第34話 嘘つき
今まで本当にお世話になりました。
あの花火大会の日から数日後、彼女は皆の前で頭を下げ、風間プロダクションを辞めると告げた。
「美香…どうして!?」
「そうだぜ!なんだって今…」
「……………樋口…」
そんな突然の告白に皆…いつもクールな博多先輩ですら、驚いた顔をしていた。
「おいお前ら、美香を責めてやんなよ?家庭の事情だ。仕方ねぇさ」
「そんな…家庭って…」
「いいから、この件に関してはもうとやかく言うな。わかったな」
突然じゃなかったのは俺と、社長さんくらいだろう。
彼は不満気な顔の先輩たちを低い声で止め、深くため息をつく。そうして生まれた重い空気は、それ以上の追及を許さなかった。
「わかったな…じゃ、ないわよ…っ!!」
…が、空気を読まないことに定評がある彼女は、自分の思いを正直に吐き出してしまう。
彼女はいつものソファに座りながら、肩を震わせていた。
「美香、あんた何勝手なこと言ってんのよ」
「麗奈さん、本当に今回は申し訳ないと…」
「申し訳ないじゃないわよ!!」
ソファのそばにあるゴミ箱を蹴飛ばし、麗奈は勢いよく立ち上がる。
「なんで!?この前じゃない…たった二週間前に、来年はあの場所で花火を見ようって言ったばっかじゃない!!?」
「〜っ!麗奈さん…ごめんなさい…」
「ごめんじゃないって言ってんだろうが!!」
「おい、麗奈!!」
樋口に掴みかかろうとする麗奈を羽交い締めにして止めた。
すると、彼女は怒りの矛先を変え、俺をにらんだ。
「なんで!?あんたはいいの!?」
「っ………」
俺は数日前のことを思い出し、唇を噛む。
康介に次ぐ、トラウマシリーズその2になったあの花火大会が、昨日のことのように脳裏をよぎるのだ。
「俺は…それでいいと思う」
「あんた…」
「だって、もう決めたんだろ?仕方…ないんだろう?」
「先…輩…っ!」
だけど勤めていつも通り、いつも通りの態度で、麗奈をなだめるしかない。
なのにこんなにも、俺の心は一言一言でこんなに痛まなきゃならないんだ。
理由は…本当はわかってる。
もし樋口が残れば、この会社に迷惑がかかる。それはどうしようもない真実だ。
そして、その結果一番危険なのが麗奈なことも、また真実でもある。
「嫌だ…嫌だよぉ…」
「麗奈……」
羽交い締めにした麗奈を解放する。すっかり勢いをなくし、泣き出してしまった彼女に、俺は何にもしてやれない。
何か、もっと力があれば、勇気があれば、この結果を変えることができたのだろうか。
でも、無理な話だ。俺は結局、成人もしてないただのガキでしかないのだから。
「ごめんなさい…」
「せめて相談…して、欲しかった」
「………ごめんなさい」
「美香にとってあたしは…どれほどの存在だったのかな?
…取るに足らない。ものだったのかな」
「そんなことっ…!」
「そんなことないって言うの!?何もかも勝手に決めて、はいごめんなさいで全部済むくらいの関係なんじゃない!あんたにとってあたしは」
「麗奈、いい加減にしろ」
涙をこぼしながら樋口を責める麗奈を、社長さんが止めた。
「ねぇ社長…もう、どうしようもないの?」
ポツリ、美月さんが問うと、社長さんは首を縦に振った。
以前言っていたように彼はきっと、自社の存続を第一に考える。だから、樋口の退社を引き止めることもきっとなかったのだろう。
そう、ここにいる誰が悪いわけじゃない。理不尽は世の中に溢れている。
「じゃ、送別会しよ!ここまで一緒にやってきたんだから…理由も事情があるみたいだし、湿った顔で送るのも嫌じゃない!」
「…そう、っすね!そうだ!ね、総司さん!!」
「おう、そうだな。予約予約…」
それでも…
「すみません、今日から大学の方で文化祭準備が忙しくて…」
「伸ちゃん…?」
俺はあの日、彼女を責めた。
それくらい悲しくて、悔しくて…許せなかった。
どんなに大変な問題だとしても、俺は寄りかかって欲しかったんだ。
困ったら、一緒に解決策を考えるのがいいことだって、この前お前が言ってたんじゃないのかよ。なのに勝手に自分で結論を出して、去っていくのか?それで、どうして俺が納得出来るっていうんだ?
ああそうだ、これは八つ当たりさ。でも、それくらいしか、自分の中で燻る激情を抑えられない。はは…なんだ、俺も麗奈と一緒じゃないか。
樋口みたいに、大人になれないんじゃないか。
「すみません…これからも忙しいとは思うんであまり出社できないかも。でも、暇な時間に、ちゃんと仕事していくんで」
「おい石田、学祭なんて…」
「博多先輩、俺、大学二年なんです。部活動にも行かなきゃいけないし、仕事もたくさん任されてます。だから、すみません」
それでも俺は、こんな苦しい嘘を吐き続ける。
ここから一緒に送別会なんて、したくない。行きたくない。嫌だ。
「ごめんな、俺、ちょっと忙しくて…あ、暇だったら学祭見にこいよな?」
そんな暗く鬱屈とした感情を隠すために、俺は明るく謝っておいた。
「っ…はい!ありがとうございます!」
それなのに、こんなにも心が軋む。
だって、樋口が返してくれる笑顔の裏に、泣いている少女の姿が見えてしまうから。
言葉越しに彼女を深く傷つけた感触が、残る。
「じゃ、俺、行きますね?」
「おい石田」
「…なんでしょう?」
社長さんに声をかけられる。さすがに態度が悪いとか思われてしまっただろうか。
「すまないな」
「っ…!失礼します」
でも、ビビる俺に対し投げかけられた言葉は、謝罪の言葉で。
その言葉に、それほど自分が小さいかを思い知らされているようで。
俺は逃げるように、できるだけ急いで階段を下るしか、なかった。
「はぁ…っ…はぁ…!」
どうして、こうなってしまったんだろう。
俺は、ただ、風間プロダクションでみんなと何かを成し遂げるのが、好きだっただけなのに。
「……って…!!」
楽しかった。それだけで、良かったのに。
「って!はぁ…はぁ…はぁっ…もうっ!!」
これじゃあ、昔とどう違うって言うんだ。何が変わったって言うんだ。
ってか松葉杖ってほんときつい!まだ階段降りて30メートルくらいしか移動してないのにめっちゃ腕痛いし!
「待てって言ってんだろうがこの馬鹿男おおおおお!!!!」
「ぐはぁっ!!!!」
いきなり後頭部に固形物をぶつけられた。ってこれヒールじゃないか。
こんな馬鹿なことする奴、俺の記憶にはないぞ…
「すまんな、いたわ」
「…何よその顔…事務所からずっと追いかけてたのに」
「ああ、さっきまでの声はお前か…」
どうりで騒々しいと思った。なんだかんだ言いつつ帽子を目深にかぶっているため、周りには麗奈と気付かれていない。
「何の用だ?送別会は?」
「見送りになったわよ。あんたのせいで」
「ああ、それは…」
ちょっと申し訳ないな。
「そんで、そんなんでどこ行こうってんのよ…」
「いや、だから大学に…」
「嘘つき。雅也くん、準備は来週からだって言ってたわよ?」
「……………」
あいつ、余計なことを…ってか、あいつまだ麗奈と連絡とってたのか。
「それ、樋口には?」
「言ってない。ってか、さすがにあんな顔したあの子に言えないわよ。本当、相手が一番嫌がることを的確に言い放つ男ね、君」
「俺をそんな極悪非道な悪代官みたいに言うな。
ってか、お前にしては随分と大人だな…もっと怒って暴れてるかと思ってた…」
「まぁ…そうしてやろうと思ってたんだけど」
「けど?」
「大人気なくキレてさっさと退散していく先輩がいたから、なんだかそんな気も無くなっちゃった」
「別にキレてなんか…」
「別に怒鳴り散らして暴れることがキレるってことじゃないのよ?」
「そ、そうだけど…」
屈辱だ。まさか麗奈に言い負かされるなんて。
そのくらい俺の行為はみっともないものだったのか。まぁわかっていたんだけどさ。
「で、これからあんたどこ行くの?」
「とりあえず大学行く。授業はもうちょっとしてからだけど」
「ふーん、雅也くんのとこ?」
「まぁ、そうだけど」
きっと雅也のことだ、部活で企画を必死に練っているのだろうしな。
すると、麗奈はちょっと思案気に首をかしげてから、決めた、と小さく呟いた。あ、嫌な予感。
「ダメ」
「あたしも行く」
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「まだ何も言ったなかったじゃない!」
「知るか!結局ダメだ!」
予想通りすぎて先読みしてしまったわ。
「そもそも、お前今日仕事は?」
「大丈夫、夕方からドラマの撮影がちょっとあるだけだから」
「それ全然大丈夫じゃないだろ超重要案件だろ。セリフとか覚えてるのか?」」
「馬鹿ね、あたしを誰だと思ってるの?」
「…はぁ…適当なところで帰れよ?」
と、結局麗奈の言う通り、二人で久々の冬海大学に行くことになった。
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「だから!今回は俺のリサイタルをメインにして…」
「んなもんしたら客一人もこないかクレームの嵐ですよ!!主に騒音の!!」
「んだとゴルァ!!?」
「ひ、ひぃっ!!」
「…………………何やってんだ、お前」
部室の扉を開けると、そこは以前とやっぱり変わらない内装であった。
ただ、前と違うところはいくつかある。雅也が部長と喧嘩していること、他の部員…出席率が低い奴らもちゃんといることだ。
「あれ、伸一?どうしてここに?」
「いや、ちょっと時間が空いたから…それより、何やってんだ?」
「え?グループラ◯ンで送っただろ?まぁ見てないか。そもそも今日お前が来るなんて思わなかったしな」
そんな連絡があったのか。
ポケットからスマホを取り出して見ると、風間プロダクション社員からのラ◯ンでいっぱいだった。うわぁ…美月さん超怒ってるじゃん。未読未読…じゃなくて、トークリストの下の方にある歌唱研究部をタッチ。ああ、確かに召集かけてる。来週から文化祭準備始めるから、その企画を考えようということらしい。
まぁ、夏休み中仕事が忙しすぎて仕事関係以外の連絡はあんまり見れなかったから、気づかなかったのは仕方ないだろう。
「で、決まらないのか」
「そうなんだよ〜部長があの公害レベルの歌でリサイタルとか言うんだよ〜!お前からもなんとか言ってやってくれ!!」
「確かにリサイタルは…」
「聞こえてるからなお前ら…」
部長はそのゴリラみたいな顔を歪ませ、俺たちを睨んでいた。雅也は苦い顔をして頭を抱えている。
二人とも、意見は違えど本気でいい文化祭にしたいのだ。だから、こんなに渋い顔をして考え込んでしまっている。
でも………
「ねぇ伸一、ちょっと邪魔なんだけど…中の様子が全然わからないわ」
「ああ、そうだな…」
「「!!!?」」
俺の後ろにずっと隠されていた麗奈を見た瞬間、顔色が変わった。
「「こ………」」
「どうしたんだよ二人とも!?」
「うわっ、なんで近寄ってくるの雅也くん!?あと…誰だっけ?」
「「これだっっっっっ!!!!」」
これ?そう言って、部長と雅也が見ているのは間違いなく麗奈のことで。
もしかしてこの二人がこれと決めた企画というのは…
「是非!俺たちの学祭ステージに出演してください!!!!」
「…え、いやなんだけど」
いろんな意味でアホで、アウトな企画だった。