第58話 十字架
「そんなこんなで是非宜しくお願いします!!」
「そんなこんなって、どんなこんなだよ!」
翌日の昼すぎ、秋晴れの空は澄んでおり、心も洗われるよう。
が、そんな中、俺は先輩たちに向かって、全力で土下座していた。
「前言っていた母親探しをしてくれって…馬鹿なの?あんなの冗談に決まってるじゃない」
「第一そんなことして訴えられたらどうするつもりなんだよ。それこそ終わりだぜ?」
「石田、もっと頭を使え」
「あ、あれぇ…?」
俺は麗奈の母親を所在を探すべく、パソコンや世間の闇である芸能界に詳しい専門家に頼んだのだが…どうやら協力は断られてしまったらしい。
「お願いしますみなさん!」
「美香ちゃん…でもこれはちょっと厳しいよ…」
「なんで蓮見先輩俺の時と態度違うの!?」
やはり可愛いは正義だったか。クソォ、俺がもっと可愛ければ…
「だいたい石田、お前最近の勤務態度で、進捗で、そんなことしている余裕があるっていうのか?」
「博多先輩…」
確かに、最近の俺には仕事が山積み。それは先輩たちも同じで。
だから、こんなことは無茶ぶりだってわかっている。でも、でも…
「麗奈さんのためなんです!」
樋口が、隣に座って一緒に土下座しだした。
「ここ最近の先輩は確かに私のこと連れ出して、しかもいきなりステージにあげたくせに、いざ本格デビューして一緒にデビューライブ頑張ろうって感じなのかと思ったら完全放置。これは職務怠慢としか言いようのな」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
ゆ◯さくみたいな声でしちゃったけどなんの言い訳もできない。本当まじかよ石田最低だなって感じ。
「ですが、今回のはどうしても必要なことなんです。先輩にも、麗奈さんにも、私にも、風間プロにも。そして何より…香奈ちゃんのためにも。
だからお願いです、力を貸してください。この通りです!」
それでもこんな俺のために…いやこれ俺のためじゃないな。でも、俺に協力してくれる。
一緒に、頑張ってくれることが、たまらなく嬉しい。
「………本当にそれで、どうにかなるの?」
「美月さん…」
今まで珍しく沈黙していた美月さんは、ついに口を開いた。
「麗奈は、確かにいずれ母親とのけじめをつけなきゃいけないのかもしれない。でも、今は香奈もあんなんで、精神的にかなり参っているはずよ。
それでも、あなたたちは麗奈の前に、母親を連れて行く気?
それで麗奈が壊れてしまう可能性は、0なの?」
「っ…」
美月さんのいうことも一理ある。
俺はそれを恐れていたし、だから反対もしていた。
「でも…」
「ん?」
「それでも、今じゃなきゃ…今じゃなきゃ、ダメだと思うんです。
壊れてしまうかもしれない。立ち直れないかもしれない。でも、今じゃないと、麗奈さんは、前に進めないと思うんです!」
樋口は顔を上げ、先輩たちを見る。
皆、どんな顔で彼女を見ているのだろう。下げたままの頭では、わからない。
「………後悔、しない?」
「しません。絶対に」
「俺も、しません」
これじゃあどっちが先輩かわからないな。
樋口が、言うべきことは全部話してくれた。これでダメなら、もう俺たちだけでなんとかするしかない。
「はぁ…仕方ないわね」
でも、そんな後輩を拾い上げてしまうのが、俺の先輩だって、俺は知っているんだ。
「ったく石田、今までの分だ。相当なもん奢ってもらうから覚悟しろよ?」
「終わったら一緒のホテル一泊な」
そういう甘くて、優しいところが、大好きなんだ。
…2つ目は聞き捨てならないんだけどあえて何も言わないでおく。
「さて、掲示板の海に飛び込みますか。炎上エンジョイ!」
「青地に白い鳥さんがきっと何か拾ってくれるはず!」
「俺は山橋のデータ漁って、手がかり探すよ」
「先輩…っ!!」
風間プロは、再び1つになり始めていた。
楽しい時間をもう一度、だよな、香奈ちゃん。お兄ちゃんが絶対、そうしてみせるからな。
俺は少しこぼれそうになる涙を拭って、パソコンに向き合った。
どうにかして、すぐに沢良木結海を見つけねば。
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「………見つかると思っていた頃が、僕にもありました」
それから数日頑張って、実際に候補地に行ったりしてみたが、どれもハズレばかり。
樋口のステージも近く、ダンス練習、ボイストレーニング、プロモーションなども当然仕事としてやってくるわけだから、相当にハードだった。
「でも今日はおしまいじゃないですか。病院行きましょ」
「…せやな」
が、夕方で今日は勤務終了。俺はここ最近あまりいけていなかた香奈ちゃんの病室へ行くことに。
そして、いつもの病室の前で立ち止まり、少し深呼吸する。この前がこの前だったから、緊張してしまうのだ。
あんな風に泣くところを見られてしまうなんて…情けない。
「こんにちは香奈ちゃん」
「樋口さん容赦な!」
が、そんな俺の葛藤も知らずに、扉は開かれる。
一気に視界に飛び込む茜色。痛む目を開けると、そこには一人の少女が佇んでいる。
窓の外の桜は当然葉を落とし、風は冷たい。それでもいつも通り、窓は開かれたままだった。
「お兄、ちゃん…!それに美香も…」
幻想的な世界で、彼女は俺の名を呼ぶ。
この数日で少し…いや、かなりやつれた香奈ちゃんの顔は、目を見開いていた。
かなり驚いたのか、もしかして嬉しかったのか。後者だといいなと思いつつ、見舞いの品を手渡す。
「モンブラン嫌いなんだよな、私」
「………………」
ちょっと傷ついた。高かったのに。
「それで、今日は何の用?」
「いや、なんとなく香奈ちゃんの顔が見たくなって」
「キャー!ウレシイ!」
「ひどい棒読みだ」
結構傷ついたじゃないか。
「あれ、麗奈さんはいないの?」
そんなコントを繰り広げていると、樋口が俺の気になっていたことを聞いてくれた。
「ああ、お姉ちゃんは今家に帰っているんだ」
「着替えとかか?」
「女の子には色々あるんだよお兄ちゃん」
「はぁ…」
最近ではかなり珍しいんじゃないのか?いや、でも風呂は入っているはずだし、一応毎日帰ってはいるんだろう。
「それに、今日は特別だしね」
「…え?」
「ま、もう知ってると思うけど私たちのお父さん、死んじゃってるじゃん?」
「え、ああ…」
ザワリ、と、背中に嫌なものが駆けずり回る錯覚を覚えた。
「今日は、その命日だから。お姉ちゃんはお墓参り」
「………それって」
「さすがにあの女は来ていないと思うよ。だって、今まで一度だってこなかったんだから」
「…そう、か」
きっと、母親がもしかしてきてくれるんじゃないかと思って、墓の前で姉妹二人、すっと待っていたこともあったのだろう。
今まで一回もない、ということは、今まできっと毎年待っていたのかもしれない。
そうか、なら来ないか。安心安心…
「俺、ちょっと迎えに行ってくる!」
「あ、先輩私も…」
「樋口は香奈ちゃんと一緒にいてくれ!大丈夫だから!
香奈ちゃん、場所教えてくれる?」
俺は紙に書かれた教会に向かって走り出す。
幸いそこまで遠くない。電車に乗って、駅から降りればすぐだ。
電車の中で、妙に落ち着かない俺。
大丈夫だって。麗奈だって、一日中墓場にいるわけじゃない。
その一瞬に、くるかもわからない人間と出くわすなんて、ありえない。
電車は教会の最寄駅にたどり着く。
歩いてなんかいられない。歩く足はどんどん速くなり、目的地はすぐに見えた。
心配するな、大丈夫だから。
そう自分に言い聞かせながら墓地に行く。
夕焼けに照らされる、たくさんの白い十字架。
その中の1つの前に、二人の人間の人影が見えた。
———麗奈と、その母親、沢良木結海の姿だった。