第78話 大丈夫
「は、ライブ?」
「うん。とりあえず承諾して来ちゃったけど大丈夫かなって」
「いや、大丈夫なわけないでしょうが」
「だよね〜」
そんな軽いノリで言ってはみたが、やはり大丈夫じゃなかったらしい。
ののと決めたクリスマスライブは、あと一週間と少しでやって来てしまう。それを突然承諾して来たのだ。それが大事でないはずがない。
「……いいの?平気?大丈夫なの?」
「まぁ確かにしばらく歌ってなかったから今から練習して全盛期に戻せるかは微妙だけど……」
「そういう意味じゃないことくらい。わかってるでしょ?」
「……大丈夫よ」
あたしはプロ。何年も作られた偶像、山橋レナを演じて来たんだ。
昔でできたことが今できないはずがない。もしできないようでは、今までの時間が無駄になってしまう。
どんな困難も乗り越えてこられた。心配することなんて何もない。
「大げさなのよ、美月は」
「まぁ、そうだとは思うけど」
「男と別れたくらいで音痴になっているようじゃどの道潮時だと思うし」
「あの、そういうこと外で言わないでくれると嬉しいんだけど……」
言い忘れていたが今あたし達は事務所に向かって歩いている途中。
こんな話なんて聞かれてたらなかなかにアウトだが、多分大丈夫だろう。うん、多分。
「でも、やっぱり心配なのよ」
「うん、わかる。ありがとう」
「素直ね」
「成長したのかな?」
「バカ言わないの」
「それは少々酷くない?」
美月はなんというか、お母さんと言うと怒られそうなのでお姉ちゃん、と言った感じだ。
優しく、あたしの話を聞いてくれる。きっと、ものすごく気を使わせてしまっていることだろう。
「んで、今日はどうするの?仕事終わるの夜だけど」
「ののがスタジオ取っておいてくれるって。今日はそこで練習する」
「そう、じゃあ私は会社のみんなに連絡しておくから」
「うん、お願い」
「いいのよ、これくらいしかできないし」
そうして、今日の仕事が、また始まる。
求められるものを忠実にこなす、トップアイドルとしての生活を。
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「うーん、さすがと言うかなんと言うか……うまいわね」
「何よ気持ち悪い。まだ発声練習じゃない」
「気持ち悪いって……」
そんなこんなで今日の仕事、バラエティ番組や公演などを終えてやって来た都内の某スタジオ。
ののの家じゃなくて借りたスタジオなのは、きっとののなりにあたしのことを思いやってくれてのことだろう。
本当、みんな過保護すぎる。子供じゃないんだから。
「で、クリスマスライブって言っても歌う曲はどうするの?」
「今回は時間もないしオリジナルは控えて、もともと持っていた曲でまとめようかなって思ってたんだけど……どう?」
もともと持っていた曲。クリスマスソングだったら何かあった気がする。
忘れもしない、ミニスカサンタコスで極寒の北海道野外ステージにて歌わされたあの下積み時代……
「ねぇ、聞いてる?」
「ああ、ちょっと若かりし日に思いを馳せてたわ。それで、サンタコスだっけ?」
「違うけど」
ののは呆れ顔だ。おっと、混じってしまったらしい。
「まぁそれでいいと思う。あんたクリスマスソングって何持ってたっけ?」
「えっと、『RINRINRIN』とか、冬でもいいなら『にんじゃりしんしん』とか……」
「あんたの曲がどう言うイメージなのか大体想像がつくような(パクリ)タイトルね……」
き○りーさんすみませんでした。FF外から失礼します。許してくださいなんでもしますから(なんでもするとは言ってない)。
と、言うのはともかく。
「じゃ、良さげなの何曲かデータ送っておいて。後で確認して歌えるようにしておくから」
「あたしの歌を歌ってくれるの!?」
「?そりゃそうでしょ」
なんか違うのかな?合同ライブなんて滅多にやらないというか、そもそもあの美香とやった学祭くらいしかやったことないからよく分からないけど。
「こ、これはまさに夢のコラボ&カバー……勝ったなガハハ!!」
「いいから練習しましょう?日もないんだし」
「つ、冷たいわね……」
ののこそ、どうしてこんなにテンションが高いのかよく分からないんだけど……
寒いから早く歌うなり踊るなりしたいのだ。
「あ、忘れてた」
「ん?」
するとののは何かに気づいたようにポケットをあさり出す。
「はい。これしか取れなかったわ」
「……なに、これ?」
そうして手渡される、一枚のチケット。
そこには“今井のの、クリスマスライブチケット”と書かれていた。
「ずっと前から言ってたのになかなか返事くれないから、もう抽選終わっちゃったのよ。だからもうここしか取れなかったし、レナのファンも多分少ないわ」
「そうじゃなくて、さ……」
確かに、場所は二階席三塁側ですごくいい席とは言えないものだけど。
「それを、石田に渡しなよ」
「…………伸一は、関係ないじゃん」
そう、これをあたしに誰に渡せと言うかの問題なのだ。
「もう、あたしたちはなんの関係もない……ただの他人なんだから」
「本当にそれでいいなんて思ってないでしょう?」
「そんなことない」
「そんなことないって、思い込もうとしてるだけじゃないの?」
「しつこいったら!!」
あたしはチケットをののに押し付け返す。
「いらない。あたしに、渡す人なんていないもの」
これはあたしの復帰戦であると同時に、決別のためのライブでもある。
だから、そこに伸一が来てしまったらだめだのだ。
自分の中にある弱さが目覚めてしまうんじゃないかって、たまらなく怖くなるから。
「お別れ、しなよ」
「…………え?」
そんな恐怖心を抱いてしまっていたから、ののの言葉が深く、胸につかえた。
「あたし、レナのこと好きだけど……ちょっと麗奈にがっかりした」
「何言ってんのよ……そもそもそれ声だと違いがわからないし」
「あんな別れ方って、ないよ」
「っ……」
あんな別れ方。それは、どこの部分を指して言っているのか、心当たりが多すぎた。
いや、もしかしたらその全てにかかっているのかもしれないけど。
「あんたには、関係ない」
「関係なくないよ。あたしはレナのファンで、石田の友達で、美香の……」
「〜っ!るっさい!いいじゃないそんなこと……」
どうでもいい。そう言いかけて、ののの顔が、本気で悲しそうなのが見えてしまった。
そんな顔されたら、何も言えなくなるじゃんか。ずるいよ。
「だから、最後にお別れ、ちゃんとしてあげて?」
「お別れって……もう、会えないよ?」
「それでもいいの。石田に、麗奈の歌を聴かせてあげれば……きっと、伝わる」
「伝わる、って……」
「そうしなきゃ、石田はずっと麗奈のことを思い続けてしまうかもしれない」
「〜〜っ!」
「そんなの、悲しすぎるでしょう?誰も、救われないじゃない……」
「のの……」
「だから、これを渡して。これは美香のためでもあるの」
ののはもう一度突き返されたチケットをあたしに差し出す。
「きっと伸一は……来ないよ」
「ううん、来るよ。絶対に」
しばし、ののと見つめ合う。
「これであんたに折れるのは2回目ね」
「うん、ありがとう」
そして、ついにチケットを受け取ってしまった。
これは、美香のため。だからあたしは、このチケットを受け取るのだ。
だから、決して自分の中で芽生えたこの気持ちのせいじゃない。
伸一の心にずっと残れるなら、お別れなんてしなくていい。そんな、あまりにも身勝手な気持ちを誤魔化すためだなんて。
「じゃ、始めよっか」
「うん」
あたしはチケットを自分のカバンの中へ大事にしまい、ののと一緒に練習を始めた。
でも、あたしは本当は気づいていた。
例え傷ついたとしても、伸一に会いに行けることが内心嬉しかったことを。
そしてそんな自分がどうしようもなく……悲しかったことを。
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だが、運命の神様というのはやはりあたしのことがあまり好きではないらしく。
「留守、か」
いや、当然か。平日の昼間に家にいるなんて、この前の状態が異常だったのだ。
チケットを受け取ってから二日後、ようやく都合がついてここにやって来れたというのに。
このアパートに来るのにも、相当の覚悟をしたというのに、なんて間抜けなんだ。
ああ、こんなにも寒くて雪が降っているのに、ここに来たというだけであの日の寂しさを、暖かさを、無理やりにでも思い起こさせて来る。
「帰ろう……」
これ以上ここにいる意味はない。
残念なような、ホッとしたような、矛盾した気持ちを抱えながら、ポストにチケットの入った封筒を入れようとして……
ーーーふと、背後からカツンという足音を感じた。
「麗奈……さん?」
「美香……」
訂正。運命の神様はやっぱりあたしのことが嫌いだ。
だって、平日の昼間に会うなんて、想像がつくわけがないじゃないか。
冷たい風が、凍るような風が、あたしたちの間に吹き抜ける。