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第7話 関係ないだろ

 ウィーン、という据え置き型パソコンの起動音が鳴り響く部室棟、歌唱研究部部室。

 小型音楽室なのでここではいくら騒いでも、誰も助けになんかこないぜ……?なんてこともできたりできなかったり……


「部長、お久しぶりです」

「おう石田。珍しいな」


 その部長はパソコンで音楽を聴くのに夢中だ……ってか山橋レナのシングルじゃねぇか。本人を目の前にしてもこの態度ということは、さては気づいていないのか?

 確かに、よく目にするかわいい系のフリフリした衣装を着ている彼女と、今のジーンズにキャップ、サングラスというカジュアル系の彼女とはイメージが違うが、気づかないものなのだろうか。


「話、聞いてるの?先輩」

「えっ、あっ、いや、その……」


 な、なんてドスの利いた声出すんだよ、割とマジでビビっちまった。


「美香ちゃん?伸一となんかあったの?」

「雅也くんは黙ってて!」

「は、はい……」


 雅也からの援軍も期待できそうにない。端っこに逃げ込んで他の部員の後ろに隠れてしまった。なんて情けない……いや、人のこと言えたもんじゃないのはわかっているけど。

 とにかくだ。今のやりとりを見て、一つだけわかったことがある。


「山橋。ちょっと一緒に外出るぞ」

「え?ちょ、腕掴まないでよ!」


 山橋は突然の反撃に動揺した様子だが、気にしてはいられない。

 無視して、部員たちのなんだったんだというメッセ顔を背中に、外へ出るしかなかった。

 そのままずんずんとキャンパス内を歩いていく中、ちょうどいい場所を思い当たりそこに向かって歩く。


「ねぇ、離してよ…!!ちょっと、ねぇ!」


 俺の手を振りほどこうとする山橋。

 女の子の腕を引いて歩くなんて展開が俺の人生で起こるとは思わなかった。世の中何が起こるかわからないな。

 人気がないベンチにまで来ると彼女の手を離し、向かい合う。

 ここはツタが天井のようになっている公園のようなスペースで、薄暗いからあまり人は寄ってこないのだ。


「っ!」

「ごめんな」

「どういうつもりなのよ……」


 山橋は腕を一気に引き抜いて胸に抱え後ずさった。いきなり自分よりかなり体格のいい男に連れ出されては、怖かったのだろう。少し申し訳なくなる。


「でも、お前アイドルだってバレたら困るだろ?」

「……え?」

「もうバラしちゃったのかと思ったけれど、雅也がお前のこと美香ちゃんって呼んでたから言ってないんだろうなって思って。マネージャーの名前を偽名に使うのはどうかと思うけど、バレたら大学にもいづらくなるだろ?

 あそこで話すのはちょっと嫌かなと思って」

「よっ、余計なお世話よ!」


 ものすごく悔しそうに俺を睨んでくる山橋。

 いいことをしたつもりだったが、やっぱり余計なお世話だったか。


「それで、なんだって俺が貰ったチケットなんて欲しがったんだ?

 業界のこととかよくわかんないけどさ、お前なら一枚や二枚くらい簡単に入手できるんじゃないのか?」

「まぁそうだけどそれは結構前に言っていればの話で……そもそもあたしに配る人なんて、いないし」

「そうなのか」

「ってか、そんなの君に関係ないでしょう?」


 一瞬寂しそうな、悲しそうな顔をした気がするけれど、その一瞬後にはやっぱりしかめっ面が帰ってきた。


「そもそも、君が持ってるチケットは美香から貰ったものなんでしょう?

 どうして人に譲るなんて言えたの?信じられない!」

「いや、それは…」


 実際、返す言葉もない。

 俺にも多少なり事情があったとは言え、彼女にとっては俺がしたことは間違いなく最低なことなのだ。


「美香、あのあとすっごい心配してたんだから!」

「……え?」

「あんたに元気がないからって友達にあげるはずだったチケット、うっかりあんたに渡しちゃうくらいいい子なのよ!?

 なのにこんなこと……酷いと思わないの!?」


 さらに山橋の攻撃は激化する。

 まさか、そんなに大事なものだったのか?てっきり余ってたから渡してきたのか、自分に予定が入ったからくらいのものだと思ってたけれど。


「それは……本当にすまない……」

「しかもあたしのライブに行きたくないって、あたしの歌に興味ないって言うのも気に入らない!よくも本人の目の前であんなこと言えたわね!」


 まぁ、そうだろうな。

 そんなことされて気持ちいいやつなんているはずがない。知らなかったとは言え、悪かったとは思う。


「あんたは、人の思いやりとか、そういうの全然わかんないのね!

 しかも聞いたわよ、君、全然部活にも出てこないんだってね?」

「そ、それは……っ」

「雅也くんが、友達にチケットを譲ってもらった男がいるって聞いてもしかしてとは思ったけど、本当に“先輩”だったなんて……しかも、あんたみたいな奴が……」


 散々な言われようで、一部何言ってるのかわからないが、その通りだと思った。

 でも、それでもさ。


「あんた、そんなんでいいと思ってるわけ!?」


 その言葉だけは、言ってほしくなかった。

 俺が、全部悪いのに。

 俺が弱いのが、いけないのに。

 何かが壊れてしまったような。否、もともと壊れていて、必死でその傷跡を隠そうとしていたのに、そのかさぶたを無理やりひっぺがされてしまったような……そんな錯覚を、覚えた。


「お前には、関係ないだろ?」

「なん……ですって……?」


 山橋の声は、一気に氷点下まで下がる。

 それは氷点下まで下がった俺の声音のせいか、俺の視線のせいか。彼女の声には、ほんのわずかだが怯えが混じっているように聞こえた。


「俺が樋口からチケットを貰った。それは、確かにそうだよ。樋口さんから聞いたんだろ?

 でもな、それを俺がどうしたってお前にとやかく言われる筋合いはない。だって、そのやりとりにお前は関係ないじゃないか。

 行きたくないんだ。それなら欲しいって人に渡した方がいいじゃないか。そのことをお前がとやかくいう権利なんかないだろ?」

「っ……なによ、それ………」


 全く情けない。大人げない。

 俺は19歳にもなって恥ずかしげもなく、年下の女の子一人に対して本気の口喧嘩をふっかけていた。


「俺はな、お前の歌なんか、全然聞きたくない。

 ああ、そう言えばお前の曲、何曲か聞いたよ」

「それが、よくなかったって言うの?」


 再び山橋の声に怒りの熱が戻ってきた。

 俺を睨みつけて、戦意に満ち溢れた顔。

 だから、俺はそれに思いっきり冷水をぶっかけてやる。


「ああ、最悪だったね。いや、そんなことお前だってわかってんじゃないのか?」

「っ!?どういう……意味よ……っ?」


 山橋は怒りに怒りを重ねられ、もうどうしていいかわからない様子。ただ、当てどころを見つけられない怒りを震えに変えていた。

 彼女をそんな状況に追い込んで、悦に浸ったように話す俺はなんて醜いことか。


「曲は確かに、完成されていた。アイドルといえば、と言った音楽を的確に、でも陳腐にならないように、丁寧に作られていた。でもな、問題はお前だ」

「うるさい……」

「最初は違和感だった。それなりに歌えていたよ、上手い。ああ、確かに上手かったさ。

 でもな、お前は全くノリ切れていないし本気じゃない。音楽を、自分の曲を、どこかで拒絶しているんだ」

「うるさい……っ!!」


 一見俺が言っていることはその場で思いついたこじつけに聞こえるかもしれないが、実は全部が全部嘘なわけではないのだ。

 聞いた曲、その全てにおいて、山橋レナが“歌わされている”印象を受けた。それは、紛れもない真実だ。

 でも、この場で言う真実はお説教なんて大それたものなんかじゃ決してない。彼女をできるだけ、最大限に傷つける道具でしかない。


「俺が最初にお前に出会ったあの入学式の日、俺は思ったよ。すごいやつだって。正直こんなに歌で心が動かされるなんて、思ってなかった。

 本当に短いあの一瞬で、俺は感動したんだ。でも、本当にがっかりだったよ!だって、本当のお前は……」


 ああ、と。俺はようやく気がついた。

 傷つけてるつもりだった。痛めつけているつもりだったのに。

 笑えてくる。これは、壮絶な自傷行為だったのだ。

 でも、俺の一度開いてしまった傷口からは、とめどなく鮮血が溢れ出し、目の前の少女を汚すのを止められない。


「お前はいつも、自分らしさを出して、批判されるのが怖くて、おとなしく言うことを聞いてるだけの、ただの怯えた子供じゃないか!!」

「うるさいっっっ!!!!」


 山橋は首を横に力強く振り、俺を睨みつける。その目には涙がたまるが、けど、決して泣かないように歯を食いしばる。

 その姿が、ひどく、癪だった。


「あんたこそわかったようなこと言って…何様のつもりなのよ!!」

「っ……」

「あんただって、わかったような顔して、大人の模範にでもなった気分で人のこと見下して……かっこいいとでも思っているの!?」

「違う」

「何が違うのか言ってごらんなさいよ!!」


 癇癪を起こしている山橋。彼女の言っていることは、大体合ってる。でも、一つだけ違うところがあるんだ。


「俺は、俺以外の人間が綺麗に見えて仕方ないんだ」

「……え?」

「俺にはわからない、知らない、持っていないものを、みんなは持ってる。

 そのために一生懸命になったりする姿が羨ましくて仕方ない」


 何言ってんだろ、俺。

 こんなこと、俺自身にだって言ったことないくせに。どうしてこの俺とはあまりにかけ離れた存在である山橋にこんなこと話しているんだろう。


「見下してなんかいない。俺はいつも、見上げてるんだ」

「っ……」

「ダサくてカッコ悪い自分を受け入れるのは確かに辛い。でも、もし受け入れて、それを受容したら、それは安心に変わる。だって、それ以下なんてないから。もう何かに期待して、裏切られて、落ち込む必要なんて、なくなるから」

「あんたは……」

「ほら」

「これ……」


 俺は彼女の手にチケットを押し込み、ベンチに座り込んだ。


「もう、行けよ。お前の顔見てるとなんか……イライラするんだ」


 そのイライラの正体がなんであるのか、そんなわけないって思いながらも、半ば確信していた。

 静かになる。するとその瞬間、うつむいた山橋の足元のコンクリートに、シミができた。

 雨かな、なんて思ったが、天気予報でも、現実でも雨なんか降らない。

 それは、今まで必死に我慢していたはずの涙。

 山橋の顔から、ポロポロと。

 歯をくいしばるでもなく、俺のことを恨めしげに睨みつけるでもなく、ただ無表情に、その大きくて綺麗な碧眼から涙をこぼすのだ。

 俺の驚いた顔を見て初めて自分が泣いていることに気づいたようにハッとしてから、目をこすり、何か言いたげに口を開けたが、結局何も言わない。

 荷物を持って、走り去って行った。

 これで雨でも降ってたら、きっと映画のワンシーンのようだったろうな。

 しかし、皮肉なことに空は快晴で。俺の胸の痛みも、彼女の涙も、雨は隠してくれないのだ。




 ***




「ぇぅっ……ぅぅぅっ……最低……何なのよあいつ……っ」


 一人、あたしはキャンパスから出て泣いていた。

 サングラスは取ってしまったが、帽子を深くかぶり、涙を拭うためにずっと顔に腕を当てているので“あの”山橋レナとはバレずに済んでいるだろう。

 それでも、周りの人から泣いてるのは丸わかり。それが惨めでたまらなかった。

 初めてだった。自分の歌を、あんな風に言われたのは。

 今まで誰もが自分の歌を、歌唱力を褒めてくれた。

 妹の香奈が作る曲は、あの性悪が言ったようにアイドルらしく、でも陳腐にならないように完成されていた。

 そんな二人の長所が合わさって、完成する“山橋レナ”だったのに。

 だった、のに………


「ふぇぇぇぇぇぇ…………」


 私は、全然本気じゃない、何て言われたのだ。

 下手って言われたんじゃない。いや、そっちの方がまだよかった。

 あいつは言ったんだ。あの、適当に歌った入学式の日の、一瞬だけの私の歌で、感動したって言ったんだ。

 その上で、がっかりだって、あたしをこれ以上なく貶めた。

 それがどうしようもなく悔しくて、暴れだしそうで、でも暴れられないから結局泣くしかなくて、それがやっぱり悔しくて。

 だってそれじゃあ、あたしなんて必要ないじゃない。

 良い曲に乗り切れない良い歌い手より、良い曲に乗り切れる悪い歌い手の方がよっぽど心に響く音楽を奏でられる。それくらいあたしにだってわかりきったことなのだ。

 それならばもう、“山橋レナ”ではいられなくなる。

 与えられた曲を歌うだけの、ただの子供………


「っ!!」


 そうして涙が溢れてくる。

 悔しい。結局あいつが言ってたことは、全部図星だったんじゃないか。

 なんなんだ。どうすればいい?どうにかして言い返したい、やり返したい。でもどうすればいいかわからない。

 本当にひどい。あたしが怒ってたはずなのに、結局図星を衝かれてプライドもアイデンティティもズタズタにされて、泣かされて帰ってきてしまうなんて、あいつもひどいがあたしも大概だ。


「これから、仕事かぁ……」


 でも、ここでやめるわけにはいかない。

 本当は今すぐ家に帰ってこの前新歓会で飲んだしゅわしゅわ(深く突っ込まなくていい)を飲んで寝てしまいたいけれど、あたしはこれでもこの世界でプロやって生きているんだ。無責任なこと、できるはずがない。

 ああ、でも涙でせっかくのメイクもぐしゃぐしゃ。早く行って直さなきゃじゃない。

 本当最悪な男。許せない。あんなのが好きだなんて、美香の趣味を疑わざるを得ないわ。


 ……とまぁ、いろんな理由で顔を隠しながら、あたしは事務所へと向かった。

 今日は本当に厄日だ。2度とあんなクソ陰キャラ野郎となんか会ってやるもんか。


「なぁ、ちょっといいか、麗奈ちゃん」

「!!?」


 肩を落として落ち込んでいたから、背後から近づいて来るもう一人の刺客に気づかなかった……ッ!!


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