第16話 仲間だろ
「はっ…はあっ……っ!!」
私は走る。
どうして電車はこういうとき、都合良く人身事故で止まるのだろうか。
世界は、ちょっとあたしに厳しい。
これで何もないところでつまずいてコケでもしたら、多少は物語の登場人物っぽいのかもしれないが、生憎あたしはそんなドラマ性を求めていない。
そもそもなんだ、今の状況は。あたしが主役のはずのイベントなのに、こんなに走らされるとは。
帽子もサングラスもない。あたしのことを知っている人からしたら、撮影にでも見えているのかも。
五月の昼前。太陽も上がり、走れば汗も出る。
メイクは流れてしまっているだろうな。それを直す時間を含め、あまりにも時間がない。
「………あたし何やってんだろ」
どう考えても無謀。間に合うはずがない。それがわかってるのに走るのは、期待、しているからだろうか。
あいつの話を間に受けるなんて、我ながら馬鹿らしくて涙が出そう。
「………あれ、ここって」
気づけばあの場所に。
風間プロダクションのビル前に、あたしはいた。
いつの間にこんなに走っていたのか。考え事やら言い訳やらで頭の中はいっぱいだったから、気づかなかった。
「なんて、言えばいいのかな…」
今更ながらあいつの性格の悪さに辟易とする。
この前、会社のみんなとは気まずいと言ったばかりなのに、この仕打ち。
きっと、わざとだ。
余計なお世話だ。いいことをしたつもりなのか?ふざけるな、この偽善者。
こうして文句はたくさん出てくるのに、階段を上る一歩一歩が、ひどく重い。
「信じろ、なんて…」
こんな最低なあたしを、どうやって信じろっていうのよ。本当に勝手なやつ。
ああ、でも、もし本当に。
あいつの言うように、ファンのみんながあの曲を楽しみにしていてくれたなら。
それを裏切ってしまうくらいなら。
それよりひどい事態なんて、ないのかもしれない。
「麗奈…ちゃん?」
勢い良く扉を開けてやった。
同時に美月が、あたしの名を呼ぶ。
会社のみんなはパソコンから目を離し、あたしに注目している。
…なんて羞恥プレイだ。汗だくでメイクは崩れ、息は絶え絶え。そんなあたしを見て、今度こそこの人たちも失望し、あたしから離れていってしまうかもしれない。
でも、それを押してでも、叶えたいことがあるんだ。
「お願いです!!力を貸してください!!」
頭だって下げよう。敬語だって使おう。媚びてみせよう。
「れ、麗奈ちゃん!?顔上げて!」
「そ、そうだぜ…何があったんだよ…」
「…何かトラブルか?」
その態度に尋常じゃない何かを感じたのか、一斉に私の声をかけてきた。
「CDのジャケットが、なかったんです」
「「「!!?」」」
頭を下げているので皆の顔は見えないが、きっと驚いていることだろう。
馬鹿なやつ。調子に乗って、こんなスケジュールでCDなんか出させるから。
そのせいでどれだけ大変だったと思ってる。いい加減にしろ。
そんな声が、あたしの鼓膜を叩いてくる錯覚がした。
「今は、石田くんがなんとかするって言って動いています。
美香は準備を手順通りに。でも、予定の遅れや変更は必須で、それをどうにかする力が、あたしにはありません」
本当は、とても静かだったのに。
「あたしには何にもない。歌が人より少し上手いだけなんです。
それなのに、今までわがまま言ったり、迷惑かけたり、本当にすみませんでした!だから…だから…」
ああ、こうして話している今思えば、石田くんはすごいのかもしれない。あたしがこんなにもあの曲をみんなに聞いてもらいたいと思ってるって、知ってたのかな。
でもきっと、このあたしがこんなこと言うなんて、どうかしてると思われただろう。
痛々しい、馬鹿な小娘と笑っているだろう。
耳を塞ぎたい。何も聞きたくな…
「当然でしょ、麗奈ちゃん!」
「ああ、仕事なんてほっておけ!後でなんとでもしてみせるぜ!!」
「あ、タクシー1台、大急ぎで」
「…え?え?」
その声を聞いて、あたしはついに顔を上げてしまった。
三人とも、笑ってる。
でも、決してそれは嘲笑などではなく、どこか嬉しそうな顔をしていて。
「なんて顔してるの!麗奈ちゃんは…いえ、麗奈は主役なんだから、さっさと用意する!」
「どうして…?」
「どうしても何も、麗奈ちゃんが頼んできたんだろ?応えるのは当然さ!だって…」
「俺たち、仲間なんだから!」
「ちょ、それ俺のセリフだったでしょ完全に!!」
慌ただしく外出の支度をする皆。
本当になんなんだこれ?あたしは今、何を見ている?
まさかみんながあたしのために、動いてくれるというのか?
「さ、行くよ!!伸ちゃんがしくじっても大丈夫なように、あたしたちがフォローしないと!!」
「「おお!」」
掛け声を終えると、三人はあたしをじっと見つめてきた。これは、あたしの返事を待っているのか?
ああ、それはなんだかまるで、“仲間”のようで…
「うんっ!」
そうして、あたしたちはタクシーに乗り込んだ。
「石田はなんて言ってたんだ?」
「わからないけど…ののを連れてってたわ」
「ののって?」
「今井のの。あの有名なやつよ?」
「いやいや今はそんな冗談言ってる場合じゃなくて」
蓮見くんはどうやら信じていないらしい。まぁ、別にいいか。
「じゃあ、あたしたちは手分けして保険かけましょうか」
「そうだな…石田が何をするかわからん以上、その方向で動いたほうがよさそうだ」
「とりあえず携帯かけてみたら?」
「いや、さっきもうかけた。でも出ないんだ」
「移動中なのかしら…とりあえず、現場に行きましょう。
あと数分で始まっちゃうわ。メイクさん現場に呼んである?そーちゃん」
「抜かりはない。ささっとメイクして、とりあえず客の前には出られるはずだ」
さすが、手際がいい。
思わず感心していると、パワーレコードが見えてきた。
素早く降りると、裏口から中に入り特設コーナーの前へ。
開店した店内はすでに混雑しており、なかなかの混み具合だ。
「…あ、麗奈さん!!」
「美香!大丈夫!?」
美香はスタッフさんと話をしている最中だった様子。
あたしの後ろにみんながいるのを見て安心したのか、一瞬気が抜けたような顔になるが、すぐに真面目な顔に戻る。
「すみませんみなさん、私のミスのせいでこんなことに…」
「それは後でこってり叱らせてもらうとして、今はいいわ。それより…」
「あいつは、まだ、来てないの…?」
美香は俯いて黙ってしまった。
時計はもう、11時15分前を示している。ジャケットの装着などを考えれば、もうどうしようもない時間だった。
「…せめて、サインくらいはしましょう。手分けして色紙、買いあさってこよう。
それで、CDはおいおいという形で…」
「……や」
「…麗奈?」
何をしている、あたし。みんなここまでしてくれたというのに、ここでまたなのか?
はぁ…やっぱりあたしは変われないんだなぁ。
どうしようもなくわがままで、愚かな少女のまま、変われないのだなぁ。
「嫌。あたしは今日、この場に来てくれた人を裏切れない。
それに、あいつからまだ連絡も来ない。ならまだ、終わったわけじゃないじゃない!」
「山橋、さすがにそれは…」
博多さんが言おうとすることもわかる。確かに、あたしがやろうとしていることは、“信じること”を方便にした、ただのわがままでしかない。
でも、それがあたしだ。
あたしは、あたしでしかいられないんだ。
「あいつは来る。絶対に。だってなんとかするって言ったんだから。ならばあたしは、あいつを信じる、あたしを信じるわ」
「なんだその熱い名台詞…」
蓮見さんは、ため息をついて頭を抱えた。
「でも、それが麗奈ちゃんだもんな」
「え…?」
「ったく、仕方ないわね。あと五分よ」
「みんな…」
ついてきて、くれるんだ。
なら、後は君だけだよ、石田くん。
ここを、なんとかして見せなさい!!
「美月」
「なに、そーちゃん。残念だけど多数決の結果は覆らないわよ?」
「そうじゃない。5分もいらなさそうだって、言いたかったんだ」
「それはどういう…」
一同、博多さんの視線の先、エスカレーターを見つめる。
「先輩…っ!!」
その先に、彼を捉えたのだろう。美香は涙目だ。
「ったく、遅いのよ…」
「無茶言うな…これでも最速だっての…はあっ…」
ようやくやってきたあいつは汗だくで、息も絶え絶えで、そんな姿が笑っちゃうくらい滑稽で。
………少しだけ、かっこよかったかもしれない。
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「伸ちゃん!!」
「うわっ!美月さん抱きつかないでください汗びしょびしょなんです!
あ、ちょ…そんなとこ…あっ…////」
「………せっかく感動のシーンだったのに先輩は相変わらず変態さんですね」
「ありが…違う違う。ってかそんなことやってる場合なのか?そもそも俺は間に合ったのか!?」
こんだけ急いだのに、風間プロダクションのメンツは相変わらずだった。
奥の方に博多先輩と蓮見先輩もいることから、山橋はちゃんと助けを呼べたらしい。関係改善でもできていれば大成功なのだが。
「その袋の中身は何?」
そんな俺の気苦労も、実際にした苦労もまったく顧みることなく、山橋の興味は俺の右手にある紙袋に移っていた。
「開けてみろ」
「…?って、うひゃあっ!!」
山橋の反応は想像以上で、わざわざ用意した甲斐があるってもんだった。
「これ、ジャケット…」
「でもこんないい写真いつの間に…」
「ああ、これは俺の友人がたまたま撮った写真をもらったものです」
「そ、そうなのか…」
みなさん一斉に俺の持ってきた紙袋に注目している。
「でも100枚だよ?こんな短時間にどうやって?」
「それも友人のコネで、最優先にしてもらったんです」
「その友人何者なのよ、業界の大物?」
「間違ってはいないかも。はは…」
まぁ、今井のことは大声で話す必要もないか。今回あいつには本当に世話になった。
写真は、あのライブで俺に手を伸ばした山橋を、今井が一眼レフで撮ったものを使わせてもらった。
さらに写真提供の次は融通を利かせてくれそうな印刷会社も紹介してもらい、おかげで1時間足らずでジャケットを刷ってもらえた。
「あ、あああんた、正気なの?その写真、汗だくじゃない…最悪よ…そんなの絶対使わせない!」
「はぁ!?お前何言ってんだよ!この写真の良さがわからないなんて感性死んでるんじゃないのか!?」
「なんですってぇ!?ほら美香、この写真どう思うか言ってごらんなさい!」
なのに、あろうことか山橋はその俺の努力を水泡に帰そうとしてきた。そろそろ殴るぞ、この女。
まぁでも、樋口に聞いたのが運の尽きだったな。
「この写真…すごくかっこいいです!」
「はぁ!?」
だって、山橋のこんなかっこいい姿を一番見てきたのは、樋口のはずだから。
ライブしている時が、一番かっこいいって、一番知ってるはずだから。
「いいじゃない!」
「いいと思うよ麗奈ちゃん!」
「山橋、これでいこう」
「う…嘘でしょ…?」
愕然とする山橋。そんな時、時計の針が11時を指した。
「や、やばい!!今すぐコーナー行け山橋!!俺らはみんなでジャケット装着すっから!!」
「わ、わかって…あ」
「ま、まさかまだ何か問題があるのか…?」
「メイクしてないや」
「早く行け!!」
そんなこんなで、10分遅れのサイン会は、一応無事始まったのだった。
その間みんなは全力でCDにジャケットを付け、できたものを樋口が持っていく、と言う作業を延々と繰り返しているだけだった。
あいつ、大丈夫かな。コミュ障だし、口も態度も悪いし、対人だと本性でちゃったりしてないかな…って、俺はおかんか。
でも、そんな不安は、幕の奥から聞こえる山橋の笑い声と、ファンの嬉しそうな声で、かき消された。
なんだよ、お前、ちゃんとアイドルやってるじゃねぇか。
みんなから、ちゃんと愛されてるじゃないか。
それから4時間後、俺たちの長い長い戦いは、山橋が一人一人にかなり時間を使って話したせいで相当な延長戦を強いられつつも、無事に終わったのだった。
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「はぁ…ほんと今日は疲れたわ…」
「お疲れ」
サイン会を終えた俺たちは、三人ずつ別れてタクシーに乗っていた。
俺のところには蓮見先輩と山橋。あっちの車では美月さんと博多先輩からのお説教が樋口にぶつけられていることだろう。かわいそうだが、耐えろよ樋口…
「ったく、初めてのサイン会だったのに、散々だったわ」
「結局成功したんだからよかったじゃないか。気づいたらノリノリで握手なんかもしてたな」
「なっ…見てたの!?」
「そりゃあ、ジャケット付け終わってからはそこまでやることないし」
「くっ…不覚だわ」
山橋は少しだけ顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。
まったく、いつもそうやってれば可愛げもあるというのに…
「………りがと…」
「ん?」
あれ、今何かこいつが言ったような…幻聴かな?
聞き返そうと思ってもすでにそっぽを向いてしまい、見えるのは少しだけ赤い日に照らされている彼女の金髪のみ。
でも、その姿があんまりにも絵になったから。
なんかもう、それだけで俺は満足してしまったのだ。
「俺を青春してるとこ悪いけど、もう着いたぜ?」
「「あ…」」
マジで忘れてた。すみません先輩!!
でも、大方これでハッピーエンド。これから社長さんとも合流して楽しい打ち上げが待っているだけ…ッ!!
「よう、お前ら。仕事ほっぽりだしてどこ行ってた?」
「「「本当にすみませんでした!!!!!」」」
………その後怒った社長さんにより大量の残業が課せられ、打ち上げは中止となってしまった。