第81話 聖なる夜に
ちょっとアレな描写があるといえばありますのでご注意を。
「いよいよね……」
「うん」
会場はたくさんの人で埋め尽くされていた。
さすが今井のの。
彼女には、クリスマスだと言うのにこんなにも多くの客を引き寄せるほどの魅力があるのだ。
今日のあたしは、正直おまけみたいなもの。
でも、覚悟だけはののにだって負けない。
今日のために、今までの数倍練習した。あたしのファンじゃなくたって、あたしの歌に痺れるように、ダンスに心震わせるようにと、努力した。
「麗奈、緊張してる?」
「まさか……」
だから、今日は山橋レナ史上最高のライブにしなきゃいけない。
緊張なんてしてる場合じゃ……
「ううん、正直してる」
「……だよね」
久しぶりの歌。
万を超える人々の前でこれから歌わねばならないのだ。
前は、もっと簡単だった。心を遠くに離して、偶像であることに徹していれさえすれば、ライブなんてなんてことはなかった。
それが今はなんだ。こんなにも、心臓が激しく脈打っている。足が震えている。唇が震えている。
情けない。これも全部、全部全部、君のせい。
君が、あたしに歌う楽しさを、最初に抱いていた気持ちを、思い出させてしまうのがいけないんだ。
本当の自分でいられるってことの嬉しさを、あたしに教えてしまうから。
「麗奈、きっと大丈夫だよ?」
「……え?」
「きっと、石田来てるから」
「……そうかな?来るわけ、ないと思うけど」
「来るよ、絶対」
ののは黒のフリルがついたドレスを、対してあたしは黒のドレスを着て、ステージに上がる。
ああ、始まってしまう。もう、後には戻れない。
「でもね、あたし、観客席は見ない」
「麗奈……」
だって、伸一がいるだなんて期待、したくないから。
その期待が裏切られたら、きっとあたしは、傷ついてしまうから。
「じゃ、今日は楽しもう?」
「うん……憧れのレナとの共演だもんね!」
「憧れ……?」
「なんでもないっ!!」
ののが焦ったように手を振り、顔をそらす。
それと同時に幕が上がり、一気に歓声が聞こえてきた。
これから始めるのは、あなたに捧げる、決別の歌。
本当の意味での、お別れの歌———
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「あ……雪、だ……」
時刻はもう19時。
冬の日は短く、天気が曇りのせいもあって、すでに深夜のように暗い。
天気予報は嘘をつかず、言っていた通りに雪が降り始める。
ホワイトクリスマス。
街頭に照らされ、キラキラと輝く雪の結晶が、とても綺麗だ。
ベンチに座る私は、そっと積もり出した雪を救い、見つめる。
冷たい。とても、冷たい。
両手に持ったマフラー。赤チェックの編み物だなんて、本当に大変だったけど、喜んでもらえる姿を想像すれば、全然苦じゃなかった。
思えば二年前、頑張って練習をしている先輩を見ていた時が、一番幸せだったのかもしれない。
私は先輩のことを知っていて、先輩は私のことを知らない。
私は歌手になるべく練習を重ね、結局はお互い別の道を歩んだかもしれないけれど。それでも、それでもこんなに辛い思いは……しなくて済んだはずだから。
「ううん、そんなの、嘘……っ!!」
先輩と会えなかった未来なんて。
麗奈さんと仲良くなれなかった未来なんて、あり得ない。
他にも、あの出会いが、繋がりが、たくさんの幸せを運んで来てくれた。感謝しても仕切れないってくらい、多くのものを貰って来た。
「ライブ……そろそろクライマックスかな」
でも、そうして手に入れたもの全てを捨てても、麗奈さんには叶わなかった。
最後まで、私は選ばれなかった。
でも、しょうがないよ。
麗奈さんは見た目もびっくりするほど綺麗で、優しくて、意地っ張りなところも可愛くて、寂しがりやなところも守ってあげたくなってしまうような魅力がある。
でも、そんなこと全部よりも、ずっとずっとかっこいいのだ。
ステージに立って、みんなに力を与えていくその姿に、どうしようもなく憧れた。こうなりたいって、本気で思った。
だから、しょうがないんだ。
これできっぱり諦めて……私は、新しい道へ……
その時、花火が見えた。
舞い上がって、その後おかしくなるくらいまで泣いた、あの花火大会の景色が、まぶたを閉じても、鮮明に浮かび上がって来る。
「ぁぁっ……ぃぁぁっ……」
違う……泣いてなんかない。
これは、雪が……
「ぅぁぁぁぁぁっ……ぅぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」
寒いよ……寒いよぉ……っ!
雪は、そんな私に容赦なく降り積もっていく。
しんしんと、ずっと、ずっと、いつまでも……
「きゃっ!!」
帰ろうか。そう、思った瞬間だった。あり得ない感触が、背中に触れる。
私のことを包み込むように抱きしめて来る、暖かな感触が。
「やっと……見つけた……」
顔の横から聞こえる吐息は少しだけ荒れていて、走って来たことが、すぐにわかった。
でも、わからない。
この場所を知っているのは、私だけのはずで。
さらに、こんな季節に、こんな時間にここに来る人なんて、私しかいないはずで。
「どうしてここにいるんですか……先輩ぃ……っ!」
でも、間違えるはずがない。
私が、先輩を間違えるはずなんて、ないから。
「今日は、クリスマスだから」
「意味……わかりませんよ……」
先輩は、ベンチの後ろから私を抱きしめたまま、答えにならないような答えを返して来て、その最後に……
「クリスマスだから……大切な日だから、一番大切な人と過ごしたいって、思ったんだ」
「〜〜〜〜っ!!!?」
今、なんて……
一番大切な人って……え?
「ごめん、今まで答え、出せなかった」
「先輩……先輩……っ!!」
私は立ち上がり、先輩と向かい合う。
先輩は、思っていたのとは違った。
優しそうな声に似合わず、汗を流して、顔を真っ赤にして。本当は余裕なんて全然ないんだってすぐにわかった。
本当に、馬鹿みたい。でも……こんな先輩が、本当に大好きで……
「俺は、美香が好きだっ!!」
「っ!!!!」
その瞬間、ベンチを超え、先輩に抱きついていた。
うわ、と言って焦ってはいたが、先輩はしっかりと私を抱きとめてくれた。
「冷たい……いつからここにいたんだ?」
「どうでも……いい。そんなこと、どうでもいい……っ!!」
先輩の心臓の鼓動がじかに聞こえる。
ここに、この場所にずっと来たかった。優しい言葉をかけて、抱き寄せられて。
「私なんかで……いいの?私、嫉妬深くてわがままで、きっと先輩のこと傷つけます。
麗奈さんの方が可愛くて、性格も良くて、胸だって……」
「俺、さっきまでライブに行こうと思っていた。本気だった」
「……え?」
先輩の口からは、やっぱり答えではないものが返って来て。
「でも、クリスマスソングが聞こえる街で、俺は本当は誰と、今日って1日を過ごしたかったのかって、考えた」
「……ぅぅっ……」
「俺はお前と一緒にいたい。普通にケーキを食べたり勉強したり、そう言った時間が。なんでもないような時間が、本当に好きだ」
「ぁ……ぅぁ……っ」
「だから、お前でいいじゃない。お前じゃなきゃ……ダメなんだ」
「〜〜っ!!」
私は耐えきれなくって、先輩の体を押しのける。
意外そうな顔をする先輩の顔を、見れない。
「痛い……痛すぎです……」
「え、えぇ……」
「そんな恥ずかしいこと言って……後で死にたくなったって、知らないんですから……」
「……そうだな」
「あ、やめて意地悪!」
でも、先輩は俯いた私の顔を両手で挟んで上を向かせる。
「泣いてる……」
「ぅっ……ぅぅぅぅぅ〜〜っ!!」
こんな顔、見せたくなかったのに。
せめて少しでも可愛く、余裕ぶっていたかったのに。
「キス、するよ?」
「え?ええ!?」
いや、こんなの絶対無理!余裕なんてあるはずない!!
手で押し返そうとするけど、ビクともしない。ああ、男の人なんだなぁ……って、ときめいてる場合じゃなくて!
「ちょ、待って……心の準備が……」
「ごめん。でも、もう無理……」
そうして、先輩の顔が近づいて来て……
「んっ……」
「んぁ…………」
ついに、触れてしまった。
初めてのキスを、この場所で、一番好きな人と、クリスマスの夜に、交わしたのだ。
「泣かないで、樋口……」
唇が離れる。
ポロポロと、涙が止まらない。
だってうれしくて。こんなの、全然現実味がなくて。
そして、ちょっとだけ慣れている先輩が、悔しくて。
「美香って……言ってた」
反抗、したくなった。
「美香……」
「さっきの答え、言っていいですか?」
「……さっきの?」
「私、先輩が行っちゃってから5時間以上、ずっとここにいたんです」
「え!?」
意地悪、しかえしたくなった。
「だから、すごく冷えてて……」
「ご、ごめ……んっ!?」
今度は勢いよく、歯が当たるくらいに無理やりキスをしてやった。
動揺した様子の先輩に、最後のトドメを刺す。
「あっためてください、先輩?」
「美香、それって……」
「言わせないでくださいよ?」
「いいのか……?」
「クリスマス、だから」
「……あ」
「そういう、日ですから」
「それは深刻な風評被害だと思うけどなぁ……」
そうして、私たちは聖夜の静かな住宅街を歩く。
もう、阻むものなど、何一つないのだ。
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「お疲れ様でしたー!」
「いやぁののちゃんさすがだったね!」
「ありがとうございましたー!!」
「麗奈ちゃんも、お疲れ!」
「……ありがとう、ございました……」
スタッフさんが声をかけてくる。
数時間にわたるライブはようやく終わり、もう客も引いている頃だろう。
「麗奈……」
そして今のが、最後のあいさつ。
楽屋に残るのはあたしとののだけだ。
「気にしないでいいよ。今日はたまたま緊張しちゃっただけで……」
「緊張、か……それだけで、こんなことになっちゃうなんてね」
「…………あったかい飲物、買ってくるね?寒いでしょ?」
ののは楽屋を去る。とうとう、この部屋にも、人がいなくなってしまった。
今日のライブは、成功だった。
きっとお客さんの多くは満足していてくれたし、笑顔になってくれていたと思う。
でも、その多くはに入らない人は、きっと気づいていた。
あたしが今日、一回も歌えていないことに。
ののがカバーし、音響さんが録音を流してくれたからどうにか口パクでごまかせたが、分かる人にはきっと分かる。
どうして、声が出なかったのか、すぐには分からなかった。
ののが言ったように、本当に緊張から来たものだと思っていたけど、それは違う。
本当の理由はもっと単純で、馬鹿らしい。
この歌を別れの歌だって強く意識した瞬間、どうしようもなく怖くなったんだ。
本当に一人ぼっちになってしまう。
帰る場所が、本当になくなってしまう。
そう思ったら、たった一音さえも出なかった。
喉からでる掠れた声を、マイクが取らなくてよかったと思えるほどに、最悪のパフォーマンス。
これじゃ、香奈にどういう顔をして会えばいい?どう、報告すればいい?
こんなの、デビュー当時以下。
すると扉が再び開いて、ののが入って来た。片手に持った茶色の缶を差し出してくれる。
「麗奈、ココア……」
「ごめんのの、あたし、もう帰るね?」
「この後打ち上げ……」
「ううん、ごめん。今日は本当に疲れて……」
「そ……っか。そうだよね」
「じゃあ、ね?今日はありがとう」
「大丈夫?あたしが送っても……」
「ののは、打ち上げに行かなきゃ。今日の主役なんだよ?」
「っ……」
あたしは入れ違うようにののの横を通り過ぎる。
「ココアありがとう。またね?」
「麗奈っ!!」
「……何?」
廊下にたったあたしの手を握るのの。
その顔は、今にも泣き出しそうな顔で。
「これ、ファンからのプレゼントだって」
「ファン?いつもは後でまとめて……っ!?」
ののが差し出して来たそれは、水色のマフラー。
それだけで、全部理解した。
「石田、来てたんだって……それで、これをあたしのママに渡していったって……」
「ぁ……は、はは……なによ、こんなの、捨ててくれてよかったのに」
「麗奈、石田はきっとまだ……」
「ううん、もういいの。これで、今日やろうと思っていたことは達成できたってことでしょう?」
「麗奈ぁ……」
「お別れ、できたんだ。これでもうなんの禍根も残らない。でしょ?」
早口で言って、歩き出す。
「ごめん……ごめん麗奈ぁ……っ!!あたしが……あたしが余計なことしたから……っ!!」
背中から、すすり泣くような声が聞こえても、もう止まらない。
街に出ると、そこは都心だということを忘れるような雪景色。
思えばあの日も、あの時も、あたしの心が揺れる時は、雪が降る。
なんの因果なのだろう。
さく、さくと、足跡をつけながら歩き、タクシーを探すが、見つからない。
「駅まで行けば、あるよね」
寒いが大丈夫。暖かいコートを着ているし、駅まではそんなに離れていない。
と、広場から出ようとした時、ふと公共ゴミ箱が目に入った。
片手にあるマフラーを、捨ててしまおう。これはもう、必要のないものだから。
ゴミ箱に近づき、マフラーを投げ入れる。
これで、完全にお別れ。
一番大切なものを失ったのに、結局あたしは、何も得られなかった。
なにも、あたしの元には残っていない。
ずっと、一人ぼっち。最後まで、ずっと、ずっと……
———俺は麗奈から離れていったりなんかしない!!
誰の心にも住めず、生きていく。
———麗奈のことが大事だから!俺が誰よりお一緒にいたいって思うのは、お前だから!!
「伸一……伸一っ!!!!」
走り出す。
アスファルトにヒールを持って行かれたが、そんなことはどうでもいい。
足に鋭い痛みが走る。転びそうになって、でも踏ん張って、駅まで走る。
会いたい。
身勝手で、あまりにも弱すぎる、最低な想い。
そんなことをしても誰も幸せになれない。いや、誰もが傷つくのはわかっている。
でも、会いたい。
———伸一に、会いたいっ!!
電車に乗り、あの駅に着く。
あたしたちが始まった場所である河川敷を通り過ぎ、聖夜に静まる住宅街を通り抜け、あのアパートへ。
「はぁ……はぁ……っ!!」
時刻は22時近くになってしまった。
ゆっくりと階段を登り、二階の、伸一の部屋に行く。
インターホンが、ひどく遠く感じた。
でも、抑えきれない。
この気持ちには、伸一を最悪な道に陥れるとしても、嘘をつくことができない。
そして、インターホンに手を当て………
「んぁっ……」
「…………え?」
「せん、ぱぁい……ひあっ……」
耳を近づければ、わかってしまう。
彼の部屋から聞こえる、彼女の嬌声。
「ぁん……やだ、そんな……〜〜っ!!」
「美香……」
乱れた声。それは、愛し合う男女のものだと、すぐにでもわかる……
「ぁぁっ……ぁぁぁぁっ……」
わかっていた、はずじゃない。
こうなること、覚悟していたはずじゃない。
なんで?なんでこんなに……
よろよろと立ち上がり、階段を駆け下りる。
裸足の足からは血が滲んでいたが、そんなの全然軽症だ。
だって、今にも血が吹き出そうなくらい、この胸が痛い。
ずっとずっと、痛い。
あの夜桜が綺麗な河川敷公園まできて、ついにあたしは力尽きてしまった。
足から崩れ落ち、空を見上げる。
結局捨てられなかった、あの水色マフラーを掴む。
捨てたい。こんなものは、辛いだけだ。
「ぅぇぇぇぇぇぇぇぇっ…………ぅぁぁぁぁ……ぁぁぁぁあああああああ!!!!」
でも、捨てられない。
もう、あたしと伸一を繋げるものは、これしか残っていないから。
しがみつくように抱きしめ、涙の止まらない顔に押し付ける。
こんなに辛いなら……こんなに苦しいのなら、恋なんてしなければよかった。
どうして、こんな風になっちゃったんだろう。何がいけなかったんだろう。
全部失った。アイドルとしての存在意義も、家族も、恋人も、全部失くしてしまった。
空っぽだ。
あたしの世界は、もう、空っぽなのだ。
感想くださいお願いします……