第32話 花火
夕焼けの空。川のせせらぎ。草の香り。
そんないつもの風景にたくさんの人が入り混じっているのは、きっと今日が花火大会だからだろう。
8月ももうじき終わり。大学生の俺にはまだまだ9月分の夏休みがあるが、他の学生にとっては最後のお楽しみだ。その最後まで楽しみ尽さんとばかりに、皆この花火大会に集うのだろう。
そんな中俺は…
「くっそ、着れない!!」
甚平と格闘していた。
病院からは即退院し、松葉杖生活となってからは着替えが辛くて仕方ない。浴衣にすればよかったか?でも家には甚平しかなかったし。
と、そんな間にも刻々と時間は過ぎてゆき、約束の時間はもう直ぐだ。
「よしっ!脚通った!!」
ようやく着替え終え、少し裾を整えたら、そのまま玄関の扉を開ける。
「こんばんは、先輩」
「こ、こんばんは…」
玄関の前には、顔を少し火照らせた樋口がいた。
「どうしたんです?気が入っていない返事ですね?それに、五分遅刻ですよ?」
「いや、その…ごめん」
あれ、おかしいな、うまく言葉が出てこない。
理由はきっと、樋口が着ている浴衣のせいだ。
白地の上、淡い青が波状に飾り付けられ、もともと彼女が持ち合わせていた清楚さをより高めている。
なんていうか…ほんと小並感なんだけど…
「どう、ですかね、これ…」
「すごくかわいい」
「そ、そですか…」
正直に白状したらなんだか互いに気まずい感じになっちゃったよ!
でもまぁ嘘は言っていない。というか、逆にこんな可愛い女の子と、地味な紺色の甚平でしかも松葉杖装備で一緒に歩かなきゃいけないとか俺に対する拷問かよ。
「じゃ、行こうか。屋台とかも回りたいだろう?」
「…っ!で、でも無理はしないでくださいね?別にここからだって見れはするんですから」
「いや、俺今日晩飯用意してないから、屋台で済ませたいんだ。それに、せっかくだしいいとこで見たいじゃん」
「先輩がそう言うなら…それでいいですけど…あ、じゃあいいとこ知ってるんで一緒に行きましょうよ!」
近所をちょっと歩くくらいだ。蹴られないように気をつければ、特に問題はないだろう。
それに、屋台に行こうって言った時、あんなに嬉しそうな顔されたらいまさら撤回なんてできないよ。
「よーし、どっから回ろうか?」
「ヨーヨーすくい!」
「子供か…」
そうして、俺たちはそれなりに賑わう、地元の花火大会に向かって足を踏み出したのであった。
「うわあっ!」
「せ、先輩!?」
いきなり階段でこけそうになった。し、締まんねぇ…
「あの、これはさすがにどうなんですか?」
「うっせ!金魚すくいでバカバカすくうような奴は頭悪そうなラノベか漫画にしかいないんだよ!」
そんなわけでヨーヨーすくいのあと屋台を回っていると、金魚すくいの屋台に呼び込まれた。
先輩やって見てくださいよ、なんて可愛い声に騙されてやったが、全然すくえない。300円を浪費しただけで終わってしまった。
というか、実際一匹すくうのだって相当に難しいって思うの俺だけ?
「はい兄ちゃん、おまけの一匹だ。彼女もやってくかい?」
「いえ、彼女じゃないんで」
「いやまず質問に答えろよそんなに無感情で否定するなよ」
ちょっとショックじゃないか…
まぁ、別に女の子と一緒に花火に来たくらいでいちいち興奮する俺ではない。
今時の女子高生にとっては一緒に花火大会なんて挨拶みたいなもんなんだろう。ほら、外国人が挨拶でキスするみたいなもんだ。違うか。
ここまで卑屈になれるあたり、伊達に19まで童貞やってないなと自分で感心してしまった。
「次はあっち行きましょうよ!」
「ちょ、待って!」
こんな感じで、最初こそしおらしかった樋口は徐々に本性を現し、楽しげに俺の手を引いてはしゃぐようになっていた。
手、繋ぐのなんて多分幼稚園以来なんですけど…恥ずかしい。
それはそうと俺がけが人ってこと忘れてない?
「ほう、射的か」
「先輩、あのうさぎのぬいぐるみが欲しいです」
「よっしゃ任せとけ!」
そうして次に向かった屋台は射的。ご注文はうさぎですか?
というか樋口、お前もこういう可愛いぬいぐるみとか好きだったんだな。
ならば、俺がその注文に応えねば。これでも昔はモデルガンとか集めていた。銃の扱いは得意…
「はい兄ちゃん、残念賞のうま◯棒だ」
「あ、ありがとうございます…」
現実はこんなもんか。悲しきかな、やっぱり現実は漫画とは違うんだ。
「食うか、うまい棒。たこ焼き味だぞ?」
「知りませんよいりませんよもっと頑張ってくださいよ。まったく、少しはかっこいいとこ見せてくださいよ」
「そりゃあハードル高いって…」
だって最近の射的って、倒すだけじゃなくて落とさなきゃいけなかったりするじゃん。無理ゲーすぎる。安もんのお菓子で限界だ。
「次はどこ行く?」
でも、負けたまま終わる俺じゃあない。次の戦いに闘志を燃やす。
「そうですね…じゃあ、くじにしますか」
「おお!」
それなら技術は関係ない!俺でもできる!
勝利の予感を感じながら、俺は次の舞台へ…
「よかったなぁ、かっこいい剣だぜ!?」
「何やってんだ、お前…」
くじの屋台では、なんと雅也が働いていた。
………覚えていないかもしれないが、一章前半でそこそこ出番があり重要キャラ感を匂わせておいて、そのあと一切出てこなくなった俺の親友のことだ。
おそらくハズレであろうおもちゃの剣を渡され、ニヤニヤ笑いかけてくる。なんだこいつ。
「なんだ伸一、一人ぼっちか?はは、ざまぁw」
「お前だって一人じゃねぇかそもそも働いちゃってるじゃねぇか」
「俺はクリスマス資金のためにバイトなの!」
「あと、俺一人じゃねぇから」
「…え?」
「先輩ー!たこ焼き買ってきましたよ?」
すると、俺の隣にぴょこん、とタイミングよく現れた樋口さん。可愛い。
「お、おま、その子…」
「はは、可愛いだろ。俺の連れだ」
「そんな、可愛いだなんて…ふふふ」
ものすごい鼻高に笑ってやった。ザマァ雅也。あれ、でも、なんだか様子がおかしい気がする。
そう、なにか恐れ多いものでも見たような…
「その子、もしかして…北倉のマーメイ…」
その瞬間、ガツン、と、大きな音が雑踏の中響いた。樋口の右手には一本の剣が握られていて、敵を討ち終えた刀身はそっと、鞘に納められた。
ってかそれ俺の剣?え、まさか今の居合は主がやったのか!?
「行きましょうか、先輩」
「お、おろ…」
倒れている雅也を気にせず、とりあえず移動することにした。
すまん、許せ。
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「もうっ!先輩が余計なものばっかりとるから私が持つ分すごい多いじゃないですか!」
「いや、飯類に至っては完全にお前のせいだろ!」
俺は松葉杖なのに焼きそばなどがたくさん入ったビニール袋を抱え、進ませられていた。
対し樋口は、その倍以上の金魚やら剣やらを抱え大変そうだ。ちなみにうま◯棒は俺が食った。
「先輩急いで!早くしないと始まっちゃう!」
「ああ、帰ってきて!行く前の優しかった樋口帰ってきて!」
もうなんか、いろいろ辛辣だった。
なぜか屋台で賑わっていた川沿いから離れて、階段を登らされているし。
「ね…ちょ…まだ…?」
「あ、見えてきましたよ!」
そういえば最近こんなシチュエーションあったな。
麗奈はこんな気持ちでフェスへ向かう坂を登っていたのだな。
心の中でごめんと謝り、松葉杖を急がせる。う、腕が攣りそう…家にいればよかった…
と、俺が心の中で後悔し出した時だった。
「ほら見て、先輩」
「えあ…?って、おぉ…!」
そんな後悔が一瞬でけし飛ぶほどの絶景が、そこにはあった。
長い坂の途中、頂上付近で右に曲がり少しだけ進むと、ベンチが一つ置かれた小さなスペースに出会う。
屋台の光。住宅の灯り。それらを写す、川の輝き。
それら全てが視界に収まる高台は、もちろん花火だって最高に見えるスポットのはずで。
けれど、そこには俺たち以外誰もいない。見下ろせば騒がしい景色があるというのに、その音は届かない。
聞こえるのはただ、互いの呼吸だけ。
そんな世界から切り離されたような空間は、とても幻想的で…そしてどこか、儚い。
「驚きましたか?」
「ああ、綺麗だな…」
「ここは、私のとっておき。この場所誰にも言ったことないんですよ?」
「そりゃあ光栄だ」
「わざわざ来た甲斐、ありましたか?」
「もちろん」
「そう…なら、よかった」
時刻は6時59分。
あと1分で、花火は始まる。
「樋口…?」
それなのに、彼女の顔が、嬉しそうに見えない。
笑っている。笑っているのだけれど、さっきまであんなに楽しそうにしていた彼女とは何か違和感を感じた。
怖い。何か、何か決定的なものを失ってしまいそうな予感を感じる。
「なぁ樋口、その…」
「美香」
「…………………あ…」
たまらず口を開いた俺に返される言葉は、短い。
でも、その一言にはきっと言葉以上の何かがあって。
「先輩、今日だけでいい。今日だけで、いいから…」
「………」
「美香、って…呼んで?」
その瞬間、彼女の顔が、色とりどりに染まる。
打ち上げられた花火はドン、と、ものすごい音で鳴っているはずなのに、心音がやけに大きく聞こえるのは、どうしてだろう。
何も言えない。何を言えばいいのかわからない俺に向かい樋口は…美香はにこりと笑い口を開く。
「昔話、しましょうか」
その笑顔があまりにも綺麗で、切なくて。
花火は、もう視界に入らなくなってしまった。