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第79話 本心

 

 何を言えばわからない。

 伸一の家の玄関前で、あたしたちは見つめ合っている。

 閑静な住宅街の中にあるマンションで、この時間。他になんの音もなく、ただ、白い息と共に聞こえるわずかな呼吸音だけが、この状況が現実だと、必死に訴えて来ていた。


「……ぁ」


 一歩、近寄ってくる美香。


「美香は……何か用があったの?」

「ここ最近、先輩の食事は私が作っているので」

「そっか。家に……上がってるんだ」


 あいつ、全然料理できないからなぁ……だから、美香の存在はきっと大助かりのはずだ。


「それで、麗奈さんこそ何の用ですか?ここに用なんて、もうないはずですけど」

「ご、ごめ……」


 つい及び腰になり、謝りそうになる。

 帰りたい。正直今すぐ逃げ去りたい。

 でも、


 ——————出て行ってよ!!!!


「少し、用事があったの」


 あの時のままのあたしで接しないと。

 そうじゃなくては、美香に余計な心配をかけてしまうかもしれない。


「用事ってなんですか?」

「それは……」


 とっさに隠してしまった封筒を、少しだけ強く握る。

 このことを知ったら、美香はきっと不快に思うだろう。

 そもそも、この行為自体が迷惑甚だしいに違いないのだけど。


「これ、伸一に渡しておいてくれない?」

「…………封筒?手紙ですか?」


 怪訝そうな顔をして、封筒を見つめる美香。

 何を悩む必要があるんだ。初めから、こうすればよかったのだ。


「そろそろ公表されると思うけど、あたし、ののと一緒にクリスマスライブで歌の方も復帰することにしたの」

「クリスマスライブ……もしかしてこの封筒の中って」

「そう。そのライブチケット。

 あいにく急なことで一枚しか取れなかった上に、あまりいい席じゃないけど。

 それでも……できれば伸一に来て欲しいと思ったの」

「それは、どうして?」

「……もう、あたしには伸一が必要じゃないんだって、わからせるためよ」

「っ……」


 お別れのため、なんて、言えるわけがない。

 美香の前のあたしは、伸一をなんの未練もなく、ただ通過点としてフっただけの、最低な女でなければならないのだから。


「それを……どうして私に渡すんですか?」

「美香に、決めて欲しいから」

「あたしが一体、何を決めるっていうんです?」

「伸一に、このライブが必要か、不必要か」

「っ……そんなの……」

「話はこれだけ」


 まだ何か言いたげな美香に背を向け、階段を降ろうとする。


「麗奈さん!!」

「……何?」


 でもその前に、美香の呼び声に引き止められ、足を止める。


「クリスマス、なんですよ?」

「そうね」

「渡すわけ、ないじゃないですか。あんな風にフっておいて、先輩がまだ麗奈さんのことを忘れられていないなんて、思い上がりです」

「……そう、なんだね」

「クリスマスは絶対に、私が先輩と一緒に過ごします。

 だから……今すぐこのチケットを、取り返してくださいよ」


 特別な日に、特別な人といたい。

 そう思うのは当然だ。伸一といたいという、美香の気持ちだってよくわかる。


「じゃあ、捨てていいよ」

「っ麗奈さん!!」

「ごめん。これはあたしなりのけじめだから」


 このチケットを捨てることを、卑怯なことのように捉えているのかもしれないがそれは違う。

 本当は来て欲しい。でも、美香がそれを止めるのなら仕方がないって、納得できる。

 なんだ、あたしは美香から伸一を奪ってしまったという負い目を、結構引きずっていたらしい。


「あ、そうだ……あたしからも最後に」

「……なんですか?」

「美香、アイドルやめるんだよね?」

「それが、どうかしたんですか?」

「じゃあ、もう会うこともないかな」

「え……?」


 ののは伸一とちゃんとお別れしろって言っていたけれど。

 それは、きっと美香にだって当てはまることで。




「今までありがとう。美香のおかげでここまでこれた。頑張ってこれた」


「麗奈さんっ……私はっ!!」




 最後なら、いいよね。

 本音、言ってしまっても、いいよね。




「本当に楽しかった。ばいばい……」




 ———あたしの、一番の友達。


「待って!!!!」


 涙声にかすれる美香の声が聞こえても、あたしは立ち止まらない。

 短いようで、本当に長い時間、美香とは一緒にいた。

 あまり面識のあるとは思っていなかったののから紹介された、可愛い年下の女の子。

 初対面から真面目で融通がきかなくて、自分とは絶対に合わないタイプだと思った。

 それなのに年が近いからという理由であたしのマネージャーにされて、その第一印象が間違いではなかったのだとよく思い知らされて。

 喧嘩して、怒られて、時には怒鳴りあった時もあった。

 でも、そうして一つ一つライブやイベントを超えていった。

 泣いて笑って、手を取り合えるようになるまでに時間はかかった。でも、そういう時期があったから、親友になれた。

 香奈のことも親身になってくれた。あたしを支えてくれた。

 親友で、恩人。

 彼女がいたから、今がある。美香がいなかった自分なんて、想像がつかない。


「ぁっ……ぅぁぁぁぁっ……!!」




 ***********************************




「…………長い、夢を見ていた気がする」


 そう、まるでヒロインに主人公を奪われたような絶望感だった。

 ……いや、今俺外にいるんだけど。って、


「……麗奈?」


 雪の降る真昼間。

 アパートの階段前から出て行く女性の髪が、金色に見えた。

 目をこすり、もう一度その姿を見るが、雪が隠してしまったかのように、その姿は見えなくなってしまった。


 まったく、麗奈がこんなところにいるわけがない。あいつは俺のことなんてもう、なんとも思っていないのだから。

 自分の中の乙女を黙らせ、片手にぶら下げた野菜たちを見つめる。

 突然の休講に助けられ大学行きは防げたが、あいにく食べ物の用意がなかったため、近所のスーパーに買い出しに行っていたのだ。

 樋口が勉強を見て欲しいという理由で昼に家に来るらしい。学校に行け。

 まぁそれはともかく、今日は俺が料理をしようと思う。いつまでも彼女に頼りっきりではよくないだろう。

 せっかく包丁の握り方とか勉強したし……


「っ……」


 黙れよ、俺の中の乙女。

 階段を登り、二階にある俺の部屋へ……


「樋口?」


 行こうとすると、扉の前には、なぜか樋口が立っていた。

 俺が呼ぶと、びくりと肩を震わせ、ゆっくりと俺の方を向く。


「お、お帰りなさい先輩……」

「何かあったのか?」

「べ、別に何にもないですよ?」

「嘘つけ。目、真っ赤だぞ?」

「っ!?」


 樋口は慌てて自分の目をこする。

 なぜなのかはわからないけど、きっと泣いていたのだろう。


「ごめんなさい……なんでも、ないんです……っ!」

「……そっか。寒いから、中入って行くか?」

「ありがとう……ございます」


 そうして、家の鍵を開ける。

 中はやはり冷えていて、一刻も早くエアコンを入れたくさせてきた。

 そうして、中に入ろうとした時だった。


「……どうしたんだ?」

「先輩、私のことを、許してくれますか?」

「許すって、なにをさ」

「……ずるい、私のことです」


 ぎゅっと、力強く俺の手を握って来る樋口。

 こんな風になるなんて、彼女にしては珍しい。何があったのか聞きたいが、隠したいらしいから無理には聞けない。


「ねぇ、先輩。私のこと、どう思ってるんですか?」

「へ?」

「真剣に……答えて欲しいんです」


 まさかの急転直下。

 なんの心構えもしていなかった俺は一気に動悸がしてきて、冷汗が滲んできた。


「どうして、今そんなこと……」

「好きなんです」

「……え?」

「好きだから、答えて欲しい。わがままで、最低な私のことを好きになって欲しいなんて馬鹿みたいだけど……でも、先輩の心を聞きたいんです」

「樋口……」


 ¥この前、麗奈の事を忘れさせると言っていた彼女にしては、明らかにおかしな発言だった。

 でも、それが返って彼女の弱さをリアルに滲み出させていて、誤魔化していい雰囲気なんてまるでしなくて。

 何より、真剣に彼女が俺へ想いをぶつけてきてくれているのに逃げるだなんて、そんなこと、できるはずもなかった。

 だから。


「ごめん……俺は、やっぱりまだ麗奈のこと、忘れられない」

「っ……」


 正直に、ありのままを話した。


「こんなにすぐに、樋口の優しさにすがって、お前のことが好きだなんて……言えないよ」

「……うん……知ってた。知ってたんです」

「お前のこと、大切だって……思っているから」

「……今、なんて?」

「大切なんだ、樋口のことが。だから、中途半端な気持ちで接したくない」

「それって……」

「飯、食べよう?今日は俺が作るから」

「あっ……」


 あからさまな誤魔化しでその場から逃げる。

 恥ずかしくて、あまりにもくさすぎるセリフだということは自覚している。でも、これは俺の本心だから。


「……ずるいよ、先輩。そうやって、私を最低の女の子にしてしまうんだね……」

「ん?どういうことだ?」

「なんでもないですよ。料理教えますから、台所行きましょう?」


 樋口はカバンの中になにかをしまいこみ、ようやく家の中に入ってくれた。

 彼女の冷たい手。きっと長い時間外にいて、そして泣いていて……


 それがどんなに重い理由で、深い悲しみであるのかを、この時の俺は、少しもわかっていなかったのだ。




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