第72話 どんなことがあったとしても
「じゃ、行ってくるよ」
「うん……」
「そんなに寂しそうな顔すんなよ。お前も俺に大学行かせたがってたじゃん」
「それは……そうだけど」
麗奈は俺を上目遣いで見つめる。可愛い。
しかし、今日は絶対に大学に行く。そして、雅也に謝って、それから喧嘩してくる。
多大な迷惑をかけたにもかかわらず、俺のことを後押ししてくれた先輩への恩に報いるためにも、ここは譲れないのだ。
「すぐ帰ってくるよ」
「うん、じゃあさ、これ持ってって?」
「何これ?」
麗奈は俺に小さな紙袋を手渡してきた。
何だろう、軽いけど。
「開けて見て?」
「あ、ああ」
袋の口を広げる。すると、見えたのは毛糸で編まれた……
「マフラー?これ、マフラーじゃん!」
そう、中に入っていたのは水色のマフラーだった。
しかも、見るからに手編み。結構な手間がかかっていることがわかる。
「これ、麗奈が?」
興奮気味に麗奈を見ると、彼女は顔を赤らめ、照れ臭そうに笑った。
「うん……ここ最近やることなかったから、ちょっとやってみたんだ。
のののお母さんがノっちゃってさ……でも作るのはいつも夜だったから、結構大変だったんだよ?今日なんてほぼ徹夜……」
うん、メイドだからこう言うのは得意なのかな?って、そうじゃなくて。
「嬉しい……これ、一生の宝物にするよ!」
「そ、そんなでもないことだと思うけど……」
「いや、こんなの今時重すぎて普通の女の子は渡してくれないよ!すっごいレアもの!!」
「褒めてないでしょそれバカにしてるでしょ」
もう、と、ため息をつく。そんな息ももう白くなる季節。このマフラーは随分と重宝されることだろう。
あ、やばいニヤケが止まらない。これから雅也とのシリアスシーンなのにこんな顔で行ったら何発殴られるかわかったもんじゃない。
「ふひっ……」
「うわぁ…………」
「そんなに引かなくてもいいじゃん嬉しいんだよ」
「わかってる。ありがと」
「ありがとうはこっちのセリフだよ。ほんとにありがとう」
「ううん、こんなに喜んでくれたんだから、あたしの方が、きっと嬉しい」
「は、恥ずかしいな……」
「そだね……」
バカップルと罵られてもおかしくないくらいには、今の俺たちって痛々しいよな。
でも、これ以上幸せなことって、ないよな。
俺はマフラーを首に巻き、笑いかける。
「あったかい」
「そうでしょ?」
麗奈は得意げに笑ったあと、静かに俺に近づいてきてそして……
「れ、麗奈?」
「ののたちに……見られちゃうかもね」
「あ、いや……ん……」
「ん……」
唇が、重なった。
もう、何度目だろうかと言うキスは、まるで初めての時のように軽く、優しく。
一瞬だったけど、でも、確かな繋がりがちゃんとそこにはあって。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「ねぇそこのバカップル。見せつけてくれなくてもいいから石田は早く車に乗りなさいよ」
「「わっ!!?」」
とか感じていたら今井がいつのまにか俺たちのそばにいた。
焦った……心臓止まるかと思ったぞ。
呆れ顔の今井は、一人門の前に止めてあった車に乗り込んだ。送ってくれるらしい。本当に今井家にはお世話になりっぱなしで頭が上がらないな。
「じゃあね、伸一」
「うん、じゃあまた後でな」
別れが惜しかったけど、そろそろ行かないと怒られてしまう。
後部座席の扉を開け入る。隣には今井がいた。何だかちょっと不機嫌そう。
「もういいの?」
「ああ」
本当は足りないくらいだけどな。
でも、帰ればまた会える。そう思うだけで、俺は大丈夫。
「なんか、あんた変わった?」
「え?別に変わった気はしないけど」
「前は……何と言うか必死そうな顔してたのに、今はちょっと晴れやかな顔してる」
「そうかな?」
自覚はないけど……もしそうなのだとしたら、それは風間プロの先輩との会話のおかげだと思う。
「でも、そっちの方がいいよ」
「褒められてるのか?」
「覚悟、決まったの?日本中の男を敵にする覚悟、自分の中の大切なものを切り捨てる覚悟」
「そんな大した覚悟はしてないけどさ……」
車は発進する。
後ろを見ると、手を振る麗奈がだんだん小さくなっていくのがわかった。
「俺、麗奈のことが好きだなぁって……思ったんだ」
俺がそう言うと、今井は俺の顔をじっくりと見てきた。
ち、近いです今井さん……いや確かに惚気にもほどがある恥ずかしすぎるセリフではあったけどさ。
十秒間くらい俺を見た後、今井は優しげに、でも少し切なげに笑った。
「そっか……じゃあ、あたしのしたことは無駄じゃなかったのかな?」
「ん?ああ、こんなことになったのに今井が家に泊めてくれて、そのおかげで本当に助かったよ。本当にありがとう」
「……そう言うことじゃないんだけど……まぁ、その言葉はありがたく受け取っておくわ。どういたしまして」
「本当に、お前って揺らがないよなぁその態度のでかさ」
「あんたお礼言いたかったんじゃないのか何でバカにされてるんだあたし……」
今井は愕然とした顔で俺を見つめる。本当に感謝してるんだけどなぁ。
こう言う風に、呆れたように俺の話を聞いてくれる。そのことにどれだけ俺が救われたか、わかってくれているのかな?
「あたしは揺らいでばっかだよ」
「……え?」
そう言う今井だから、今の寂しげに言い放った言葉が、胸に引っかかった。
「ううん、何でもない。忘れて」
「そうか……」
そのことが何なのか、俺には知る必要がないとばかりに今井はそっぽを向いてしまった。
車は走る。俺の大学に向けて、まっすぐに。
その間、彼女との間に会話はなかった。
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「よぉ」
「…………よぉ」
久しぶりの大学。
もともとそれなりには人数がいる授業だったから、別に俺が学校に来る頻度を気にする人もいないし、珍しい顔がやってきたことを気にする人も、当然いない。
生徒は各々友達と会話したりして、授業を待つ。
その中で、一人でいる金髪イケメン野郎を見つけるのは、あまり難しいことじゃない。
俺が話しかけると、一瞬驚いたような顔をして、でもまた無表情になってそっぽを向いた。
気にせず隣に座る。すると、教授が教室に入ってきた。
おかげで雅也も移動することができず、俺の隣に座ったままだ。
「…………」
「…………………」
思えば、こいつと喧嘩ってしたことないんだよな。
高校の時、俺が部活を追い出された時も、こいつは俺の話し相手になってくれていたし、それ以前も、きっと色々俺のことを気遣ってきてくれたのかもしれない。
だからつまり、なんて言えばいいのかわからない。
「何で来たんだ?」
「え?」
「学校。麗奈ちゃんはいいのか?」
「……ああ」
しまったな、俺が謝ろうと思ってたのに、こいつから話しかけさせてしまった。
ここからはちゃんと、俺が……
「あのさ……」
「なんだよ?」
「……今日の授業って、今どこまで進んだんだ?」
「…………」
だめだ、気恥ずかしくて何も言えないっ!
何を男相手に、しかも雅也に緊張してるんだ。あ、いやこれまさかの雅也√とかねぇから。
…………ないよね?そんな結末需要ないよねそうなんだよね?
「それより伸一」
「っ……あ、ああ。何だ?」
「…………」
「…………」
「ノート、見るか?」
「え?」
「あ、いや、えっと……」
でも、もし。
もし、こいつもおんなじ気持ちだとしたら?
距離が、測りかねているとしたら?
「はっ……」
「く……くはっ……」
「はは……あっはっはっはっは!何だよ雅也その女みたいなきょどり方!マジ受けるわ!!」
「お前こそ何深刻そうな顔して今日の授業の進行度聞いてるんだよバカじゃねぇの?」
「だって休んでたんだからわからないんだよしょうがないだろ?」
「だからってもっと言うことあっただろ?何顔真っ赤にして告白みたいに言ってんだよお前そっちなのか?」
「ちっげぇよ!」
こんなに、面白いことはない。そうだろ?
お互いを笑いながら、小突き合う。
こう言う瞬間に、ああ、こいつやっぱり、親友だなぁって、思えるんだな。
でも……
「おいそこの二人、教室から出ろ」
「「…………あ」」
そんなこんなで教室を追い出された俺たち。
キャンパス内にあるベンチに腰掛け、曇り空を眺める。風が冷たく、正直外は寒い。
「この前は、悪かった」
「伸一……」
「ちゃんとお前に言われたこと、受け止められなかった。喧嘩にもなってなかったよな」
「……俺こそ、殴って悪かったよ」
「いや、お前のおかげで、ちゃんと考えられたんだ。逃げていたこと、もう一度見つめ返せたんだ……だから、ありがとう」
でも、それでいい。空の下、この微妙に青春チックな雰囲気にでも酔っていないと、これから俺が言う言葉なんて、きっと痛すぎて言えなくなってしまうだろうから。
「お前に中途半端って言われて、わけわかんなくなっちまったんだ。
彼女には俺が必要だから。その想いを好きってことにして、自分に無理やり信じ込ませていたことに、気づいちまったんだ。
ほんと、バカな話だよな。最悪だよな、俺」
そんなこと、久しぶりに会ったはずのお前に一瞬で見抜かれてしまうような嘘だったって言うのに。
「俺とは何もかもが釣り合わないような女の子。その子のことを好きでいる自分に言い訳が欲しかったんだ。
でも、お前に殴られて、風間プロの仲間と話して、自分の本当の気持ち、確認できた。
俺は本当に麗奈のこと好きって言えるのか、ファン全員を的に回せるのか、考えたんだ。
それで、想像した。もしも麗奈に告白する機会がなかったとしたら……って。
そうしたら、わかった」
香奈ちゃんが、死んだりしなかったら。
ずっと、麗奈のそばにいたとしたら。俺なんて必要ない。今までだって、ずっと彼女たちはそうして生きてきた。
でも、たとえそうだとしても、さ。
「きっとどんなことがあったとしても、結局俺は、麗奈のことが好きになった……って」
あの日、ライブに行って、トラウマに縛られっぱなしだった俺を救い出してくれた。
そんな女神様の正体は、不器用で、普段は無口で、でも話し出すと口が悪くて喧嘩ばっかのわがまま女。
でも、本当は弱くて、寂しがりやで、甘えん坊で……なにより、すごく女の子で。
そんな彼女だから、こんなに惹かれた。
そうだよ。本質は守ってあげたいとか上から目線の気持ちじゃなくて、山橋麗奈って言う女の子のこと、その全部が好きだからなんだ。
「だから、俺は麗奈とは別れない。ずっと、“二人”で支え合っていくんだって、そうしたいって、誰よりも俺が思っているから……」
俺はすっかり黙り込んでしまった雅也を見つめる。
「お前の反対意見は、聞けないよ」
言ってしまった。
雅也は動かない。俯いたまま、じっと地面を見つめている。
せっかく話せるようにもなったのに、もしかしたらこれが一生の決別になってしまうかもしれない。
「すぅっ……」
「っ……」
雅也は思いっきり息を吸い……
「よくやった!!!!」
「…………は?」
こんな言葉を、バカみたいに大声で叫んだ。
道を歩く大学生がちらと見て、迷惑そうな顔をしてから去っていく。
「な、何言ってんだお前……」
「なんだよ忘れたのか?俺、本当はお前によくやったって言ってやるつもりだったんだって」
「……あ」
そう言えば、そんなこと言っていた気もする。
あの時は精神的にそんなこと気にしていられなかったんだ。覚えてなくても仕方ない。
「だからさ、おめでとう」
「雅也……っ!」
「初彼女が麗奈ちゃんとかお前には正直勿体なさすぎるけど、仕方ないから祝ってやるよ。でも、その代わりにののちゃんのことちゃんと紹介しろよな?」
「お、お前それ目的じゃ……」
「ちげぇよ照れ隠しだよ!」
「んな堂々と言われても」
くそ、思わず抱きついてしまうところだった。
素直にはなれないし、雅也に対して素直になる必要なんてほとんどないと思うけど、本当にその言葉がありがたかったんだ。
これからきっと大変なことが沢山ある。事務所とけじめをつけたり、世間からの風当たりを受けながら道を決めていかなきゃいけない。
でも、応援してくれる人がいれば、俺と麗奈のことを認めてくれる人がいれば、こんなに嬉しいことはない。
「はぁ、それじゃあ久しぶりに飯でも食いにいくか!授業も追い出されちまったしなぁ……」
「はは、そだな」
笑い合いながら、俺たちはベンチから立って歩き出す。
するとその時、俺のスマホが鳴る。見るとレナからの電話だった。
「悪い、ちょっと出るな?」
「おう、気にすんな」
雅也に断ってから通話ボタンを押す。
『あ、伸一?』
「ああ、そうだよ」
俺は自分の首に巻かれたマフラーを無意識に少し触る。
「どうしたんだよ、本当はまだ授業だぞ?」
『え?あ、うん。そうだよね。知ってた……』
「麗奈?」
なんだろう、少し様子がおかしいような……
『伸一、この前怪我した時、本当は雅也くんと喧嘩したんでしょう?』
「げ……」
『今、げって言ったよね?あの時何回聞いても無視するから、本当に心配だったんだよ?』
「それは……ごめん」
なんだろう、何が違うんだろう。
『で、雅也くんとは仲直りできたの?』
「んー、まぁそんな感じかな」
『そっか!よかった!それだけが心配だったんだぁ……』
「麗奈?」
ああ、そうだ。
今の麗奈、最近の麗奈よりもすごく……明るくて……元気だ。
『風間プロには行かないの?きっとみんな……そして美香だって、伸一に会いたがってるんじゃない?』
「そうだな……これから行こうかなと思っていたんだけど……」
それは、いいことのはずなのに。むしろ、こうなることを望んで麗奈と一緒にいたはずなのに。
「あ、そうだこれから俺と雅也飯食いに行くんだけど一緒に行かないか?この前雅也すぐ返っちまったからろくに話せてなかっただろ?」
『あのさ、伸一』
「ラーメンでもいいかなって……あ、でもそう言うの嫌だったりしたらパスタ屋でも……女の子ってアボカドが入ってるのが好きなんだろ?だったら探して……」
『伸一』
「っ……」
どうして、こんなに俺は、この言葉の続きを恐れるんだ?どうしてこんなに、声が震えてるんだ?
『終わりにしよう、あたしたち』
簡単だ。だって、こういうの何度もドラマで見たことがある。
「でも雅也アボカド嫌いだか……ら……」
『………………』
テンプレート丸出しの、別れ文句。
「嘘……だろ?」
『伸一は、あたしのこと忘れて?』
「ま、待てよ!!急に何言って……」
『他の人と……美香と、一緒にいてあげて。アイドルってはじめのうち本当にしんどいから、伸一が支えて上げないと……』
「麗奈!!」
俺が大きな声で名前を呼ぶと、ぶつん、と、麗奈の声が途絶えた。
後に流れるのは、無機質な電子音の繰り返しのみ。
「伸一……?」
「なんだこれ……どう言うことだっ!?」
俺は急いで麗奈にかけ直そうとする。すると、再びピリリリリ、と、着信音が鳴り響く。
即通話ボタンを押し、耳を押し当てた。
「っ麗奈!?」
『先輩!?先輩ですよね!?』
「……樋口?」
『そうです!ああよかった、先輩は通じました……』
「俺は通じるって、どう言うことだ?」
それじゃあ、まるで麗奈とは……
『先輩、落ち着いて聞いてください』
すでに、俺は落ち着いていられる精神状態にないのだが、それでも静かに樋口の言葉を待った。
『麗奈さんと……連絡が取れなくなりました』
「っ!!!!」
「おい伸一!!?」
その瞬間、俺は雅也と話していたことも忘れて走り出していた。
なんでだよ……こんなの、おかしいだろ?
普通だったじゃんか。お前、今日いつも通りだったじゃないか。俺との会話でいちいち顔を赤くして、そんで照れながらマフラーくれたじゃないか。
それが、こんなにいきなり……お前は俺がいなきゃ……じゃなきゃ、寂しくて……っ!
誓ったばっかなのに。せっかく、本気なのに……っ!!
その時、ふわりと、空から舞い降りてくる白い華。
雪。
それは、俺と麗奈が、初めて触れ合った時の……っ!!
「麗奈……麗奈ぁっ!!」
全力で街を駆ける。行かせない。
絶対に、こんな形で終わりにしたくない。
今すぐ、お前の元に行くから、待ってろよ……麗奈。
***********************************
「…………雪」
空から、優しく降る雪。
雪はいつでも、あたしの代わりに泣いてくれる。
だから、あたし泣かないよ、香奈。
「マフラー、似合ってるよ?」
水色の、伸一に向けた誕生日プレゼント。
本当はまだ先だけど……いいよね?
あんなプレゼント重いだろうけど、最後だからいいよね?
だって、あたしはもらってばかりだったから。何か祝ってあげたかった。
ううん、嘘。本当は、あたしのことどっかで覚えていて欲しかったから、モノをあげたかったんだ。
でも……あんなに走ったら、きっと暑くなって、いらなくなっちゃうね。
遠くなっていく彼の背中を、遠目に見つめる。
これからは、別の道。
お別れを直接言う勇気がないあたしのことを、どうか責めないでほしい。
「さよなら、伸一……」