第71話 覚悟
「じゃあ、俺たちは帰るな?」
「お、お邪魔しました」
「ううん、二人ともありがとう。迷惑かけちゃって、ごめんなさいね?」
「迷惑だなんて。それより……」
「ほら、伸一、みんな帰るって」
「え?」
ああ、そうだ。あれから部長とピアノの子とでお菓子を食べながら大学の話や、どうでもいい世間話をとかをしたんだっけか。
それで、18時になったから二人は帰ることにしたと。うん、思い出してきた。
「今日は……わざわざありがとうございました」
「いいよ。それより石田、ちゃんと大学来いよ?」
「え、ああ、はい……」
「そうですよ。氷見先輩も、石田先輩のこと、ずっと寂しそうに待っているんですから」
「っ……」
「じゃ、また」
玄関まで見送った俺たちに手を振りながら、バス停へ歩く二人。
「ねぇ、伸一?」
「…………」
「ねぇってば」
「え?」
「伸一、雅也くんが帰ってからなんか変。何かあったの?」
「別に……何もないよ」
「でもその傷……」
「なんでもないから……ほら、寒いから家に入ろう」
きっと俺のことを心配してくれている。
でも、あんなことがあったなんて言えない。
雅也に言われた言葉を、彼女に伝えるわけには、絶対にいかなかったのだ。
———お前みたいな中途半端なやつが、山橋レナを殺していいと、本気で思っているのか!?
うるせぇよ。
そんなの、誰よりも俺自身が……
「伸一……」
「料理、結局ちゃんと作れなかったな」
「え?」
「だから、また明日作ろう?」
「…………うん」
麗奈は一瞬寂しげな顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻し頷いてくれた。
何にも悪くない。この時間がずっと続けばいい。
そんな、最低な甘えに取り憑かれながらも、俺はそんな自分を否定できないでいた。
再びいつもの部屋に戻り、暖房が効いた部屋で何もせず、ただぼーっとする。
これが、最近の俺たちだった。
話す内容も外に出ないから徐々に尽きていき、今では何も話さない。
「今日、星がすごく綺麗」
「……そっか」
ただ、たまにポロリと、こう言う会話をして、互いの距離が離れていないかを確認する。
そばにいる。その感覚だけが二人の間をつなぐものだった。
そんな空間に、コンコン、と、ノックの音が響く。
「ののだけど、入っていい?」
「え?ああ、いいけど」
別に俺も麗奈も何かしていたわけじゃないしな。
今井は扉を開き、中に入る。
「石田に電話よ。話がしたいって」
「電話?俺に?誰が?」
「それは、出ればわかるわ」
「……わかった」
俺は恐る恐る電話に出る。すると、受話器の向こうから……
『石田ぁぁああああ!!お前何日仕事サボるつもりだ馬鹿野郎!!!!』
「どわっ!?」
爆音で、男の図太い声が聞こえてきた。
『ねぇはすみん、さすがにいきなりそれはどうなの……?』
『でも、あいつには言いたいことがたくさんあって……』
『それにあんまりうるさくすると社長に気づかれるぞ?』
『そ、それはまずいっすね』
かと思えば、それからいつもの、少しだけ懐かしい声が聞こえてきた。
『ってか返事こないけどそもそも繋がってるのこれ?』
『え?いや、通話中にはなってると思うっすけど……』
「先輩たち……ですか?」
それだけで、いつもの先輩たちがいると言うだけで、なんだか、目から涙が出そうになる。
『よ、よぉ石田、元気か?』
「はい……」
俺が返事をすると、さっきとは打って変わって静かな声。
蓮見先輩から博多先輩に代わったのだろう。麗奈は不思議そうな顔で俺を見てくる。
「風間プロのみんな。社長はいない」と、小声で伝えると、じわりと彼女の目が潤んだ気がした。
雅也が子犬の目、と言ったのが的確な例えだと、少しだけ思ってしまうような、思わず庇護欲を抱いてしまうような瞳。
「大丈夫」と、また小声で囁いて、再び受話器に耳を傾ける。
『太郎じゃ、冷静に話せないと思ってな。山橋は、そこにいるのか?』
「はい、います」
『そうか……じゃあ、少し外に出られるか?』
「はい……」
その深刻そうな声音から、決してポジティブな内容じゃないことは察せられた。
麗奈に聞かせたくないこと。それだけでも中身は決まったようなものだが。
俺は麗奈に「ちょっと出てくるな」と言い残してから廊下に出て、部屋の扉から少し離れた場所で窓から空を見つめた。
本当だ、とても、星が綺麗だ。
『もう大丈夫か?』
「はい」
『そうか。あれからテレビとか見てるか?』
「見てません」
『そうか。まぁ、そうだよな』
俺は意図的にテレビを見ないようにしてきたし、スマホの電源も、必要最低限の時しか入れず、限界まで外の情報をシャットアウトしてきたのだ。
だって、どうなっているのかなんて、わかりきっていることだから。
『今、山橋レナを取り囲む状況は、きっとお前の想像通りだ。
ファンへの裏切りに次ぐ裏切り。一部の根強いファンで擁護している人もまだいるが、厳しい状況であることは変わりない』
「そうですか……そう、ですよね」
麗奈をさらに追い詰めるだけだって、わかってるから。
「それで、今日はみなさん揃って説得ですか?」
『石田』
「もう、聞き飽きました。そんなのは」
ついさっき、心に穴が開くくらいに、思いっきり。
「もう嫌です……聞きたくない。俺は、麗奈と一緒にいれさえすれば、それでいいんです」
だから、突き放した。
俺を心配してくれる人を、無礼極まりない態度で、跳ね除けたのだ。
怒られるって、思った。でも、それで良かった。もう、誰にも関わりたくない。ゆるやかな停滞の中、沈んでいきたい。
本気でそう、思っていた。
『石田、俺は……いや、俺たち、考えたんだよ』
「……え?」
でも、スピーカーから聞こえる声は、とても優しくて。
『俺たちは、お前たちが一緒になれば、いいと思ったんだ』
耳を、疑った。
「……なに、言ってるんですか?だって、それじゃあ事務所が……」
『お前がそれを言うのかって言うのはともかく、いいんだよ。それで』
「どう…して?」
『代わって』
すると、電話の奥でまたガサガサと言う音がした。
『久しぶり、伸ちゃん』
「美月さん……」
『私たち考えた。確かに、私たちが仕事して、稼いでいられるのは現状麗奈の力が大きかった。いいえ、ほとんどそれに頼っていたと言っても過言じゃなかったと思う』
「そんな……」
『でもね、思い出したんだ。麗奈だって一人の女の子で、普通の人間なんだって。そして何より……私たちの、大切な娘だって』
『俺はまだお兄ちゃんって言われるくらいの歳だけどな!』
『黙れ蓮見』
ごすん、と、鈍い音が聞こえた。
『ごめん、ちょっと邪魔が入って。でもね、みんな気持ちは同じ。あんなこと言ってた社長だって、麗奈のことが可愛くて仕方ないのよ?
でも、あの人は麗奈と一緒にいた時間があまりに長いから、色々思うところがあるのよ。
あんな風に世間に叩かれてしまうようにしてはいけないって、本当に親のような気持ちで麗奈のこと心配してるの。もちろん、会社のことだってあるけど、きっと本当に一番なのは、麗奈のこと』
「……社長さんも……麗奈が心配」
『そうよ。でもね、私たちは……私たちくらいはさ、あなたたちのこと、認めてあげたいって。娘が初恋の相手と、初めての相手と、一緒にいられる時間を守ってあげたいって、思ったのよ』
その時、俺の目から自然と涙が溢れ出した。
みんなが俺たちを否定した。誰も認めてくれなかった。
それでも、この人たちが、本当は一番認めちゃいけないはずの先輩たちが、認めてくれるって、応援してくれるって、言ってくれた。
そのことが、たまらなく嬉しくて、感動して、どうしようもなくなって。
「初めては……貰っていませんよ?」
『伸ちゃん、相変わらず空気読めないわね』
「それはお互い様です……」
茶化してしまった。でも、これでいい。
この人たちは、それを許してくれる。
『困ったことがあったら、なんでも言うといいわ。もし、今井さんの家に居辛くなった時は私の家にでも、次ははすみんの家でも、そーちゃんの家は……オススメはできないわね』
『おい美月それはどう言う意味だ?』
『いつでも頼っていいのよ?寄りかかっていいのよ?』
「そんなにして貰って、いいんですか?」
『伸ちゃん……』
「俺、とんでもない裏切りをしたんですよ?みなさんの生活や、仕事のこと全部ぶち壊しにして、信用も、実績も、何もかも失わせてしまった。それなのに……」
『いいのよ。それが、ほら、ね、はすみん交代!』
『え?俺?あ、えっと……』
再びのガサゴソ音。
『それが、仲間ってもんだろう?』
『うっわはすみんくっさ』
『太郎、それはちょっと流石に……』
『この扱いは流石に納得いかねぇ!!』
「は、はは……はははっ……!」
なんだこれ、本当に、この人たちおかしいよ。
どうして、こんな俺を助けてくれるんだ?心配してくれるんだ?
そんなこと言われたら、頼りたくなっちゃうじゃないか。寄り掛りたく……なっちゃうじゃないか。
「先輩、ご相談があるんです」
『……なんだ、話してみろよ?』
少し照れたような蓮見先輩の声が、なんだかおかしい。
「俺、雅也っていう友達がいるんです」
『ああ、学祭の時の青年か』
「はい。そいつと、麗奈のことで喧嘩しちゃって……」
『別れろ、とか言われたのか?』
「はい……でも、きっとあいつ、俺のこと心配してくれていて。それなのに、俺、あいつにちゃんと向き合えなかったんです。
ふてくされて、拒絶してしまったんです」
『そっか……』
「でも、あいつの言った通りだった。俺には覚悟が足りなかった。
それを言われて、どうしようもなくなって、あんな態度を取ってしまったんです」
俺がもっと本気だったら、殴り返せていた。
もしかしたらあいつは、そうして欲しかったのかもしれない。
『仲直り、したいのか?』
「仲直りっていうか……謝りたいんです」
『だったら、やるべきことは一つなんじゃないのか?』
「一つ……?」
『本人にちゃんともう一度会って、そこで、お前が本当に言いたいこと、考えていることを、ちゃんと伝えればいい』
「っ……」
『友達なんだろ?仲間……なんだろ?だったら、きっと大丈夫だ』
『フー、はすみんかっこいい!』
『茶化さないでくださいよ恥ずかしくて死にたくなるじゃないっすか……』
先輩たちは、やっぱりどうしてもシリアスが苦手らしい。
でも、おかげで……そのおかげでようやく覚悟が決まった。
「ありがとうございます。俺、どうするべきなのか、やっと気づくことができました」
『そうか。なら、頑張れよ?』
大学に、行く。
今度こそ真剣に、向き合わなきゃいけない。
そして、雅也が本当にしたかったことを、俺との喧嘩を、しなきゃいけない。
『そうして、何もかも終わって、お前にまだその気があったらさ、戻ってこいよ』
「……え?」
『みんな、お前のことを待ってる。必要と、しているんだぜ?』
「っ……ぅぁっ……」
『それだけは同意!』
『俺と太郎と美月と樋口、そしてお前の5人揃って風間プロ事務チームだろ?』
「はい……はい……っ!!」
やがて、受話器から音は途絶えた。
こんな仲間が、いてくれた。
優しくて、力強い。だからもう、自分の心を、揺らがさせない。
この時、俺は真の意味で、“覚悟”って奴を決めたのだ。
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「…………そうだよ、伸一。君にはたくさん、君を求めてくれる人が……いるんだよ?」