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第55話 抱きしめて

 



 ドン………パラパラパラ。

 花火は空高く上がり、何もなかったかのように消えていく。

 閉園間近の夢の国で、俺たちは夢を見る。


「謝らないで…くれよ」

「そうかい?そう言ってくれるとありがたいけど」

「笑わなくて、いいんだよ」

「…そうかい」


 香奈ちゃんは諦念を感じさせる無表情で、少し俯いた。

 これが、今まで鉄壁だった彼女の本当の素顔なのだと、なんとなく、わかってしまった。


「ちょっと、愚痴を聞いてもらっても…いいかい?」

「お兄ちゃんなんだろ?なら、当然だよ」

「はは…バカみたい」


 香奈ちゃんは花火の光で色ずく地面を見ながら、ポツリポツリと話しだす。


「恨んでたんだ…私」

「恨んでた…か」

「うん。お母さんがいなくなった時、私はまだ小学生で、お姉ちゃんだって思春期の中学生で、そんな二人を残して借金を残し逃げるなんて、明らかに恨まれて当然…そう思わない?」

「それは…そうだな。恨まれて当然だ」


 正直、社長さんと同じように、俺も殴りに行きたいくらいだ。


「お姉ちゃんは、それから人間不審になって友達もいなくなって、他人との会話を恐れるようになってしまった。それでも借金は消えてはくれないから、働いてもくれた。

 私は、泣けなかった。泣いちゃいけないと思ったの。

 私が泣いたら、お姉ちゃんが泣けなくなってしまう。そんな気がして。

 だから、遠くにやったんだ」

「遠くにって…何を?」

「思い出。家族の…お母さんとの思い出を、全部記憶のそこに隠してしまえば、悲しみを忘れられる。そうしないと、私は生きていられなかった」


 思い出を捨てる。

 それは、自分を守るためには仕方ないことだったんだろう。

 現に、俺もついこの間まで高校時代の思い出から逃げ続けていたんだ。その程度で比べていいのかわからないけど、少しはその気持ちがわかる。


「でも、消せないものがあった。私は、お母さんへの怒りを、恨みを、憎しみを、遠くへ置いて行けなった。だって悲しかったんだ。

 どうしようもなく悲しかったから…お姉ちゃんみたいに、全部なかったことに、できなかったんだ」

「っ…」

「その怒りを…お母さんへの負の感情を抱き続けることで、私はバランスを取っていたんだ。

 去ってしまった楽しい思い出の代償を、残った怒りと悲しみで埋めて、見えないふりをし続けてきたんだ」

「そんなの…悲しすぎるよ」

「ああ、本当…何もかも忘れられたら、きっと幸せだったんだろう、って…そう、思っていたんだ」


 思っていた。それが過去形なのは、きっとあれを見てしまったから。


「あんな風に、記憶の全部何処かへやってしまうことが、どれほどに周りを痛めつけるか、わかっていなかった」

「香奈ちゃん、麗奈は…」

「そう、お姉ちゃんは弱い。きっと、本当は私が小学生の時からずっと、ずっとずっと、弱いままだったの。

 壊れていたんだよ、お姉ちゃんは。一生懸命普通のふりして、隠してきたけど…もう、限界がきたんだ」


 麗奈は弱くなんてない。あのステージ上で輝く姿は、かっこいいんだ。どうしてそれがわからない。

 とは言えるはずもない。だって、今も麗奈は、仕事から、母親から、現実からも逃げ続けているのだから。

 たとえそれが、無意識だったとしても、だ。


「本当はね、知ってるんだ。全部私のせいだってことくらい」

「香奈ちゃんのせい…?」

「全部、私の病気のせい。それが、全部いけなかったんだから」

「やめろよ…そんなの、香奈ちゃんのせいじゃないだろ?」


 それ以上、言うんじゃない。

 俺の押さえが、聞く前に。

 花火の音で聞こえなかったと、言えるように………




「ねぇ、伸一くん…私、どうして生まれちゃったんだろう?」


「香奈ちゃん!!」




 我慢、できなかった。

 香奈ちゃんの肩を掴み、こちらに向かせる。

 怒らなきゃ。

 香奈ちゃんが生まれたおかげで、多くの人が笑顔になった。何人もの人に勇気を与えられた。

 それをないがしろにすることなんて、香奈ちゃん自身であっても、許されることではないと、強く思ったから。でも。


「じゃあ…じゃあ、さ…私はどうして、こんなに苦しいの!!!?」


 ………落ちる、雫を。

 水晶みたいな涙が、頬をゆっくりと伝い、地面にしみていくのを、見てしまったから。

 まるで呪われたかのように、俺の口は機能しなくなってしまうんだ。

 肩に乗せた手を掴まれ、香奈ちゃんは痛いくらいに強く握り締め、叫ぶ。


「お父さんは死んで、お母さんは重荷を残して蒸発。挙句残された私は重病にかかり、お姉ちゃんには苦労をかけ、ついには壊れてしまうほどになった!

 あ…はは!何これ…どうしたらここまでのことになるの!?

 私が何したっていうのさ!?私はそんなに多くを望んだの!?ぼろアパートで家族三人で暮らす…それでも十分だったのに、幸せだったのに!?

 今の私はお姉ちゃんを縛る鎖でしかないじゃない!!いいや、そんなんじゃない。私がボロボロにしたお姉ちゃんを一人で残して消え去ろうとしている!

 こんな最低なことがあるの!?ねぇ、答えてよ!!

 私が生まれてきた意味ってなんなの!?私がやってきたことは、ここまでの不幸に釣り合うほどに大きかったの!?

 違うっていうなら言ってみてよ!私に…教えてよ!!!!」


 止まらない号哭。

 一度溢れ出した涙は止まることもなく、その綺麗な顔を濡らしていく。

 生まれた意味を追いかけて、走り続けた道は、明日で笑っている僕らに繋がったかな。

 不意に頭をよぎった香奈ちゃんのための歌は、とても明るいはずなのに、ひどく歪なものに思えた。

 麗奈の生きる意味は、きっと香奈ちゃんにある。でも、香奈ちゃんの生まれた意味は、見つけられない。

 明日も知れない彼女には、姉を守るという言葉を口にすることすら許してくれない。

 俺が、彼女にどうやって意味を与えられる?綺麗事を並べて、詭弁を述べて、香奈ちゃんを満足させてやればいいのか?そんなの無理だ。きっと、そんなの求められていない。

 この場所に今、香奈ちゃんが初めて見せる涙の前に俺がいることに、何か意味があるとするのなら…それは………


「怖い…怖いよ…怖いよぉ………っ!!」

「っ!!!!」

「死にたく…ないよぉ…っ!!」

「〜〜〜っ!!」


 フィナーレの、大きな花火が上がる。


「………もう、終わりだね」

「ぁ…ああ…」

「ねぇ、お願い、聞いてくれる?」

「…何?」


 涙に濡れる頬が、鮮やかに花火の光を反射し、キラキラと光る。




「…抱きしめて」


「っ!!」




 幻想的な景色の中、胸の中に香奈ちゃんを引き寄せ、強く抱きしめる。

 離したくない。離れたら、どこかに消えてしまいそうな、細くて、脆い、痩せた身体。


「俺は…俺はさ…!」

「お兄…ちゃん…」


 俺の背中で、香奈ちゃんの手が、ゆっくりと動いて、そして…弱々しく、俺の背中を掴む。


「こんな私なのに…こんな迷惑な人間なのに…死にたくない…死にたくないのっ!!

 あんなお姉ちゃんを…あんな風にしてしまったお姉ちゃんを残して、死ねないよぉ!!」

「ああ…香奈ちゃんが死ぬわけない!俺と一緒に、またここに来よう!」


 今は、夢を見たい。

 それくらい、許してほしい。だって、ここは夢の国なんだろ?


「本当…?」

「ああ、本当だ」


 香奈ちゃんは少し俺から離れ、綺麗な青い瞳で俺を見つめる。


「ねぇ…もう1つお願い」

「…何?」

「耳、塞いでてほしいんだ」


 その行為になんの意味があるのか、それがどういう意味なのか、俺にはすぐにわかって…


「これで、いいよ」

「違うよ…」


 彼女の耳を、塞いだ。


「そっちじゃ…ないだろぉ…!?」

「こっちで、いいんだよ」


 だって、聞かれたくないんだ。

 俺のみっともない夢を、そして……


「次は、麗奈も一緒に。あとは樋口も、それに風間プロのみんなも!今井は…いいか。

 ほら、覚えてるだろ?夏の誕生日パーティーの事…楽しかったよなぁ、もう一回やりたいよなぁ…?」


 醒めない夢を。永遠の夢を、見せてくれよ。

 だからお願いだ…花火を、止めないでくれよ。


「うん…楽しかった。楽しかったよ…っ!

 あの時間が…私にとっての一番の時間だった。

 ずっと消えない、最高に幸せな瞬間だったから…っ!!だから、もう一度…もう一度ぉ…っ!」

「ああ…ああっ!!」


 耳を塞いでも、意味がなかった。

 俺の泣き声は、夜の遊園地に響き、彼女の耳にも、きっと残ってしまった。


「ぃぁぁ…っ!!うぁ………あ…ああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「ぅっ……ぅぁぁっ……ぁ…ぁぁっ!」


 花火が消え去るその刹那。

 この時間が永遠になればいい。俺は、本気でそう考えていた。




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