第24話 きっと誰もわからない
「あら伸ちゃん、今日はお休みじゃなかったの?」
「なんだ?そんなに仕事がしたいか?いいぞどんどんやれ!」
「何か用か?それとも、もしかして山橋のことで何か進展でも?」
相変わらずの事務所、相変わらずの先輩。
俺はあのあと、病院から直接事務所にやってきていた。
「………石田」
「社長さん…」
俺が来たことを知ってか、珍しく社長さんが現れた。
「ちょっと、ツラ貸せ」
「はい」
俺も、話したいことがあって来たんだ。
「え、ちょっと伸ちゃん!どういうことなの!?」
「なんでもねぇよ。いいからお前らは仕事してろ」
社長さんはそう言い捨て、社長室への扉を開ける。美月さんに軽く会釈して、俺はその後を追った。
三度目の社長室は、やっぱり以前と変わらず、タバコの匂いと、紙の匂いがしていた。
「香奈から電話があったんだ」
「そう、ですか…」
やはり、俺が病院に行ったことはバレていたらしい。
「この際なんでお前が病院に行ったのか、っていう点についてはいい。さっきののが来たからな」
「あいつ本当に…」
樋口は、止められなかったということか。
「ったく、ものすごい剣幕だったぞ?それにしても石田、お前あいつといつ知り合ったんだ?」
「ああ、山橋のライブに行った時、偶然席が隣で」
「隣?ああ、はは、なるほどそういうことか」
「………?」
社長さんは一人納得したように笑ったが、俺にはなんのことかさっぱりわからない。
「まぁでも、今呼んだのはそのことじゃあない。香奈の病気と、育った環境についてだ」
「そう、ですよね」
「俺から言うことはただ一つ。そのことは、誰にも言うな」
「…え?」
彼はポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
白い煙を吐き出し、ため息をつく。
「これは、まぁ色々理由があるんだが…一番大きいのは香奈の希望だな」
「香奈ちゃんが…?」
「ああ。このことを公表したら、きっとマスコミやらが色々面倒な事態にしてくれるだろうからな。それを危惧してるんだろう」
「それは…確かに…」
スーパーアイドル、知られざる過去。重病の妹。いかにもマスコミが好きそうな話題じゃないか。
「いきなりで、混乱したろう」
「ええ、それはもう」
「香奈のこと、どう思った?」
「…強い、子だと」
ただ姉への愛ゆえに、悲しいほどに、恐ろしいほどに。
「強い、か」
でも、社長さんはそんな俺に苦笑いで返した。
「あいつの歳、知ってるか?」
「15だと聞きました」
「そうだ。確かにあいつは強い。出会った時からそうだった。お姉ちゃんを守るんだって、いつも気を張ってた。
けどな、あいつは、やっぱりまだ15歳なんだ。
そんな子があんな病気にかかって、参っちまってるんだ。それと同じくらいに焦ってるんだ。だから、少しでも希望が見えたら縋らざるをえなかったんだ。
あの笑顔と、変な言葉遣いで隠した本当の香奈は、まだガキンチョなんだよ」
俺は、父親と母親と別に暮らすようになって長いけど。
社長さんのそれは、確かに父親の顔だった。
娘を愛する、父親の顔だったのだ。
「俺には…わかりません」
「まぁ、そうだろうな」
でも、俺と香奈ちゃんは、山橋は、あまりにも出会ってからの時間が短すぎて。
かと言って、一からしっかりと積み上げる時間もなくて。
どうしようもなくて、わからなくて。
そして、俺は彼女の願いから、逃げた。
「香奈も言ってただろう?そこまで深く考えなくてもいい、と」
ああ、言っていた気もする。
「さしあたっては、“花火”に出させてくれればいい、と」
確かに、言っていたんだろう。
でも、その時の俺は、目の前の小さな少女に圧倒されて、まともに頭が働いていなかった。
だから、「ごめん、急用ができたから」、なんていう今時誰が使うんだとツッコミを入れたくなるような誤魔化しで、病院から逃げ出してしまったのだ。
「なぁお前、どうするんだ?」
「…山橋を出させろ、って、言わないんですね」
そしてここでも、俺は答えから逃げる。逃げてばかりだ、俺。
社長さんも、そんな俺の弱さをわかってる。だからこそ意外だった。
この人は、きっと|俺に山橋を説得しろと《香奈ちゃんと同じように》言うと思っていたから。
でも、違った。
寂しげに天井を見つめ、見た目に似合わず優しい声でポツリ、ポツリと。
「俺にもな、わからないんだ。いや、そもそもわかる奴なんているんだか。
お前も、俺も、麗奈も、美香も。いや、きっと香奈にだって、正しいことが何かなんて、わからないんだ」
そう、語った。
「なら…どうして社長さんは山橋に出場を促したんです?」
「会社のためだ、なんて言うと、お前は怒るか?」
「いえ…」
「この会社はな、俺の夢で生まれ、今はみんなの努力で成り立ってる。思い出だってたくさんある。
だから、俺はこの会社にとってより良い方向へ舵をとることにした」
「じゃあ…っ」
「でもな、お前は所詮バイトで、まだ若い。だからこそ、会社のことなんて考えず自分で考え、自分で決められる。それが、お前に与えられた特権だろ?」
「特権…なのかな…」
お前は風間プロダクションの社員なんだから、無理にでも山橋を出させろって。
それが正しいんだって言ってくれれば、その方が、楽だったんじゃないかな。
ああ、許されたいんだな、俺。
そうして、俺は社長室から退室した。
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あれから先輩たちにいろいろ聞かれたが、適当に誤魔化しておいた。
香奈ちゃんが言ってほしくないと言った以上、俺が勝手に話すのも悪いだろう。
せっかくの休日だというのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。もうすっかり暗くなってしまった空に問う。
ネオンに照らされた東京の街は、酔ったおっさんや、お祭り騒ぎの大学生らでにぎわっており、それがなんだか、辛かった。
そういえば雅也とか、大学のみんなはどうしてるんだろう。俺は夏休み基本働いてたからよくわからないけど…歌唱研究部は合宿とかやったのかな?
そんなことを考えながら、ふと視線を前に戻すと…
「ひゃ!」
「おっと…すみません」
思いっきり人とぶつかってしまった。キャップを深くかぶった女の子で、頭を押さえている。ああ、小さいから肩に頭がぶつかってしまったのか。
「ちゃんと前見てください。それじゃ…」
ちょっと怒ったような声でそう言い残し、彼女はその場を後にしようと…
「ってお前、今井か?」
「はぁ?誰があのレジェンドアイドルの今井ののですって?人違いです」
「そうは言ってねぇよ…」
「って、よく見たら石田じゃない」
少しだけ顔を上げた少女は、やっぱりものすごくかわいらしい顔で…って今はそんなことどうでもいい。
レジェンドかどうかは知らないが、黒髪ポニテアイドル、今井ののだった。
「何してんだ?お前仮にもアイドルなんだから夜の街を一人で歩くもんじゃないぞ?」
「なによ仮にって!」
「あ、馬鹿、あんまり大きな声出すなよ。バレたら面倒だろ?」
「ちっ」
「ええー…」
し、舌打ち?注意してあげたのに…ってか俺年上だよ君よりも何歳も。そういえば何歳だっけこいつ。
しかしまぁ、あからさまに機嫌が悪いな、こいつ。
そういえば昼間はサングラスとマスクもつけていたのにどうして今はつけてないんだろう。帽子の陰から覗く瞳は、少しだけ、赤く見えた。
「のの!!」
「うっ…」
その時、聞き覚えのある声が、あまり聞き覚えないトーンで聞こえた。
人混みをかき分け、やってきたのはスーツ姿の黒髪流し少女。
息を荒立てながらやってきたことから、それなりに走ってきたのだろう。汗もびっしょりだ。
そんな彼女はものすごい形相で、俺なんて目もくれず今井の元へ歩く。
「のの!やっと見つけた!なんであんなことしたの!?」
「当たり前のことをしただけ!
麗奈のたった一人の家族の、最後の誕生日になるのかもしれないのよ!
日本一の舞台が何!?そんなことの方が重要だって、あんたは言うの!?」
「違う!でも、あんな風に社長さんに怒鳴り散らしても何も変わらないでしょ!?」
「じゃあ、美香はどうすればいいって思ってるのよ!あんただけは今まで知ってたのに、結局何もしないで見てただけじゃないこの意気地なし!!」
なっ…そっ、そもそもこれはののが干渉するような問題じゃないんだよ!!首突っ込まないで!」
「ほら!困ったらそうやって話題をすり替える!いつもそうなんだから!!」
「お前らいい加減にしろっ!!」
さっきも言ったが、ここは天下の往来。
人々は思いっきり俺たちのことを怪訝そうに見ていた。
「あ、先輩、いたんですね!全く気が付きませんでした!!いつも私に気づかないように!!」
「うるさいなぁ石田は黙ってろ!!」
こ、こいつら…
でも樋口に至っては日頃の恨みも込もってて微妙に言い返し辛いのがなんとも厄介だ。
「とは言えちょっとは人目を気にしろ!」
放っておくわけにもいかず、聞き分けのない二人の耳をつまみ、どこか静かに話せる場所を探す。
「痛い痛い痛い痛いっ!!女の子になんてことをっ!?」
「何すんのよ!?訴えるわよ?事務所通じてあんたのところに訴えてやるんだからね!」
はぁ…なぜ俺はこんな子供のお守りをしなければならんのだ…