第73話 氷の罠
「はっ、はっ、はっ……」
冬なのに汗だくで、息も荒れて、電車で奇異の視線に晒されても。
「はっ……はぁっ……」
雪に濡れた道で滑り、転んでしまっても。
「くそ……くそっ!!」
痛みも、疲れも、気にならなかった。
そんなことより、今俺の心臓を締め付けるような焦燥感を、どうにかしたかった。
麗奈に会いたい。
あの綺麗な金髪を撫でたい。細い体を抱きしめたい。柔らかな唇にキスしたい。
離れないって。俺たちはずっと近くにいるって、証明してほしい。
あんなの、嘘だよな。
終わりだなんて、そんなこと、ないよな。
だって、俺たち始まってからまだ一ヶ月も経ってないんだぞ?いや違う。今日、始めようと思っていたんだ。
それなのに、どうして終われるんだよ。まだ、始まってもいないじゃないかよ。
「ここにも……」
俺と麗奈と樋口。その三人が初めて会った場所、家の近くの河川敷にもいない。
今井の家には当然おらず、今井と樋口も学校や仕事にどうにか都合をつけて、一緒に探してくれているのに、未だ手がかり一つない。
麗奈が迷った時、困った時行きそうな場所……香奈ちゃんとお父さんの墓か?
それとも病院?
「っ……」
迷っている暇はない。全部回るんだ。
そうして、俺は電車に乗り、目的地で麗奈の姿を探し、見つからないでまた次へ。
心当たりをすべて回ったら、また最初の候補へ向かう。その繰り返しだった。
沢良木家にも連絡したが、やはりわからないらしい。
風間プロに連絡すると、そっちにも行ってないらしかった。
「先輩っ!」
「樋口!?今井も!」
そして、俺が三度目の今井家にやってきた時、樋口と今井に出会った。
「見つかったか?」
「いいえ、石田は?」
「俺も全然……」
もう4時間は経った。次第に雪は積もり始め、電車もそろそろ動かなくなるだろう。
でも、それじゃ困る。それじゃあ、麗奈を探せない。
きっとここで会えなきゃ、麗奈とはもう会えないような。どこか、手の届かないところへ行ってしまうような。
……そんな、あの時にも似た予感を感じていたから。
「未読のまま……それに、電話は全部留守電にされる」
麗奈、どこ行ったんだよ。
お前のことだからきっとなんの用意もしないで外出たんだろ?マフラーもなくて、コートもなくて、きっと寒がっているんだろ?
だから早く帰ってこいよ。それか、居場所を教えてくれよ。そうすれば、どんなとこだって迎えに行く。
お前を一人にはしないから。そして、俺だってお前がいなきゃ……
「出てくれよ……っ!!」
そんな願いは、虚しくも全く届かず。
留守番電話サービスの声が、静寂の庭の中に響く。
「くそっ!!!!」
「先輩……」
「石田、あんたちょっと落ち着いて……」
「落ち着いていられるかっ!!?」
「っ!!」
「あ……ごめん。俺、ついカッとなって……」
こんな風に今井に当たるなんて、本当に最悪だ。
今井には本来関係ない、いや、そもそもライバル関係だと言うのに手伝ってくれて。
その恩を仇で返すような真似をするなんて……
「いいよ。でも石田、そろそろ探すのは……」
「っ……まだ、動いている電車だってあるはずだ。タクシーだってなんだって使って……」
どうして、俺の邪魔をするんだ?
しんしんと降り積もってゆく雪は麗奈の姿を隠していき、明ける頃には俺のそばには誰もいないだろう。
そんなのは嫌だ。諦めたくない。諦めきれない。
その時、俺のスマホが再び通知音を鳴らす。
「美月さん……?」
相手は麗奈ではなく、美月さんだった。
何か手がかりがあったのかもしれない。そう思い、俺は電話に出た。
「もしもし」
『もしもし伸ちゃん!?今どこにいる?』
「今井の家にいますけど……それより、何かあったんですか?」
『ニュース見て!今すぐ!!』
出てみれば、いきなり切羽詰まった様子の声。
それが樋口にも聞こえたのか、彼女もニュースを検索しだしてくれた。
文字を打ち、Go○gle先生にお願いする。
そして出てきた検索結果を見た彼女は……
「え?なにこれ……」
「なんだ?なんて書いてあるんだ?」
青ざめた顔で、スマホの画面を見ていた。
俺は思わず樋口の手を掴んで覗き込む。
その、樋口が開いたニュースサイトに書かれていた文字は……
「本日5時15分より、山橋レナ緊急記者会見……?」
あまりにも衝撃的な内容だった。
「記者会見……って、どういうことだ?」
状況がうまく読み込めない。
記者会見ってことは、何かを発表すると言うこと。
そしてそれが一般男性との交際疑惑について認めるような内容であると思えるほど、今の俺は楽観的ではない。
つまり。
『ごめんなさい、私たちにも知らせず、社長がいきなり組んだらしくて……』
「そんな……」
社長がそこまで?
そんなに俺と麗奈を引き離したいのか?会社が大事なのか?保身が大事なのか?
だから、麗奈はいきなり俺に別れを告げるようなことを……きっと、何か脅しをかけられたのだ。
そう、例えば肩代わりした借金を今すぐ返させるとか。
俺はあまりのことに怒りを抑えることができそうになかった。
『でもね、伸ちゃん』
「なんですか……?」
美月さんへ返す言葉すら、怒気を孕ませてしまうような俺に、彼女は……
『この記者会見はその……麗奈が、申し出たらしいの』
「…………え?」
冷や水を、思いっきりかけてきた。
『麗奈が申し出て、限界までメディア以外にこのニュースが行かないように操作させた、とも言っていたわ』
「そんな……バカな……」
『これは社長自身が言っていたこと。だから信じれるかはわからないわ。でも、彼は……』
知っている。社長さんは、嘘をつかない。
「じゃあ、今麗奈はどこに……」
『記者会見は新橋プリンスホテルで行われるらしいわ』
「新橋……」
『こんなことになってごめんなさい。私たちは今すぐ会場に向かうわ』
「わかり……ました……」
そうして、電話は切れた。
麗奈から、会見を要請した?そして、情報がすぐには広がらないように操作まで?
なんのために?どうして、そんなことをする必要があるんだ?
———俺に、知られないようにするため。
……違う。そんな馬鹿な。
だって、それじゃああの日々が……歪だったかもしれないけど、確かに意味のあったあの時間を、否定することになってしまう。
「先輩、行きましょう!新橋プリンスホテルなら今から車でギリギリ間に合います!」
そうして、考え込む俺の手を握ってくる樋口。
彼女の林檎のような。その顔を見て、俺は浮かびかけた雑念を振り払う。
「当然。こんなとこで終われない。こんな結末、許せない!」
「はい!それでこそ……先輩ですっ!」
樋口は優しく笑い、今井を見る。
「お願いのの……車、出してもらえない?」
「もうそこに停めてあるわ。スタッドレスの車をママが出してきてくれたの!」
「のの……ありがとう!」
「あの男、絶対許さない。こんな風に別れさせるなんて、あり得ないわ。
石田、早く門へ!すぐ出発よ!」
「ああ!ありがとう!」
俺はすぐに彼女の後を追って走り出した。
門の前に停まっていた車に乗り込むと、運転席にはみみさんがいた。
「超飛ばしていきますよ!しっかりベルトをつけてください!」
「はい、お願いします!!」
待っていろ、麗奈。俺が今すぐ、迎えに行くから。
そして、しっかり話すから。お前のこと、ちゃんと見るから。
雪の中、車は走る。
新宿プリンスホテル、記者会見の会場へ向かって。
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「嘘……だろ……」
そうして、進んだ先に待ち受けていたのは。
「渋滞、あと3キロは続きます……っ!」
「今、何時だ?」
「……5時、ちょうどです」
……雪が仕掛けた、氷の罠。