第70話 友達
「雅也……それにみんなも!」
「麗奈ちゃーん!おっ久しぶりー!元気だった?」
「う、うん……久しぶり雅也君」
「お前本当にブレないな……」
雅也は麗奈のもとに行き、いつも通りの軽薄さで話しかけている。
べ、別にジェラシーなんか感じていないんだから、かんちがいしないでよねっ!
「石田、これ差し入れだ」
「あ、ありがとうございます」
ひ、ひよこ……だと……?ここ一応都内だぞ。
「石田先輩、私までお邪魔しちゃってすみません」
「あ、えっと……うん、まぁココ俺の家じゃないし!」
や、やばいこの子名前なんだっけ……この前の学祭でピアノ弾いてたことは覚えているんだけどなぁ。なんとかごまかすしかない。
他の部員は来なかったのか。大勢で押しかけてきても今井が迷惑するだろうと言う配慮からだろうか。
それにしても……
「それで……なんのご用ですか?」
今、俺と麗奈が一緒にいることは、あまり人に知られていいことじゃない。
それなのにここに彼らがいるということは何かまずいことでも起こったのかもしれない。
「実はな、伸一……」
「な、なんだ?」
雅也はさっきまでの軽さを失い、真面目な顔をして俺に向き合う。
やはり何かまずい事態でも……
「お前、英語落としたって」
「な、なんだってぇぇぇえええええ!?ってなるか!!そんだけかよ!」
まさかの、超肩すかし。英語の単位?今更そんなのどうでもいいわ。
「いや、かなり緊急事態だと思うけど」
「そんなどうでもいいこと言うためにわざわざこんな時期に来たのか?」
「お前の中で大学の立ち位置低すぎない?これだから日本の大学生は馬鹿にされるんだよ……」
雅也のくせに近年の勉強しない大学生を揶揄するようなコメントを……でも去年お前も英語落として今年再履修してたじゃねぇか。
「それに歌唱研究部も全然こないじゃないか?」
「部長……それはすみません」
「まぁ元々来てたわけじゃないけどな」
「……やっぱ、すみません」
あんだけお世話になったのに、あれから色々ありすぎて、結局一度も顔が出せなかった。
罪悪感がじわりと心に広がる。
「でも、今井、お前よく通したな?」
「ん?そもそもあたしが呼んだのよ?」
「は?」
なんでそんなことを?
今井は肩をすくめながら雅也を見る。
「雅也君LI◯Eしつこいから、そんなに暇なら歌唱研究部のみんな連れて麗奈と、ついでに石田の見舞いでも来なさいって」
「ついでかい。でも、なんのためにそんな……」
「元気でたでしょ?」
「ははっ……」
思わず乾いた笑みがこぼれてしまった。
そうだな。そうなんだよな。
仲間が、風間プロ以外にも、ちゃんといたんだ。そんなこと、すっかり忘れていた。
今見えている世界が全てだと思って視野を縮めてしまう俺なんかより、今井の方がよっぽど大人だな。
すると、雅也が自分のリュックからスーパーのビニール袋を取り出した。
中にはジュースとお菓子が沢山入っている。こいつ、もしかして…
「じゃ、お菓子持って来たから、場所変えて一緒に食べようぜ!久しぶりに麗奈ちゃんと、そして何よりマイスウィートエンジェルののたんのお家訪問なんていう二度とない機会なんだ!今日は楽しむぜええ!!」
「あ、おい雅也走るな!下手に動くと迷うぞ!」
ソースは俺。
しかし雅也はそのままどこかへ走って行ってしまった。
「あー、麗奈、みんなと俺たちの部屋に行っててくれ。雅也連れてすぐ行くから」
「俺たちの……」
「部屋……?」
「伸一ぃ……」
「ほんと、デリカシーのない男って最低ね」
見れば麗奈の顔は真っ赤に染まり、部長とピアノの子(これで許してくれ)は冷や汗を流し汚いものを見るかのように俺を見つめ、今井に至っては呆れ顔でため息をついていた。いやお前は事情知ってるんだからフォローしろよ。
「いや、そういうんじゃないから!な!とにかく先部屋行っててくれ!後で必ず追いつくから!」
「石田お前死ぬのか!?」
部長の驚きの声を背に、俺は逃げ出すようにみんなの前から走り去った。
ああ、本当に迂闊な発言には気をつけないとな。
しかし雅也のやつ、廊下に出てみても姿が見えない。
どこまで行ったんだろう。まったく手のかかるやつだ……
「よう」
「うわっ!!?」
とか思いつつ角を曲がると雅也が待ち構えていた。忍者かお前は。
「なぁ、伸一」
「……ん?」
雅也はさっきとおんなじで、やっぱり似合わない真面目な顔。またふざける気に決まっている。
一瞬目線を下に向け、何か言いたげに口を開き掛ける。
ああ、この顔を、俺は知っている。
「どうしたんだよ変な顔して。英語の他にドイツ語も落としてたってか?そりゃ笑えねぇや」
「伸一」
だから、先手を打った。
「麗奈ちゃんと別れろ」
意味は、なかったけれど。
「なんだよ、それ」
「ののちゃんに聞いたんじゃないし、別に付き合っていないならそれでいい。
いや、よくないか。それもそれで大問題だ」
「なんで……」
なんで、お前がそんなこと言うんだよ。
「テレビで麗奈ちゃんの熱愛報道がガンガン流れるようになった。驚いたよ。その証拠写真に写っているアパートがお前の家とおんなじなんだもんな。
でも、そんなの嘘に決まってる。あのヘタレの石田君だぞ?それがスーパーアイドル山橋レナと付き合っている?部屋に連れ込んだ?なんの冗談だよおい、と、思ったんだ」
「ほ、ほとんど悪口じゃねぇか……」
こいつはいつもそうだ。人のことをからかうようなことばかり言って……
「でも、まぁ万が一本当なら……よくやったって、言ってやるつもりだったよ」
「……は?」
でも、今日は違う。
それが、たまらなく癪に触った。
だって、思い出すから。あの高三の夏、部活を追い出される俺に話しかけて来た時のお前と、重なるんだよ。
「何知ったような口聞いてんだよ、お前」
「…………」
「お前に、俺たちの何がわかるんだよ!!」
だから、キレた。俺のことをわかったようになっているこいつに、逆にわからせてやろうと思った。
「今日のお前たちを一目見て、すぐにわかったよ」
「っ!!?」
けれど、雅也は引かない。
俺を真っ直ぐに、射抜くように見つめてくる。
「麗奈ちゃん、お前のことばっかずっと見てた。熱っぽい目で、じっと。
俺たちが来たって言うのに、ほとんどお前のことしか見ていなかった」
口から溢れる、顔が熱くなるような恥ずかしいセリフ。
「でもそれは、恋する乙女、なんて可愛らしいもんじゃない。まるで飼い主を他の犬に取られてしまうのを恐れる、子犬みたいな目だったよ」
「っ……」
でも、次の言葉で急速に冷めて行く。
「お前は恋愛のつもりなのかもしれないけど、彼女にとってそれは……」
「ダメ、なのか……?」
「……え?」
氷点下まで至った俺は、ついに、言ってはいけない言葉を口にしようとしていた。
「そういう恋だって、あっていいだろ?
そりゃ、ちょっと歪かもしれない。でも、確かに想い合っているんだ。互いを必要としているんだ。
それの……それの、何がいけないんだ?」
「…………このままじゃ、二人ともきっとダメになるぞ」
「わからないだろ、そんなの……」
そうだよ、そんなの、やってみなきゃわからない。
これを偽物とお前は言うけど、いつか本物になるかもしれない。俺は偽物だなんて疑っていないけど。
だから、だから……
「俺は麗奈のことを……っ!!」
「いい加減にしろっ!!!!」
鈍い音が、廊下にこだまする。
地面に転がる俺。切れた頬が、とても熱い。
「お前が麗奈ちゃんの将来を奪っていいとでも思ってるのか?
お前みたいな中途半端なやつが、山橋レナを殺していいと、本気で思っているのか!!?」
俺を見下ろし、怒鳴りつける。
その時俺は何を思っていたかって?
麗奈に、これを見せたくないって、そう、思っていたんだ。
「……殴り、返せよ」
俺は壁に寄りかかり、雅也の泣きそうな顔を見た。
こんなに熱いキャラじゃなかっただろお前。なに、柄にもないことしてるんだよ。似合わないんだよ、そんなの。
「なにも言わないのか?
なぁ、伸一!俺はな、俺はなぁ……っ!!」
そして、本当に涙をこぼしながら、雅也は呟くように
「俺は、お前がいなきゃ……さみしいよ」
「……え?」
「こんな風に大学も来なくなって、麗奈ちゃんのことだけ見続けて、それでその先、どうすんだよ?なぁっ……?」
何だよ、これ。
痛い。殴られるのなんかより、ずっとずっと痛い。
「高校の時お前に言えなかったから、今回だけは言いたかったんだ」
「雅也、俺は……っ!」
「じゃあな……」
そう言って、雅也は俺に背を向けた。
「ごめんな、伸一」
最後に、そう、呟いて。
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「これで、満足か?」
「ごめん……嫌な役やらせちゃった」
「ののちゃんは、ずっと気づいていたの?」
「ううん、わかんない。あたしはバカだし、二人とも溜め込む方だから、何考えてるのかなんて、わかんないよ」
「優しいね、ののちゃんは」
「は?こんなことする女が優しいわけないじゃない」
「好きなんだね、2人のこと」
「違うわよ」
「嘘つけ」
「3人とも……好きなの」
「…………そっか。めんどくさいな」
「ほんと、めんどくさいのよ」