第59話 懺悔
「なんですか、あなたは……?」
「麗奈……」
その教会は、海の近くだった。
見つめ合う、顔の似た二人。
まずい。止めなきゃ。そう思ってここに来たはずなのに、足が動いてくれない。
その会話を、こうして、盗み見るようなことしか、できない。
「…あたしのこと、知っている人、ですか?」
「っ……」
麗奈はいつものサングラスと帽子を外している。
潮風に揺れる金髪が夕日を映し、眩しいほどに煌めく。
「あの、すみません。誰だかわからないんですけど、あたし用事があるからもう……」
「………ごめんなさい」
「……どうして、謝るんですか?」
「ごめんなさい……私、最低なことをしたの……あなたを、傷つけたの……っ!」
「や、やめてください……ああ、泣かないで……」
沢良木結海は屈みこんで号泣しだした。
麗奈は、訳がわからないとばかりにオロオロし、彼女の背中をさすりだした。
本来コミュニケーション力が激低の麗奈にしては、相当頑張った方だろう。
「……娘が、いたの」
「……そう、ですか」
少し落ち着いた頃、小さく沢良木結海は言った。
「夫が病気で亡くなって、借金がたくさんできて、生活が苦しくなって」
「………」
「でも、二人の娘がいたから頑張れた。二人のためなら、なんだってできるって…思ったの。
そんな時、妹の方の子が父とおんなじ病気にかかってしまった。
私はその時、震え上がるほど怖くなった。夫を亡くした時のような恐怖を、もう一度味わうのかと思ったら、いてもたってもいられなくなった。
それから世界がとても恐ろしく見えた。訳もなく涙が出るようになって、職場が異常に怖くなって、借金の取り立てが恐ろしくて。次第に積み重なったものを娘にまで向けるようになってしまった。
だから、私は逃げてしまったんです。二人の娘を捨てて、私は一人で、消えたんです」
「そんなの……」
「そんなの、ありえないわよね。本当、ひどすぎるわよね。
そのあと逃げた私は、新しい場所で、新しい出会いをして、そして……新しい子供を、産んでしまった」
「そう……」
「でも、忘れられなかった。残して来た娘の顔が、いつも私を責めているようで、申し訳なくて死にそうだった」
麗奈は無表情のまま、彼女の懺悔に耳を傾ける。
「だから……会いに来たの。少しでも、何か償いができたらって思って、会いに、来たの」
「会い、に」
沢良木結海は。
いや、今はきっと、山橋結海の姿で顔をあげ、麗奈をまっすぐに見た。
「私は、あなたに会いに来たの……麗奈」
日が、ちょうど、沈んだ。
その最後。本当に、最後の一瞬だけ光は強くなり……
「あれ……?」
麗奈の、溢れる涙を、赤く照らした。
「おかしいな……」
「麗奈……っ!」
「私には、関係ない」
「ごめんなさい」
「関係ないです…」
「ごめん…なさいっ!!」
「関係ないって言ってるでしょ!!」
麗奈は弱弱しく差し出された沢良木結海の手をはたき、背を向ける。
「じゃあ、私はもう行くから……」
「麗奈!!」
走り出そうとした麗奈を呼び止める、大きな声。
「大きく……なったね?」
「………っっっ!!!!」
今度こそ麗奈は走りだし、墓地を抜け、俺の隠れていた場所を通り過ぎる。
「…ぁぁ…っ!!」
墓地から聞こえる、小さな声。
「ぁぁぁぁあっ…………うぁぁあああああっ!!」
「〜〜〜っ!!」
気づいたら、俺は走りだしていた。
遠くなりかける、小さな少女の背中を追いかけて。
そして、麗奈が教会を抜け、改札を抜けようとしたその直前で、彼女の腕を掴むことができた。
「離してっ!!」
「麗奈!俺だ!」
「……伸一?」
抵抗をやめ、脱力して行く麗奈。
まだ、彼女は背を向けたままだ。
「どうして、ここにいるの?」
「……お前を、迎えに来た」
「……どうして」
「…………」
どうしてって、そんなの決まってるだろ?
お前が心配だったからに、決まってるだろ?
「どうして……どうしてあんたは、あたしが一番いて欲しい時に、あたしのそばにいるのっ!?」
綺麗な金髪が、揺らめく。
小さかった。
胸に飛び込んで来た時、あまりに軽くて、驚くくらいに。
「助けて……」
そして、すすり泣くように声が漏れた。
「伸一……助けて。怖いの。すごく怖いの…!」
あの時、誓った。
俺は山橋レナの一番のファンで、どんな時も味方でいるって。
だから、彼女の涙に掠れたこの声を聞けば、すべきことは決まっている。
「麗奈」
彼女の肩を掴んで、ゆっくりと離す。
そして。
「逃げるのはもう、お終いにするんだ」
「……え?」
俺は、麗奈を裏切った。
「なんで……」
麗奈はゆっくりと俺から離れていき、肩を抱いた。
その腕は、きっと俺が抱いてやらなきゃいけなかったもの…かもしれない。
「なんでそんなこと言うの?」
でも、もう、決めたから。
たとえ、麗奈がこれで壊れてしまっても。ボロボロになって、立ち上がれなくなったとしても。
向き合わなきゃ、ダメだと。
「このままだと、お前はきっと……後悔するから」
「っ!!」
「本当にこれでいいのかよ」
「何が……」
「覚えているんだろ?」
「いや…嫌だよ……」
「結海さんのこと…母親のこと、覚えているんだろ!?」
「いやあああああっ!!!!」
麗奈は、改札の前でうずくまる。
周りからの背線が痛い。でも、今はそんなこと気にしてはいられない。
彼女が変われるとしたら、動き出せるとしたら、止まった時間が動き出すとしたら、今しかない。そう、確信できるから。
「だってお前…泣いてるじゃないか!謝られて、涙、止まらないんじゃないか!?」
「うるさい…」
「怖いからって…拒絶を怖がるのは、もうやめたはずだろ!?
お前は、お前のために……自分の心のままに生きるって、決めたんじゃないのかよ!?」
「あんたに……あんたにあたしの何がわかるって言うのよ!?」
号哭。同時に平手が飛ぶ。
が、これはもう二度目。その手を掴み、そして……
「…は………ぁぁっ……」
「………………泣いてたんだ。結海さん、お前がいなくなった後…泣いていたんだぞ!?」
俺を睨みながらも、ポロポロと溢れる涙。
真っ白で透き通るような肌が、左だけ朱に染まる。
「なんとも……思わないのか?」
「……っ!」
「そうやって逃げて、香奈ちゃんに縋って、樋口に縋って、風間プロに縋って……逃げて逃げて逃げて!このままでいいのか!?」
「〜〜っ!!」
何も言い返さないのは、俺に叩かれたショックと、そして…どこかで。
「そうじゃ、ないだろ?」
「…………」
「お前は、かっこいいやつなんだぜ?なにせ、あんなに腐っていた俺を、こんな風にお説教するような男に変えてしまうくらいに、すごいやつなんだぜ?」
「違う……違う、あたしは……」
「いつだって、お前は俺の憧れなんだ」
「伸一ぃ……」
「だから、向き合おう?怖いかもしれない。俺は助けてやれない。
これはお前の問題で、お前が背負うべき問題だから。
でも待ってる。どんなに傷ついても、お前の帰ってくる場所に、みんなで待っている」
ずっと、お前と一緒にいる。
応援し続ける。そして何より。
「俺は、麗奈を信じてる」
一方的な感情の押し付け。こんなに長く生きてきて、まるで子供みたい。
でも、俺の感情の全ては、ここからきているから。
どんなに辛いことがあって、くじけたって、泣いたって、凹んだって。
「待っていて、くれるの?」
「ああ」
「応援していて……くれるの?」
「ああ!だって言っただろ?俺は、お前の一番のファンなんだから!!」
「………………バカ。本当に……バカなんだから…っ!!」
きっと、立ち向かう勇気を持った女だって。
「………行ってくるよ、あたし」
「ああ、行って来い!」
涙をぬぐい、麗奈は再び教会に戻って行く。
どんな話をするのか。どんな結末になるのか。それは全くわからない。
でも、きっと、後悔はしない。
前に進めたことを、喜べる時がいつか来る。
それでいい。それだけでも、いいんだ。
少しだけ大きくなった彼女の背中を、俺は見つめ続けていた。