第57話 探せ
「—————!!!!」
「———!!」
「——————」
先輩たちが何か言っていたのは覚えているが、何を言ったかまでは思い出せない。
カフェでの会談が終わり、一応顔を出そうとか風間プロに向かって、お説教を受ける。その流れは理解できるのだが、全然話が頭に入ってこない。
あの沢良木結海との会話で、俺の心はいっぱいいっぱいになってしまったのだ。
あの場で冷たく言い放った言葉、それは残酷なのかもしれない。けど、俺は間違っているとは思えないんだ。
麗奈のためを思うと、そうするしかない。香奈ちゃんだってきっとこうすることを望んでいたはず。
そうだろう?なぁ。
でも、消えない。
そう言った後の、沢良木結海のあの悲しそうな顔が、頭から離れてくれないのだ。
「先輩」
「うわっ!」
そんなこんなで、結局今日はそのまま家に帰ることになった。
結果、帰りがけの樋口とも一緒に帰ることになったわけだ。
「ごめん。考え事していて」
「いえ、それはいいんです。けど…何かあったんですか?
先輩がこんな風に仕事を休むなんて何かあったとしか思えません!」
「信頼してくれてありがと樋口」
こんな風に接してもらえると少し罪悪感が湧いてきてしまう。
「なぁ、今日時間、まだ早いよな」
「…そうですけど、どうしたんですか?」
「ちょっと付き合ってくれないか?」
今回も、俺は少し抱え込みすぎたかもしれない。
だから、少し後輩位甘えたって、いいよな。相談くらいしたって、いいよな。
「…樋口?」
「は……はえ?」
が、なんらかの原因でコンピューターがショートしてしまっていた。
顔が真っ赤で、今にも蒸気が出てしまいそうだ。
「体調悪いのか?なら今度でも…」
「行きます!超行きますとも先輩!」
「そ、そうか…」
ものすごく目を輝かせている。そんなに喜んでもらえると誘った側としても本望なのだが。
「どこいこっかな〜」
「そんなに高いもんはおごれないぞ?」
「わかってますよ。雰囲気壊さないでください!」
「す、すまん…」
樋口は考え込むように額に手を当て、うーんと唸る。ま、確かにここは東京。
行くところは山のようにあるし、悩むだろうな…
「あ!」
「どうした?どこ行く?」
「じゃあ、私の家でご飯食べましょうよ!それならご飯代安く済むし、先輩もすぐ帰れるし!」
「…え?」
女の子の部屋。それは全世界の童貞にとっての幻想郷。
ほのかに香る甘い香り。さらに手料理なんか頂いてしまった日には…
「ぜひ…(ごくり)」
「じゃあ決定!なににしよっかな〜肉じゃがは決定として、他には…」
「って待て!!」
「なんですか?」
くっ…なんて巧妙な罠なんだ。危うく女の子の部屋で二人っきりというそれなんてエロゲ展開に持って行かれるところだった。
ともかく、そんなんはダメだ。第一、私たちキスもまだなんだし…何を言っているんだ俺は。
ともかく、ハードル高すぎる。何を口走るかわかったもんじゃない。諸君、ヘタレな僕を笑うがいいさ。
「でも、もう電車来ちゃいましたよ?」
「へ?」
見れば、さっきまで道を歩いていたはずなのに、駅のホームにいた。
「いつから立ち止まって会話していると錯覚していた…?」
「なん…だと…?」
樋口美香、恐ろしい子!
「おいしくなるかなぁ肉じゃが。期待していていいですよ?」
「どうして肉じゃが二そんなのこだわるのかは知らないけど、俺はまだお前の家に行くなんて…」
「スーパー寄らなきゃ!じゃ、荷物持ちはお願いしますね?」
「は、話聞けよ…」
そんなわけで、半ば強制的に俺は自室を通り過ぎて、樋口の家に突入することとなってしまったのだった。
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「フンフンフーフフーン♪」
「……………」
甘しょっぱい香りが、部屋中に広がる。
綺麗に整理された、ベッドとこたつと言うシンプルな部屋。樋口らしいな、と少し笑ってしまった。
しかし、寒いとはいえこたつ様が降臨するのはもう少し先じゃないのか?
いや、それ以前に状況について色々ツッコミはあるのだが、それは置いておこう。きりがない。
しかし、近所のスーパーで一緒に買い物をしていると、同じく買い物をしていたおばあさんに「新婚さんかねぇ、いいねぇ若いねぇ」と言われた時は、本気で顔から火が出そうだった。樋口は…ほとんど出していたかもしれない。
その他近所の人も見ていたし、レジのバイトも近所のおばさんだし、これは色々と噂されてしまいそうだ。ああ、嫌だ嫌だ。先が思いやられる。
「そろそろできますよー!」
「あ、運ぶよ」
「あ…ありがとうございます」
なにこの展開?この空気。俺の憎み続けた固有結界、絶対リア充領域が発動している?…ラヴ・ワークスってちょっとエロ…なんでもないです。
冗談はさておき、ブラウスの上にピンクエプロンという、なかなかに色気あるOLっぽい雰囲気は俺をひどく動揺させる。平常心。平常心だ。あ、味噌汁ちょっとこぼれた。
「さて、いただきましょうか」
「い、いただきます…」
この前麗奈が俺の家に来た時も手料理をご馳走されたことがあったが、あれは味噌汁とパンと目玉焼きのみ。今回のは肉じゃがと、悩んだ末に決めた天ぷらとなっており、和洋とか、本気度とか、いろんな意味でガチだった。
果たしてお味は…
「…うっ…」
「う…?」
樋口の不安そうな顔。
「うまい…」
「本当ですか!?」
それは一瞬で嘘のように明るくなる。
でもうまい、うまいのだ。麗奈の料理が普通に美味しかったから、料理できない枠はこっちかなと心配していた俺もいたが、今回のヒロインは両方お上手だ!やったね!…どうした俺。
勢いに任せてばくばくと食べ進めていく。それも美味しい…特に、自慢するだけあって肉じゃがの味が最高だ。
「この肉じゃがどんな分量で作ってるんだよ!めっちゃうまい!」
「そ、それは秘密ですよ…」
と言いつつも、嬉しそうに笑っている。
ああ、いいな、こういうの。
そうして、俺は皿の上にある食べ物を全て完食してしまった。
「たはー!ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした」
甲斐甲斐しく片付けまでしてくれる樋口。
そんな時間が、なんだかとてもあったかくて、俺はつい言わなくていいことを口走ってしまう。
「これでいつお嫁にいっても大丈夫だな」
ガシャン!!
「きゃああああああ!!!!」
「だ、大丈夫か樋口!?」
みると、さっきまで鮮やかに食卓を彩っていた食器は見る影もなく、無残なバラバラ死体になっていた。
「せ、せせせ先輩のせいですからね!?」
「ご、ごめん…」
ってか俺何言ってんだよアホか!?恥ずかしい…もうお外走ってきたい。どうしてこう自分から地雷を踏んでしまうのだろう。
一緒に破片を片付けつつ、ちらと樋口の顔を覗き見る。
「なぁ…」
「なんですか?あまり話しかけると指を切ってしまいますよ?」
「家族って、どういうもんなんだろうな」
「痛い!いったい!!」
「お前が切ってどうするんだよ…絆創膏あるか?」
「あそこの戸棚の真ん中に…」
見ると、救急セットがあった。
中から消毒液と絆創膏を取り出し、樋口の手をとって椅子に向かう。
座らせると、消毒液を当てたティッシュでにじむ血を吸い込む。
「痛くないか?」
「痛いですけど…大丈夫です…」
また顔が真っ赤になってしまっているが、本当に大丈夫だろうか。
切れた中指に絆創膏を巻き、完成。
「…で、家族って、どういうことですか?」
「………今日、さ、ちょっと…考えなきゃいけないことがあって」
「…話して、いいですよ?」
「なんで上からなんだよ…」
「て、照れ隠しです!本当にデリカシーのない先輩ですね!」
照れ隠しなら言っちゃダメじゃん、というのはともかく、俺は一人で割れた破片を片し、こたつで、いよいよ相談タイムとなった。
「今日…麗奈と香奈ちゃんの母親に会ったんだ」
「え…」
いきなり驚いた顔をする樋口。ま、それもそうか。
それから、俺はカフェでした会話を全て樋口に話した。
母親、沢良木結海は再婚して、子供もいること。でも、今も二人の娘を愛していること、反省しているらしいこと、そんな彼女の対して、もう会わないでくれと言ってしまったこと。その全てを、隠すことなく。
樋口は唸ったり、貧乏ゆすりしたり、頭をかきむしったりとアクションが豊富だったが、最終的には真顔になった。
「で、どうしようか」
「どうしようもくそもないですよ。また先輩は一人で暴走して…いつになったら学習するんですか?」
「ぐはっ!!」
きつい!もっと言い方ってあるでしょ。
「先輩が本気で、あの母親にそう言ったんなら話はまた別の問題なんですけど、本当はどうするべきか、わかっているんでしょう?」
「っ…」
「本当は、あの二人は母親とちゃんと話をするべきだって、わかっているんでしょう?」
「〜っ」
「でも、麗奈さんのことを思うとそうする他ない、そう思ったんでしょう?」
「〜〜っ!!」
「馬鹿!馬鹿です先輩は!そんなん何の解決にもならないじゃないですか!」
「………その通りです…」
実際振り返るとわかる。いかに俺が直情的であったか、愚かであったか。
でも、だからと言ってあの母親が正しいとも思えないのが俺の意地の悪いところだ。
「はぁ…私のデビューライブのことも放っておいて、そんなことをしていたなんて…」
「デビューライブ?」
「何言ってんですか!もうそろそろですよ!いい加減にしてください!」
「す、すみませんでした!!」
そんな話あったっけ…あった気がする…
「もう、しっかりしてくださいよマネージャーさん」
「お、おう」
「で、麗奈さんの件ですが、いずれけじめはつけるべき問題です。だから、お母さんと会うようにすべきです」
「え、でも…」
「先輩はどうして麗奈さんが絡むとそんなに過保護になるんですか!?」
「それは…」
やっぱ過保護なのだろうか、俺。
でも、いつもの麗奈が、やっぱり俺は好きだから。だから、戻って欲しいだけなんだ。
「っ…まぁ、それはいいとして、しっかりと綿密に麗奈さんや香奈ちゃんとも話して、準備して会えば、きっとどうにかなるはずです。だって、親子なんですから」
「親子…」
「なにお前がそれ言うのか?みたいな顔してるんですか?いいんです!私の家は特殊なんですから!」
「お前実はエスパーなんだろ!?」
でも、おかげで目がさめた。
会わなきゃ、麗奈が前に進めないっていうなら、たとえ麗奈が嫌がって、香奈ちゃんが怒って、俺がそれをいやだと思ったとしてもいつか越えなきゃいけないんだ。
「あ、でも…」
「ん?」
「連絡先、わからないや」
「………」
「………………」
「…先輩」
「……………はい」
「……………探してください」
「えっと…その、俺ってお前のマネージャーで、これからライブに向けて色々調整していかないと………」
「さ・が・せ?」
「……………はい」
……………俺、どこまで行かされるんだろう。