第5話 大学生なんてこんなもんだろ
適当な服をクローゼットから引っ張り出して、着替え始める。
「ってちょ、何脱いでるんですか!?」
「何って、着替えなきゃ外に出れないだろ?」
「女の子いるんだから少しくらい配慮してくださいよ!!」
「うるせぇ!ってかそもそもここ俺の家だから!」
「あ、ちょ、きゃー!!」
樋口は目を手で覆って端っこに行った。
……行ったはいいけどチラチラこっち見てんじゃねぇよ。
「じゃ、いくか」
「は、はい……」
顔真っ赤だし。一体ナニを見たんですかねぇ?(ゲス顔)
いや、本当は何も見せてないよほんとだよ!?
玄関を開け外に出ると、春とはいえ少し涼しかった。
桜も徐々に勢いをなくしていく時期。桜と川のマッチングも、あと少しで見納めか。
「しかし、樋口さんがもう仕事をしてたなんて……やってるとしても飲食店くらいなもんだと思っていたよ」
「え?ああ、まぁ……色々ありまして」
「そっか〜でもすごいよな、あのスーパーアイドルのマネージャーだなんて大変だろ?学校、大丈夫なのか?」
「一応卒業できるくらいには……」
「本当に大丈夫なのかよ……」
樋口さんはあからさまに空を見上げ、口笛なんか吹き出した。なんてわかりやすいやつなんだろう。
「先輩、大学って楽しいんですか?」
「ん?いや、そんなでもないけど……どうして?」
確かに高校生の時は「大学ってきっと自由で女の子とウハウハでスーパーで踊り狂ったり酒に薬混ぜて昏睡させたり海の家やったり、めっちゃ楽しいんだろうな〜!」なんて思ったものである。あれ、本当に楽しそうかこれ?
まぁ、とにかく自由なのは確かなのだが、自由と言うものは指針がないと言うこと。
自己が弱かったりするやつは簡単に排斥され、何をやればいいのかわからなくなる。
やっぱり人生いいことより嫌なこと、嫌なことの方が多いもの。それは環境が変わったところでそう変わるものではないのだ。
「でも麗奈さん、昨日久しぶりに楽しそうでした。昨日の夜も、今朝出発する前も、思い出話を楽しそうに語ってくれましたよ?」
「それは酒が入ってたからじゃ……」
「そう、だからそんなところ写真でも取られたら大変だったんです。マネージャーとして、怒らなきゃいけなかったんです。
でも、怒れなかった。怒るに怒れませんよ。人と関わるのが苦手で、去年なんか友達一人もいなかったんです。そんな麗奈さんがあんな風に……」
「人と関わるのが苦手?本人も言ってたけど、本当にあれがか?」
「感じませんでしたか?」
「いや、そんなに……」
でも、あの態度を外で普通に出してたら友達できないかもなぁ……
高飛車と言うか、まぁ慣れれば可愛いところなのかもしれないけどどうせ高校の付き合いも仕事が忙しかったとかで軽いものだったのだろう。
それに大学も、このまま学内で男装なんかしていたらそう友達なんて作れないだろう。
「でも意外でした。先輩歌唱研究部に入ってたんですね?知りませんでしたよ。
歌得意なんですか?」
「いや、全然得意じゃないよ?」
「え。じゃあどうして……」
「友達に無理やり引きずり込まれて名前だけ入ってるだけ。活動にはほぼ行ってないし、歌もどちらかというと苦手かな?」
「そ、そうですか……」
あれ、心なしか残念そうな顔をしているように見える。
そんなこと、彼女が気にすることでもないだろうに。
「何かスポーツとかはやってないんですか?」
「スポーツ?スポーツは……」
———辞めちまえよ!!
「…………」
「先輩?」
おい、黙れよ。今あの時のことは関係ないだろ。樋口さんだってそんな意図で言ったんじゃない。
だから、静まれ。
「いや、やってないよ。苦手なんだ」
「でも、高校の時は……」
「なんだ、知ってたのか?」
「入ってたことだけは、はい」
「そっか」
そして、また悲しそうな顔をする。
彼女は、知っているのかもしれない。
あの、茹だる様に暑かった、夏の日のことを。俺が、何かに踏み込むことをやめた、あの日のことを。
「辞めちゃったんですね、バスケ」
「ああ、まぁ、大した理由じゃあないんだけどな」
「また、やらないんですか?」
「……やらないな、多分、ずっと」
川のせせらぎが、やけに大きく聞こえた。
可哀想なものを見るかのような樋口さんの目線が痛くて、辛くて、惨めで。
「俺、いつもそうなんだ。普通に見たらくだらない、つまんないことをいつまでも引っ張って、うだうだして……女々しいったらないんだ、本当」
つい、言わなくていいようなことを言ってしまう。
情けない。なんて情けないんだ、俺は。
可哀想な俺を、哀れんで欲しくなかった。わかってるんだって、自分の惨めさをあえてまざまざと見せつけることで保険をかけようとした。
そんなの、一番嫌いなことのはずなのに。
「変わっちまったなぁ、俺は」
一番嫌いなことだった、はずなのに。
でも……
「そんなことない!!」
臨界点に達しそうだった俺のあまりに惨めで痛々しい独白を、しかし樋口さんは認めてはくれなかった。
しかしここは住宅街で、そこそこ人通りの多い駅近く。春の真昼間に大声を出せば、近くの人数人は当然何事かと俺たちを見る。
「ま、周りの人も見てるから……な?」
「そんなこと、ないのに……」
必死でなだめようとする俺と、うつむいてしまった樋口。
その声は涙声の様で、ひどく俺を焦らせる。
しばらく立ち止まって、なんとも言えない空気が流れた後、彼女はまた歩き出した。
俺の、少しだけ前を、歩き出した。
「覚えてますか?私が引っ越してきた日のこと」
「……覚えてるよ」
「あの時、私は初めて親元から離れて、知らない土地で、知らない人たちとこれからを過ごしていかなくちゃ行けなかった。本当は不安で仕方なかった」
親元から離れた理由を、聞いたことはない。
意図的に彼女はその話題を避けている様にも思えたから、単に俺の様に社会勉強というわけでもないのだろう。
でも、当時の彼女はまだ高校二年生の女の子なのだ。不安がなかったわけがない。
「だから、その時先輩が私に声をかけてくれて、一緒に私の荷物を運んでくれたことが本当に嬉しかった。こんな優しい人もいるんだって思ったら、少しだけ安心できた」
「俺は、そんな恩に感じられる様なことをしたわけじゃない」
あの時の俺は、計算高くも近所の女の子と仲良くなれるきっかけにでもなると思っただけ。だから、そんな感謝、する必要ない。して欲しくなんか、ない。
「それでも、私は先輩に救われた。先輩にだって、いいところはあるはずなんです。変わらないところだって、ちゃんとあるんです。だから……」
「……だからそんなこと言わないで、とでも言ってくれるのか?」
「……先輩?」
やめろ、この子は俺のことを心配して、励まそうとしてくれているんだぞ?その厚意を、お前は……
「余計なお世話だよ」
「っ……」
知ってた。
こんな酷いことを言えば、きっと樋口さんはすごく傷ついて、泣きそうな顔をして。
「ごめん、なさい……っ」
こうやって、謝るってことくらい。
それを計算して、的確にその言葉を放つ俺の心の奥に巣食う醜い化け物が、ひどく、恐ろしかった。
でも、こうすれば彼女は黙る。そう、安心していたのは、確かに俺の心そのもので。
自分の最低さを、改めて思い知る。
駅が間近だったのは、不幸中の幸いだった。
改札を抜け、いつも通り樋口さんとは別の乗車口で電車を待つ。
俺の最寄駅、香川駅は近くにメ○トもと○のあなもゲー○ーズもない貧弱極まりない駅だが、とにかく音が少なくて静かだ。人も、俺と樋口さんと、スマホを弄っている若者一人だけ。
その静寂を破る様に鳴り響く踏切の音。ああ、俺の乗る方向とは反対。つまり、樋口さんの乗る電車。
俺の乗る電車はあと5分後と言ったところだろうか。
電車が止まり、降りる客がパラパラと俺の横を通り過ぎる。その時、俺の腕が何者かに思いっきり掴まれた。
何事かと振り向くと、そこには……
「先輩……」
「樋口、さん?」
この電車に乗らなければならないはずの彼女は俺の手を無理やり開かせ、一枚の長方形の紙を押し込んできた。
「なにこれ……」
「見ればわかります!」
すると、樋口さんは軽くジャンプして電車に乗り込む。
『間も無くドアが閉まります、ご注意ください』というアナウンスが聞こえたのはその直後だった。
手に握られた紙には、「山橋レナライブチケット」と書かれており、その意図が理解できず困惑した。
「絶対来て!」
「お、おい!いきなりどういうことだよ!?」
「先輩は変わってなんかない!忘れただけ!」
「え?」
電車のドアが閉まる。
俺と彼女が完全に遮られるその直前、樋口さんは言った。
「このライブに来てくれたら、思い出せるから!私が思い出せた様に、思い出せるはずだから!!」
「思い出すって、何を……」
「じゃあね、先輩……」
電車は閉まる。
ガタ、と揺れて、進んでいく。
車窓から見える樋口さんの顔は、不思議と笑顔で。
その顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
去っていく電車の影を、俺はじっと眺めるのだった……
「青春してるな、伸一」
「うわあっ!!!?」
いつの間にか俺の隣に立っていた雅也が俺の肩を叩いていた。
さっきのスマホ弄ってる若者って、お前のことかよ……
***
「お、来た来た」
東京都内の、とあるビルの前。
待ち合わせの時間に少しだけ遅れて、私のマネージャー、樋口美香は現れた。
しかし、彼女の足取りは重く、亀の様にトロトロと歩いて来ている。
早く来て欲しい。一応自分はスーパーアイドルやってるのだ。さっきから不躾な視線を当てられまくって少しストレスもたまっている。
しかしおかしい。今日のあたしは大学用に用意した男装セットではないものの、サングラスにマスクにキャップという完璧な変装っぷり。誰に気づかれるはずもないのだが……
「麗奈さん、おはようございます……」
「随分元気ないわね。学校で何かあったの?」
「いえ、なにも……学校では。それより麗奈さんその格好はなんですか?完全に不審者ですよ?」
「なに言ってるのよ美香。これは変装!」
「変装っていうならまずその金髪隠してくださいよ……」
むぅ、確かにこの金髪は暗い髪色の人が多い日本人の中では目立つだろう。
昔からこの髪色に困らせられることは多かった。
小学校ではからかわれて引っ張られたりしたし、中学生では……それからは、うん、思い出したくないからいいや。
でも、嫌いではない。この髪を見れば、パパのこと、楽しかった家族との思い出を、いつだって思い出せるから。
「はぁ……」
「え、美香の方こそそんなあからさまにため息ついてどうしたのよ。
学校じゃなかったってことは、もしかして上の階の“先輩”とやらと何かあったわけ?」
「うっ……まぁ、ちょっと……」
上の階の先輩、というのは美香との会話の中でよく出て来る男のことだ。
顔は知らないし会ったこともないが、美香がその“先輩”の話をするときは決まって笑顔で、楽しそうだ。きっと、いい人に違いない。
ああ、いい人といえば昨日の男。あたしのむ、む、胸をあんだけ揉みしだいておきながら謝罪もせず一人帰宅とはどういう神経をしているんだ。いや、感謝はしてたけど。
「その先輩に……」
「ついに告白をして振られてしまったと……」
「告白なんてしてないですよ!!」
顔を真っ赤にして否定する。そう、はっきりと言ったことはないが、美香はその先輩とやらにどうやら恋をしているらしいのだ。
かなり沈んでいてその先輩絡みだとしたらそんなところかと思っていたけど……どうやら違うらしい。
「先輩と、たくさん話しちゃった」
「……は?」
「学校遅刻して、先輩の家でお味噌汁作っちゃった……」
「…………………」
「それで、他にも色々……」
「あのね、美香」
嘘だと信じたい。まさかこれが、ただの惚気話で終わるだなんて。
「恥ずかしい……痛い子だって思われてないかな……?」
「女の子なんて大抵痛々しいものじゃない?」
はぁ、とため息ひとつ。美香の頭を撫でてやる。
高校生ながらも、基本真面目に仕事へ取り組み、事務所の大きな戦力である美香。
しっかり者で、マネージャーとしてあたしを叱ったりもするが、それでも一個年下の女の子なのだ。たまにこんな風に甘えられると、お姉さんのようなことをしてもやりたくなる。
まぁ、純粋にこんな風に弱っちゃう美香が可愛いっていうのも当然あるのだが。
「で、どんな感じになった?ずっと言えなかった引っ越しの時のお礼、言えたの?」
「お礼というか……まぁ、その話もしたことにはしたんですけど……」
なんだかもじもじしていてはっきりしない返事だ。
「そっか…でも話せはしたんでしょう?」
「はい」
「今までビビりまくって当たり障りない会話しかしてこなかった美香にしては大きな進展じゃない祝わなきゃ!」
「……それ全く祝う気ないでしょむしろ煽ってるでしょ」
しかし……恋する乙女とはこんなものなのか。なかなかにめんどくさい。
男がちょっと可愛いとか言えば一瞬で赤面して、勝負しかけて負けてすぐ主人公への恋に落ちる頭空っぽな生物だと思ってたけど、人類とは奥が深いわ……
「でも、なんかこう先輩弱ってるっていうか、そんな気がしちゃって…」
「うんうん」
依存系昼ドラで見たことあるなぁこんな女キャラ……
「なんか見てられなくなっちゃって…悲しくて…」
「ほうほう」
依存されたい系かぁ……悪い男に引っ掛けられそうだなぁ……
「麗奈さんのライブとか見たら何か…元気になったりするんじゃないかって思って…」
「へ?」
「麗奈さんのライブチケット…あげちゃった」
「おいおいおいおい」
思わず突っ込んじゃったよおい。方向性変わりすぎでしょ。
「そもそもあのチケットあんたが友達にどうしても渡したいって言うから取ってきてあげたんじゃない!?」
「すみませんすみませんすみません!!」
美香が友達の誕生日に渡したいから一枚くれって頼み込むから頑張ってもぎ取った一枚だったのに……
「はぁ…まあいいけど。その友達どうすんの?」
「でもいきなりあんなチケット渡されても困るよね…絶対おかしい子って思われてるよねどうしよう……って、あ」
「あ、って……」
美香はこんなドジな子だったかしら。
恋は盲目、とはよく言ったものだ。友達の子、カワイソス。
「ど、どうしよ〜〜!!」
「知らないわよっ!ほらもう時間!現場行くわよ!」
「麗奈さん〜〜っ」
真っ赤な空に、カラスの親子。
ダメな子だなぁ、なんて思うのと同時に、チケットもう一枚くらいならどうにかなるかな、なんて思ってる自分はちょっと甘いかな?
でも、そんな自分は嫌いじゃない。
先輩、か。
美香の好きな人。こんな間抜けなミスをしてしまうほど、夢中な人。
一体どんな人なんだろう。
と、ちょっと気になりつつも歩く、仕事場への道だった。