第3話 “俺たち”を始めた日
涼しい夜風が肌を撫で、酔った体に心地よい。
精算はとりあえず三年生の先輩方が持ってくれて、後日2年からも一部回収らしい。ま、俺の分は雅也に払わせるけど。
「あ、頭痛いよぉ……」
「初めてなのにあんなに飲むのがいけないんだ」
「あ、頭痛いぞ伸一ぃ……」
「お前は知らん」
フラフラとよろめく雅也をどかして松原のそばに行く。
あ、ちなみに雅也は4月5日が誕生日なのでもう20。やったね、合法だ!
「松原、お前一人で帰れるか?」
「ううっぷ……」
「無理そうだな……どうしようか」
横目で他の部員を見ると、二次会の打ち合わせをしているようだ。まったく、しょうがないな。
「送ってくよ。家どこだ?」
「家……?はは、どこだろ。僕の家、もうなくなっちゃったから」
「は?」
もしかして、複雑な事情が?
「嘘だけど」
「いらん嘘つくな!」
これだから酔っ払いの相手は嫌なんだ。
と、俺がため息をついた時、ピリリリリリリ、と、松原の携帯から着信音があった。
「おい、出ろよ」
「石田伸一、出て〜」
「はぁあ?」
でもこのままだと家を聞きだすこともできなさそうだ。保護者の方かもしれないし、出たほうが良さそうだな。
俺は松原の持っていたカバンの中からスマホを引っ張り出し、通話ボタンを押す。
「もしもし」
『ひゃあっ!!』
ブツ。
………………え?
どうしよう、こういう時どんな顔をすればいいか、わからないの。
笑えば、いいのかな。
ピリリリリリリリリリ…………
「おんなじ番号からだ」
「出て〜」
仕方なく俺は再び通話ボタンを押し、耳に当てる。
『す、すすすすみませんどちら様ですか?』
「動揺しすぎじゃないですか?」
『だ、だって違う声だったから……』
「あ、そういうことか」
相手は声的に若い女のようだ。
それで、いきなり違う声の人が電話に出たからびっくりして切ってしまったと。なら仕方なく……ねぇよ。切っちゃダメだろ。
「実はかくかくしかじかで、松原くんと一緒にいてですね」
『誰ですかその大手出版社の社長みたいな名前』
「やめて!そろそろ怒られちゃうからもうやめて!」
もう手遅れかもしれないけれど。ってかこのネタわかる人少ないかも。詳しくは角○(以下略)
「この携帯の持ち主ですよ。松原……下の名前なんだっけ?」
『持ち主……ああ、そっかそうです!松原ですね!』
「わかってもらえましたか!」
なんか知らんが、ようやく通じたらしい。
『それにしても部活の新歓会ですか……そんな連絡一個も入れてくれなかったのに……』
「あの、家の場所がわからないのですが、どちらに送ればいいかわかります?」
『え、送っていただけるんですか?』
「ええ、まぁこうなったのも一応僕の責任ですし」
『そ、そうですか……じゃあ、香川駅まで来れますか?』
「香川?えっと、神奈川の香川ですか?」
『そうですよ。四国に行ってどうするんですか』
「まぁそうですけど……いえ、俺と同じ住所だったもので」
こんなやつ見たことないけどな。いや、気づかなかっただけか?
『あ、そうなんですか!偶然ですね!では、迎えに行くので着いたら連絡いただけますか?番号はこれと同じで!』
「はい、わかりました」
『ありがとうございます。では、また後ほど』
「はい」
そうして、電話は切れた。この俺のそばで吐き気と戦いながらうずくまり呻いている生意気でだらしない後輩の関係者にしては、随分と礼儀正しい受け答えだったな。
それに、せっかく帰宅ついでになったんだ。ラッキーと思おう。
「すみません部長、俺、こいつ家まで送るんで二次会はパスします」
「ん?そうか……残念だな。今日はいつもよりずっと話してたから、これを機にもっと親睦を深めてもらおうと思っていたんだけどな」
「す、すみません……」
「いやいいさ、後輩の面倒を見るなんて先輩の鏡だしな。俺も見習わせてもらうよ」
「…………」
打算のない、純粋ないい人を目の前にすると、俺は何を話していいかわからなくなってしまう。
部長は俺の横でうずくまる松原を見ると、肩に手を置いた。
「お前の才能は素晴らしいからな。今度、また体験だけでもしに来てくれ」
「ううっ……ばい……」
「あ、返事した」
「じゃあ石田、俺は氷川借りてくぞ!」
「はい、それはご自由にお使いください!」
「ひどい!俺だってフラフラの酔っ払いだよもう正直帰りたいよ!!」
「ほら行くぞ氷川!」
「あ、ちょ……伸一ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいい!!!!」
部長に担がれて、夜のネオンに消えて行く雅也。
さらば、君のことは忘れない。
「そんじゃ、行くか」
俺はかがんで、松原に背を向ける。
「なに?」
「おぶってやる。ま、電車までだけどな」
「あ、ありがと……うっぷ……」
「頼むから俺の上で吐くなよ?絶対だぞ?フラグでも振りでもないからな?」
俺は寄りかかってくる松原の体重を支え、立ち上がる。
うわ、軽!さっき腕の細さで予想はしていたが、それ以上だ。
規則正しい寝息が耳にかかり、なんとも言えない気分になる。
実家に住んでいるお母さん、お父さん、ごめんなさい。伸一は男の子の寝息で興奮するような変態に育ってしまいました。
両親への謝罪文を脳内で書き記しながら、駅へ向かう。
電車ではいつでも吐いていいよう常にビニール袋を所持し、あまり揺らさないように気をつけた。
そして、ようやく香川駅に着いたのは午後11時52分。
呻く松原をおぶりながら改札を抜け、近くの河川敷まで運ぶ。
公園にもなっているここは名所で、特に今は川沿いに植えられた桜がライトアップされており、深夜ということもあってか幻想的な雰囲気を醸している。
松原をその場に置かれているベンチへ横たわらせ、松原の保護者らしき人物に電話をかけた。
3コールのうちに繋がる。
『着きましたか?』
「はい。駅の近くの河川敷にいます」
『そうですか、わかりました。後十分ほどで着きます』
「わかりました、お待ちしています」
電話を切る。あと10分か。
……しかし、今更だけど電話先の人は松原とどういう関係なんだろう。
若かったし、彼女だったりするかも。うわぁなんか見たくないような見たいような、微妙な気分だ。すると、ベンチに転がっている松原が呻き声をあげた。
「うう……」
「どうした?」
なんだか苦しそうだけどこれはまさか……
「は、吐きそう……」
「今か!?今なのか!?」
だが不幸中の幸い。電車と違ってここなら人気もないし、ビニール袋の用意もちゃんとある。
仕方なく松原を姫抱っこし、水道のそばまで運んだ。
「さ、吐くなら吐いちゃった方が楽になるからな。我慢すんな?」
「うぷ……けほっけほっ……」
「どうしたんだ?」
「服が苦しくて……詰まる……っ!」
「服?」
そんなタイトな服を着ているようには見えないけど……
俺は彼のジャケットを脱がせる。
すると、白いシャツ越しに背中に何か浮き上がっているのが見えた。
「なんだこれ」
俺はシャツを背中から持ち上げる。覗く白磁のように白く、滑らかな肌。
ゴクリ……じゃなくて、こいつ男だって。
そして、肩甲骨の辺りまでめくった時……
「包帯?」
「ああ、苦しいもうダメっ!」
「は?」
松原は自分のシャツの前を開け、その胸元を囲うように巻かれた包帯を掴み一気に剥ぎ取る。
そして、それとほぼ同時に……
「う、おrrrrrrrrrrrrrrrrrr」
「うおおっ!?」
一気に溜め込んだものがビニール袋へと流れ込む。これ絵面的に相当アウトだなどうすんだよ。
そして、一通り吐き出し終えると、水道の水を飲みだした。
「……っぷは!すっきりしたぁ……ってあれ、ここどこだ?頭すっごくクラクラするし……よ、おっと」
「あ、おいっ」
急に立ち上がろうとしてよろける松原を右手で支え、俺の上にのしかからせるようにした。
「はぁ、全くあぶねぇだろ気をつけ……」
「…………へ?」
「ん?」
俺の、今まさに松原の胸あたりに置かれている右手に、未知の感触が宿る。
いやまさか。だって男物のスーツ着てるし、髪も短い。
いや、でも、この手からこぼれそうな柔らかい物体を形容する言葉なんて、この世には一つしかない。
「お、おっぱい……」
そう、それは全人類の至るべき聖丘……
「何してるんだこの変態ぃぃぃっっっ!!!!」
「こばとぉおっ!!」
その瞬間、俺の頬が鈍い音を立てた。勢いで俺の大好きな妹キャラの名前が出てしまうくらいの威力。
ミサイル並みの勢いで飛んで来た足に、俺は顔面を蹴り飛ばされたのだ。
勢いは死なず、俺は川岸にまで転がっていき、柵に激突した。い、痛い……
「……あ、あぶない……」
柵がなかったら即死だった。……じゃなくてだな。
「な、なんだよいきなり……っ!?」
怒ろうと思った。
いきなりやって来て人の顔を蹴り飛ばすとかどんな神経だ、って。
でも、起き上がった俺の視界の先にいた人物は、それこそ俺の脳神経がいかれてしまったんじゃないかと思えてしまうほどに意外な人物で。
「………先輩?」
「樋口……さん?」
今朝、一緒に駅まで行った後輩の姿と、そして……
「し、ししししし……信じられないっ!!」
顔を真っ赤にして俺を睨む、透き通るような癖のある“金髪”ロング超絶美少女だった。
こんな綺麗な人間に会ったことがない。でも、確かに俺は彼女を見たことがある。
それは、例えば今日のニュースなんかで。
「山橋……レナ……?」
それは、俺の目の前になんか現れるわけがない、画面の奥にしかいないはずの偶像で。
こんなこと、他の人に話したらきっと大笑いされるような話なのかもしれないけど。
それでも確かに、トップアイドル山橋レナは、俺の目の前に立っていたのだ。