第23話 二人っきりだね
「ののちゃんも、久しぶりだね」
「山橋…香奈?これってどういう…」
「なんだい、てっきり美香が話していたのかと思っていたが…まぁいい。座りなよ」
赤い空間にぽつりと置かれたベッド。そこに座る少女。
腕には点滴がつけられ、服は淡い水色の病人服。
俺はそんな彼女に何も言えず、言われるがままに椅子に座った。
「そんな顔しないでくれよ。私だって、いきなり来た珍しい客にそんな顔されちゃあ少し悲しい」
「香奈ちゃん…俺は…」
「いいよ、何も言わなくて。私が話す。お兄ちゃんが来た理由は、だいたいだがわかるしね」
香奈ちゃんは、自分の髪を弄びつつ、俯いた。
「すまない。お姉ちゃんが“花火”に出ないなんていうのは、私のせいなんだ」
「………そんなに、悪いのか?」
やっと俺の口から出た言葉は、彼女の言葉とは噛み合っていないようで、実は噛み合っていて。
香奈ちゃんはその大きな瞳をまっすぐに向け、告げる。
「ああ、悪い。正直に言うとね、あんまり長くないらしいんだ」
「…っ!!」
「はは…笑っちゃうね。まだ私は15歳だっていうのに…天才は決まって短命なものなのかも」
「そんなこと…言うのかよ…?」
どうして、そんな風に笑えるんだよ。
だって、君はもう死ぬって言われているんだぞ?
怖く、ないのかよ。
「私の誕生日なんだ。8月16日」
「それって…」
“花火”と同じ日じゃないか。
こんな偶然、あり得るのかよ…
「本当に、困ったお姉ちゃんだよ…今日だって、しっかり叱ってやったんだけどさ…今回ばかりは、妙に頑固で」
窓の外には、大きな一本の木。そこに停まる小鳥を、じっと、優しく見つめた彼女は、どうしてか綺麗な一枚の絵画のよう。
当たり前だ。そんなの、俺が同じ立場だったとしても、頑固になる。
もしかしたら、最後の誕生日になるかもしれないんだ。
日本一をかけた戦いと、妹の最後の誕生日。
その選択で妹を取ろうとしている山橋を、誰が責められるっていうんだ。
「あたし、ちょっと外に出てくる」
「あ、ちょっとののちゃん!」
その時、今井が立ち上がった。
「今すぐ出場しないようにあんたんとこの社長やら社員やらに、言ってきてやるんだから!!」
「待ってののちゃん!そんなことしたって…先輩、私ちょっとののちゃんを追いかけなければいけないので、これで!!」
二人は病院だということも忘れ、ものすごい勢いで病室を出て行ってしまった。
「…おせっかいだなぁ、ののちゃんは…」
「……………」
俺だって、本当はそうしたいんだぜ、香奈ちゃん。
「二人っきりだね」
窓の外には、大きな一本の木。そこに停まる小鳥を、じっと、優しく見つめた彼女は、どうしてか綺麗な一枚の絵画のよう。
ふざけたように言ったその言葉は、きっと許しだったんだと、俺は思う。
「香奈ちゃん、聞いてもいいか?」
「うん、いいよ、お兄ちゃんになら」
彼女の、彼女たちの、内側に触れることに対する、許し。
「香奈ちゃんは、もう、どうにもならないのか…?」
「どうにもならない、か…」
「ごめん」
「謝ることじゃないさ。そうだな、どう話そうか…」
ぽりぽりと頬を掻く香奈ちゃん。
その気丈な姿が、元気そうな仕草が、俺の心を、おかしくなるくらいに締め上げる。
「私とお姉ちゃんの眼、最初見た時おや、と思わなかったかい?」
「…?まぁ」
彼女の瞳は綺麗な青色。山橋も同じだ。
「これはね、パパから貰った宝物なんだ」
「…外国の方だったのか?」
「うん、スウェーデン人」
「それは…また遠いな」
やはりハーフだったらしい。
顔立ちは二人とも日本人寄りなので、その他の点が父親と似ているということなのだろう。
「もう死んじゃったんだ。ずっと前。私と同じ病気だったんだって」
「………そっ、か」
予想はできたことだった。が、やっぱり重いな。
「またその顔。私が言うのもなんだけど、あまり病人の前でそんな顔するもんじゃないよ?」
「ご、ごめん…」
「うん、だから、笑って聞いてくれ」
「それは無理っていうか、できたら人間性を疑うぞ?」
「はは、違いない」
香奈ちゃんは、少しだけ笑った俺を見て満足そうに笑う。
強い。強すぎて、眩しいよ。
「ここからは、ちょっときついよ?」
「まだここからきつくなるのか?」
「うん、クライマックスだね」
俺が沈みすぎないように、ゆっくりと、段階を踏んで。まったく、俺を何歳年上だと思ってるんだ。
……………なんて思っていたのがあまりにも愚かな勘違いだと、俺は気づいていなかった。
「私の家は、まぁ幸せな家庭だったんじゃないかな?パパは日本で事業を始めて、お金はあったし、家族はみんな仲よかったし。
でも、パパが病気で死んじゃってから、全部変わっちゃった。
よく家に遊びに来ていた会社の人はみんな掌返して、私たちのことなんて見向きもしなくなった。
私たちのお金はどんどん借金に変わった。お母さんはどんどんおかしくなって、よく暴力を振るうようになった。
大好きだったみんなの家も売払い、小さなアパートで暮らすようになった。でも、そこには何もなかった。思い出も、幸せも、何もかもなくなっていたんだ。
でも、これ以上悪いことなんてないだろう。そう思った時、私の具合が悪くなった。
病院で診てもらったら、案の定パパと同じ病気だと言われた。
借金も返せない。重病にかかる娘。壊れた母。そんな環境で、お姉ちゃんはなんとか頑張ろうって、得意だった歌を元気に歌って、家族を励まし続けてた。
まだ、ここからなんとかなるんじゃないか。一緒なら、また、楽しかった時間を取り戻せるんじゃないか。そう、思い始めていた時だった。
お母さんが消えた。
比喩じゃなく、そのままの意味で、消えて無くなってしまった。
そう…お母さんは小学生の私と、中学生だったお姉ちゃんと、多額の借金を残して、一人でどこかに逃げたんだ」
違った。俺のことを思いやって、ゆっくり話していたんじゃない。
きっと、一気に話すと自分を抑えられなくなるから。怒りや悲しみや絶望で、どうにかなってしまいそうだったから。
その証拠に、彼女の手は硬く握られ、瞳にはうっすらと涙が滲んでいたのだから。
「もう、そこからはどうしようもなかった。お姉ちゃんはひどく弱くなってしまった。人を信じれなくなって、人と話すことを恐れるようになった。
それでも、ただひたすら私のために、中学生ということを隠してバイトを始め、ご飯分のお金を稼いでくれた。何かしたかったけれど、私はあまりに幼く、あまりに無力だった。
そうやって私が、お姉ちゃんの行きたい高校も、夢も、全部捨てさせた。
そんな私たちを少しは哀れんだのか、神様は救いをくれた。
それが、風間社長。彼は高校生になり、ラーメン屋でバイトをしていたお姉ちゃんを見つけ、一目惚れしたとか言ってアイドルデビューを勧めてきた。
お姉ちゃんはそんな時間はないと断ったけれど、社長は私たちの借金を肩代わりし、さらに私の治療日まで出してくれると言った。
そうして、お姉ちゃんはアイドルになった。歌手になりたいというお姉ちゃんの夢は、皮肉にも叶ったの。
まぁデビュー曲が全く売れなかった時はどうなることかと思ったけど…奇跡的に私は天才だった。曲は次第に売れるようになり、給料は上がっていった。
今となっては借金返済から、私の手術日を稼ぐのが目的になってるらしい」
深いため息をつき、香奈ちゃんは手で顔を覆った。
「お医者さん曰くね、海外に行けばなんとかなるかもしれないらしいんだ。確実ってわけじゃないんだけどね」
「だったら!」
「でも、どちらにせよ山橋レナは成り立たなくなる」
「っ!!?」
何を言ってるか、わからなかった。
「どういうことだよ…」
「そのままの意味だよ。今のお姉ちゃんは、近くにいる人が支えてあげなきゃ、きっと簡単にポッキリさ。
で、おこがましいと思われるかもしれないが、今のお姉ちゃんを支えているのは、“私のために頑張る”という義務感と依存だ。その私が手術で日本からいなくなる、もしくは死んだらどうなる?」
「そ、それは…」
確かに、あいつは弱いところがあるかもしれない。けど、それ以上にかっこいいやつなんだ。だから、きっと…
「断言しよう。お姉ちゃんは、歌えなくなる」
でも、そんな俺の言い訳がましいごまかしは、胸のうちから出ることさえ許されず、最も彼女に近しいものから否定された。
まるで、「お前に山橋レナの何がわかる」って、言われるように。
「だけどね、お兄ちゃん」
「え?」
「お姉ちゃんは、最近変わってきたんだよ」
彼女は、顔を上げ、微笑んできた。
なんで、泣かないんだよ。君はまだ中学生なんだぞ?そんな辛い目にあったら、泣いていいんだぞ?
いや、泣くべきなんだぞ?
「前は私と美香…たまに社長さん以外とは全く話さなかったんだ。いや、話せなかったという方が正しいかな?」
でも、香奈ちゃんは絶対に笑顔を崩さない。
「大学に行かせる、なんて聞いた時、私は猛反対だったんだけどね。本人が行ってみたい、なんて言うから、仕方なく折れたんだ。あわよくば、コミュ障が治ったりしないものかとね
そうしたら、お姉ちゃんはデビュー以来初めて、自分の曲を作ってきたんだ。
そこで思ったよ。このままいけば、私がいなくなったとしても頑張れるお姉ちゃんになるんじゃないかって」
「おい、香奈ちゃん…」
もしかして、この子は…
傲慢かもしれない。でも、もしかして。
「君のおかげだよ」
「っ!?」
そこで、気づいてしまった。彼女は、本気なのだと。本気で俺を、山橋麗奈の生け贄に捧げようとしているのだと。
「これは、君にとって呪いになるのかもしれない。けれど、聞いてくれ。
お姉ちゃんは、君の影響で確かに変わり始めてる。
ここを逃したら、もう二度と来ないチャンスなのかもしれないんだ。だから…“石田伸一”くん」
この子は、おかしい。
こんなの、人が持てる強さじゃない。
もし、そんなものを持ってしまう者がいるならば、そう。
「私の、お兄ちゃんになってくれないか?」
—————それは、愛の化け物だ。