第80話 手編みのマフラー
新しい朝が来た。
数ある冬の1日の中でも、今日は特に特別な日。
カレンダーには樋口が書いた赤丸が記されている。
そう、今日は……
「クリスマスイヴ、か」
樋口が家の前で突っ立っていたあの日から、もう一週間ほど経った。
今年は雪が多いらしく、今夜も雪。ホワイトクリスマスというやつだ。
だが、クリスマスというのはその楽しさの反面、ただ外に出るだけでも人だらけで動きにくいというデメリットも抱えている。
それに加えて雪。今日は電車が止まらないといいけど……
暖かいコーヒーをすすりながら、俺は曇り空を窓越しに見つめる。
大学も短いながらも冬休みに入り、外に出る用事もない。
風間プロには結局あれから一度も行っていないし、招集もかけられていない。
でも、行ったところで、何を話せばいい?
応援してくれるって言ってくれたのに、俺は結局麗奈と結ばれることはなかった。いや、それだけでなく、客観的に見れば新しいアイドルの樋口さえも引退に誘い込んでいるのだ。
「樋口に、午前はいないって連絡しないと」
あいつはたまに、学校をサボって俺の家で勉強をして行くことがある。
彼女の志望校が俺とおんなじということもあるのだろう。それに、お礼と言って料理を作って言ってくれるのも正直助かる。
けど、これでいいのだろうか。
こうして日々を重ねて、その結果、俺は彼女にどんな感情を抱くのだろう。
大切だ、と、あの日言った言葉は嘘なんかじゃない。でも、気持ちは未だ、どこにあるのかわからない。
麗奈のことは、きっと今でも好きなんだと思う。けど、それを樋口と比較してどちらかが上、どちらかが下、だなんて決められない。
相変わらずのヘタレさ、優柔不断さに呆れもするが、そんななぁなぁの気持ちで、結局このクリスマスを迎えてしまったのだ。
携帯を取り出し、メールを打つ。
『学校に行ってたらごめん。今日はちょっと用事があるから午前は家にいない。もし何かあったら午後に頼む』
ま、こんなもんか。
俺はコートを羽織り、玄関へ。
外はかなり冷え込んでおり、夜になる前に雪が降るんじゃないかと思うほどであった。
まぁ、携帯についている天気予報アプリのいうことだ。多少誤差があっても仕方あるまい。
「ん、メールか」
携帯を開く。樋口からだった。
『私もちょうど午前は用事があったんです!午後13時くらいからそちらに伺ってもよろしいですか?』
13時。今が午前の8時だから、5時間後か。まぁ、大丈夫だろう。
『大丈夫だ。待ってる』
そもそも彼女でもない女の子をクリスマスに家へ連れ込むというかなり異常事態が起ころうとしているのだが、気にしたら負けだ。忘れて欲しい。
俺は外に出て、東京の街に繰り出すのだった。
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クリスマスプレゼントを女の子にあげる。
聞こえはかなりいい。それは認める。しかし、だ。
「お客様、こちらなんてどうでしょうか?かなり上質な宝石を……」
「あ、えっと……綺麗ですね」
お姉さんはにこやかに話しかけてくるがよく見ろよそのネックレス桁が一つ多いぜ?俺学生なんだけどわかってる?
はぁ、今時の女子高生は何をあげれば喜ぶのか見当もつかない。とりあえずアクセサリーショップに入ってみたがなかなかに値の張るものばかり。
「他のお店も見て来ます……」
「そうですか。では、またのご来店を」
とりあえず中都会とも言える藤沢まで来てはみたものの……どうしたものか。
とりあえず○PAに行けばなんとかなると思ったが、やはり悩む。
「……あれ、これって……」
そうして、一人ウィンドウショッピングをしている時に目に入ったそれ。
その瞬間、俺は運命にも似たものを感じた。
「こ、これください!!」
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俺のお買い物シーンなんてなんの需要もないシーンに文字数を割く気にもならないので、すっぱりと終わらせてもらおう。石田伸一はクールに去るぜ。
と、言うわけで俺は再び家に戻って来ていた。時刻は12時半。まだ時間に余裕はあるな。
冷蔵庫にさっき買ったクリスマスケーキを入れ、椅子に座る。
チョコレートケーキは好んで食べないのだが、せっかくなのでブッシュドノエルにした。まぁ、二人だし、あんまりでかいホールとかよりはこっちの方がいいだろう。
買った荷物の中に入ったプレゼントを見つめると、頬が緩む。
これを渡したら、いったいどんな反応をするだろうか。
喜ぶ?それとも子供っぽいって怒る?なんでもいい。プレゼントは送る側の気持ちだからな(キメ顔)。
「………………………」
やることが、なくなってしまったぞ。
俺はテーブルの上に先ほど買ったお菓子やらを乗っけて、ただそれを見つめることくらいしかできない。
……20分後。
結局そわそわとしているうちにピンポーン、と、インターホンが鳴ってしまった。
ほとんど時間通りのタイミング。忘れられがちだが、彼女は真面目キャラなのだ。
「こ、こんにちは……」
「ん、あ、えっと……おう」
扉を開けて開口早々挙動不審になってしまった……
だって、今日の樋口の服装が、あまりにも可愛らしかったから。
ベージュのコートの下には赤いセーターが隠れており、首から下げたペンダントがまた目を引く。
でも、それ以上に可愛らしくツインテールにした髪が、そして照れたような表情が、どうしようもなく俺の心を揺らすのだ。
今日、俺の家に来る。ただそれだけの時間のためにおしゃれして来てくれたんだってことくらい、俺にだってわかってしまって。
それが本当に……嬉しくて。
「変じゃ、ないですか?」
「すごく……可愛いです……」
ツインテはリアルだと可愛くないって言ったやつ誰だ、ここに来て俺に謝れ。
緊張したように照れる彼女は、本当に何回でも言えるくらいに、可愛いのだ。
「は、恥ずかしい〜〜っ!」
「言うなよ俺だって恥ずかしいんだから!」
「ああ暑くなって来た!やっぱ外で話しません?」
「流石に寒いよ!」
と言うわけで、ようやく俺の家に樋口が入って来た。
「うわぁ、お菓子いっぱい」
「さっき買って来たんだ」
その言葉を聞いて、樋口は微妙な顔で俺を見てきた。
「もしかしてケーキって……」
「ああ、買ったぞ?」
俺は得意げに冷蔵庫からブッシュドノエルを……
「これ……」
「あ」
見せようとした相手の手の上にはチョコレート色のロールケーキが……はい、認めますブッシュドノエルでした。
「それってもしかして手作り?」
「す、すいません!言っておけばよかったです!」
「いや、いいよ。二つ食べれば」
樋口のクリスマスケーキなら余裕だ。
最悪俺の買ったケーキは一人で食べても構わない。いや、明日雅也を誘うとかしてもいいかもしれないしな。
「すみません……」
「なんで謝るんだよ気にしないでって!」
落ち込んでしまった樋口をなだめ、俺も座る。昼飯はいいか。ケーキとお菓子で食いつなげる。
「あ、そうだ、これ……」
すると、思い出したかのように樋口はカバンの中をあさり出す。
すると、一つの紙袋を差し出して来た。このタイミングで、俺に渡すものって言えば……
「これ、クリスマスプレゼントです」
「え!?嘘マジで!?」
「先輩大げさすぎ……」
ちょっとリアクションを大きくしすぎた感はあるけど気にしない。
紙袋を受け取る。
「中身、見ていいか?」
「え、ああ、えっと……いいですよ?」
そして、紙袋を開けると……
「マフラー……?」
「そうです。今朝まで頑張って縫っていたんですよ?」
「っ……そ、っか……ありがとう」
それは、赤いチェックのマフラー。
なんだよこれ、絶対めんどくさかっただろ。
だからだめだ。沈んだら。
樋口が、どれだけ頑張って縫ってくれたと思っているんだ。
こんなに思われて、俺は本当に幸せなんだ。だから、喜ばないと……
「先輩?」
「重い……な」
「ひどっ!!?」
本当に、重すぎる。
今時手編みのマフラーだなんてことする女の子が二人もいて、その二人が両方俺にそれをくれるって、どう言う冗談だよ。
「はは……ごめん。でも、本当に嬉しいんだ」
「そですか。なら、よかったです」
本当に嬉しそうに笑い、樋口は再びカバンを漁りだした。
「なんだよ、まだ何かくれるのか?」
「いえ、あげるんじゃ、ないです。……返すんです」
「え?」
樋口は、カバンの中からもう一つの紙袋を手渡して来た。
「これは……?」
「この前借りたまんまだったから……」
紙袋の中には、あの水色のマフラーが。
「っ……ぁ……」
麗奈が、俺にくれたマフラーが入っていた。
だから、崩れてしまった。
必死に取り繕っていた表情が、壊れてしまった。
それに気づいてか、樋口は苦笑いで俺を見つめてくる。
「やっぱり、それ、麗奈さんにもらったんですよね?」
「それは……そうだけど……」
「じゃあ、人に貸したりなんかしたら、ダメですよ」
樋口は、やっぱり笑っていた。
彼女が本当に俺のことを好きならば、こんなの絶対傷ついているはずなのに。
「いつ、もらったんですか?」
「あの日……麗奈が、会見した日に……」
「そっか、そうですよね……本当に、あの人は嘘つきなんだから」
「どう言うことだよ……?」
俺の質問には答えず、彼女は立ち上がり俺の隣に来た。
「先輩、手、出して」
「なんで……」
「いいから」
「…………」
そうして俺の手には、一枚の紙が乗せられた。
「これ、今日のライブチケット。きっと今から行けば間に合います」
「……え?」
チケットには、「今井ののクリスマスライブチケット」と書かれていた。
「なんで今から、今井のライブに行くんだよ……」
樋口はまたもや質問には答えず、無言でテレビの電源をつける。
ついたチャンネルはちょうどニュース番組で、ドーム前に集まるたくさんの人々の姿が映されていた。
そして、その見出しには……
「山橋レナ、今井のの、大盛況クリスマス合同ライブ特番……って、え?」
樋口は下を向いたまま、何も言わない。
「じゃあこれって、麗奈のライブ……」
「ごめんなさい。麗奈さんから預かっていて……今日まで、ずっと渡せなかったんです」
「麗奈が……俺に?」
「こんなギリギリで、渡したくなんてなかった。でも、心の奥ではで、渡さなくていいって、ずっと思っていた……っ!」
「樋口……」
肩を震わせて、絞り出すように語る。
「行って、欲しくない……私と一緒にいてほしい……そう、思ってしまったんです……っ!」
顔を上げた樋口の顔は、せっかくの可愛い顔をぐしゃぐしゃに濡らしていて。
そんなになるなら、渡さなくてよかった。でも、彼女の中の良心が、それを許せなかったのだろう。
本当に不器用で、優しい女の子なんだ。
でも……それでも、俺は……っ!!
「ごめん、樋口……っ!!」」
「先輩っっっ!!!!」
飛び出す足を、樋口の声が呼び止める。
「今度は、きっと……大丈夫ですよ?」
「っ……」
「麗奈さんの歌、聞いてあげてください……」
背中から聞こえる声は、とても優しくて。
こんな時でも。俺は、樋口に、ひどいことをしようとしているのにお前はまだ、他人のことを思えるって言うのか?
「ごめん……」
俺は走り出す。
玄関から、駅に向かって。