第40話 えっち!!
「どうしてお前はこうリスクマネジメントができないんだ!?少し考えれば終電がなくなることくらい分かっただろ!」
「だって夢中だったし社長さんも止めなかったもん!」
「人のせいにすんな!ったく本当にもう…」
「何よ、そんなにいやなの!?」
「いや…ってわけじゃないけどそういう問題でもないというか…」
よく考えれば…いや、考えなくても色々問題はある。
「まぁこうなったことだし、本当に作曲でもする?」
「…微妙に嬉しそうなのが腹立たしいな」
ってか、正直寝たいのだけど…そうもいかないか。一緒に寝るとか童貞にはハードル高すぎる。
「はぁ…本当にギター音量は最低にしろよ?」
「わかってるって」
麗奈はチャラーン、と、軽くギターを鳴らして笑いかけてくる。ま、このくらいなら平気かな。
じゃあ俺は…
「うるさくするなよ?」
「え、どっか行っちゃうの?」
「風呂。まだ入ってないんだ」
「あ………」
麗奈は納得したような、ハッとしたような顔をした。
「…?じゃあな」
「ま、待って!!」
「…なんだよ」
と、思ったら俺の腕を急に握ってきた。今日はなんなんだろうなこいつ。
「あたし、お風呂はいってないんだけど…」
「はぁ?」
だからなんだと言うのか。まさか…いや、そんなまさかな。
「そうか、まぁ明日朝一で入れよ」
「ちょちょっ!待ってって!」
「なんだよ…今日はそれなりに汗かいたから早く入りたいんだけど」
「…して」
「ん?」
麗奈の口からこぼれた言葉はとても小さく、聞き取れない。
して、って…何を?
「だから!お風呂貸してくださいって言ったの!」
いや本当はわかってました。というか何を考えてるんだ俺は。
麗奈は顔を真っ赤にして俯いてしまった。さすがに男にそれを頼むのは恥ずかしいというか、色々意識してしまうのだろうか。
「俺はいいけどお前はいいのか?女の子ってそういうの気にしたりするのかと思ってたけど…」
「正直少し抵抗あるけど、あたしも汗かいたし」
やっぱあるんだ。ええい、いちいち気にするな女々しいぞ!
でも確かに麗奈は今日ダンスレッスンをしていたはずだし、汗が気になるのもわかる。今晩ずっとそのべたついた服のままで色というのも酷な話なのかもしれない。一応アイドルだしな。
「じゃ、先いいぞ。お湯は入ってるから」
「そう?ありがと、じゃあ…」
麗奈は終始俯いたまま、立ち上がり歩き出す。
「あ、そこまっすぐ行って右のドアだから」
「わ、わかった」
なんだかぎこちないな…
がちゃり、と言う音がしたので、どうやらたどり着けたようだ。
…まず、話しておきたいことが幾つかある。
一つ目に、俺が借りているアパートは狭い。典型的なギャルゲー主人公が住んでそうな部屋で、当然一つしか部屋はない。扉を開けるとほんの少しだけ廊下のようなものがあるが、ほぼ部屋に直結している。
二つ目に、このアパート、壁が薄い。割と音が響くし、風呂場なんかで歌えばアパート中に響いてしまうだろう。
…つまり、何が言いたいかというとだな。
しゅる…
「ご、ごくり」
スルスルスル………
「………っ!」
布ずれの音が聞こえてしまうのだ。
その抵抗感のない軽い音で、彼女の滑らかな肌の感触まで伝わるような…
ジャー
「……………」
シャワーの音が聞こえる。おかしいな、次第にシャワーの音が大きくなっているような気がするけど…瑣末なことだ。
そのまま扉に耳を当て続け…
耳を当て続け?
はっ!!
俺はいつの間に扉の前にで聞き耳を立てていたんだ!?さっきまでベッドに腰掛けていたというのに…これがキング◯リムゾン…ッ!?
「ああ、やめだやめだ!」
俺は冷蔵庫から水を取り出し一気に煽る。はぁ、落ち着いた…
気づけばシャワー音は止んでおり、浴槽に入ったようだ。くそ、自制心には自信があったのに、男とはなんと悲しい生き物か…
ベッドに戻ると、足元にガツンと固形物が衝突してきた。なんなんだ本当…厄日すぎる。
痛む左足の小指を抑えながら下を見ると、それはさっき麗奈が取り出したアコギだった。くそ、蹴飛ばしたやりたいがなんだか高そうなのでやめておいた。社長さんの私物とかだったらやばいからな。
せっかくなので抱え、少し音を出してみる。うん、まだ勘はそこまで鈍っていないらしい。せっかくだからなんか弾いてみるか。
昔覚えた冬の定番ソングを弾いてみる。ああ、あと二ヶ月、三ヶ月もすればこの曲の季節がやってくる…
「♬白い雪ーがまーちにー♬」
…これ以上は版権とかの問題もありそうだからやめておくとして、楽器はやっぱり楽しいな。
作曲、か。どうせ香奈ちゃんの思いつきだろうけど、麗奈はやって欲しくないみたいだけど、少しだけ興味が湧いてきてしまった。
すると…
「伸一!伸一さーん!!」
「うるせぇうるせぇ!」
せっかく俺が気を使って小さな音で演奏していたのにお前はどうして人の言うことが聞けないんだ…
扉に向かって歩く。今回は合法である。
「なんだよ」
「あの、えっと…」
「…?」
しかし声の様子からして、おそらくもう風呂から出ている?
風呂場に鍵は付いていない。今、この扉を開ければそこには麗奈の…
【体が勝手に】
【外に出よう】
「なんだこの選択肢!?」
「…何やってるの?」
中に浮かぶ制限時間付きの選択肢。くそ、大◯さんなら…
「なんでもいいからちょっと聞いてよ!」
「え?あ、あぁ」
しかし、お泊まりというイベントで女の子の裸を見ないというのもどうなんだろう。数多くのラブコメ主人公がほぼ必ずと言って通る道。いや、最近は覗いたら成り行きで勝負して、勝てばなんでも言うことを聞かせられたりすると聞く。待てよそれ主人公ばっか得してんじゃんそこからどう女の子が恋に落ちるんだよ。
「だーかーら!話を聞け!はっくしょん!」
「あ、ごめん。で、なんだ?」
と、最近のラノベ界を憂いていると麗奈は寒そうにくしゃみをしだした。風邪を引かれても困るしな。
「服とタオルが…ないんだけど」
「…それは俺に覗かせるための振りなのか?」
「ちっがうわよ!本当にないの!」
「なんでだよあのでかいバッグに入ってないのか!?」
「あの中にはギターと歯ブラシしか…」
「なんでそっちの準備はしてきたのに風呂と着替えは用意しなかったんだよ!」
「そんなこと言われたって〜」
バカすぎる…と言うか、俺がなめられすぎてるのか?
こんなの、俺並みの童貞力の持ち主じゃなかったらきっと襲ってるよ。ああ、その点では麗奈の無防備さはある意味正解なのかもしれませんねこんちくしょう。
「お願いなんとかして〜!」
「無理!裸ワイシャツでもやるか!?」
「やだこの変態すけべ悪魔!!最低!!」
「あーそういうこと言うんだ?もうしーらね」
「ああっ!ごめんなさいお願いしますなんでもしますから!」
「ん?」
「…君ほんと性格悪いよ」
「ったくしゃあねぇなぁ…」
本来、樋口に借りるのが一番近くて便利なのだが…今はそうもいかない。
と言うか、いきなり押しかけて「今、麗奈が俺の家の風呂入ってるんだけど、パンツ忘れちゃったから貸してくれない?」なんて言ったら確実にひっぱたかれるか悪くて警察だ。
なので俺は、その次に近くて便利なコンビニに行くしかなかった。
「寒い…」
外はやっぱり寒い。なんで俺がこんな目に…
それにしてもあの大学生くらいのコンビニ店員、俺が女性用下着を手に取った時少し笑いやがったな…許さん…本社に連絡してやるっ!
でもやっぱり本社に連絡したところで「パンツを買った時…」なんて言わなきゃいけないのかと思うと、恥を上塗りするだけなのかもしれない。
溜まりに溜まったイライラをぶつける場所もなく、勢い良く玄関を通ると、すぐそばの風呂場から声が聞こえてきた。
「あ、帰って来た!はやくー、そこ置いといてくれればいいから!
あ、でもちょっと待ってね?今洗面所でメール打ってるからそれが終わったら…」
「よう買ってきてやったぞ!そら早く着替えて俺に代われ!」
「ってきゃあああああああああああああああ!!!!!!」
そのあまりにもあんまりな言動に我慢できなくなった俺は、洗面所、風呂場へと通じる扉を勢い良く開き、買ってきたパンツを投げつけた。
速攻で扉を閉めると、扉にガンガン、と、何かが投げつけられる音がした。危ない危ない。
「エッチすけべ変態ありえない今でも何が起こったのか信じられない!!」
「近所迷惑だって言ってんだろ!今何時だと思ってるんだよ」
「あんたが常識を語るのかあああ!!」
しかし、外国人の血が入っているからか、かなり大盛りだったな。眼福眼福。
………時刻は、深夜2時になろうとしていた。
「うう…ぐすっ…誰にも見せたことなかったのに…」
「大丈夫だって、そんなに見えなかったから」
「なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ…もうお嫁にいけないわ…」
「お前の本性知って貰い手がそもそもいるのかという…」
「殺すぞ」
「すみません」
麗奈はそれからなんとか落ち着きを取り戻し、俺をくどくどと責めるモードに入ったらしい。と言うか、最後のトーンはガチだったぞ。
「どれくらい見たのよ…」
「いや、だからそこまで…」
「バスト!」
「89!」
「ウエスト!」
「59!」
「ヒップ!」
「84!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「しまった!!」
なんて巧妙な罠だ!
つい俺の隠れスペックのうち一つ、スリーサイズ目算が発動してしまった!
「泣くなよ…」
「ひどい…酷すぎる…」
「いや、その…お綺麗でしたよ?」
「しっかり見てんじゃねぇかこのセクハラマネージャー!」
おかげでずいぶんお怒りのご様子…って当然か。
「そりゃああたしにも至らぬところがあったにせよ、あんまりだ…」
「ごめんって」
「軽い!誠意がまるで感じられない!」
「じゃあどうしろと…」
「何か一つ言うこと聞いて」
「ええー…」
「何よいいじゃない!これ以上ない収穫を得たでしょ!」
立場が逆転してしまった。ほら、やっぱりこんなことから恋は芽生えないって実証できただろう?
「わかったわかった。何すればいいんだ?」
「じゃあ、ギター弾いて」
「…へ?」
「ギター、弾きなさいよ」
「………へ?」
「ギター、弾けるんでしょう?」
「そりゃあちょっとは弾けるけど…なんで?」
「さっき聞こえてきたのよ。胃痛がするような曲だったけど」
「なるほど…」
こっちからも聞こえれば、あっちからも聞こえるというわけか。
「あとあの下手くそな歌もね?」
「それは余計だっての!」
仕方なく俺はギターを手に取り、ベッドに腰掛ける。曲は…こいつでも知ってるのがいいな。
「何してんだ、お前」
「床にずっと座ってると腰が痛くなるのよ」
「…まぁ、いいけど」
麗奈は俺の隣に腰掛けてきた。近い近いいい匂いがする…ってか俺まだ風呂入ってないからあんまり近寄って欲しくないんですけど!
「じゃあ、弾きます」
「…どうぞ」
さっきまで喧嘩してたってのに、急に静かになる。緊張が、俺の背筋を通り助けていった。
俺の指先をじっと見つめ、奏でられる音に期待しているのが伝わり、なんとも言えぬ気持ちになる。
「♬〜〜〜〜〜〜」
「あ…」
そうして弾き始めたのは。俺たちの始まりの曲。
初めて、俺が麗奈の本気に出会った曲。本気で、憧れた曲。
『NEXT』は、静かにゆっくりと、部屋を音で満たしていく。
歌は…歌ってくれないらしい。いや、少し違うか。忘れているのだ。
きっと、彼女の中でも相当に思い入れが深いはずのこの曲を聞いて、いろいろな考えが頭を巡って、からまって…でも、この優しい旋律にそれらは流されていき、それを何度も繰り返す。
そうやって、記憶に、心に、次に進む意志を問いかけるのだ。
「すー…すー…」
「呆れたお姫様だよ、本当」
裸見られたことなんて忘れたのか、俺の方に寄りかかり寝息を立てる麗奈。
前の車と言い、そんなに寝心地が良いのだろうか。
麗奈がいない右側に頭を倒してみる。
…外から見たら相当に滑稽な光景となっているだろう。ってかやっぱり骨ばっていて全然寝心地良くない。
「こんなとこで寝かすのは悪いな」
と、俺はベッドに麗奈を寝かし、布団をかぶせる。俺、あんなことしてやったのにまだこんな無防備になれるなんてどれほど俺を見くびっているんだ…それとも信用しているのか?いや、そう思うとさっきの行動がひどく悪いことに思えるからやめておこう。
しかし…こうして寝ていると、本当に人形…いや、それよりも天使を思わせるほどに整った顔だな。
この顔が怒ったり笑ったり照れたり泣いたり怒ったり…コロコロと変わっていくのは本当に面白い。
でも、本当に脆い。触れれば簡単に壊れてしまいそうで、恐怖すら感じる。
麗奈の中には、本当にたくさんの感情が詰まっていて…それがファンを…そして何より俺を、どうしようもなく惹きつけてしまうのだ。
———ずっと、この寝顔を眺めていたい。
そんなことを願う俺がいることに、気づいてしまった。
「はぁ…疲れてるな、俺」
と言いつつ、視線が麗奈から離れない。
「そうだ」
ギターを手に取り、俺は軽く鳴らす。
湧き上がる思い。それがある今なら、きっと、作れると思ったんだ。
夜は白む。
俺は朝になるまで、ひたすらに試行錯誤を重ねながら、ノートとアコギを行き来していた。