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第75話 大好き

 



「お疲れ様でした」


 ようやく、終わった。

 記者会見はその予定を大きく下回り、18時にはほぼ終了した。

 けれどそれから各所に出向き謝罪、挨拶などを済ませていたら、気づけば時刻は20時を回っていた。

 昨日は伸一と、夕飯を食べていた頃。明日は雪なんだって、話した頃。

 疲労でフラフラになる足を無理やり動かして、雪に降られながら、あのビルの前に立つ。


「久しぶりだなぁ……」


 だってまだ、最後にやることが残ってるから。

 だからそれまでは、止まれない。

 階段を上る足が、酷く重い。

 足が震えそうだ。いや、実際震えている。


 そして、トントン、と、曇りガラスの扉を叩く。


「麗奈……」

「麗奈ちゃん……」

「山橋……」


 いつもの三人は、まるであたしが最後にここにやってくることを知っていたかのように、ソファに座って待っていた。

 そして、その席にはもう一人。


「麗奈さん……っ!!」

「久しぶりね、美香」


 あたしの友達(最後の仕事)が、待っていた。




「どうしてですか……?」

「何が?」

「どうして、あんなこと言ったんですか!?」


 美香は立ち上がり、あたしの元にくる。

 怒っている美香は何度も見たことがあるけど、この顔は初めてだ。


「あんなことって、何をよ?」

「とぼけるの……?」

「本当に何のことかさっぱりね」

「っ!!」


 パン、と、乾いた音が響いた。

 覚悟してはいたけど……思ったより、ずっと痛かった。


「先輩、本気だった」

「…………」

「先輩、本気で麗奈さんのこと好きだった!!大学なんかどうでもよくなるくらい、他の何を捨てたっていいくらい!

 だから今日、あんなマスコミの群れの中だって突っ込んでいった!全部、全部麗奈さんのためだったんですよ!!」

「…………………」

「麗奈さんだって、あんなに先輩のこと好きだったくせに!私たちが二人を迎えに行ったときも、たまに様子を見に行ったときも、ずっと幸せそうな顔して、と思ったら先輩が他の人と話すたびに嫉妬深い眼差しを向けていたくせに!!

 そんなこと、みんな気づいていたんですよ!?」

「………………………………」

「それがどうして、こんなことになるんですか!!?

 どうして、先輩にあんな悲しいことを言わせられたんですか!?どうして…………」


 美香は、とうとう泣き出す。

 優しい子だ。

 感受性がいいから、人の気持ちが本当によくわかってしまうのだろう。


「そんなに、平気そうな顔していられるんですか……?」


 そんな彼女に対し私のすべきこと。それは、とても単純なことだ。


「だから、何?」

「…………は?」


 無表情で言いすてるあたしを、まるで信じられないものを見るかのように見つめる美香。


「そんなことを言うために、あなたはこんなとこまで来たの?

 美香、あなたはこの先風間プロを背負って立つようなアイドルになるのよ?そんなことしている暇があるなら、練習でも何でもやれることがたくさんあるでしょ?」

「なに、いって……」

「確かにこの二週間弱、あたしは伸一と一緒に過ごして来た。

 楽しかったし、新しいことも色々知れた。それなりに満ち足りていたようにも思えたわ。

 ……でもね、気づいちゃったのよ」

「気づいたって……何にですか?」

「伸一は、所詮香奈の代わりなんだ、って」

「っ!?」

「だって、そうなのよ。聞かせてあげましょうか?

 あたし、伸一とたくさんキスしたわ。たくさん抱き合って、たくさん優しくされて、まるでお姫様にでもなったようだった」

「っ……」

「でもね、たったの一度も、あたしは体を許してなんかいない。

 同じ布団で寝ても、何もしなかった。

 それは純情なんかじゃない。単に、恋愛ごっこをしていたからなのよ」

「ひどい……」

「伸一なんて、香奈がいなくなって依存対象を失ったあたしのスペア品に過ぎなかったってこと。

 ……言わせないでよね、こんなこと」

「そんなの……最低」

「ええ、最低ね。だから、別れを告げてやったのよ」

「っ!!」


 再び、右頬に鋭い痛みが走る。


「最低……最低っ!!」

「何、熱くなってるのよ」

「っ……!!」

「これはあたしと伸一が勝手に拗れて、その結果こうなっただけ。

 あなたには、全然関係のないことでしょう?」

「そんなこと……ない……っ!」

「ああ、それはそうね。忘れていたわ。

 美香、伸一のことずっと好きだったもんね?」

「…………………え?」


 その時、泣いていた美香の顔が、一気に凍りつくのがわかった。

 こんなこと、言われるとは思っていなかったんだろうな。

 だからこそ、美香の最も根源的で、弱点を、正確にえぐりとる。


「何その顔?まさか、気づいていないとでも思っていたの?」

「そんな……だって……」

「言ってない?バレバレよ。昔から何回もその変な先輩の話になると顔を輝かせて、楽しそうに話して、最後には悲しそうな顔をして。

 風間プロに誘ったのだって美香だったし、それからの美香、明らかに浮かれていたもの」

「知ってたんだ……ずっと……」

「ええ、知っていた」

「知ってたのに……取ったんだっ……!!先輩のこと全部独り占めして、惨めなあたしを笑ってたんだ!!?」

「……………………」

「それなのに……あたしから先輩を取ったくせに、こんなに簡単に捨ててしまうんだ!!」

「そうよ」


 淡々と告げるあたしに、美香は打ちひしがれるように硬直して、あたしを見る。


「どんなに辛かったか、麗奈さんと先輩がすぐそばで二人っきりでいるって思うと、辛くて悲しくて悔しくて何回涙が出たか……

 どんどん私のことを避けるようになっていく二人の背中を見るのが、どんなに苦しかったか……っ!

 でも……でもね、麗奈さんなら仕方ないって。

 麗奈さんは、先輩のこと本当に好きになっちゃっていたから、しょうがないって。

 私なんかじゃ……麗奈さんより何もかも劣る私なんかが勝てるわけないって、わかっていたから!

 そうやって当然のように、ないものを手にいれて進んでいく麗奈さんがどんなに羨ましかったか、麗奈さんにわかりますか!!?」

「…………わかるわけ、ないじゃない」

「っ……そんなの……そんなのさぁ……っ!!」


 美香は震える手をもう一度振り上げる。

 何度だって受けよう。あたしは、それくらいのことをしたんだから……




「私の大好きだった麗奈さんじゃない!!!!」




 でも、その言葉を聞いた瞬間、あたしの心の奥底にある何かとても大切なものが、壊れる音がしたんだ。


「っ……え?」

「美香に…………」


 振り上げられた美香の腕を掴み、動きを止める。




「美香に、あたしの何がわかるっていうのよ!!!!」




 全力で、あたしは美香に平手を打ち付けていた。

 その勢いでバランスを崩し倒れる美香の胸ぐらを掴み、激しく揺する。



「ねぇ、教えてよ美香!あたしってなんなの!?

 こんな、誰かに頼らなきゃ生きていけないような人間は、一体なんていうの!!!?」

「麗奈、さん……」

「あんたは本当のあたしなんか見たことない!憧れる?大好き?ふざけないでよ!!

 何も知らないくせに、何知っているような口調で語ってるの!?こんな弱い人間に、一体何を要求してるの!?」

「いや……いやぁっ……」


 目を逸らす美香の顔を、あたしはもう一度叩きつけた。


「いぁあああっ……」

「あたしを見なさいよ!ほら、どうなのよ!?

 これが山橋レナよ!あなたの大好きだった、山橋レナよ!!

 こんなに長くいても、あなたはあたしのことなんかひとっつもわかっていやしない!!

 いいえ、わかるはずない!だって、あたしにすら自分がなんなのかなんてわからないんだから!!」

「ぅぇぇぇぇぇぇっ……ぃぁっ……ぃぁぁぁぁぁぁああああああっ!!」


 美香の胸ぐらを離し、立ち上がる。

 言ってやった。これで、いい。

 嘘偽りのないあたしなんて、こんなもんだ。

 小さくて、どうしようもない、ただのヒステリック女だ。


「出て行って」

「ぅぁっ……ぃぐ…………ぅぁああっ……」

「出て行ってよ!!!!」


 背を向け、叩きつけるように叫ぶ。

 やがて嗚咽をあげながら、ゆっくりと扉から美香は出て行った。


「はぁっ……はぁっ……はぁ……ぁ……」


 終わった。

 これで、全部終わった。


「麗奈……」


 すると、今まで黙っていた美月が、あたしのそばにやってきた。

 そっと目を閉じる。美香に、こんなに心配してくれたあの子に、あれだけのことをしたんだ。


「ぁ……」


 叩かれる、くらいは覚悟していた。

 だから、こんな風に抱きしめられることなんて、想像していなかった。


「大丈夫よ」

「……なんで……こんなこと……」

「泣いて、いいんだよ?」

「っ……」

「悲しかったら、泣いていいんだよ?辛かったら、苦しかったら、泣いていいんだよ?

 ……我慢なんて、しなくていいんだよ?」

「何言ってるのよ、あたしは悲しくも辛くも……っ!」


 美月の体を離し、押しのけようとして……

 その、優しそうな笑顔が、目に入ってしまった。


「ぅぁ……」

「うん」

「ふああっ……ぁぁぁぁぁっ!!」

「おいで」

「ぅぁぁぁっ!!ぃぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああっっっ!!!!」


 美月はあたしの背中をしっかりと抱きしめ、優しく撫でてくれた。


「本当に、嘘つきなんだから、この子は」

「ぁああっ……ぁああああっ!!」

「伸一くんのこと、好きだったんでしょ?」

「好きだった……大好きだったぁっ!!

 でも……でも、ここで別れないと伸一、どんどんあたしのことばっかになっちゃう……っ!

 伸一には伸一のこと必要だって思う人、たくさんいるんだもん……あたしが独り占めなんて……できないよぉっ!!!!」

「そっか……よく、頑張ったね?」

「ぁぁっ……ごめんなさい……ごめんなさい……っ!!」

「悪くない。麗奈は全然、悪くなんかないよ?」


 夜のオフィスに、あたしの泣き声が反響する。



 ———この夜から、あたしは本当に、一人ぼっちになったんだ。




 ***********************************




 静かだった。

 桜の木は、あの日のように花びらを舞い散らせることもなく。

 慣れない酒に酔った、変な後輩もいない。

 雪が、雪だけが、ただ優しく俺のそばにいてくれた。

 ここは、俺たちの青春が、俺にとっては、遅れすぎた青春が始まった場所。

 家の近くの河川敷公園。

 そのベンチに座り込み、俺は雪降る夜空を見上げていた。

 もう、今が何時なのかさえわからない。

 寒ささえ忘れてしまうほどに、今の俺は無感情だった。


「先輩……?」

「……樋口?」


 すると、そこに樋口がやってきた。

 俺は社長さんに追い出されてすぐにあの場から逃げ去ったから、あの後今井や樋口が何をしたのか、まるでわかっていない。

 こんな時間にやってきた理由も。


「どうしたんだ、その顔……」

「ちょっと……色々ありまして」


 目と口元を赤く腫らしている、その理由も。


「……先輩こそ、こんなところで何をしているんですか?」

「何も。……何も、していなかった」

「……風邪、ひきますよ?」

「いいよ。樋口こそ、早く帰らないと風邪ひくぞ?

 俺なんかより、お前の方がよっぽど大事な身なんだから」

「……そんなこと、言わないでくださいよ。先輩まで、私のこと、追い出そうとしないでくださいよ」

「……樋口?」

「ごめんなさい……なんでもないです。

 でも、お願いだからここにいさせてください。先輩が……ここからいなくなるまでは」

「変な奴だな」

「お互い様じゃないですか?」


 優しく微笑んでくる樋口。

 俺はカバンの中から、一本のマフラーを取り出す。


「樋口、これ、巻いとけ」

「いいんですか?先輩こそ、すごく寒そうなのに」

「俺は一応男だしな」

「そう……ですか」


 樋口は俺からマフラーを受け取り、首に巻いた。

 俺の元に、これがある必要はない。

 樋口には返してもらった後、捨ててしまおう。


 彼女は俺の隣に座り、一緒に空を眺める。

 この場にいないのは、あいつだけ。

 それだけで、何もかもが違うっていうのに。


「なぁ、樋口」

「なんですか?」

「俺、フラれちゃったな」

「…………そう、ですね」

「これからずっと続くだなんて確証はどこにもないのに、俺、どこかであいつに甘えていた」

「…………」

「あいつなら、弱いから。

 弱いあいつなら、どうしたってそばに誰かがいないとダメになる。

 だから、俺の元から離れることなんて決してない。そんな甘えを、気づかないうちにあいつに押し付けてきたんだ」


 樋口は何も言わない。

 ただ、静かに俺の話を聞いてくれる。


「でも、そんな俺もどこか依存してた。麗奈が俺を必要とすることに、依存していたんだ。

 だから、だよな。こんな最低な俺なんだから、この結末は、きっと正当なんだよな?」

「……そんなこと、ないです」

「ないなんて……言えるのか?」

「先輩……っ」

「何にも、言われなかった。

 電話で突然終わりって言われて、全部自分で終わらせちまった。

 俺はあいつのこと、もうなんでも知っている気になって、何にも見えていなかったんだなって、よくわかったよ」

「そんなこと、言わないでよ……」

「結局、俺は樋口に誘われて風間プロに入った。

 変わりたかったんだ。それまでの大嫌いな自分から、新しい、好きな自分に、変わろうと思ったんだ。

 だけど結局、その本質は何も変われなかった。

 俺は他人の感情に疎くて、そのくせ誰かに好かれようと自分の姿を演じて、その結果、何もかもぶち壊す。

 馬鹿みたいだよな。傲慢にも、ほどがあるよな」

「違う……違うよっ!」

「何も違わない。麗奈の中には、俺はいなかった。

 あの麗奈の顔、見ただろ?」

「っ……」

「俺は麗奈のために何もかも捨てられたけど、あいつはアイドルでいたかった。

 その道に、俺は必要なかった。

 ……ただ、それだけの話だったんだ。

 その証拠にさ」


 俺は、今までの思い出を思い返す。

 あの長いようで短かった幸せな日々。その中で。


「麗奈は、一度も俺に好きって言わなかったんだ」

「ぁっ……」


 その時、頬に何かがつたうのがわかった。

 ああ、これ、涙か。

 なんだよ、悟ったような、諦めたようなこと言っておきながら、自分で言うとこの始末かよ。

 情けない。なんて未練がましいんだ。俺は痛々しい乙女か。


「ごめんな樋口、俺帰るから……」


 こんな姿を、これ以上樋口に見られたくない。

 なけなしの、意地だった。

 俺は立ち上がり、家に向かって歩……




「先輩っ!!!!」


「…………え?」




 けなかった。

 背中から、強く、壊れてしまうくらいに強く、抱きしめられたから。


「私は、なんだって捨てられる」

「樋口?」

「私は、先輩の前から絶対にいなくならない」

「っ!?」


 背中に、樋口の暖かさを感じる。




「———私は、先輩が大好きです」




 その瞬間、俺の視界は真っ白になった。

 ああ、これが雪のせいだと言うのなら、どうか、俺のことも隠してくれますように。


「やめ、ろよ……」


 どうか、この声も、消してくれますように。


「だから、泣いていいんですよ?」

「やめろ……って……っ!」

「私だけは、どんな先輩にも、失望しません。

 優しい先輩も厳しい先輩だって、泣いてたって笑ってたって、その全部を、愛しています」


 そんなこと、言って欲しくない。

 それだと、俺は……


「俺は……最低だ」

「そんなこと、ないですよ……?」

「だって、こうしてくれる人がいること、嬉しいって、思ってしまうから……」

「……っ!

 いいよ……それで、いい。世界中誰も、あなたを愛さなくても、私だけは、先輩の味方でいる。約束する!!」


 ああ、それは……いつか、俺が麗奈に言ったセリフ。


「ぅぁ…………ぁぁぁぁっ……」

「うん」

「ぁぐっ……ぁぁっ……っ!」

「うん」

「ぁあっ…………ぅぁぁぁぁぁああっ、ああああああああああああっ!」


 それからどれくらい泣いていたか、よく分からない。

 でも、樋口はまるで俺が凍えるのを心配しているかのように、ずっと、俺を抱きしめ続けてくれた。




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