第51話 デビュー
もうそろそろ、コートが必要な季節になった。
紅葉も、もう旬を終え、枯葉の方が多く見られる。
外で親と手をつないでいる子供の可愛い手袋が目に入り、より一層季節を感じた。
「先輩、社長さんが呼んでます」
「ああ、わかってる」
「外なんか出てどうしたんです?こんなに寒いのに」
「ああ、少し、外の空気が吸いたくて」
「そう、ですか…そうですよね。でも、そろそろ入ってください。
風邪、引いちゃいますよ?」
11月に入ったのは、もう先週のこと。
あの最高に楽しくて、嬉しかった時間は、もう、一月も過去のことになっていた。
「伸ちゃん…」
「美月さん、これから外出ですか?」
「ええ、ちょっと…麗奈のところにね」
「…そうですか。あとで、僕も行きます」
「そう…わかったわ」
美月さんはそのまま外に出て行ってしまった。
残ったのは男三人と樋口だけ。
静かで、少し気まずい空気が流れる。
「な、なぁ石田!お前、大昇進だぞ!ですよね総司さん!」
「え?あ、ああ。そうだな…」
「…まだ決まったわけじゃないですって」
でも、なんとか先輩たちは暗くならないように、暗くならないようにと、元気に振舞ってくれる。
それができない自分の幼さが、ひどく憎らしい。
「じゃあ、行ってきますね?」
「ああ、死ぬなよ?」
「そんな大げさな…」
ぎこちなく笑って、俺は社長室の扉を叩いた。
「入れ」
「失礼します」
樋口も、俺の後ろから付いてくる。
今日話される内容には、さっきも言われたが大体予想がついていた。
「よう」
「おはようございます」
「おはようございます」
社長さんは、少しばかりやつれた様子で俺たちを見つめた。
最近いつもこんな感じだ。ちゃんとご飯を食べているのか、寝ているのかもわからない。
だあ、今日はその“最近”とは少しだけ違うところがあった。
「こんにちは」
「…あなたは……」
「…?お知り合いですか、先輩?」
隣に、知らない男が立っていたことだ。
彼は値踏みするように樋口を見てから、最後に俺を見た。
「君には、先月一度だけ会ったね?ええと…石川くん?」
「石田です」
その男には見覚えがあった。
KUWAテレビジョン代表取締役社長、桑田業平。
先月麗奈と一緒にラジオの収録に行った時にあった人物で、名刺をもらったのだ。
「いやぁごめんごめん。名前覚えるのは苦手でさ!」
「いや、別にいいですけど…」
しかし、麗奈しか担当がいない小さな会社である風間プロにこんな大物がいるとは思っていなかった。
「やめてやめて。そんな、なんでいるんだこいつ…みたいな目で見ないで」
「よくわかりましたね」
「だからこの人誰なんですか先輩!」
このままでは話が進まなさそうだと判断したのか、社長さんが手を挙げ、会話を止める。
「こいつの名は桑田業平。テレビ局の社長で、芸能界全体に恐ろしいほどの影響力を持っている」
「え゛…」
「俺も最初はえ゛、って思ったよ」
「なんかひどいことを言われているのは気のせいかな」
「気のせいだ。それで、この男が来た理由だが…」
「いやぁ、風間くんの奥さんにちょっとさぁ…」
「桑田」
「元、奥さんにさ、頼まれちゃったんだよ」
「社長さん結婚していたんですか?」
「ちっ…まぁ昔ちょっとな」
社長さんと業平という男は顔なじみらしい。
しかし社長さん、奥さんいたのね。あなたの過去結構気になるけど、この話の中じゃきっと語られることはないだろう。
「そんで、まぁ仕方なくさ、俺が長澤浩一のよって叩き潰されそうになっていた風間プロダクションを助けてあげようと思ったわけ」
「はぁ…」
「でも俺だって商売人さ。タダでっていうわけにはいかない。だからさ」
桑田は悪そうな笑顔でずいと樋口に顔を近づける。
「君のデビューライブを、うちの主催でやりたい」
「………でびゅー?」
樋口はまるで言葉の意味がわからないとでも言いたげに首を傾げている。いや、まぁ十分想像できたけどさ。
だって、あの学祭ライブで撮影された動画、ミリオンいってたもんなぁ…しかもコメ欄、樋口の絶賛と麗奈への愛で埋め尽くされてたし。
本当、You◯ubeで喧嘩するやつってクソだよな。ガキガキって言ってるけど反応してるお前もガキだっつの。おっと話が逸れた。
ま、それを知っていると、平和なコメ欄のありがたみがよくわかる。それくらい素晴らしいライブだったってことだろう。
そうなれば当然、この子誰?みたいな感じで樋口への興味が深くなるわけで。
「風間くんは言ってなかったみたいだけどね、今、君にはアイドルデビューの打診が来ているんだ。それも、いろんなレコード会社からね?」
「え、え、えええ〜〜〜〜!?」
「で、俺としては今が売り時の美香ちゃんで少しばかり儲けさせてもらいたいわけよ」
「何が少々だよ。どこまでも絞りつくす気のくせに」
「うるさいよ風間くん。ま、そんなわけでどう?」
「いきなりそんなこと言われても…」
そりゃそうだ。デビューする?はいします、なんて風に簡単に済ませていい話じゃない。
すると社長さんが椅子から立ち上がってため息をひとつ。
「ま、今すぐ決めることはねぇよ。でも、もし美香がKUWAテレビと協賛でデビューしてくれるなら…」
ちらと俺を見る。え、何?
「石田を、お前のマネージャーにしてやる」
「っ…!!?そんな…卑怯な…っ!!」
「そこで揺れるのは色々と問題があると思うけどそれはさておきどうして俺が!?」
「だって、麗奈は今いないんだぜ?そんで仕事が少ない今お前は暇。これほど適した人材はいないじゃないか」
「それは…そうかもしれないけど…」
「ま、決定したわけじゃないんだから今からそんなに構えることはない。ただな、心構えだけはしっかりしておいてくれってことだ。
それと…美香。これは正直俺の個人的な願い。この会社を存続させたいという言ってみればわがままみたいなもんだ。
お前がアメリカに行かなかったせいで、とか、そういうのは考えなくていいんだぞ?だから、好きなように選べ」
「社長さん…」
「ま、僕としては是非デビューしていただきたいものだけどね。長澤くんは昔からあんまり好みじゃなかったし、対立はやぶさかじゃない」
「だからお前はどうしてそんなにデリカシーがないんだ…」
話は終わったらしく、桑田は身支度を整え、出してあったお茶を飲みきると、社長室から出て行く。
「じゃ、また今度。青年も」
「…宜しくお願いします」
…やっぱりあの人、なんか苦手だ。
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「先輩、私は…」
「ごめん、でも、今日は一人で話したいんだ」
「…そうですか、わかりました。あの…」
「デビューの件、お前がやりたいならやっていいと思う。そうなったら、俺は全力でお前の力になれるように頑張るから。
ま、やりたくないならそれはそれでいいと思うし」
俺は病院の前に停めたタクシーから外に出る。
お金を少し多めに渡し、こんなにもらえないと首を振る樋口の肩を叩いて笑いかけた。
「じゃあな。また明日」
「………はい」
タクシーは俺だけ降ろして去っていく。
この病院に来るのも、最近では増えたものだ。
「こんにちは」
「合言葉は」
「ここがあの女のハウスね」
「パクリネタだからやり直し」
「お前がこの前やれって言ったんだろうが!」
扉を力ずくで開けると、そこに立っていたのは金髪の超絶美少女。
今は浅紫のセーターに身を包んでおり、オフショット感がフファンにはたまらない感じに…体のラインも出るし(ここ重要)
「うわ、なんか伸一にエロい目で見られてる」
「お兄ちゃん、ここ病院なんだからあまり盛らないでくれるかな?私はまだお子様なんだから」
「二人揃ってひでぇな…」
なかなかひどい罵声を浴びせてくるのは日本の誇るトップアイドル、山橋麗奈とその妹、山橋香奈姉妹である。
二人ともとんでもなく可愛いのにどう間違えてこうなってしまったのだろうか…人間とは業の深い生き物である。
「あんたも十分脳内で人のことディスってるじゃない!」
「うるせぇ、心を読むなテンプレ幼馴染か!」
本当に、業の深い。
「で、お兄ちゃんは今日もお見舞いかい?」
「…そうだよ」
「ヘタレだねぇ…」
「……………」
少しその話に触れると、今までの明るいノリが、一瞬で凍りつく。
そう、確かに、俺はヘタレている。
「お姉ちゃん、ちょっと外に出ていてくれないかな」
「え?どうして?」
「ちょっと大事な話があるんだ」
「嫌だ。そう言って、あたしに何も言わないで…だからこの前みたいにっ…!!」
「わかった。わかったよ…でも絶対に、話の邪魔だけはしないでくれ」
「………」
「返事は?」
「わかったよ…」
「うん、じゃあいいや」
どっちが姉なんだか…と思ったのもこれで何度目か。
香奈ちゃんは俺を見て薄く笑う。
「ごめんね、わがままな姉で」
「ま、慣れてるよ」
「なっ…」
「静かに」
「ぐぬぬぬぬ………」
麗奈のやつ、すごい目で俺のこと睨んでるぞ。
ああ、マジで怖い。なにがって、後でどんなことされるかわかったもんじゃないからなこの猿女。
全く、あの時のしおらしさはどこに行ったんだか…
「ぶふっ…」
「うわぁきもぉ…」
「お姉ちゃん、口に出しちゃダメだって…ふ…ふふっ…!」
「ぐぬぬぬぬ…」
見事に形勢逆転していた。ちくせう。
「で、まぁこの前のことだよ。まだちゃんとお礼を言えてなかったからね。
美香がいなくなったらお姉ちゃんもいろいろ大変だったろうし」
「そんなの…俺のおかげなんかじゃないよ。みんなのおかげだ」
「そうだとしてもだよ、お兄ちゃん」
天使のような笑顔で笑う香奈ちゃん。でも、その笑顔に一瞬にして影が差す。
「その後のことも…ね」
「…………っ」
「…………っ」
あの日、麗奈がアレしてきた後、放心状態から抜けた俺は片付けの手伝いに向かった。
そしてそこで見たのは…半狂乱で泣き叫ぶ、麗奈の姿。
少し前の面影もなかった。でも、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもなく、彼女はただ、ひたすらに怯えていたのだ。
香奈ちゃんの容態が大きく揺らぎ、倒れたと言う話を聞いたのは樋口と一緒になんとか麗奈をなだめた後だった。
麗奈はまるで子供のように俺にしがみつき、そのままずっと泣き続けていた。
その悲痛な泣き声が今も忘れられない。俺が彼女にできることの少なさを痛感することになる。
やがて香奈ちゃんの容態はなんとか安定。意識も回復したが、病状は間違いなく悪化していた。
海外の病院で手術。それが非現実となりつつあるのだ。
その時の麗奈のショックの大きさは、計り知れない。彼女はとても仕事どころではなくなり、苦渋の決断として一時活動休止とした。
香奈ちゃんを見世物にしたくない。その思いを汲んで理由は麗奈自身の体調不良そいうことにした。それから二週間以上時が経った今もなお、麗奈は少しの時間でも香奈ちゃんのそばから離れるのを嫌がるようになってしまった。
香奈ちゃんの前ではさっきのように喧嘩できるが、トイレに行った時、飲み物を買った時、ふと話しかけるとひどく怯え、俺とわかったら弱々しく応対してくる。明らかにコミュ障の一言では済まされない異常だった。
依存。
その二文字が出てくるのに時間はそうかかるまい。
考えたくもないが、もし香奈ちゃんがいなくなってしまうようなことが起きたら…麗奈は、きっと生きていけないだろうとすら思える。
だから、俺はどうにかしてそれを引き剥がさねばならない。このままでは、麗奈は本当に壊れてしまう。
そのために、何度も何度もこの病院に足を運んでは、結局何も言えずに家に帰る。
俺自身、正しいことが何かはわかっていても、麗奈の見方をする、という点においての俺の行動が、わからなかった。
「そろそろ帰るよ。妹の可愛い顔も見れたしね」
「誰があんたの妹よ!」
「案外なってやっても構わないよ?どうだいお姉ちゃん、そこそこの物件に見えるけど」
「なっ…何言ってんのよ!!!!」
と、そんなやり取りをして、俺は結局今日も何も言えずに病室を出た。
だって、あの泣き声を聞いてしまったのだ。
いい加減にしろ、何人に迷惑かけてると思ってるんだ、働け!この一言が、どうしても言えない。
そんな自分が、ひどく滑稽で、情けなかった。
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「寝ちゃったか」
一人の時間。どうも最近、それが減ったように思える。
別に嫌なわけじゃない。正直、お姉ちゃんがトイレに行った時、飲み物を買いに行った時、その一瞬ですら一人でいるとどうしようもなく泣きたくなるし、恐怖で頭がどうにかなりそうになる。
お姉ちゃんに働け、なんて言えないよ。
だって、今一番お姉ちゃんを求めているのは、きっと私だから。
膝の上で寝息を立てる、私のたった一人の家族。
活けられた花を見て、わずかに涙がこぼれる。
お兄ちゃん…石田伸一が来るのが、最近ひどく怖くなった。
私からお姉ちゃんを奪っていってしまう気がして。
はは、ざまぁない。夏には私がどうにかお姉ちゃんを自立させてやってくれと頼んだのに、今となってはそれを一番恐れているのが私だなんて、笑い話にもなりやしない。
今のままじゃダメだ。涙を拭い、お姉ちゃんの綺麗な金髪を撫でる。
お父さんを思い出す、綺麗な金髪。羨ましくて、こんな髪は嫌だと駄々をこねたこともあったっけ。
お父さん、見てて。私が絶対、お姉ちゃんを一人でも生きていけるようにするから。
と、心の中で父に誓った、その瞬間だった。
コンコン、と、病室の扉がノックされたのは。
誰だろう。もう夕方で、面会時間もそろそろ終わり。誰だろう、と、そこで一つの物を見つける。
伸一くんのスマホが、花瓶の前に置きっぱなしだったのだ。
なるほど、これを取りに来たのか…しかし、所々抜けのある人だ。お姉ちゃんをこれから支えてあげて欲しいのに、先行き不安だ。
ま、こんなところも魅力ではある。だからお姉ちゃんも気を許しているのだろう。
「どうぞ」
呆れ笑いしながら、入室を許す。
さて、どうやってからかってやろう。
「……………香奈?」
「っっっ!!?」
でも、そこに入ってきた人物は、私の想像なんて軽く飛び越えるくらいの人物で。
ここにいてはいけない人物のはずで。
「嘘…だ………」
「香奈…そこにいるのは…麗奈?」
でも、間違えるはずがない。
自分が、この人だけは間違えるはずがない。
5年間、ずっと、この顔を想い続けてきたのだから。
「おかあ…さん?」