第28話 ありがとう
8月16日。
毎年茨城県の某所で行われることになっている、夏の歌唱フェスティバル。通称“花火”の当日である。
観客の特典によってパフォーマンスに順位が当てられるこの祭。優勝すれば、それは日本一の歌手になったことを意味する、非常に大きな大会でもある。
俺こと、石田伸一が勤務している芸能プロダクション「風間プロ」所属アイドル、山橋レナが見事“花火”への出場権を獲得。
アイドル、と呼ばれるものがこの舞台に立つのは、史上初めてのことであった。
「「誕生日おめでとう!!」」
「何やってんだこの馬鹿姉っ!!!?」
そんな大舞台当日の、少し涼しい朝。
もう開場し、一組目が始まろうかという時間に、その山橋レナは、茨城から遠く離れた都内の病院にいた。
「馬鹿とは何よ!」
「いや馬鹿以外の何物でもないでしょうが!しかもなんだ?お兄ちゃんまでいるじゃないか!?」
「いやぁ、これについてはいろいろございまして、か結局山橋のご意向に沿うこととなり…」
ちなみに俺も、そんな馬鹿な姉に付き添って病院にいた。
「なんだかんだちゃんと出場する流れになると思ってたのに…」
「まぁそんなに世の中甘くないってことだな」
「君に言われるとものすっごい腹立つね石田くん!」
病院の中庭で、人目も気にせず怒鳴りまくるのは15歳の妹ちゃん、山橋香奈だ。
彼女は怒りのあまり、癖のある茶髪をブンブン振り回している。モップみたいで柔らかそうだ…
「香奈、聞いて」
「なんだよなんだよ!私だってお姉ちゃんのこと想っていろいろ言ったのに、全然わかってくれないじゃないか!」
そんな俺の雑念を黙らせる姉妹喧嘩。というか、今回は珍しく香奈ちゃんがキレているので割と一方的だったりする。
「行く!あたし、ライブ行くの!!」
「………え?」
でも、山橋が行く、と言った途端、香奈ちゃんは目を丸くして、山橋の顔を覗く。
「行くの…?」
「うん、行く」
「じゃ、じゃあなんでこんなとこにいるのさ!もう始まってるじゃないか!?」
何が何だかわからない、といった顔をして、山橋の肩を揺する。
「ねぇ、香奈。今までと、そして今日もごめんね」
「…へ?」
「あたし、どうしても今日伝えたいことあったんだ」
「………何、を?」
でも、怯まない。そうだ、頑張れ。頑張れ、山橋。
「今までありがとう。これからあたし、頑張るよ」
言い終えると、山橋は香奈ちゃんをギュッと抱きしめた。
そんな香奈ちゃんは少し抵抗しようとして、でもやっぱりそれが嫌じゃなくて、でも抱き返すこともできなくて。
香奈ちゃんは、腕をだらんと下げ、姉の言葉を待つしか出来ないようだった。
「おかしいな、言おうと思ってたこと、いっぱいあったはずなんだけど…もう、何言えばいいのかわからないや」
「お姉ちゃん…私は…」
「うん、でも、大事なことは、全部歌にする。そんでこれで、最後にする。
うん、それだけ」
「それって…」
香奈ちゃんは山橋越しに俺を見て、納得したかのように、力を抜いて笑った。
「ああ。頑張ってね、お姉ちゃん」
「うん。会場にいる全員に、一生忘れられない思い出を残してくるんだから!!」
山橋はそう言って、駅に向かって駆け出した。
時刻はもう11時過ぎ。ギリギリの戦いにも、もう慣れてしまいそうだ。
「早くしなさいよ!電車行っちゃうでしょ!!?」
「おう!」
「お兄ちゃん」
俺もその後を追おうとしたら、呼び止められてしまった。
「ん?」
「ありがとう。お姉ちゃん、いい顔になったよ。本当…一体何をしたんだか」
「いいや、俺は何にもしていないよ」
「…え?」
「俺はあいつがやりたいことを自由にさせてやった。ただ、それだけだよ」
「お姉ちゃんが、やりたいこと?」
「ああ、全く、姉妹そろってめんどくさいよ、お前ら」
俺は、香奈ちゃんの頭に手を置き、笑いかける。
「お姉ちゃんだって、ちゃんとお前のこと、大好きなんだぜ?」
「な、何を言うのさ…」
照れたのか、目をそらし俯向く。そんな彼女は、年相応に可愛らしかった。
「スマホ、ちゃんとつけとけよ?」
「…え?」
「あの歌は、香奈ちゃんが聞かなきゃ、意味がないんだ」
「意味がないとは?」
「それは聞いてのお楽しみ!じゃな!」
「ちょ、待ってよ!!」
香奈ちゃんが珍しく困った顔で俺を見ているが、気にしない。
イライラしている山橋の下に走らねば。
「遅い!」
「悪い!急ごう!」
電車はもうあと数分で来てしまう。本当に、ちょっと時間をとりすぎた。やばいかも…なのに…
「お姉ちゃん!!」
「うわっ!急停止すんなよ!」
香奈ちゃんの後ろからの声で、山橋は走る足を止める。
ったく、勢い余って背中に衝突しそうになってしまったじゃないか。
「行ってらっしゃい!!」
「っ………」
でも、その一言には、温かさや優しさ、大きすぎる愛情が込められていたから。
「行ってきます!!!!」
山橋が、こんなにも笑っているから、いいや。
その後、ギリギリで電車に乗り込み、山橋を隠し…ようやく一息つこうとしたその時…
『お客様にご連絡です』
「なんだよ、早く出ろよ…」
俺がイライラしながら貧乏ゆすりを始める。
『この電車は、人身事故のため、しばらく運転を見合わせます』
………………………………………
…………………………
……………。
「………ねぇ、石田くん」
「なんだい山橋さん」
「これは、やばいのかしら?」
「どうあやまろっかな〜」
「おおおおおおおい!!!!!!?」
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「すみませんすみません!!ほんっとうにすみません!!」
「困るよ〜これ個人ライブじゃいんだから〜」
「本当にすみません…」
「もういいよ、じゃあ。本番にはちゃんと出るんでしょ?」
「はい、出ます!!絶対出ます!!」
「はぁ〜ったくも〜!全くもう全くもうだよ!じゃあ次、飛ばして『BLACK MOON』さんリハ入れちゃって〜!!」
そんな言葉を残し、クネクネと歩いていくおねぇ風なおっさん。化粧が濃くて、顔が怖い…
「はぁ…本当に頼みますよ、先輩…」
時刻は午前8時。麗奈さんのリハは終わってしまった。
三日しか練習してない上に、曲がまともに完成したのは昨日のこと。楽器隊の人に譜面を渡したのはついさっきのことだ。不安しかない。
自分で提案したのはいいが、やっぱりギリギリになってしまった。これで失敗したらそろそろクビにされるんじゃないかな、私。
でも冬海大って私立だし、お金ないと入れない。まぁその前に、そもそも学力がないんだけど。
とまぁ、遅くなる予定の麗奈さんに想いを馳せていると、横から黒い革ジャンの男たちが歩いてきた。
「なんだっけ、山橋うんちゃら?」
「ああ、あのポッと出の素人か」
なんだとこの節穴どもが!!と、怒りたいのをこらえて、じっと俯向く。
これからリハの「BLACK MOON」とかいう中二病全開の痛々しい四人組ロックバンドか。まぁどうせ麗奈さんに勝てるわけないしほっておけば…
「リハキャンセルだってよ、ほんとこの業界なめてやがるぜ…」
「そのうちお前の父さんが消しちゃうんじゃね、康介」
でも、今聞いたその名は、決して見過ごせるようなものではなくて。
「はは、そんなの必要ねぇ!あんなやつ、この長澤康介が…いや、『BLACK MOON』がぶっ潰して、再起不能にしてやるからよ!」
「それでこそ康介だ!!」
「ちょろいぜこんな大会!」
「リハからかましていくぜ!!」
「…ん?」
信じたくない。信じたくない信じたくないけれど。
今、確かにあの中にいた男は、自分を長澤康介と…そう、言った。
「お前、美香か?」
「っ!!」
私の実の兄、長澤康介だと、そう、言ったのだ。