第68話 知ってた
「………………」
「………………」
重苦しい沈黙が、車内を包む。
あれから会社を出ると、本当にたくさんのカメラを持った大人が大量に待ち構えており、それらをかき分けて車に乗り込むのは大変だった。
そうして美香とともに入った、ののが回してくれたと言う車の中には、少し年配の優しそうな男性運転手が待っており、すぐにマスコミをかき分けて発進した。
「大丈夫ですよ、麗奈さん。かなり迂回して、場所が特定できないようにしてくれるそうですから」
「そ、そうなんだ……」
「先輩も、きっと今頃車に乗って別ルートで今井家に向かっているはずです。だから、そっちも心配いりません」
「そっ……か」
そして、また沈黙。
そんなことが心配だったんじゃない。いや、それは少し違う。確かに伸一があれからどうなったかも少しは心配だった。
でも、それ以上に……
「ごめん……」
「ごめん、ですか……」
美香は苦笑して、ため息をついた。
「麗奈さんに迷惑をかけさせられるのは慣れてますから……と言っても、最近は私の方が迷惑かけっぱなしでしたね?」
「そんなことない……じゃなくて、そうじゃないの!」
「週刊誌に写真が撮られたこと、私が麗奈さんの代わりに大いに働かなくてはならないこと、そして今、こうして麗奈さんを迎えに来たこと、麗奈さん、私に謝る要素、たくさんですよ……?」
「っ……」
「だから、やめてください」
「でも、ね……」
「もう、何も言わなくていいんです」
「あたし、知ってたんだ……っ」
「っ…言わなくていいって……言っているのに……」
その瞬間、美香が浮かべた苦笑いは消え、悲しそうな、泣きそうな顔にしてしまった。
その瞬間確信した。このことが誰の、どんなことを指しているのか、美香はとっくに気づいている。
でも、今じゃなきゃ、きっと言えない。
美香に、伝えることができない。
「美香が、伸一のこと好きってこと、知ってたの」
ぐ、と、涙を堪えるようにして、美香は上を見た。
知っていたんだ。
ずっと、伸一に会う前から、この子が話したこともほとんどないような“先輩”に憧れていたことを、恋をしていたことを、ずっとずっと知っていた。
「そんなこと……言ったことないじゃないですか」
「言わなくても、見ればわかったよ」
「っ……いつも鈍くて人の感情に疎い麗奈さんがどうしてそんなに自信を持てるんですか…?」
「だって、あたしも恋をするって気持ち、知っちゃったから。そういうとき、相手のことをどう話したくなるか、どう感じるのか、どう接したくなるのか……全部、わかっちゃったの」
「……そっか……そう、だよね。それじゃあ、仕方ないのかぁ…っ!」
美香は、上に上げていた顔をゆっくりとあたしに向ける。
平行になってしまった瞳からは、もうどうしようもなくなった涙がこぼれていく。
静かな、そして、どこか現実離れしたようなその泣き顔。
「そうです……私ずっと……麗奈さんよりも長い間ずっと、先輩のこと好きでした」
胸が、張り裂けそうだった。
今まで自分の支えでいてくれた美香の想いを捻じ曲げて、その結果、こんな風に泣かせて。
自分が、伸一と一緒にいる自分が、ひどく汚いことをしているような気持ちになる。
「でもね、こうなること、私わかっていたんです」
「……え?」
「だって、先輩が私なんかに目をくれるはずがない。あの日から、あのライブの日からずっと、先輩の目は麗奈さんを見続けていたんですから」
「そんな……」
「そんなこと、なくないですよ。そうやって必死で麗奈さんのために頑張る先輩のことも、それによって心を動かされて、変わっていく麗奈さんのことも、ずっと見て来たんですから」
「〜〜〜っ!!」
その時、ついにあたしの目からも涙が溢れてしまった。
「でも、諦め悪いんだぁ……私。先輩のこと、諦められないで、でもそれもバレていて、結果麗奈さんのこと、ずっと苦しめていたんですね……」
「そんなこと……そんなこと、ないよぉ…っ!!」
泣かないようにって、あたしにはそんな資格ないって、だから絶対にこんなのいけないのに。
いけないのに、なぁ……っ。
「ごめん……ごめん美香……あたし、あたし伸一を取るみたいに……っ!!」
それでも、もう止められない。
美香がどんなにあたしのことを思っていたかが、伸一を好きだったかが、わかってしまったから。
「だから麗奈さん、言ってくださいよ」
「なに、を?」
「先輩のことが好きだって。そうすれば私、きっと忘れられる」
「美香…美香ぁ……っ!」
すると美香は、あたしを優しく抱きしめた。
ああ、こんなにひどいことをしたあたしを、許してくれるって言うんだね。
それだけじゃない。伸一のことが好きだって言って、美香を傷つけろって言うんだね。
そんなの、あんまりだよ。辛すぎるよ、本気、すぎるよ。
「ぅっ……ああっ……ぅぁぁぁぁっ…………」
「言ってよ…もう、麗奈さん本当、泣き虫なんだから……」
「ごめん……ごめんなさいっ……」
「これじゃあ、放っておけないよね」
あたしの背中をさすってくれる美香。
結局、あたしは言えなかった。
伸一が好きだって、二人とも想いあっているんだって、美香に叩きつけることが、できなかったのだ。
「でも、言われなくてよかったって思ってる私も……救えないなぁ」
小声で何か呟いた気がしたが、何を言ったのか、あたしに聞き取ることはできなかった。
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時刻は遡って20分と少し前。
「すみません、通してください!」
「山橋レナさんとの熱愛報道は事実なんですか!?」
こう押して群がる無数のマスコミをみると、本当に殴り倒したくなる。
彼らにとって子が仕事なのだから仕方ないのかもしれないが、そんなに情熱があると言うならもっとまともな政治報道をしろとどうしても思ってしまう。
「乗ってください」
すると、確かに樋口が言っていたように、事務所のそばには一台の黒い車が置かれており運転席から出て来た若いメイドさん(?)が俺を手招いていた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「あ、ちょっとお兄さん!」
車に乗り込むと強引に発進し、マスコミは虫のように散っていった。
「災難ね」
「本当にな……」
そうして入った車内には、今井のの本人がいた。
「でも自業自得よ。なにせ、あのトップアイドル山橋レナと寝た男ですもの」
「ぶっ!!」
「あら、違うの?」
「ち、違うわ!!そんなことできるか!」
「この意気地なし、くそ童貞」
「う、うるせぇ…」
まぁ否定はできないんだけどさ、もっと言い方とかあるじゃん。お前仮にも現役女子高生アイドルなんだから。
「で、手は出していないとしても、付き合っているんでしょう?」
「そ、それは……」
「麗奈のこと、好き?」
「ああ、好きだ」
「はぁ、こりゃだめだ。気持ち悪くなってきたわ」
「お前が聞いたんだろうが!」
ほんと失礼な女だ。年下のくせに。
「じゃあ、報道は結局本当なんじゃない?」
「まぁ、そうなるな」
「告白したのは、麗奈から?」
「そんなわけないだろ?俺からだよ」
「え…?」
「何その意外そうな顔。俺だって、やるときはやるさ」
「あの葬式の日……」
「え?」
「いえ、なんでもないわ」
今井はため息をつき、窓から外を見た。
「あんたのせいで学校サボっちゃったじゃない。出席数やばいのよ?どうしてくれるのよ」
「いやお前が勝手に……ありがとうございました」
「うん、よろしい」
でも、もっと怒ると思っていたんだ。
麗奈と俺が恋人になって、それが世間にバレて、そのせいで今井が大好きな麗奈が今叩かれているんだから。
でも、彼女はひどく冷静で、優しかった。
「でも、意外だった」
「何が?」
「ごめん石田、きっとあたし、今から余計なこと言うね?」
「なんだよ、余計なことばっかなのはいつも……」
だから、油断してしまったのかもしれない。
「あんたは……美香のことが好きだと思ってた……」
「…………え?」
だから、すぐに返せなかった。
俺が好きなのは麗奈だけだって。樋口のことは、別に好きじゃないって、すぐ、否定できなかった。
間抜けな反応を返してしまった。隙を、見せてしまった。
それは今井にじゃない。そう、俺自身にだ。
「花火まで一緒に行ったんでしょ?ま、そこからはこじれたのは美香のせいだけど……でも、あんたから誘ったって、あんな風に嬉しそうにはしゃぐ美香、初めて見た」
「何を……」
「ねぇ、あんたは本当にこれで……」
「どうして、そんなこと言うんだよ」
「…………」
「俺は、麗奈のことが好きだ」
嘘じゃない。だって、何度も思い返したから。
樋口の顔を脳裏に浮かべて、目の前にいる麗奈を見つめて、そしてちゃんと答えを出した。麗奈の方が大事だって、好きだって、決めたんだ。
「香奈ちゃんを失って、傷ついた麗奈のそばにいてやりたいとかじゃない。同情なんかじゃない」
だから、未練なんかない。後悔なんか、あるはずない。
そうだろ、なぁ?
「そう……そっか、うん、ごめんね?でも、安心した」
「…っ」
今井は、本当に安心したように微笑んだ。
その笑顔が、ひどく、胸に刺さる。
「そろそろ着くわ。ほとぼりが冷めるまであたしの家にいていいから」
「そんな迷惑……」
「あたしの家には余るほど部屋があるのよ?そんなの気にしないって」
「…………ごめん、本当に、ありがとうな?」
今井にはいつも、いや、最初に会った時から助けられてばかりだな。
突き放すような態度ばっか取るくせに、本当は優しくて、面倒見が良くて。
「それに、すぐ下で二人っきり、なんて、あまりにもかわいそうだもの」
だから、彼女が呟いた言葉は俺には聞こえなかった。聞こえないように、でも、何かを伝えたいという思いだけを、正確に、俺に届かせて来た。
迂回しつつも、ようやく今井家が見えて来た。
これからどうなるのか、先のことが何もかも見えない。でも、俺はきっとまたなにか決断しなくてはならないんだという予感だけが、強く、あった。