第48話 おかえり
私情で遅くなりました。申し訳ありません…
奇跡だった。
あと少し遅れれば、間に合わなかっただろう。
あまりに多くの人の中、一人の少女を見つけるということがどれほどの奇跡か。
しかも、それがゲートの前ならなおさらだ。運命と呼んでもいいほどだと思う。
それを………
「馬鹿って、そりゃないだろ…」
「馬鹿じゃなかったらなんだって言うんです?今日はライブ当日でしょう?」
「まぁ、そうなんだけど」
確かに冷静になって考えると、かなりの馬鹿やってる。
会社を裏切り、部活を裏切り、樋口を裏切り。でも、そのすべてに助けられ、俺は今ここに立っている。
だから、ここからは。
「美香………」
「麗奈さん…っ!?」
仲間も一緒だ。
息を切らせながら俺の隣に並ぶ麗奈。きっと前を走っていた俺が立ち止まったから急いで追いかけてきたのだろう。
でも、そんな疲れた体でもしっかり友を見据え、懸命に話しかける。
「美香…あたしは…」
「そこまでだ」
が、その流れを打ち切るかのように昏い声が響いた。
人々はちらと俺たちを見て、その男…長澤浩一を見て驚き、プライベートを察して去っていく。
そう、これが日本有数の“本物”の歌手、長澤浩一なのだ。
彼はサングラスを外し、俺と麗奈を睨みつけると、ゆっくりと、言い聞かせるように話し出した。
「私の娘が世話になったことは知っている。だがな、もう美香は退社し、君たちとは関係ない世界に行った。
今日はその新たな旅立ちの日なのだ。君たちが何か口を出すようなことじゃない。
美香も、それを了承しているのだぞ?なぁ、美香」
「っ…はい………」
俺と麗奈を利用して脅しをかけたくせによく言う。そんな風に聞いたら、肯定することくらい誰にだってわかるじゃないか。
「ざけるな………」
「なに…?」
でも、そんな誰にだってわかるような嘘じゃあ、こんなとこまで来たあいつを説得できるはずもない。
「ふざけんなって言ってるのよこのくそハゲ親父!!」
その証拠に、一度目を逸らしたはずの通行人の目を再びその場に呼び戻してしまうくらいの大声で、長澤浩一に向かって怒鳴ったのだから。
「麗奈、あまり注目を集めるとあとが面倒になるから…」
「だってこいつ舐めたことばっか言うんだもの!」
「いや、だからそういう言葉遣いもできれば控えてほしいなって…」
ほら、周りの人が「あれって山橋レナじゃね?」とか言い出しちゃってるじゃん。
帰りスムーズにしないとライブに間に合わないんだよ…
「ハゲ親父だのこいつだの…教育が全くなっていないみたいですね。
さすがアイドル…康介、美香、ああなってはいけませんよ?」
「っ…」
すると樋口の後ろから現れた母親らしき女。
和服に身を包み、凛としたその風格は確かに金持ちの妻、という感じだった。
この女が教師ぐるみで俺をはめようと計画したのか。そう思うと今すぐこの場で殴り飛ばしてやりたい気分になるが今は抑えよう。
「当然です母さん。あんな低俗な歌しか歌えないような奴に…」
「〜っ!!」
「さっきからどうしたの美香?」
「なんでも…ないです…っ!!」
そして、そのさらに後ろから兄…長澤康介が出てきた。
しかし、聞くに堪えない罵声だ。麗奈はどこ吹く風といった様子で浩一と向き合っているが、樋口の方がキレてしまいそうだ。
康介は俺の方を見ていやらしく笑いかけてくる。
「なぁ、石田…いや、伸一。お前、こんなとこまで追いかけてくるなんて、もしかして俺の妹に気があるのか?
ったく、本当呆れた野郎だ。もう美香は一緒にアメリカに行くって決めてるんだぜ?ずるずるとメンヘラかお前は?ははっ!こりゃ傑作だ!」
「石田伸一…ああ、あの時康介ちゃんの邪魔をしてきたガキですか。
ふふっ…美香に懸想とは…浅ましいわね。ふふ…ふふふふふふっ!!」
聞くことない。こんな罵声にいちいち反応する必要なんて全くないのだから。
それより大事なことが、あるんだから。
「樋口…お願いがある」
「おいおいいい加減に…」
「兄さんは黙ってて!!」
そこでついに、樋口が康介に怒鳴りつけた。
ひるんだ康介は一時撤退し、母親の隣でぶつくさ文句を言い出した。どこまでも小物だな…
「麗奈と今井、合同ライブやる予定だったんだけど、今井が怪我して出れなくなった。
ここをなんとかできるのは、あの曲に携わったお前しかいないんだ!
だから頼む。一緒に学祭に行って…一緒にステージに立ってくれ」
俺は言い終えると頭を下げた。
「あたしからもお願い」
麗奈も同様だ。こいつが人に頭を下げられるなんて、成長したものだ。
「で、でも…」
「そんなことは断じて許さん」
浩一は美香を押しのけ頭をさげる俺の目の前に立った。
ガタイがあるので、相当な迫力なのがわかる。でも、ここで退くわけにはいかないのだ。
「お願いします、長澤浩一さん。娘さんを、僕にください」
「あんたそれ趣旨変わってるじゃない」
おっと緊張してつい結婚を申し込んでいるみたいにしてしまった。
麗奈に突っ込まれるとは相当に動揺してるな俺。
「美香さんは…今の俺たちに必要なんです!」
今度こそ本音を伝えた。
するとその高圧的な態度を維持しつつ、問いかけを発してくる。
「ならば…そのライブとやらが終わったらどうするつもりなのかね」
「それは…」
「日本に残るか?仕事もない、仮に事務所に戻れたとしても所属アイドルは私の手で露出が大幅に減る。
そんな中、生計を立てられるのか?それとも、君が。
なんの職にも付いていない、一介の学生である君が、責任を取ってくれるとでも言うのか?無茶を言うな」
「そんなの…」
確かに、俺は無力だ。
それは会社の先輩たちも、社長さんでさえ届かないほどの力を、彼は持っている。
でも…それがどうして、自分の娘をここまで拘束する理由になるんだ。
自由に生きさせてやればいいじゃないか。やりたいことがあるなら、それを応援してやるべきじゃないか。
それが、親ってもんじゃないのか?
そのための力じゃないのか?
「君たちはどうしようもなく無力で、それゆえに失う。
美香は私という父に恵まれ、それゆえに圧倒的な才を持ち、栄誉を得る」
「美香さんは…それを望んでいるんですか…?」
でも、この父親は、そうじゃない。
「それは、関係ないことだ。
私の敷いた道を歩く。それこそが美香の夢へとつながるのだ」
この父親は、自分の娘を道具としか思っていない。
「いい加減にしろっ!!」
「ちょ、伸一抑えて…」
だからつい、殴りかかりそうになってしまった。
さっき麗奈に注意したことなんて、完全に頭から消えていた。
「美香はお前の道具じゃない。
生きている…生きている人間で、考える人間で、一人の女の子なんだ!
あなたは、美香がどんな顔で笑うかも知らない。どんな顔で怒るかも知らない。どんな顔で泣くかも知らない!!
そのくせに、どうして美香の夢が、望みがわかるって言うんだ!!?
子供はお前に夢を見せるためにいるんじゃないんだよ!!」
「…若造が…私に説教か!?」
「年取っただけで偉そうなこと言うな!その歳でそんな体たらくなことを逆に恥じろってんだ!」
「貴様…っ!」
「…っ!!」
麗奈に羽交い締めにされた俺は無抵抗のまま浩一の拳に射抜かれる。
その直前———
「………な…」
「…それ以上何か言ったら…許さない」
乾いた、大きな音が鳴った。
それは拳で殴られた時よりもずっと軽い、平手の音だったが、後に続く言葉はずしりと心に響くものだった。
「美香…お前、自分が何をしたかわかっているのか!?」
「ええ、よくわかっています。お父さんは少し黙っていてください」
浩一のそばに駆け寄る妻。
頬は少し赤くなっている程度のものだった。
そして、その原因たる樋口は、伏し目がちに俺たちに話しかける。
「私、もう、会社辞めたんです」
「ああ」
「そうね」
「それは麗奈さんの未来のためで、会社の未来のためでもあって。
だから、今日ここにいる選択は間違っていないんです」
「…そう、かもな」
「そうね」
「もう、私のことは、忘れていいんですよ?
面倒な女が去ったって、笑っていていいんですよ?
だから…私に同情してくれなくても…いいんですよ?」
「馬鹿い」
「馬鹿言わないの!」
「……………」
俺のセリフは麗奈に奪われ、その麗奈は両手で樋口の頬を挟んだ。
「みんな、美香のことが大好きだから。
同情なんかじゃない。一緒にいたいから。ただ、それだけの理由で、ここまで来たのよ?」
「みんな………っ!!?」
樋口がそれを見た瞬間、彼女の両目から、こらえきれなくなった涙がこぼれだした。
その視線の先には………
「美香!帰っておいで!また一緒に働きましょ!!」
「樋口!お前は女だけど…好きだああああああ!!!!」
「美香ちゃん!俺も美香ちゃんのことが大好きだ!!だから、戻ってこい!!」
空港だってことを少しも考えない、ちょっと間抜けで最高な仲間が笑っていた。
「やだ…なんで…止まらない………」
「ね?美香は、こんなにも愛されてるんだから。
あたしも…大好きなんだから…っ!!」
「麗奈…さぁん……」
麗奈は手を頬から離し、思いっきり樋口に抱きついた。
「一緒に帰ろ…!美香がいないと…あたし、寂しいよ…っ!!」
「〜〜〜〜〜っ!!!!ぅあ…ぁぁっ………あああああっ……………」
二人とも、号泣だった。
お互いのことが大好きで、でも、離れてしまいそうになって。
そんな悲劇的な、辛い運命に逆らえたこの瞬間は、きっと奇跡と呼んでいい。
それくらい嬉しくて、優しい瞬間だったのだ。
「おい…そんなの許さないぞ…?」
「康介…」
だから、それを邪魔する奴は…
「お前はいつだってそうだ!俺の必死で守ってきた何かを簡単にぶち壊そうとしてくる!力もないくせによぉ!ああ!!?
舐めるのもいい加減にし…」
「うるせぇ!!!!」
許さない。
放たれた拳は奴の頬に思いっきりぶち当り、空港の中で吹っ飛んだ。相当な強さで殴ったので拳からは血が出ていた。
「お前はいつも人のせいだな」
「な…な…」
「俺が壊したんじゃない。奪ったんでもない。
全部、お前の無力さのせいだ。お前に、力がないせいだ。
わかったらさっさと消えろこのクズ野郎が!!」
「ひいいいっ!!!!」
小物は小物らしく、父親の陰へと隠れていく。
「ええい邪魔だ!」
「うわあっ!」
その父親にも蹴り飛ばされる康介。心配そうに駆け寄る母親。
浩一は美香を見据え、問いかける。
「いいのか?これからどんなことが待っているか、わかっているんだろうな?」
「……………」
俺は、美香の左手を。
麗奈は、右手を、それぞれ握った。
何も言わなくてもいい。それだけで、全て伝わった。
「お前もだ、山橋レナ。何もかも捨てていいのか?」
その問いに…
「私は、戻ります。
あなたがどんなことをしてこようと、全部乗り越えてみせる。
私が麗奈さんを守る。先輩を守る。みんな守る。
そして絶対、みんなで笑っていられる場所へ帰ってくる。
だからお父さん…いや、長澤浩一!あなたとは二度と会わない!父親とも思わない!
二度と私の前に現れないで!!」
強く答え、家族に背を向ける。
そして、新たに見た場所には、風間プロみんなの姿が。
樋口は何を言うか迷い、口に出そうとして、やっぱりやめて。
もう一回微笑みながら、自信なさげに言うのだ。
「ただいまです、皆さん」
「「「「「おかえり!!!!」」」」」




