第39話 今日…泊めて?
「念のため聞いておくけど、今なんて言った?」
「念のためも何もないさ。君が曲を作ればいい、と言ったんだ」
…待て、一回整理しよう。
樋口の退社により、腑抜けになってしまった麗奈は、学祭で行うライブの曲を作れずにいる。
で、そんな彼女のマネージャーに急遽就任した俺は、共演者である今井に邪魔と言われ練習から追い出された末に、解決策を求め香奈ちゃんが入院している病院に足を運んだ。すると香奈ちゃんは、俺が曲を作ればいいと言ってきた。
なるほどなるほど………
「どうやったらそういう結論に至るんだよ!」
「簡単だろう?お姉ちゃんが曲を作れないんだったら、他の人が作ればいいだけの話じゃないか」
「じゃあなんで俺なんだよ?そんなの香奈ちゃんの方がよっぽど得意だろう?」
「悪いけど私は少々立て込んでいて、あまり曲作りとかに打ち込んでいる余裕がないんだ」
「立て込んでいるって、何が?」
「さぁ、なんだろうね」
それがなんなのか教える気はない、とばかりに窓の方を向いてしまう香奈ちゃん。
クソォ、お兄ちゃんなんて言うくせにこれだよ…
「でもさすがに無理だ。俺作曲なんてやったことないし、楽器だって少しギターかじったくらいだし…」
「それなら問題ない。どうせ、学祭の準備なら会社には行けないだろう?ならそこで生じた多くの時間を全て作曲に投じればいい。
やってできないことはないさ。それに、作曲理論の勉強はこれからお姉ちゃんのマネージャーをやっていく上でも、きっと役に立つスキルだと思うよ」
「微妙に説得力ある意見なのが腹立たしい…」
「お褒めにあずかって光栄だね」
「褒めてねぇ…」
確かに俺が知識を持ってれば色々手伝えることがあるのかもしれないけどさ。
でも、本当いそれでいいのか?それで、麗奈は納得するっていうのか?
そもそも麗奈が歌うということは日本中、あるいは世界中に曲が響いてしまうってことでもある。いくらなんでもなんの才能もない俺がやっていい仕事じゃないだろう。
と、俺が頭を悩ませていると、香奈ちゃんはベッド脇に置いてあったカバンから一冊の本を引き抜いた。
「何これ?」
「『楽しい簡単作曲講座』って書いてあるだろ?」
「それをどうすると…」
「読みなさい」
「……………………………………」
そう言って差し出されたハードカバーの教書は、厚さが3センチちょいくらいあって…
ちなみに俺はつい最近麗奈のマネージャーという激務を仰せつかったばかりで…
「無理無理無理無理!!」
「だーめ!これくらい読む!」
「こんな分厚い本読んでたら日が暮れるわ!」
「ほう、理解に日暮れまでで足りると?なるほどさすがお兄ちゃん、見込みがあるよ」
「そういう皮肉が聞きたかったんじゃない!」
この子、どうあっても俺に作曲させる気だ。
「山橋香奈さーん。検査の時間ですよー!」
「はーい」
と、やっているうちにタイムアップ。
「ま、一応読んでおきなよ。デメリットはないんだから」
「時間が減るだろ…」
「どうせ使い道のない時間さ」
「言ってくれる…」
香奈ちゃんは立ち上がり、ナースのお姉さんの元へ歩く。
「お兄ちゃんが作曲してくれれば、お姉ちゃんの刺激になるかも知れないしね?」
「っ…」
その発言は、少しずるい。
検査に向かう香奈ちゃんを追うわけにもいかず、俺はその場に立ち尽くすしかなかった。
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「ふわああ…」
あの後麗奈を迎えに行き、彼女の最寄駅で別れ、俺は帰宅した。
上の階については、あんまり気にしないようにしているため、どうなっているかはわからない。
父親の元に帰ると言っていたからそのうちいなくなるのかもしれないけど…まだ引っ越しをした様子はなかった。
…今行けば、きっと会える。
でも、もう、会うことはない。俺たちはそういう運命に、きっとあるんだ。
「って、何考えているんだ、俺」
集中集中。俺はページをめくる。
香奈ちゃんに乗せられたわけじゃないが、せっかくもらった本だ。一応少しは目を通しておこうと思ったのだ
見てもいないアニメをけなすような男になるなと親父から教わったしな。教わってないか。
と、ちょっと違うんじゃないかそれは的な考えに浸り、結局集中できずに日をまたいでしまった。
ページ、ちょっとしか進んでいないじゃないか。
でもこれ以上やって集中できるとも思えない。今日は寝て、明日ちゃんと読もう。
そういえば夕飯も風呂もまだだだし…やっぱたるんでるな、俺。
と、机を離れようとした時だった。
ピンポーン
さっきも言ったが、時刻は12時を回っている。こんな時間に来る人間なんてきっとろくなもんじゃない。
それに…嫌な予感センサーに大きな反応ありだ。
ピンポーン
「………はぁ」
とは言ったものの、無視はできない。一応確認くらいするか。
俺はドアスコープを覗き込み相手を確認しようと…
「うわあああっ!!!!」
なんだあれなんだあれなんだあれ!!?
目が!黒くて大きな目がじっとこちらを見つめていた。
幽霊なんて信じちゃいないが、今のは………
「ちょっと!早く開けなさいよ!」
「………へ?」
幽霊にしてはどうにも軽いような、というか聞き覚えのあるような…
「ここで鉢合わせとかしちゃったらどうするつもりなの!?超気まずいわよ?あたしもう心ボロボロになっちゃうかもよ?」
「…何やってんだ、あのバカ」
というか、麗奈だった。
「遅い!」
「こんな深夜に尋ねてきた女に文句も言わずに入れてやった俺にその言い草か」
相変わらずの理不尽な言動。
我らがツンデレアイドル山橋麗奈は、身の丈に合わない大きなバッグを背負って、なぜか俺の家に来ていた。
「ってかいいのかよ…写真とか撮られたら結構まずいんじゃないのか?」
「大丈夫よ、送ってくれた社長さんが目を光らせて大丈夫だって言ってたから」
大丈夫って…自警団でも持ってるのか?
「…それ以前に、男の一人暮らし部屋に女の子が一人で来るっていうのは…?」
「……………あ」
「まさかそっちの方に気が回らなかったのか?」
「え、だって…え?信用してるし?」
「そんな風に肩を抱いて後ずさりながら言われてもなんの説得力もないわ!
別に襲ったりしないから座れよ。お茶くらい出すから」
「そ、ありがと…」
そんなに信用なかったのか…地味にショックだ。
と、そんなことも気にせず麗奈は俺が引いた椅子に座り、所在なさげにキョロキョロと周りを見渡し出した。
「男の子の部屋って、入るの初めて…」
「そっ…か」
ってかそういういきなりドキッとする言葉を言うのをやめてほしい。心臓に悪いだろ?
ほら、おかげで女の子を家に呼んでいるって実感が湧いて緊張してきちゃったじゃないか!
「はい」
「ありがと」
暖かいお茶を差し出すと、嬉しそうに飲んだ。顔を湯気に当て幸せそうな顔をしている。
「外寒いのか?」
「まぁもう9月だし、昼間は夏でも夜は冷えるのよ」
俺も一口お茶を飲んでため息をつく。
だめだ…be cool 俺。順序立てて話すんだ。
「で、何の用で来たんだよ?」
「ああ、それね…」
「…何してんだ?」
麗奈は持ってきた自分のバッグから、なんとアコースティックギターを取り出していた。大きかったのはこれを入れてたからか。
「ここで作曲しようと思って」
「いや、ここアパートだから!近所迷惑だから!」
本当何を言っているんだこいつは!?
「大丈夫よ、あんまり大きくならないように気をつけるから」
「問題の本質はそこじゃねぇ!」
「うるさいなぁ、近所迷惑になるでしょう?」
「マジかよ信じられねぇその返事…」
まるでおかしいのは俺の方みたいな顔をしている。…もしかして本当に俺がおかしいのか?そんなわけないだろ。
「ってかどうしてここでやる必要があるんだよ!」
「だって伸一と…じゃなくて、いつもと違う環境にいたらいい曲が出来る気がするの!今までだってそうだったんだから!」
「じゃあどうして今日なんだよ!また今度違う時だったらまだしも…」
「それは…だって…」
「だって?」
言葉に詰まった麗奈は俯き、悩むように顔を歪め、それでも勇気を振り絞るように口を開いた。
「あんたが曲作る、って………聞いたから」
「…え」
「そんなの…嫌だったから。かっこ悪いって…思ったから」
わかってた、ことだったのに。
ポツリ、ポツリ。溢れる言の葉は、じわりと心にしみをつける。
「香奈から電話があったの!曲はお兄ちゃんにお願いしておいたから、適当作詞でもしておいて…って」
「香奈ちゃん…」
そもそも俺は承諾していない上に、言い方ってもんがあるだろう。
麗奈がそんな風に言われてはいそうですかと納得するような性格だったらどんなに楽か、一番わかってるはずなのに。
「そんなのって、ないよ…あたし、頑張ってるんだよ?いい曲作ろうって、頑張ってるんだよ…?」
「…っ」
「だから、今できないからって簡単に諦めたくない。それは…“山橋レナ”じゃないから」
彼女は皆の憧れ、偶像、女神様であらねばならない。
そして、その自覚こそが彼女を奮い立たせるものでもあるのだ。それを奪われると思い、焦ってこんな時間に、こんなところまで来てしまったのか?
まったく、本当に…
「馬鹿だな」
「なっ…」
「すまん口が滑った」
「すまんと言いながら全く反省しているようには見えないのだけれど」
「でも本当、全然なんにもわかってないよ、お前」
「何がよっ!」
勢いよく噛み付いてくる麗奈。
「俺が、お前の作る曲を超えられるわけないだろ?」
「ひゃ………」
「自信持てって。俺は曲なんて作らないし作れないし、仮に作ったとしてもそれをお前に歌わせるなんてことはないさ」
「…本当?」
「ああ。まぁせっかく作ったらお前に歌ってみて欲しいけど…残念ながらそんな曲を聞きたいのは俺だけだよ」
「どうして?」
はは…これだけ言ってまだわからないなんて、やっぱり麗奈は不調らしい。
「会場に来るみんな、麗奈と今井が歌う、麗奈の曲を聴きたくて来るんだぜ?俺みたい部活にもほとんど行ってないど素人が作った曲が聴きたいんじゃない。
だから焦らなくていいよ。ゆっくり、でも最高の曲を、お前が作ればいい」
こんなにも当たり前のこと、俺に教えられるなんてさ。
「伸一………」
クサイ台詞を言いすぎたか?麗奈のやつ、感動のあまり俺の名前を熱っぽく呼んで………
「頭撫でるの、もうやめて」
「あ…」
いつの間にか麗奈の髪はくしゃくしゃになってしまっていた。
実はさっきずっと頭を撫でていたんだった…触り心地よくていじってたら忘れてたよ。
「まぁそんなわけで、今日は帰れよ。朝になって写真でも撮られたらアウトだろ?」
「そう…ね。今日は帰るわ」
「おう」
時刻はもう1時過ぎ。
急に素直になった麗奈は帰るらしい。ま、少しは力になれただろうか。
扉を開けると、確かに秋を感じれるほどには寒かった。
「じゃ、気をつけてな?」
「うん…」
そして、麗奈は家の外に…
「あれ?」
「どうした?」
出たと思ったら、扉の前で立ち止まってしまう。
しかも今の「あれ?」って台詞。確実に何かアクシデントがあった時の反応じゃ…
「社長さん、帰っちゃった」
…もう一度言おう。時刻は1時ちょうど。
そんな時に、上り線が動いているはずもなく…
「車、ない…」
「……………………」
「……………………………」
訪れる静寂。そして…
「お願い伸一!今日泊めて!」
「自業自得だ歩いて帰れ!この馬鹿!」
バタン、と、扉を閉めた。
………五分たっても、その捨てられた子犬のような目でインターホンを覗き続けるので結局入れてやったのだが…こういう甘いところが、麗奈をダメにしているのかもな、と、ふと思った。