!」
「麗奈ちゃんのことはどうしたんだよ」
「…………」
「麗奈ちゃんがダメだったから、今度は捕まえられそうな美香ちゃんを選んだのか?そんなのが……そんなのが正解だって言えるのかよ!?」
「やめろ太郎!」
博多先輩が蓮見先輩を羽交い締めにして俺から引き離した。
でも、その目は決して俺に友好的なものではなくその逆。
「でもな石田。正直、俺もがっかりしたよ」
「……っ」
覚悟していたように、軽蔑がこもったものだった。
「俺たちはお前がそれなりの覚悟を持って山橋と交際しているんだと思っていた。だから、応援することに決めたんだ。
それなのに、お前はそんなにすぐ他の女に切り替えられるっていうのか?まだ一ヶ月経たないくらいなんだぞ?」
「麗奈は……関係ないです。あいつに俺はもう必要ない。あいつは俺がいない方の道を歩んだ。切り替えるとか、そういうんじゃないんです」
「石田……お前、何もわかってないよ……っ。
山橋の気持ちは……」
「そーちゃん、それ以上はダメ」
「美月、でも……っ!!」
「それが正しいことなの?」
「っ……」
美月さんは博多先輩を嗜めると、うつむいていた顔をゆっくりとあげた。
「こうなるのかな、とは思っていた」
「美月さん……」
「それで、伸ちゃんはどうするの?」
その顔は無表情で、何を考えているのかは読み取れない。
「美香と付き合って、その結果美香が辞めてしまうのは仕方ないことだと思う。
それで、伸ちゃんは?これから一体、どうするの?」
「俺、は……」
一年にも足らない短い期間だった。
それでも、長い時間を、ここで過ごしたんだ。
仕事に追われ、怒られ、帰りに飲みに行ったり、宴会をしたり。
俺の高校生活、空白の大学生活を埋めてくれた、本当に大切な“仲間”と呼べる人たちなんだ。
「この会社を、辞めます」
「っ!!」
「な……」
「……………………」
皆、愕然とした顔で俺を見る。
覚悟はしていたけど、でも、やっぱり辛いな。
「これ以上、俺がこの場にいていいわけがない。麗奈のスキャンダル報道のネタにされ、今度は美香を引退に追い込んでしまった。
そんな風に会社や美香、そして麗奈。誰かの幸せを奪っておきながら、俺一人だけ、楽しい場所に残りたいだなんて……言えない」
「ふざけんな……」
「蓮見先輩……」
「ふざけんなっ!!」
「すみ、ません」
「謝るなよ……そんなの求めてないんだよ!!!!」
蓮見先輩は激昂する。
でも、今度は誰も止めない。
「仲間なんじゃ、なかったのかよ」
「っ……」
「麗奈ちゃんも、俺たちのことも全部忘れて……それでおしまいなのかよ……」
「俺、は……」
「そんなのってありかよ……ありえねぇよ……っ!!」
でも、その理由は、わかった。
だって、蓮見先輩は泣いてくれていたから。
いや、それだけじゃない。みんな。美月さんも、博多先輩だって、泣いてくれているんだ。
「本当に……ありがとうございました……っ!!」
「伸ちゃん……っ!!」
美月さんが俺の手をつかもうとする。
けど……
「最後まで……ご迷惑をおかけしました」
「ぅぅっ……ぅぁぁぁっ……」
その手は、俺に届かない。
扉に手をかけた俺に、博多先輩の声がかけられた。
「石田、最後にいいか?」
「……はい」
「今まで……楽しかったぞ」
「……っぁ……は、はい。俺こそ、本当に、楽しかったです……」
そうして、俺は本当に扉から外に出てしまった。
もう、この曇りガラスの向こうに行くことはない。
あの日々は、もう、過去になったのだ。
階段を下り、家に向かう。美香が待つ、あの家に帰るのだ。
「石田」
「っ……社長さん?」
すると、社長さんが外に立っていた。
雪は降っていないにしても、一月の気温は当然低い。その行動の意味が、俺にはよくわからなかった。
「中には、入りにくくてな」
「ああ、そういう……」
思えば、この人ともたくさん衝突を重ねた。
でも、不思議と悪い人とは思えなかった。どこか気だるそうで、熱い時もあって。
勢いで出てきてしまったが、まずこの人に言わなければなるまい。
「社長さん、俺……」
「クビだ。とっとといなくなれ」
「……え?」
「聞こえなかったのか?クビだ。ったく、うちのアイドル二人に手を出しやがって。お前、史上最悪のアルバイトだったよ」
「……おっしゃる、通りですね」
「俺からはそれだけだ。じゃあな」
ぶっきらぼうに言い捨て、寒そうにビルの階段を登って行く。
その背中を、せめて最後まで見ていよう。そう、思っていると……
「今度こそ美香のこと、頼んだぞ」
「……え?」
そう、最後に言われた気がした。
これで、風間プロとは完全に別れ。
まともに挨拶できなかったのは……麗奈くらい。
今日いるかとは思ったが、やはりいなかった。そのことに、実際ホッとしている。
「はぁ……」
休日出勤は余裕。給料が高い以外はいいところがない。
ーーー俺は蓮見太郎。広告を担当してる。こっから宜しくな。
おまけに個性派揃いの仕事仲間たち。
ーーーはーい、私、倉田美月でーす!美月って呼んでね?一応プロデューサーやってまーす!
本当、俺もだけど、この会社相当にブラックで……
ーーー俺は博多総司。経理、総務やってる。よろしくな。
「ぃぁ………ぃぅぁぁぁっ……」
最高な、場所でした。