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第33話 さよなら

 

 次々に打ち上げられていく花火。

 空に広がり、一瞬の輝きを残し、消えていく。


「昔話って…なんだよ」

「先輩も、本当はその話がしたくて私を誘ってくれたんじゃないですか?」


 違う。俺は樋口に、たくさん助けてもらったから。だから、どんな形であれ何か返せればと思っていただけなんだ。

 それと…あとはまぁいい。


「全く…あんなとこでお兄ちゃんが来るなんて卑怯ですよね。

 ………いつか、自分で言おうと思っていたんですよ?」


 いや、本当に、それだけだったか?

 あの“花火”の日に見た長澤康介が樋口美香の兄と知って、お前は本当に何も思わなかったのか?

 そのことに、なんの関心も抱いていなかったって言えるのか?


「べ、別に今そんな話しなくても…」


 花火、始まったばかりじゃないか。

 だから今日は、楽しかったっていう思い出だけにして終わりじゃ…ダメなのか?


「ダメなんです」

「…え?」

「今じゃなきゃ…ダメ」


 けれど、そんな必死の延命を、彼女は認めない。

 強い意志を持った、その黒くて大きい瞳に吸い込まれそうになって、慌てて目をそらしてしまった。

 俺の反応を肯定と取ったのか、彼女は口を開いた。


「これは私の家の話なんですけどね。

 私の家…というかお父さんが、少し厳しい人なんです。

 昔から私を歌手にするんだってうるさくて、それで無理やり中学生の時オーディションを受けさせられて…まぁうっかり通ってしまったんです」

「え…?」


 彼女が歌っているのを、俺は見たことがないが…オーディションに通るってことはかなりうまいってことなのだろう。

 それにしても歌手なんて世襲でやってるわけじゃないんだから、そんな風に娘の未来を決めていいものなのか。


「そこから、私には厳しい歌のレッスンが課せられるようになりました。

 辛かった。お父さんは私のミスを厳しく指摘し、時には叩かれることだってありました。

 歌なんて大嫌い。どうして私がこんなことやらなきゃいけないんだ。

 そう思った私は、それでも歌をやめられませんでした。

 だって、その時の私のとって歌は全部だったから。

 友達付き合いも全然できない。唯一の友達は、昔から仲が良いののだけでした」

「そんな…」


 その歳くらいの中学生は、自分という個がどう構成されているかなんていちいち悩むもんじゃないだろ?

 もっと身勝手で、いいはずだろ?


「かわいそう、だなんて思わないでください。先輩も、それはいやでしょう?」

「っ…」


 彼女は花火から目をそらし、視線を下に向けた。今までの辛そうな顔から懐かしそうな、優しそうな顔へと変わる。


「そんな時です。先輩に出会ったのは」

「俺と…?」

「はい。私、部活動見学の時男子バスケ部も見に行ったんですよ?

 父は部活に入ることなんて許さなかったから、とりあえず兄の見学だけでもって。

 そうしたら、一人すごく頑張ってる人を見つけたんです。

 みんなが休んでる間も馬鹿みたいにシュート練習を続けて、練習が始まったら誰よりも走って。

 技術的にそこまで上手じゃないのは素人からでもわかったんですけど、その姿がなんだか、心に沁みて…」

「……………」


 バカみたいってなんだよ…シュート成功率を上げるくらいじゃないとメンバーに残れないと思ったんだよ。

 あと、走ってたのはただ単純に体力が欲しかったからだ。上手じゃない?余計なお世話だ。

 そう、当時の俺は、本当にそれだけだったのだ。だから…


「それからレッスンが休みの毎週木曜日の午後、私はバスケ部を見学するようになりました。

 頑張るその“先輩”を見たら、なんだか元気が出たんです。そしたら、そのあとの練習は不思議と苦じゃなくなっていった。いいえ、楽しいとすら思えました」


 だからやめてくれ。俺をそんないい奴みたいに、語らないでくれ。


「でも、夏のある日、その先輩は部活に来なくなりました。

 私はそれが不思議で、そしてどこか不安で…兄に少し聞いてみたんです。そしたら………」

「話したのか、あいつ」

「………はい。聞くに堪えないような罵詈雑言を飛ばし、自慢げに先輩を嵌めたことを語りました」

「あぁ…」


 やっぱり、お前は全部知っていたんだな。


「私、それがどうしようもなく悔しくて、両親に兄のしたことを告げ口しました。

 PTA会長も務めるお母さんならきっと教師を説得できるんじゃないかと思って。

 お金学校に大きく寄付していたお父さんなら、教師は考えを改めるんじゃないか思って。

 …でも、そしたらお母さんは言いました。

 私が、教師に彼を外すように言ったのだ、と。

 お父さんは言いました。

 長澤家に敗北は許されない、当然のことだ、と。

 ああ、この家の人間は壊れている。そんなことに、ようやく私は気付いたんです」

「そんなことがあったのか…」


 康介の親が学校を裏から操作し、俺みたいなガキ一人を孤立させた。

 それが、ただ自分の家から出た息子をベンチにさせないためだったのか?

 おかしい。そんなのは、おかしいじゃないか。


「それからは早かった。私はすぐに歌をやめたいと言いました。もう、なんのために歌っていたのか、わからなくなったんです。

 先輩は、私が頑張る理由だった。この人が頑張るなら、私も努力をやめてはいけないと、そう思っていたんです」


 勝手ですみません、と、苦笑した。

 なんで、笑うんだよ。

 俺は、辛い時笑える人が不思議で仕方ない。

 もっと苦しい顔したっていいのに。決していい思い出でないそれを吐き出しているんだ。当然の権利のはずだろう?そんな無理に笑う必要なんて、全然ないじゃないか。


「もちろん両親には大反対されました。お父さんに至ってはものすごい勢いで私を怒鳴りつけましたが、あんなに恐ろしかった父は、その時の私にとってあまりに矮小に見え、こちらが折れることはありませんでした。

 私は家を出ました。半ば勘当されたようなものです。お金も家も、当然ありません。

 そんな時力を貸してくれたのが、ののでした」


 今井のの。今はカラオケで喧嘩したままになってしまっているが、根は優しいいい子だ。

 きっと、幼馴染のピンチを放っておけなかったのだろう。


「私はののから『風間プロダクション』という芸能プロダクションを紹介され、無事そこでアルバイトとして働くことを許されました。バイトとしては破格の給料をいただき、そのお金でなんとかアパートを借りました」

「それって…」

「そうしたら、奇跡が起きました」

「大袈裟だ」

「大袈裟なんかじゃ、ないですよ?」


 隣のベンチに座る彼女の目には、うっすらと涙がにじんでいる。


「再会…というか、先輩は覚えていなかったみたいですけど、その先輩は、大学生になって少しだけ大人びて見えました」

「それは本当にごめんと…」

「私の下の階に住む、私を変えた先輩。それは、不安だった私の心を少しだけ明るくしてくれました」


 だから大袈裟だって…恥ずかしいだろ?

 と思ったら、彼女も恥ずかしかったらしい。俺とは完全に逆方向を向いている。それじゃ花火見れないじゃん。


「でも、それより私にとって大きかったのが、山橋麗奈、という一個上のお姉さんでした」

「………………」


 そうか、その時には当然デビューしていたわけだな。


「歳が近く、事務仕事がそれなりに得意だった私は麗奈さんのマネージャーに就き、一緒に行動するようになりました。

 むすっとしていることが多くて、怖い人なのかな、と最初は思いましたけどそれは違くて。

 人と関わるのが苦手で、でも一人ぼっちは嫌で。そんな小心者のくせにアイドルなんかやって、そのために必死に努力して…バカみたいで…でも、すごくかっこいい人だって気づいて」

「ああ、…そうだな」


 その気持ちは…よくわかる。

 俺が麗奈と似たところを感じたように、きっと自分と麗奈を重ねていたのだろう。

 だからこそ、折れずに頑張るその姿に憧れた。かっこいいと思った。こうなりたいと、強く、願ったのだ。


「私は、そんな麗奈さんに憧れるようになりました。次第に打ち解けていき、香奈ちゃんのことも話してくれるまでになりました。

 でも、それからしばらく時が経ち、麗奈さんが大学に入ったばかりのある日に事件は起こります。麗奈さんが、歌のレッスンもほっぽり出して消息不明になったのです。

 焦って私はそこら中探しました。事務所の周りや大学周辺ではやっぱり見つからない。もしかして私の家に来ているのではないか、と思い、今度は涼風駅に向かいました」


 忘れていると思うから一応言っとくと、涼風駅っていうのはここの最寄り駅の名前な。


「そしたら散々探した麗奈さんと一緒に、今まで近所なのに声をかけられなかった先輩が一緒にいたんです。びっくりしましたよ。それに、先輩は麗奈さんのストーカーでもあったんです」

「あれは出鱈目だって…」

「でも、私嬉しかった。先輩と話す機会ができて」

「え?」

「先輩と話してみたいなあって…ずっと思ってたから」

「ああ、そういう…」

「初めてまともに話したその先輩は、それはもうひねくれてしまっていて…正直びっくりしました」

「失望したか?」

「いえ。仕方ないかな…とも思いました」

「寛大な配慮に感謝の言葉もないよ」


 あの頃は尖っていた…なんてタバコ片手に笑えるほど時間は経っていないが、もう今では笑い話のようにも思える。


「だから、私は前の…バスケしてた頃みたいな先輩に戻れたらと思って、麗奈さんのライブチケットを先輩に渡したんです」

「え、そういうことだったのか?」


 俺が引っ越しを手伝った礼かと思っていたあのチケットには、そんな意図があったのか。


「そうして先輩は、麗奈さんをも変えてくれた。全てがうまくいくようになった。全部、全部先輩のおかげで…」

「違う、それは…」

「なのに私は、いつも邪魔ばかり。歯車を狂わす詰め物でしかない」

「な…馬鹿なこと、言うなよ…」


 急に、彼女のトーンが下がる。

 そもそも、お前があのチケットをくれたから、全部が動き出したんだぞ?

 にもかかわらず、何かあるとすぐにヘタれる支えてくれたのは、いつだってお前だったんだぞ?

 こんなにも俺はお前に感謝してるのに、どうしてそんなこと言うんだ。

 どうしてそんな、悲しそうに笑うんだ。


「馬鹿なことなんかじゃ、ないです、先輩」

「どうして…」


 でも、一度崩れ始めてしまった平和な時間は、あっという間に崩れていく。


「だって………だって、今回の先輩と麗奈さんの怪我だって、私のせいじゃないですかっ!!!?」

「っ!!?」


 ついに、貼り付けられていた笑顔は剥がれ、真実の姿が表立つ。

 ボロボロと涙をこぼし、感情の制御を失い、ヒステリックに叫ぶ。その時、彼女の心はもう、壊れかけているのだと気付いた。


「お前のせいなんかじゃない。これは俺が麗奈を助けて…」

「違う!!違うんです、先輩…これは全部兄が…そして、父が仕組んだことだったんです!!」

「…なに、を」

「私…見たんです。鉄骨が落ちてくる直前に、兄がセットをいじっているのを」


 やはり、見ていたのか。でもそれだけならまだ想定内。フォローを入れて彼女を落ち着かせればまだ…


「でも、それだけじゃない」


 でも、そんな俺の小賢しい計算は、あっさりと無価値と成り果てる。


「先輩が救護室に運ばれた後、私、父に会ったんです。

 変わっていなかった。尊大で、人を見下し、敗北など許さない傲慢な男の姿が、そこにはありました。

 私は言ったんです。兄のせいで麗奈さんが、そして先輩は大怪我をしたんだって。そしたらなんて言ったと思います?

 私が命令した…って、言ったんですよ?」

「な…」


 言葉を失う。それは完全に犯罪じゃないか。


「あのまま行けば、兄のBLACK MOONは敗北していたでしょう。それを許さなかった父が、兄に命じたのです。

 そして一度中断させてしまえばもうそこからは父の言うがまま、麗奈さんを失格としたのです」

「そんな馬鹿なことあるか!!」


 なんだそれ、なんだそれなんだそれなんだそれ!!!?

 長澤浩一。奴は一体人の夢を、努力を、なんだと思っているのだ。

 許せない。そんな奴は今すぐ警察に…


「警察にいっても、もう無駄です。あれは事故ということでもう収拾がついてしまいました。セットももうバラされてしまいましたし、今から証拠を見つけるのは困難でしょう」

「っ…!!」

「それから父は言いました。麗奈さんを貶めたその口で、私に言うんです。

 康介ではやはり無理だ。足手まといにしかならない。だから帰ってきて、お前が歌を歌うんだ。って…」

「は…?」


 怒りで、もう俺の頭はぐちゃぐちゃだ。

 許せない。どうして、恥ずかしげもなくそんな言葉が口に出せるというのか。

 それでも、人の親なのか?


「それで…私が帰らなきゃ………山橋レナへの攻撃を始めるって…」

「攻撃…?」

「長澤康介は音楽界からテレビ界まで大きな権力を持っています。彼が言えば、そのうち麗奈さんと契約を結んでくれる会社はどんどん少なくなるはずです」

「な…え………?」


 まさか…そこまでやるなんていくらなんでもおかしい。そんな無茶が、許されるはずがない。


「まさか、家に帰る…とか、言い出さないよな?」

「これが、今の現状なんです」

「質問に…答えろよ…っ!!」


 今までずっと涙を流していたというのに、それを拭うと、彼女は笑った。


「私が行けば、それでいいんです」

「ふざけんな…」

「私が行けば、全部丸く収まるんです」

「そんなわけあるかっっっ!!!!」


 隣にある彼女の手を取り、強く握る。


「つっ!」

「麗奈はどうする!?お前まだ全然中途半端じゃないか!それに会社だって人手不足は相変わらずで…それに、それに…っ!!」

「離してください!!!!」

「っ!?」


 叫びと同時に握った手は振り払われ、彼女は立ち上がった。

 言葉が、何か言わなきゃと必死になるのに、俺の口は意味のある音を発してくれない。

 ああ、ショックだったのだ。

 本気で彼女に拒絶された。そのことが、自分でもどうしたらいいのかわかんないくらい、ショックだったのだ。


 でも、空気を読まない花火はいよいよクライマックスへ入る。

 惜しみなくつぎ込まれる大玉。その強い輝きは彼女の濡れた瞳に写り、水晶の如く煌く。


「でも先輩…私、嬉しいんですよ?先輩なら…そうやって止めてくれるって思ったから」

「待て…待てよ、行くな………行くなよ!?」


 カラン、という彼女の下駄の音が遠くなっていく。

 嫌だ、ここで彼女を説得しなきゃダメだと、心臓が叫んでいる。


「先輩………」


 でも、俺の声を無視して、そっとベンチから遠のいていく。




「さよなら………」




 ああ、うるさい花火。どうせなら、その言葉を消してくれれば、良かったのに。


 その願いは届かず、彼女は走り出してしまう。それを追いかけたいのに、追いつけない自分の足が憎くて仕方ない…っ!!




「美香!!!!」


「っ!!?」




 何もできなくなった俺から出た言葉は、脳内ですら一回も呼ばなかった、彼女の名前(願い)

 足を止めた美香に、反応はない。それでもその背中に向かって、一つだけ問う。




「今日、俺と一緒に花火に来てくれたのは…それが言いたかったからなのか?」




 ビクリ、と、その肩が揺れた。




「誘った時嬉しそうにしてたのも、足がうまく使えなくて、でもそんな俺の誘いに乗ってくれたのは…このためだけだったのか…?」


「〜〜〜っ!!」




 だって、そんなのあんまりだ。

 俺はこんなにも…こんなにも楽しかったってのに。

 もしかしたら、もしかしたらこれが………って、思っていたのに。




「……………そう、ですよ?」




 だから、そうであって欲しいと期待した。

 美香ならきっと、楽しかったって。一緒に屋台回ったり、花火を見るのが単純に楽しみだったって言ってくれると、期待してたんだ。




「私はただ…謝りたかっただけ。ただ、それだけですよ、先輩」




 でも…いや、だからこそ、その言葉で俺の心は完全に凍り付いてしまった。




「じゃあな。行けよ」


「………はい…っ」




 これから彼女は、さっきまで笑いながら一緒に歩いた坂を下り、何度も一緒に帰った川沿いを歩き、また明日と笑いあった階段を上って、家に帰る。


「くそ…」


 一人になって眺める花火は、それでも皮肉なくらい美しくて。


「くそ………」


 その一発一発が、彼女の顔を思い出させて…


「くそがっっっ!!!!」


 自分の無力さが、痛く、沁みる。




 ***********************************




「………………」


 この花火を、彼はどんな気持ちで、見ているのだろう。

 嘘つきな私を、彼はどんな想いで見送ったのだろう。


 私は…私は………




「うぁ………ふ…うぅっ………」




 もう、何も聞きたくない。何も見たくない。

 だって、あんなに楽しかった時間、今まで生きてきて初めてだったから。

 そのあとに見る景色なんか…もう、何もかも美しく見えないよ、先輩…っ!!




「あぁ……っ…ぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」




 この話より、本当は………




 ———好きだって、言いたかったんだよ?




2章は終わりです!次回はダイジェスト!キャラの心情変化もわかりやすく書くのでどうぞ読んでみてください!!

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