第14話 気に入らないこと
「なぁ、ここか…?ここがいいのか、石田…っ!」
「あ、違います…もっと下…そう、そこっ…」
「アアッ…じゃあ、入れるぞ…」
「はい、お願いします…っ」
博多先輩の長いのが、俺のに…っ!
「やめてよまだ朝なんだから…」
美月さんが眠そうな目で突っ込んできた。
おっとうっかり。「指」と「パソコン」を抜けていたな。
現在、あの宴会から数日経ったゴールデンウィーク初日。
外は多くの家族連れやカップルで賑わっている中、俺たち風間プロダクションは絶賛社畜中だった。
「美月さん、抽選始めますよ」
「了解はすみん、やっちゃって」
意外と先行発売会やサイン会などのイベント抽選会は開始間近に行われる。
そして本番まで約一週間。これで間に合うのか疑問ではあるが、、まぁそっちは蓮見先輩に任せておけばいい。
そんなことより…
「レコーディングの方はどうだった、伸ちゃん」
「なんとか今日の4時に終わらせましたよ…」
レコーディングの予定の方がやばすぎるのだ。
時間がない、と言う言葉をそこまで大きく見ていなかった俺だが、ここまでヤバイとは想定外だ。
普段何気なく聞いていたCDがどんなに労力を使って完成されていたものなのか知り、俺は先人たちに敬意を覚えずにはいられない。
「そりゃあすごいや!新記録かもね!」
「この前のが効いたのかな…」
「やめとけ蓮見」
「だから本当に…眠い…」
昨日については本当に大変だった。
やってきたオケ担当の楽器隊は、来た瞬間から感じが悪く、イライラしていた。
そんな人間がまともに弾けるはずもなく、あんまりの出来に香奈ちゃんがブチ切れ怒鳴り散らしていたのは本当に怖かった。
鬼クリエイターモードとなった香奈ちゃんは、楽器隊の人が泣きつくまでリテイクを出し続け、ようやっと終わったのが午前4時。わりとさっきだ。
「ああ、石田はあれ見るの初めてだったのか。そうだよなぁ、あの可愛らしい女の子が鬼のような形相で怒鳴り散らすんだからなぁ」
「え、蓮見先輩も見たことあるんですか?」
「ああ、広報とはいえ、そのアーティストがどんな風に曲を録ってるのかも知っておかないと、いい記事は書けないもんさ。まぁ、俺も初めはビビったけどな」
「もしかして、いつもああなんですか?」
「いえ、いつもはもっと怖いですよ?」
蓮見先輩と話していると、横から樋口が入り込んできた。
「あれより怖いってどんなだよ…」
「いえ、楽器隊の人に怒るのはたまになんですけど…その、麗奈さんには…」
「余計なこと言わないでよ美香!」
「うわっ、びっくりした…いつからいたんだよ山橋」
「ずっといたわよ!」
ソファから俺に向かって怒声を飛ばしてくるのは我らがお抱えアイドル、山橋麗奈だ。
というか…どうしてこうも事務所の中では存在感が薄いのか…外にいることが多く、事務所内にいることが珍しいからなのかもしれないが。
「美香、もう行こ!」
「あ、はい!では、行ってきます!」
「「「「いってらっしゃーい」」」」
そう、山橋は今日何の用もなく事務所にいたわけではない。
今日は、ボーカル録音。ついに、山橋の出番というわけだ。
「なんか、麗奈って伸ちゃんと話す時はちゃんと話せるのね…」
「どういうことです?」
美月さんは、少しだけ寂しそうに俺に話しかけてきた。
「あたしたちとはほら、あんまり話してくれないのよ」
「そりゃあ、あいつコミュ障ですから」
「そう…なのかもね」
「あいつのこと、嫌いですか?」
「とんでもない。みんな、少なくともここに残ったみんなは、彼女や彼女の歌に惚れた人ばっかよ」
博多先輩と蓮見先輩も笑って親指を立てている。
はは、なんだよ…こんなにいい仲間いるじゃないか、お前。
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「なんでよ!!」
「なんでも何もないよ。これでいいと、私が思ったからこれでいいの」
「そんな…もっとできる!!香奈がもっと教えてくれれば直すところなんてたくさん…」
「ないよ、そんなものは。…そもそも何が気に入らないんだいお姉ちゃん?
一発OKなんて、普通怒るでもなく喜ぶものじゃないか」
「それは…だって今までと…」
スタジオに着いて口論が聞こえた時はやっぱ帰ろうかと思ったが、美月さんに首根っこをつかまれたので仕方なくその様子を見てみた。
なぜここにいるかというと、仕事がひと段落ついたので買い出しも兼ねて外に出るからついて来いとお達しがあったからだ。
んで来てみれば、聞いていた話と違う。怒っているのは山橋の方で、怒られているのは香奈ちゃんだったのだ。
「おい樋口、これどうしたんだ?」
なんだかあたふたしている樋口に状況を聞いてみた。
「いえ…今日録った歌が一発で通ったんです。それが麗奈さんは気に入らないみたいで…」
「なんでだよ、そんなのおかしいじゃないか」
リテイクを求める?そんなことがあるのか?
誰だって一発で通れば嬉しいものだと思うけど…どうして怒っているんんだろう。
「はぁ…お姉ちゃん、一回しか言わないからよく聞いておくれよ?」
「なによ…」
そして、ガラス一枚隔てた向こうで会話している香奈が口を開いた。
「お姉ちゃん、歌、上手くなってるよ。多分、それはお姉ちゃん自身が作った歌のおかげだと思う」
「そんな…香奈も、今までの私の歌は本気じゃなかったっていうの!?」
「だぁ、めんどくさいなぁ。じゃあ、今日録音したものと、前に自分が録ったもの、比べてごらんよ」
「…っ」
「いいね?私もそんなに時間があるわけじゃないんだ。しっかり頼むよ」
どっちが姉だか…もはや貫禄すら感じるよ。
スタジオに一人姉を残し、香奈ちゃんは退室してしまった。
その帰りに俺と美月先輩を見つけると微笑み、近寄ってきた。
「なぁなぁお兄ちゃん」
「なに?」
さっきまでのモードを一転させ、可愛い妹モードに入ったらしい。
あ、裾とか掴んでる!萌えない…萌えてなるものか…ッ!!
「お姉ちゃんを頼むよ。めんどくさいんだ、あの人」
「………お、おう」
そ、それだけか。
なんだかんだで姉思いの妹だ。
気づけば美月がスタジオ内に入って麗奈と話していた。なだめているのか、連絡をしているのか。
すると、山橋もスタジオを退室した。あ、こっちくる。
「行かなきゃ…」
「お互いめんどくさいな」
「はは、言われてしまった」
苦笑して、香奈ちゃんは外に出た。
「何話してたのよ」
「いや、別に?」
「ちっ…」
し、舌打ちされたよ!先輩なのに!
全くあの子は…これを俺になんとかしろって、無理言ってくれる。
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スタジオから帰る車はなんだか暗い雰囲気で、間が持たなかった。
事務所に帰ると同じように書類整理。
レコード会社や、CDプレスなどにもいちいち書類が必要だから面倒だ。
「樋口、そっちにジャケットのデータ送っとくから確認しといてくれ」
「はい…了解です」
「あああ対応が終わらねぇ〜!くそっ、抽選から漏れたのは俺のせいじゃねぇだろ!!運がなかったんだよくだらねぇことで問い合わせてくんな!!」
「外でそれ言うなよ、蓮見」
「ああ〜ビール飲みたいよぉ…帰りたいよぉ…温泉行きたいよぉ…」
現場はもう限界気味だ。
俺と樋口が元気なのはなんでだろうな…若さかな?
「伸ちゃん買い出し行ってきてー。モンスター15本」
「5.3リットルもあんなの飲んだら死にますよ…」
歳のことになると心まで読むとは、いったい何歳なのだろうか。
そういえば山橋がいないな。帰ったのか?
「早く行く!」
え、本当に行かなきゃいけないの…?
半ば追い出されるように、俺は外に放り出されるのだった。
「扱い悪いな…って、あ」
「…あ」
何やってんだこいつ…
山橋はドアの前で体育座りしていた。バカなの?死ぬの?
「これはその…」
「手持ち無沙汰でいづらくなったのか?」
「うっ…」
まぁ、こいつはテレビとかラジオとかに出ずっぱりだったらしいし、やれることが何もないという事態は珍しいのだろう。
「じゃあさ、ちょっと付き合えよ」
「え?」
「これから買い出しなんだ。多いから手伝え」
「は?何言ってんのよ!あたしがなんでそんな」
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「結局来るのかよ…」
「何よ、あんたが頼んだんじゃない」
「まぁそうだけどさ」
面倒になって放置したら付いてきた。猫みたいなツンデレ具合だな。
「なぁ、録った歌、聞いたんだろ?」
「…だからなに?」
「そんなに悪かったのか?」
「別に、悪くなかった。香奈の言う通り、前よりもむしろ良かったってくらいに」
「なら…」
コンビニに向かって歩く。
が、そんな風にブスッとしながら隣歩かれるとどうしても気になってしまう。
「じゃあ、どうしてそんな顔?」
「それは…その…」
山橋は空を見あげる。
空は青くて広いのに、ビルに喰われて小さく見えてしまう。
沈黙。あ、コンビニ見えてきたよもう。
「……ずいのよ…」
「え?」
「だから、気まずいの!悪い!?」
「いや、別に悪くはないんだけど…」
え?それは俺の横で歩くのがつまらないって言ってるの?ショック!
「あたし、いままでもあんまり会社の人と会話してこなかったんだけど…」
「あ、そっちか」
「どっちだと思ったのよ」
安心した。危うく立ち直れなくなるところだった。
「で、何が気まずいんだ?」
「…あたし、前からずっと会社の人と話すのあんまり得意じゃなくて…でも、それが生意気だとか言われてたっぽいの」
「ああ〜」
こいつ、確かに誤解生みそうな態度よくとるからな。俺のもそうに決まってる。うっ…胸が痛い。
「でも会社の人みんな仲良くて、あたしどう入ればいいのかわからなかった」
「そう、か」
「それで今回あたしがやりたい放題やっっちゃったせいで三人も辞めるって言って…それでこんなに忙しくなってるのに、あたしは何もできないし…」
少しだけ涙目になる山橋。
俺の前でこそいつも強気な彼女だが、それでも女の子なのだ。
年上の人間からそんな風に言われたことを知り、その果てに辞めたことを知れば、罪悪感も感じる。そんな、ただの女の子なんだ。
「きっと、あたしは前より嫌われてる。でもあたしにはアイドルでいなきゃいけない理由がある。だからどうしたって…」
「そんなことないぞ?」
だけどまぁ、まぁ俺にできることは、このくらい。
「みんな、本当はお前のこともっと知って、一緒に頑張りたいって思ってる。みんなお前のファンなんだぞ?」
「…なに、気休めのつもり?」
「違う。今度、聞いてみればわかるよ」
「馬鹿な奴。そんなこと、あるわけないのに」
山橋は呆れたようにため息をつき、コンビニに入る。
あれ、何かまた選択肢間違えたか?
相当恥ずかしかっこいいセリフ言ったつもりだったんだけど…これじゃ恥ずかしいだけじゃないか。
頭を抱えながら、彼女の背中を見る。
見えない顔が、もしも笑っていてくれるのなら…なんて思うのは、ちょっと傲慢だろうか。
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「こんなにいらないんだけど。返してこれない?」
「ほらやっぱり言ったじゃない!」
「あんたが言ったんだろうがああああ!!!!」
山積みになったモンス◯ーを前にし、冷笑する美月さん。
彼女の復讐は、思ったよりえげつなかった。
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そして、また数日が経った。
「この日が、ついに来たな…!!」
「来ましたね…っ」
「ちょ、美香なに泣いてんのよ」
俺、山橋、樋口の三人は、早朝の渋谷パワーレコード前に立っていた。
もう5月中旬とはいえ、朝となれば少し寒い。
人がいない渋谷はどこか寂しく、けれど幻想的にも見えた。
ちなみに他の皆さんは別の仕事で、このイベントが終わってから来るらしい。
が、当然俺たちだけで回すわけではない。パワーレコードのスタッフさんたちと警備員の皆さん、みんなでイベントを成功へ導くのだ。
「さぁ、準備するか!」
開始は午前11時。抽選では100名が来るというので、大体2時くらいには終わると踏んでいる。
それからは飲み会だ。それを楽しみに、頑張っていくとしよう。
と、意気揚々と入ろうとした時だった。
「ねぇあんた、気持ちははわかるんだけど、まだイベント開始前よ?」
「どわああっ!!」
見覚えのある帽子にグラサン、マスクを装備した完璧不審者が、俺の肩を叩いたのは。