第67話 責任
俺と麗奈は、オフィスのソファに座り、正面には社長さん、美月さんが座る。
その側では博多先輩と蓮見先輩が心配そうにその様子を見つめていた。
「こんな写真撮られやがって……お前ら、気をつけていたんじゃないのか?」
ばさ、と、机の上に投げ捨てられた雑誌では、俺と麗奈がアパートの鍵を一緒に開けているところ、そして、中に入るところがしっかりと写真に収められていた。
……あの、麗奈がウィッグを外した一瞬を狙われており、金髪が隠せていない。これを本人ではないと否定するのは、少し無理があるだろう。
「それに石田、お前、麗奈と一緒の家に住んでる何て俺は聞いていなかったぞ?」
「っ……」
「社長さん、それは……」
「蓮見は黙ってろ」
俺を庇おうとしてくれた蓮見先輩を視線で黙らせる。
「その様子だと、俺以外は知っていたのか?」
すると、博多先輩が前に出て口を開いた。
「石田は、今まで山橋のメンタルをケアしていた。あの状態で一人にしておくのは、精神的にも不安があるという判断でしょう」
「それなら、美香の家にでも入れればよかったじゃねぇか。どうして石田じゃなきゃいけなかったんだ?男と女が一つ屋根の下。間違いが起こらないはずが……」
「っ…」
「っ…」
「…………起こらなかったとしてもだ、その可能性は大いにあったわけだろ?
石田、お前が勝手なことをした挙句、こうして写真は撮られ、ネットじゃお祭り騒ぎだ。
なぁ、どう落とし前つけてくれんだよ、おい?」
「申し訳……」
「申し訳ねぇで済むとでも思ってんのか!!?ああ!!?」
俺が謝ろうとしたその瞬間、思いっきりテーブルに拳を叩きつけ、怒鳴る社長さん。
今まで何度か社長さんが怒る時の顔を見たことがあるが、今回のそれは、今までのどの顔よりも真剣で、それゆえに恐ろしかった。
「いいか?お前はアルバイトかもしれないけどな、俺たちは人生をかけて働いてるんだ。
麗奈を拾った時の借金もまだ返してもらってない。そして、それ以外でも風間プロダクションは尋常じゃない額を“山橋レナ”のために使ってきたんだぞ。
それを……そうして積み上げてきた信用、実績、それらを全て裏切ってこうなったんだぞ!?
それを取り戻すのにどれほどかかるか、お前にわかるか?
その責任を、お前が取れるのか?ただの無力な学生でしかないお前に、一体麗奈の何が守れるって言うんだ!?」
「っ……」
まさにその通りだった。
麗奈が好きで、麗奈を守る。そう言った時の俺の心は本物だし、後悔なんて全然していない。
でも、そのあとのことを考えたか?
こうして迷惑をかけ、さらに麗奈を追い詰めることもあるって、わかっていたか?
昨日のデートも、今考えれば完全に俺のエゴじゃないか。麗奈のためと言いながらこのざまとは、どんな言い訳もできやしない。
「やめてよ……」
「麗奈…?」
「やめてよっ!!」
麗奈は勢いよく立ち上がり、社長さんを睨みつける。
その顔は……いつもの、自信がなく、でも敵を威圧するためにとってつけたような怒り顔だった。
「なんで……?なんで、あたしが伸一と一緒にいちゃいけないの?
あたしたち、何にも悪いことしてない!何にも……してないのに。
伸一はあたしのこと励まそうとして、またステージに上がれるように励ましてくれようとして昨日外に連れ出してくれたのに、どうしてそんな風に責められなきゃいけないの!?」
「それは、お前がアイドルであることを求められているからだ」
「求められる……?」
「みんなに笑顔を振りまき、笑う、八方美人の偶像……そこに、特定の男を贔屓するなんて要素があってはいけないんだよ」
「なっ……」
「勝手だと思うか?でもな、お前が望んで始めたことなんだぞ?」
「〜〜〜っ!!」
もちろん、社長さんに麗奈のそんな見え見えの強がりが見破れないはずもなく、あっさりと跳ね除けられてしまう。
「なぁ石田、てめぇ、どう落とし前つけるつもりだ?」
「っ……」
そして、話は俺が考えてきた通りの展開に進んで行く。
「俺、は……」
こんな学生で、力のない俺にできる責任の取り方なんて……一つしかないだろ?
「辞め……」
「伸ちゃん、黙りなさい」
「え?」
でも、そんな責任の取り方を、許してはくれない人がいた。
「そんな風に、投げやりになっちゃダメよ?今まで仕事で何度も言ってきたでしょう?」
「美月さん……」
「今日は、麗奈と伸ちゃんは帰って。ね?」
「おい、まだ話は……」
「社長、静かに」
「ぬ…」
「でも美月さん、俺は……」
「何も言わなくていいわ。あとは、大人たちで話すから。
あなたにできることは、今は何もないわ」
「っ……」
やっぱり、俺はまだまだ子供だ。
たった一人の女の子を、好きになった女の子一人ですら守れない、無力な人間なんだと、その言葉で痛感させられた。
「伸一……?」
「とりあえず、家に帰ろう。今日は、自分の家に……帰れるか?」
「っ……」
やめろよ。そんな悲しそうな顔、するなよ。
でも、このまま家に一緒に帰ったら火に油をそそぐ結果になる。ここは、わかってもらうしかないだろう。
「……失礼します」
「ええ、また連絡するわ」
そして、俺たちはオフィスを出た。最近、まともに働いていない気がする。
「……あ」
「麗奈さん……先輩も」
ちょうど目の前に来た、この少女のことも、放っておいて。
「美香……」
「麗奈?どうしたんだ?」
「あ、いや……」
「麗奈さん、外に車を用意しているのですぐに乗ってください」
「え?どう言うこと?」
「事務所の前、すごい数のマスコミが待ち構えています。多分、今頃先輩の家もそうだと思います……ののが車を出してくれたので、それに乗って今井家に行きましょう」
「え、あ、ちょ、美香!?」
樋口は話の内容をよく呑み込めていない麗奈の腕を握り、階段を下って行く。
「先輩は、あと少ししたら来る2台目に乗ってください!一緒に行くとさらに怪しまれますから」
「あ、ああ……」
樋口はそう言うと一階に降り、やがて視界から消えてしまった。
おそらく、雑誌を見てこうなることを予見したのだろう。今井に頼み、車を出してもらい……本当、俺には出来すぎた後輩だよ。
感謝しながら、俺は事務所の曇りガラスで作られた扉の奥を少し見る。
今頃、どんな会話が繰り広げられているだろうか。
俺のせいで、俺のせいで、と、自分を責めたくなる気持ちを懸命に抑えて俺は前を向く。
俺がうじうじしていたら、麗奈が俺を頼れない。
そう、思ったから。
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「なんのつもりだ?」
青年と少女が去った後の事務所。
換気扇の音が響く室内で、四人の大人が顔を合わせている。
「単刀直入に言います」
「ああ」
「あの写真撮ったの、社長さんでしょう?」
「……どうしてだ?」
それも当然。
その会話の内容はとてもあんな子供に聞かせられるような内容ではなく、大人の汚い事情に満ち満ちていたから。
彼らが聞いたら、きっと……社長を責めてしまうだろうから。
「社長がヤクザの人と繋がりがあるのは知っていた。その人たちを使って今までいろんなことを裏で交錯して来たことも知っている。
だから、麗奈はこんな無名事務所から知名度を一気に上げることができた。
伸ちゃんと仲良くなっても、近寄るカメラマンを追い払い続けて来たから、スキャンダル報道なんて一切流れることはなかった。
だから……こんなに簡単に写真が撮れちゃうなんて、おかしいと思ったのよ」
「え、ヤクザ……?」
「このなりで堅気だと思っていたのか?」
「え、知らなかったの俺だけ…?」
「麗奈も美香も、石田は薄々勘付いていたようだったが、正確には知らない」
社長はタバコを開け、吸い始める。
「そうだ、俺が、あの写真を仲間に撮らせて雑誌社に送った」
「どうしてそんなこと!!?」
社長があっけらかんと言った瞬間、美月は立ち上がり社長に迫る。
美月がやったから総司も太郎も怒鳴ることはなかったが、今、とんでもない裏切りを告白した男を睨んでいないものなどこの室内にはいなかった。
「お前ら、本当はわかっているんだろ?」
それでも、社長は顔色を変えない。
「このままじゃ、麗奈はきっと、永遠に歌えない。
これ以上石田にくっついていたんじゃ、もう、どうしようもなくなる」
「っ……」
顔色を変えたのは、美月の方だった。
「麗奈は、自分のことを無条件で愛してくれる人間に餓えていた。そして石田は、そんな麗奈を放っておけない。麗奈のために、強い自分になろうとする。
そして行き着く先は……共倒れだ」
「そんなこと……わからないじゃない」
「俺がやろうとやるまいと、遅かれ早かれこう言う結末にはなっただろうよ」
「っ……」
そして、沈黙が訪れる。
美月は必死で何か言い返そうとした。
あの、コミュニケーションが苦手な麗奈が、初めて家族以外で信じられる人間ができたことが、嬉しかったのだ。
でも……実際、今麗奈が伸一のことを愛しているのか、それを、“依存じゃない”と言い切れるのか、自信がなかったのだ。
「でも、俺は信じていますよ」
「……え?」
そんな空気の中声をあげたのは、意外な人物だった。
「はすみん…?」
「俺、今日まで短いけど……それでも半年以上、長い間石田と一緒に働いてきたんです。
そりゃあ、今の状態は間違いなくスキャンダルなのかもしれないけど……でも、しっかりと責任を持って、きっといい方向にまとめるって、そのために必死で走り回るって、俺は知っているんです」
「買いかぶりすぎじゃないのか?」
社長は、そんな太郎に冷酷な眼差しを向ける。
「山橋だって、そんなに弱い奴じゃない」
「……総司さん」
「石田もきっと頑張るし、山橋もきっと這い上がってくる。自分の力で、また登ってくる」
総司も太郎の横に立ち、社長をまっすぐに見つめた。
「社長さん、私も、あの二人を信じています」
「美月……」
「だから、伸ちゃんをクビにしたり、しないでください」
そして、美月は頭を下げた、それに習って残る二人も頭を下げる。
「お願いします!!」
「お願いします!!石田、いい奴なんです!」
「お願いします、社長!石田をここに残らせてやってください!!」
「お前ら……」
社長は三人の部下をじっと見つめ、ため息をつく。
「別に、クビにするなんて言ってない。これからどうするのかなんかしらねぇよ」
「それって……」
「ただ、石田を麗奈の彼氏にしておくことは、俺は断固として反対する。いいな?」
「社長!」
誰も悪くない。
そんなこと、社長にもわかっていた。
でも、自分の娘のように育てて来た麗奈に、もう一度ステージに立ってほしい。
それが、もう一人の娘の願いでもあるはずだから。
そのためには、たとえ一時信用を失ったとしても、麗奈から男を奪ってしまったとしても、いいと思った。
「どうにかできるもんなら、やってみせろよ……あの時みたいにさ」
そう、小声で呟いたのを、誰一人聞き取ることはできなかった。