第27話 ごめん
………あたしは、何をやってきたんだろう。
自分なりに、アイドルをしっかりやってきたつもりだった。それなりに人に認められて。でも、それはみんな香奈のためだって、思ってきた。
香奈はお父さんと同じ、重い病にかかってる。手術にはたくさんのお金がいるんだ。
でも、その手術さえ成功するかは不確定なもの。確率的には、半分よりも低いと聞いている。
早くしないと、どの道香奈は死んでしまう。もしかしたら、この8月16日は最後の誕生日になるかもしれないんだ。
それを一緒に祝うことは、どんな栄誉より、重要なことだと、あたしは考えていた。
香奈のために、香奈のために、香奈のため、香奈のため香奈のため香奈のため香奈のため香奈のため香奈のため香奈の………
でも、それが香奈は苦痛だったと言う。
私のそんな押し付けがましい感情が、妹には苦でしかなかったと言う。
香奈を免罪符にし続けていたことに、とっくに気づかれていた。そして、そんな私の弱さが、あの子を不安にさせ続けていた。
「お姉ちゃん失格だ、あたし」
いや、これでは元々どちらが姉だったのかわからない。
もうどうすればいいのか、わかんないよ、あたし。
空を見つめる。そうすれば、泣くの、我慢できる。
大きな入道雲が、あたしを見ていた。
あなたはいいね。泣きたい時に泣けて、怒りたい時には怒れて、消えたい時にはふわりと消えれるのだから。
「帰らなきゃ」
ここ、柴原駅近くにある公園は、私の家の近所だ。
お母さんが蒸発したあとの家に住んでいたくはなかったけれど、ここが一番安かったから、そのまま住んでいたのだ。
香奈が入院してしまってからは、ひとりぼっち。小さなぼろアパートだから、美香以外入れたことはない。
夕焼け入道蟬時雨。夏。
あたしはひとり、帰路に立つ。
「やっと見つけた…」
ひとり、帰路に立つ、はずだった。
息を荒立てながら、汗まみれになって、あたしのもとにやってくる。
「…嘘………?」
こんなやつ、やっぱり大嫌いなのに。
どうして、どこかで思ってしまうんだろう。
———“探してくれて嬉しい”だなんて。
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樋口と別れて3時間。電車で柴原駅とかいう神奈川の端っこに行き、そこから住所を頼りになんとかあいつの家に行ったが、留守。
駅周辺のカフェやら店やらを走り回り、やっぱり事務所かと思ったがおらず、樋口の家かと思って俺の家のアパートに行くもやっぱりおらず、最終的にもう一度柴原駅に戻り、ふらついていたところ公園を見つけ、そこで一休みしようと思ったら、そこのベンチに、奴はいた。
「こんな近くにいたのか…くそぉ無駄に疲れた…」
「……………」
山橋は俯いて、何も話さない。そうか、なら、仕方ないな。
「ここ、座るぞ?」
「は?」
不満そうな声が聞こえたが、構わず俺はその隣に座った。
やけに馴れ馴れしい態度がイラついたのか、やっとエンジンがかかったように質問を始めた。
「今まで、ずっと探してたの?」
「は?探してなんかないし。たまたまだし」
「何そのツンデレ、キモいんだけど」
お、お前がそれを言うのか…まぁ確かにお前はデレないなおめでとうツンツン属性でした。
「で、何?あんた、あたしに出場でも促しに来たわけ?」
「ああ〜、どうだろうな〜」
いちいち噛みつかれるのもアレだが、これが彼女だ。久しぶりにまともに会話したから、こんな会話でも、ひどく懐かしく思える。
「そのやる気のない返事はなんなの?ってか、そうじゃないなら何しに来たのよ?」
本当、俺が何をしに来たのかと問われると困る。樋口に触発されるがままに勢いで飛び出し、何を話すか、一つしか考えていなかったのだ。
「俺はさ、お前に言いたいことがあって、来たんだ」
「…何よ…それ」
俺は改まって、彼女の目を見る。
その空気に何かを感じたのか、山橋はちょっと目を逸らした。
「俺、さ…」
「え、何近寄ってきてるの…?違うよね?ここはそういうんじゃないでしょ?でも、え?何この空気?え?」
「俺、お前に………」
そのまま顔を上気させ、ベンチの端へ追い詰められていく山橋に………
「ちょ、まって!それはみ…」
「謝りたかったんだ!!」
「……………………へ?」
俺は、告白をした。
「お前の事情に、お前の知らないところで勝手に踏み込んで、勝手に悩んで…お前にとっては、いい迷惑だよな」
「ちょっと…」
「でも、きっとお前も本当は悩んでると思ったんだ。だって、香奈ちゃんから聞いたんだけど小さい時から歌手になるのが夢だったんだろ?なら、こんな大きなイベントに参加できることが嬉しくないわけがないと思ってさ。」
「そんだけなの…?」
俺は必死で頭に浮かんだ文字を反芻して…ん?
「…今、なんて言った?」
「そんだけなの、って…言ったのよ…っ」
え、でも、どういうことだ?
受け入れられない意味がわからない。気のせいか、さっきまで赤かった頬はもっと赤くなってる気がする。
そう、まるでこの上ない恥辱を受けたかのような…
「あんだけ溜めといて何がごめんよ!!このヘタレ主人公!!」
「な…ななななんだとテメェ!!!!?」
それは俺に言ってはいけない言葉ランキング第一位の(ry
「俺がこの謝罪にどれほど緊張したと思ってるんだ!!」
「そんなに知らないわよ!返せ!一瞬でもときめきかけてしまった純情な私の乙女心を今すぐ返せっ!!」
「ここに来るまで3時間ずっと考えてたのに!!」
「え、あんた3時間も探してたの?」
「……………」
「………………………………」
「その思いをふいにしやがって!!」
「何事もなかったかのように!?」
「うるせぇ!!」
俺のツンデレーションを全く理解せず、空気を読まないツッコミを入れてくる。くそ、屈辱だ…
苛立ちを隠せず、俺はそっぽを向く。その時…
「は…はは…」
なぜか、笑い声が聞こえてきた。
「はは…ははは………君、絶対頭おかしいよ…」
「………そうでもないと思うけど」
「ううん、絶対おかしい。あたしのことを…あたしなんかのことを、3時間ずっと、そんなに汗かくまで探してたなんて…ふふっ」
彼女の笑った顔なんて、いつ以来だろう。
そのことが、こんなにも嬉しいのは、どうしてだろう。
泣いたように笑う君に、こんなにも、胸が高鳴るのは、なぜ?
「俺さ、前にも言ったけど、お前の歌に救われた」
「…?」
「お前のおかげで、前に進めた」
いいや、考えても、きっと今の俺じゃあわからない。
だから、彼女に知ってもらうんだ、俺を。
「俺は、どうしてもその恩を返したい。次に進む勇気をもらったから。俺を変えてくれたから。そのことに、どうしても報いたいんだ」
「そんな…あの曲は、あたしが…」
「そう、あれはお前の歌だったのかもしれない。でも、だからこそあんなに心が震えた。そして、あの有名なお祭りに参加できるほどにもなった。」
俺のおかげ、だなんて香奈ちゃんは言ったけど。
俺は、信じてる。
彼女はすごい奴だって。俺なんかいなくても、すごい歌、歌える奴だって。
でも、だから、そんな彼女の横にいたい。
「俺がやりたいことは、一つだけ」
「一つ…だけ?」
山橋は、俯いていた顔を俺に向ける。
蒼く、どこまでも澄んでいる瞳は、切なげに潤み、俺を写す。
「山橋レナの、一番近くにいる、一番のファンでありたい。ただ、それだけなんだよ」
「〜っ!!」
「だから、一緒に考えよう。同じように間違えるなら、一緒に間違えよう。赤信号みたいに、一緒なら怖くないはずだから。
ああ、心配しなくていいぞ?俺は、お前の絶対のファンだから。どんなことになったって、お前の味方でいるって、約束するから」
「どうして…あたし、そんなに感謝されていいようなこと、全然してない…っ!!」
潤んだ瞳からは、決壊したようにほろり、涙がこぼれる。
だから、何回言わせんだよ。もっと自分に自信を持てよ。
「いや、したんだよ。お前はそうやって、気づかないうちに何人もの人に勇気や、元気を与えられる、そういう人間なんだ」
だから、あんなにたくさんのファンがいる。
———山橋レナに、恋をする。
「それに、勘違いすんなよ?俺は、俺がそうしたいからお前のファンでいるんだ。お前の味方でいるんだ。お前のためだなんて、大それたこと全く思っちゃいない」
「そんなの…身勝手よ…」
「身勝手さ。でも、それでいいんだ」
「それは、大きな間違いかもしれないのよ?」
「間違いだっていい。だってきっと、後悔しない」
そう、ただ、それだけなんだ。
俺はあの日、樋口に入社を誘われて思ったことは、そんなことだけ。
「後悔、しない…?」
「ああ、だって、自分のためにしたことなんだから」
俺はポケットからハンカチを取り出し、彼女に差し出す。
「自分の、ため」
「ああ。お前にだって、あるだろ?自分のために、自分の夢のために、やりたいことが、あるだろう?」
「うん………」
「でもどうすればいいか、何が正しいのかなんて、わからないよな」
「うん…うんっ…!!わかんない…もう、あたしわかんないの…っ!!」
頑張ってこらえようとして、でもやっぱり無理で、涙は止まらない。
こいつは泣き虫だけど、二回も泣かすとなると、ちょっと気がひけるな。
でも、今回のは前みたいに、傷つけて泣かしたんじゃなくて、嬉しくて泣いてくれてるんだと思うから。
「だから、一緒に考えよう。な?」
俺一人進むんじゃなくて、こいつと一緒に進んでみたい。
そうじゃなきゃ見えないものを、もう一度見てみたい。
その結果がどんなにひどくても、多くのファンにブチ切れられても、最強のファンにブチ切れられても。
あの瞬間を、彼女と繋がった感動を、もう一度味わいたいから。
「さっき…叩いて、ごめん」
「ん?ああ、俺たちの業界ではご褒美だからいいんだよ」
「…馬鹿」
山橋は、俺の差し出したハンカチを取り涙を拭う。
「じゃあ、急がないとね!もう時間ないし!」
「…ああ!」
どんなに泣き虫だって、どんなにヘタレヒロインだって。
立ち上がって笑う彼女は、どんなものより、素敵なんだ。