第66話 優しくして
もう、12月に入ってから久しい。
相変わらず外は肌寒く、でも、そんな寒さが今は心地いい。
だって、、隣には女の子がいるのだから。その暖かさが、感じやすいのだから。
「うわっ!ちょっと水かかった……」
「まぁイルカショーはそれも醍醐味だよな」
昼過ぎ。とりあえず江ノ島に来て見たが、自分から言いだしたくせにノープランでしたとは言いづらく、駅から降りてすぐ目に入った水族館に入ってみることにした。
大きくも小さくもない水族館。されど世界三大デートスポットの一つ(残りは遊園地と映画館)。
実際俺も入ってから何すんだよ、と思っていたけど、いざ女の子と来てみると楽しいもんである。
「うわっ!また飛んだ!イルカってなんであんなに賢いのかしら」
「飯のためだろうなぁ」
「ロマンがない」
麗奈は念のためいつものサングラス、つば広帽に加え、今日は黒髪ウィッグも装備している。
俺だけは彼女が麗奈であることを知っている。世間を沸かせるスーパーアイドルだと知っている。ああ、なんと言う優越感。
「でも、イルカはご飯をもらうためにああやってジャンプしたり、泳いだり、人間の言うことを聞いているのよね?」
「そうだと思うよ」
「それって幸せなのかな」
「幸せなんか追い求める余裕のある種族なんて人間くらいなもんだろ」
「うわぁ卑屈。だからモテないんだよ」
「モテたほうがいいのか?」
「う、うっさいこの自意識過剰男!もう、次いこ次!」
ほんと、優越感。
それから俺たちは水族館の内部を巡ることにした。
まずは有名なクラゲコーナー。
「クラゲだ」
「クラゲだなぁ」
「あ、この黒いの可愛い」
「黒いくらげ……きくらげかな?」
「何、またあたしをからかおうとしてるの?さすがにきくらげがキノコだってことくらい知って……」
「…………え?」
「あ、あれ?」
「あれ、クラゲじゃないの?」
「つ、次行こっか?」
「お、おう……」
次にペンギンコーナー。
「可愛い……」
「確かに可愛い……」
「エ○ァで飼ってたけど、実際は飼えるものなのかな?」
「かなり金がかかるらしいぞ?設備費とか餌代とか。ミ○トさん、あれネ○フからかすめてたんじゃないか?」
「うわぁ……」
つ、次はお土産……
「いつも思うんだけどさ」
「うん」
「お土産って、これどこでも作れんじゃん、って言うのがほとんどだと思うんだよね」
「それは言ってはいけない」
「あ、これ可愛い!」
「そうだな、チンアナゴだな」
「…………」
「いや別に今のそんな微妙な空気になるような発言じゃないよなチンアナゴがかわいそうだろ!!」
そんなこんなで俺たちは水族館を出て、巷で有名なパンケーキ屋へ。
「え、何この生クリームまみれのパンケーキ。もはや生クリームの方が体積あるじゃん」
「え、お前女子なのにこのパンケーキ見て、キャーオイシソー!インスタノッケナキャー!ってなんないの!?」
「君は女子をなんだと思っているの…?ってかこれ絶対太るよ……」
「運ばれて来てから言うなよ……」
「ね、ちょっとあげる」
「えっと、それはいいんだけど何してるの麗奈さん?」
「あ、あーん……」
「え、ここで?」
「あ……ああああ……っ…あー……ん……っ!!」
「そんな顔真っ赤にするくらいならやらなくていいよってか俺も恥ずかしいよ!」
「あ、あ…………ああっ!」
「ぶっ!!」
「あ、ごめん……」
「おま…顔にめっちゃクリームが……」
「え、えいっ…」
「ひゃうっ!!!!?」
「こ、これで綺麗になったでしょ?」
「う、うん……」
「…………」
「これ、あっまい……」
こんな、所々残念で、所々恥ずかしくて、所々楽しくて、やっぱり結構恥ずかしい江ノ島デートは順調に進んで言った。
「はぁ、疲れた……」
「ほんと疲れたね……」
遊びつくした俺たちはすっかり暗くなった空を見上げる。
本当はとても1,500字に収め切れるようなデートではないのだが、まぁ時間の都合で省略させていただく。もしかしたらいつかその時の思い出が語られる日が来るかもしれない……
「誰に向けたモノローグよ」
「いや、そもそもお前が俺のモノローグを読み取っていること自体がメタメタしいんだけど……」
「そんなことより綺麗だね」
「そだなぁ!」
そう、暗くなったのは空だけ。
そろそろクリスマスということで、ここら辺一帯はイルミネーションで色とりどりに装飾されているのだ。
去年の俺は、この光を見ながらニヒルに笑い、「こんな電飾で騒げるなんて、民度の低さが現れてるなこのクソカップルどもめ……」とか思っていたが、それは違った。
ああ、これがリア充の見る世界だったのか!こりゃ騒ぐってもんだ。
「ね、あっち行こうよあっち!」
「あ、ちょ待てよ!」
キムタクのようなセリフを吐きつつ、走っていく麗奈を追う。
煌びやかな電飾の中、楽しそうに笑う麗奈は、イルミネーションなんかよりはるかに綺麗で、目を奪われる。
「ちょ、待てって……」
「遅いよ伸一!」
麗奈は、海の見えるベンチに座り、俺が来るのを待つ。
「いいとこ見つけたな」
「うん。ここから海すっごいよく見えるよ?」
湘南の海は、柔らかな夜風とともに潮の香りを運んで来て。
波の音が、自然と心を落ち着かせていく。
「ありがと。今日、外に連れ出してくれて」
「いや、別にそんなこと」
「楽しかった。今までで、きっと一番くらい幸せだったかもしれない」
「…………そうか」
嬉しい。
麗奈が、楽しんでくれてたみたいで、本当に嬉しいんだ。
でも、さ……どうしても被ってしまうんだ。
香奈ちゃんと一緒に行った、あの夢の国のことを。
「あたし、ずっと伸一の家にいたらこんなに楽しいこと知らなかった」
「うん」
「今日まで、少しの間だけど一緒に暮らしていろんなことわかった。
致命的なほどに料理できないこと。
意外と世間知らずだったりすること。
余裕ありそうにあたしのこといじって来るくせに、いざ自分が意表を突かれると顔を真っ赤にしちゃうところ」
「いいところは?ねぇいいところは!?」
「そして……まだ……」
「…………?」
麗奈は一瞬だけ、切なそうな顔をして、笑って俺の顔を見た。
「本当にあたしのこと、想ってくれていること」
「なっ……」
「ほら、また顔赤くしてる?かわいいんだぁ?」
「や、やめろよ年下のくせに……」
「じゃあ、あたしも先輩って呼んであげようか?」
「っ…」
「冗談だって」
麗奈は立ち上がり、俺と向き合う。
「ねぇ、あたし、明日からまた頑張るよ」
「え?」
「明日から、頑張って復帰、目指していくから。実はね、ののから一緒にクリスマスライブやらないかってずっと誘われてたの」
「今井が……?」
「そう。ほんと、あたしより年下のくせに一丁前に心配してくれているつもりなのかしら?」
「今井はレナのこと大好きだからなぁ。それで、やるのか?」
「そうしようかなって、思ってる。大きな舞台でもう一回歌うチャンスだもの。ここでもう一度、ファンの人たちと向き合いたいって、そう思うの」
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。だって……」
麗奈は、俺との距離をさらに縮める。
顔はすぐそば。ほんの少し顔を前に出せば、触れてしまいそうなほどだ。
「伸一が、待っていてくれるんでしょ?」
「……ああ、約束する。だから頑張れ!」
「うん、ありがと」
そこに訪れる、静かな静寂。
音もなく、そっと唇が触れた。
「えへへ……帰ろっか?」
「そ、そうだな……」
こうして、こんな夢のような、最高に幸せなデートが終わる。
電車から降り、夜の人気のまったくない路地を歩いた先で、俺の家にたどり着いた。
上の階の明かりは……消えていた。いないのだろうか。
「いないみたい、だね?」
「あ、ああ、そうだな」
また心を読まれたのかと思ったが、今回はただ麗奈がなんとなく口に出しただけのようだ。
麗奈は変装を取り、ため息をつく。
「はぁっ……やっと到着」
「おい鍵お前持ってるだろ?」
「ああそうだった……どこにしまったっけ…………あ、あった!」
「お前、ウィッグの中に鍵を入れるってどう言う神経だよ……」
無事鍵を開け、中に入り電気をつける。
「冬だけど結構汗かいちゃった……先シャワー浴びてもいい?」
「わかった」
麗奈はシャワーに行った。
………やがて、シャワー音が聞こえて来る。
というか、前にもこういうことあった気がするな。確か、あの時が麗奈っていう“女の子”のことを意識し始めた最初の日だった気がする。
いや、別に裸を見たからとかじゃない。多分、きっと、願わくば。
ってか気が立っていたとはいえよく覗いたな。今の俺だったらそんなの見たら本当に襲っちゃいかねないよ。
ああくっそ!思い出してきた!静まれ、俺のパトス!!
素数でも数えようかな。ってか素数ってなんだっけ?くそ、これだから私立文系は…ッ!!
「何してるの?」
「いや、逆立ちしてれば大丈夫かなと思って」
気がつくと、俺は壁を支えに逆立ちをしていた。どう見ても変態です本当にありがとうございました。
「じゃ、俺も入るか」
こう、なんだか、風呂上りでいい匂いとかしちゃうし。ってかどうして俺とおんなじシャンプーでこんな匂い出るんだよおかしいだろ。
それに、今はなんだか、デートで気持ちが盛りがってしまって……その、いろいろとやばい。
淡いピンクのパジャマ。そのシャツから見える谷間が、とにかくいけないのだ。
俺は足早に彼女の横を通り抜けて、風呂場に直行……
「何してらっしゃるんですか、麗奈さん」
「…………………」
する、はずだったんだけど。
服の裾を掴まれ、それは阻まれてしまった。
「なぁ、俺も汗臭いだろ?」
「そんなこと、ないよ……」
「えっとその……風呂、入らないと」
心臓が早鐘のようにドクンドクンと騒ぐ。
手を伝って、麗奈に届いてしまうんじゃないかと思うほどだ。
「ねぇ、伸一。何も、思わない?何も、感じない?」
「え、あ、いや、その……」
「あたし、最初にこの部屋に入った時から、覚悟してたんだけどなぁ……」
「へあ!?」
え、最初って!?ここに泊り込むようになってからのこと?それともあの秋の日のこと!?
「ねぇ、伸一ぃ?」
麗奈は、色っぽく、熱っぽい声を出しながら、背中からぎゅっと俺を抱きしめる。
あ、これ今朝俺がベッドの中でやったやつ……
「あたし、そんなに魅力ないかなぁ?」
「っっっ!!!!!」
ドサリ、と、ベッドに沈む音が響く。
もう、こんなの健全な男子だったら我慢できるはずがない。できるやつはきっとホモくらいだ。
押し倒した麗奈の胸は普段より明らかに早く上下し、息を切らせ、真っ赤な顔で俺を睨んでいた。
「女の子から言わせるなんて……ほんと最低……」
「ご、ごめん……」
「だから……その……」
「うん……」
麗奈は、俺の頬に手を添えて、やっぱりちょっと強張った顔で言った。
「優しくしてくれなきゃ、許さないんだから……」
その瞬間、理性を失うように俺はキスをして……
「あ」
「な、何よ……」
「ゴムが、ない」
「………………………」
最後の理性で、気づいてしまった。
麗奈は一瞬キョトンとして、みるみる顔を赤くして、目を閉じて拳を震わせ……
うん、これは間違い無く、俺が悪いや。
「もう……もう知らないっ!!!!」
朝に引き続き、パンと軽快な音が、部屋に響いたのであった。
…………結局、俺はそのまま麗奈にベッドを奪われ、冷たいフローリングの上で一晩正座させられる羽目になった。
そして、翌日の朝……
「昨日は本当に申しわけありませんでした」
「君は、もう10年は童貞でいるべきね。こんなに恥をかかせられたのは生まれて初めてなんだから!」
「…………ほんと、ばかなんだから」
「次はちゃんと全部俺がやりますゆえどうかお許しを……」
「つ、次なんかないんだから!!」
「そんなぁ……」
本当に10年後までなのかな?俺、魔法使いさんになっちゃうよ……
「さ、早く行きましょ?とりあえずは事務所!」
「大学は?」
「それはいいの。事務所には今まで迷惑かけたんだから、謝ってからじゃないと」
「そですか」
そろそろ単位ピンチなんだけどなぁ……
でも、麗奈がアイドルに復帰しようって、頑張るって言うんだから……俺が行かないわけには、いかないだろう?
そうして俺と麗奈は、再スタートのため事務所に向かうのであった。
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「おはようございます……」
「おはよう、ございます…………」
「麗奈!?」
「それに石田も!」
「…………え?なに、どうしたんですか?」
朝から出社することがそんなに珍しかったのか、先輩たちは食い気味で俺と麗奈に近寄ってくる。
すると奥から社長さんがやってきた。その手には、一冊の雑誌が握られている。
「これは、どう言うことだ?」
「えっ……!?」
そして、差し出された雑誌には大きな文字で「お騒がせアイドル山橋レナ、一般男性と熱愛か!?」と、書かれていた。
「さて……説明してもらおうか」