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第10話 『NEXT』


「はぁ…はぁ……」


 会場の熱は最高潮。

 最後の一曲を歌い終えたあたしは、ステージから下り汗を拭いていた。

 今この時にも途絶えることなくアンコールの声が聴こえてくる。当然それは織り込み済み、曲編成も考えてある。

 まったく、本当に疲れた。

 疲れたけども、あたしはアイドルだから。

 人に夢、見せなきゃいけないから。それが仕事であり義務であり、あたしの存在意義なのだ。

 スポーツドリンクを一気に煽り、喉を潤す。あと数曲だったら余裕である。さすがあたし、不死身の喉だわ。

 エレベーターのように上がる台に乗る。スタッフの皆さんも、よく手動でこんなの作ろうと思ったものである。過去のアイドルの発想に拍手。


「麗奈さんこれで最後です!頑張って下さい!!」

「ええ、当然よ!」


 美香は、きっと石田伸一を変えるような歌を期待しているのだろう。

 果たして、あたしにはそんな歌が歌えていただろうか。

 既にライブは、完全に成功と言えた。

 観客全員が一体となって笑い、感動し、ノっていた。

 でも、実際あたしはちゃんとノリ切れていただろうか。

 あいつが言っていた通り、まだ、本気じゃないのだろうか。あたしは、結局不器用で、何が正しいかなんかわからない。その時の最善を尽くすことしか、できないのだ。

 あいつの席、C-1-17の場所がどこかはわかっている。と言うか、事前に調べておいた。

 わかっていたけど、あえて見ないようにしてきた。だっていなかったら、あたし怒りで何するかわからないもの。

 でも、そろそろそれも終わりにしよう。

 今こそ、あいつの吠え面を拝んでやるんだ。

 あたしの全身全霊を見た、あいつの敗北感に満ちた顔を。

 感動に震え涙する、復讐の達成を。


「…………え?」


 あたしは再びステージの上に立ち、ドーム中を見渡す。ファンの空気を揺らすくらいの声援が聞こえ、ペンライトが眩しいくらいに輝いて、それらが一定のリズムで動く様は見ていてとても気持ちがいいもの……だった、はずなのに。

 そう言うライブの醍醐味とか、喜びとか、全然聞こえなかった。

 だって、その席……C-1-17に座っていたその男を見たとき、あたしはその他の観客のことが、頭からすっ飛んでしまったのだから。




 ***




「な、なんか緊張してきたな……」


 電車を乗り継いで、水道橋駅にあるとある有名ドームの一席。最前列C-1-17に俺は座っていた。

 とは言ってもここはアリーナ席、パイプ椅子なのだが。

 ドーム前にはオブジェがあり、そこでの写真撮影会が行われていたり、その近くにあるグッズ売り場ではコミケのシャッター前サークル並みに人が並んでいた。

 俺は雅也に言われた通り地獄のグッズ売り場に突入して色々買っておいた。

 とりあえずペンライトは外せないし、あとはピンク地に黒色で大きく山橋レナと書かれたTシャツと缶バッジ、バッグにスマホケース……あれ、なんか買いすぎた感あるな。くそ、コミケ特有の金がなぜか消えている現象かッ!?

 シャツは取り合えずめちゃくちゃ混雑していたトイレで着替え、特にやることもなかったので中に席に行っておくことにした。

 飲み物はドーム内の売店で買えたが、どうしてここの売り子さんたちは全員可愛いんだ?ここでバイトしたいと割と本気で思ったまである。


「ねぇ、開演まだかな?ねぇまだかな?」

「まだだって。あと5分で定時」

「どうしてそんなに冷めてるのよ!

 こんないい席でレナが見れるなんて、あなたには二度とないチャンスなのよ!?」

「はは…まぁ、そうだよな。」


隣の子は随分と高まっていた。なかなかに騒々しい……熱心なファンである。

そもそも俺、実際は0距離で会ったことあるんだけど、それを言うと妄言に聞こえそうだから黙っておいた。

 確かにその通り、この席は相当いい席なのだろう。下手なこと言って周囲の人を不快にさせるのも気分が悪い。


「うひゃー!レナが目の前に来るんだぁ……」

「俺が練習し続けた応援ダンスを披露してやるぜッ!」


 うん、周りの人も結構高まっている様子で、ざわつきは結構なものだった。

 だがそれも仕方あるまい。聞くところあと5分で開幕なのだ。こんなにいい席なのだし、ファンの人は大興奮だろう。

 さて、俺の目の前にあるステージだが、いたってオーソドックスなものであり、メインステージがホームベース側に大きく展開され、そこから反対、二塁側へ長い道が続き、その先にメインより一回り小さいサブステージがある。

 どこの客席からでも、少しは山橋レナをいることができる設計というわけだ。

 俺の席はメインステージの真ん前。メインとサブを繋ぐ道の横だった。


「ああ、こんな席でレナが見れるなんて、俺もう死んでもいいわ……」

「2度と来ないチャンスだろうなぁ……」


 本物と会話してみ。がっかりすんぞ。と、心の中でつぶやき、ドーム全体を見渡した。

 会場の人入りももうほぼ完了したらしい。警備員は巡回しつつ、ステージの様子を気にしだした。

 落ち着け、別に俺は仕方なくここに来ただけなんだぜ?

 羽織っていた上着を脱ぐと、そこには桃色のシャツが覗く。こんな格好しておいて説得力ないっていうのは禁句である。


「3時まで、あと10秒……」


 今度は自分で自分の腕時計を見てから、メインステージを見上げた。

 心臓が高鳴る。何かが起こる。そんな予感が、強くしたのだ。

 ああ、長い。いつになったら、この10秒間は終わるんだ。

 そわそわしながら貧乏揺すりを始めそうになる俺。その瞬間、照明が一気に落ちた。

 ざわつき、というか、もう歓声だった。

 うおおおおおお、という男どもの声。それに紛れるきゃああああ、という女性ファンの声。

 すると、ステージの向こうから、皆が待ち焦がれた“彼女”のシルエットが浮かび上がる。

 すると、奇妙な現象が起きた。あれだけ騒がしかった歓声が、ファンたちの声援が、一瞬にして消えたのだ。

 静寂が、その場を支配する。

 誰もが、ほんの少しの呼吸さえ惜しいと言わんばかりにステージ上に注目しているのだ。

 ちらと隣の人を盗み見ると、彼は震えていた。

 他の皆も同じ、山橋レナの登場の、その瞬間を絶対に見逃すまいと、ステージをじっと見つめているのだ。

 その光景に、俺は感嘆よりまず、恐怖した。


 あまりにも強固な一体感を持ったファンにではない。この光景を作り出した張本人————山橋レナと言う、アーティストに対してだ。


 ベース音が鳴る。背筋がぞくっと震えた。来る。あいつが、歌う。

 俺が目線をステージにあげた時、それを待っていたかのように歌声が響き渡った。


「風が〜運んだ〜愛の〜行方〜♫」


 おとなしいアカペラ。けれど、それで十分。

 ブワッと、全身に鳥肌が立ち、体が固まる。会場の緊張が頂点に達した、その瞬間。


「行くぞ!!!!東○ドオオオオオオオオム!!!!!!!!」


 ステージ中央から、白いフリフリ衣装に身を包んだスーパーアイドル、山橋レナが登場した。


「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」」」」」」」


 その叫びが、着火剤だった。

 観客の熱は一気に爆発し、燃え広がる。

 彼女の歌に楽器が合わさると、歌はさらに高く、強く、その破壊力を増していく。


「これが、山橋レナ……か」


 初めて会ったときは同級生の誰とも会話しない、暗い青年だと思った。

 と思ったら酒をねだり、泥酔し、俺の担がれ、実は男装で、俺に胸を揉まれ、最後には年下のマネージャーに怒られていたあの女が。

 歌っている。

 人々を、心を、こんなにも強く、熱く、動かしているのだ。


「…………はぁ」


 でも、俺にはわかってしまうんだ、山橋。

 他の人には、きっとどうでもいいこと。だから、気になんてしない。

 でも、そんなお前の弱いところに注目してしまう性格の悪い奴が、一人、この中には紛れているんだぜ?

 これはやっぱり、全然お前の本気なんかじゃない。

 あの時、あの桜舞う入学式、新入生歓迎に必死だった俺たちに叩きつけたあの圧倒的な感動は、こんなもんじゃなかっただろ?

 そんな、必死な顔すんなよ。

 俺に変わるところ、見せるんじゃないのかよ。

 動き出すところ、見せるんじゃないのかよ。

 俺が見たかったのは、感じたかったのは、そんな作り物の笑顔じゃない。まるでアイドルみたいな、キラキラの笑顔じゃない。

 俺が見たかったものは、聞きたかった歌はもっと……


 …………あれ?

 俺は、一体何を見たかったんだ?


 そんな俺の葛藤を知らず、彼女は歌い続ける。

 山橋レナの歌は、やっぱり明るくポップで、歌詞も気持ちのいいものばかり。

 それが、山橋レナだ。

 作られた、まさに偶像。アイドルだ。

 俺の中でじくじくと膿んでいくこの感情を何て言うのか、知っている。

 俺は今、失望していた。

 彼女にじゃない。まだ、期待したいと思ったしまう、あまりに哀れで、執念深い、俺に対してだ。

 ああ、こんなにも俺は、救われたかったんじゃないか。変わりたいって、願っていたんじゃないか。

 そのことに、ようやく気がついたのだった。




 ***




「みんなー!ありがとー!!」


 あたしを包む、無数の声援。

 役55000人が、今、あたしの歌に熱狂している。これが、あたしの守ってきたもの。この場に立つ意義。

 セットリストの曲は全て歌い終えた。

 あとは手を振って退場するのみ。

 そして待っているのは、アンコールが一曲。

 香奈が作ってくれた最初の曲「tell tell beats」と言う、これまた最後にふさわしいあたしの代表曲であった。


「お疲れ様です!麗奈さん!」

「ありがとう美香」


 美香は興奮ぎみに潤んだ瞳をあたしに向け、タオルを被せてくれた。

 汗を拭いたあと、少しぬるいスポーツドリンクを手渡される。

 まったく、今日のステージを考えた奴は誰だ。あんなに走らされるなんて聞いてない。

 まぁでも、そこそこ満足だ。

 だって、ほら。聞こえるんだもの。

 みんなの声が。アンコールを求める、ファンたちの声が。


「麗奈さんさすがです……こんな沢山の人を、こんなに幸せにするなんて……」

「そうかな?えへへ……」


 正直、誇らしかった。今でも思い出せば腹が煮えくり返りそうになるあいつ、石田伸一が馬鹿にしたこの山橋レナの歌が、ここまで場を沸かせているのだ。文句が言えるものなら言ってみろってものよ。

 きっと感動して内心あたしに謝っている頃ね。

 いいえ、もしかしたら泣いているんじゃないかしら。

 そう思うと、不思議と気分が明るくなった。

 アンコールの声が鳴り止まない。さて、そろそろ行かねばな。


「行ってくるわ!」

「はい!麗奈さん、頑張って下さい!!」

「ええ、当然よ!」


 そうして、あたしは舞台へ。

 輝かしいステージに立つと、一斉に歓声が上がる。前奏が流れ出した。


「…………え?」


 あたしは意図的に見ないようにしていたあいつの席を、あらかじめ調べておいたあいつの席を見て、愕然とした。

 あいつ…あいつ…っ!!あいつはあああああああああ!!!!!!


 もうその瞬間、あたしの世界から、音は消えた。

 歓声も、もうじき終わる前奏も、自分の高鳴る心音も。

 全ては遠くに去っていくように…いや、その表現は違うな。

 みんな、あたしのこの煮え滾る激情の前に、逃げ出したのだ。


 許せない、そんなことは、許さない!!!!

 このあたしの、本当に最後の曲が始まっているのに、座ってスマホいじるなんて!!!?




 ***




 帰りの時は混むだろうなぁ。

 俺がそう思い始めたのは、ライブもクライマックスになって終了間際という時だった。

 これだけの人がいるのだ。きっと帰りの電車はまず乗るのに多大な時間を要し、乗ったところでソーセージのごとく詰め込まれるのだろう。

 それは嫌だ。早めにここを離脱して、ギリギリこの会場の誰もいない電車に乗り込むのがベストだ。

 そのためには、走ることだって厭わない。早い帰宅のためならば自身の疲労を顧みないのが一流の帰宅部員なのである。

 というわけで、電車の時間を調べよう。

 周りではアンコールなんてやっているが、その間に俺は次の手を打っているのさッ!!


「ふむ、あと15分後ならギリギリ……」


 と、呟いた時だった。

 歓声が、アンコールの要求から喜びの絶叫に変わる。

 どうやらアンコールが始まったらしい。なんという出来レース。もしこれでアンコールがなかったらどんな微妙な顔をするのか、ちょっと見て見たい気もする。

 とりあえずスマホを置き、もう一度立ち上がろうとした時に何か違和感に気づいた。


 あれ、歓声が止んだ?


 山橋を見上げる。すると、彼女はあろうことか俺の顔を見て、硬直していたのだ。

 前奏は始まっていて、きっともうAメロは歌わなきゃいけないタイミングじゃないのか?

 いや、まさか。アイドルが、ましてや山橋レナほどのトップアーティストがステージ上でかんしゃくを起こすなんてありえない。

 もう一度見て見る。あれ、でも、その視線は、やっぱり俺を睨んでいるようにしか見えないような……?

 ってか、確実にブチギレているような……?




 ×




 なんだ、その間抜けた顔は。

 あたしをここまでコケにしておいて、何か用?とでも言いたさそうな顔だ。

 あ、もう、あたしが歌うところだ。

 みんな知ってるこの曲。どこが入りなのか知らないのはきっとあんたくらいだよ、石田伸一。

 あたしが歌わないから観客も動揺しているし、楽器隊の人も困惑してしまっているじゃないか。

 でも、悔しかった。

 歌を、このまま歌える状態なんかじゃ、なかった。

 ああ、どうして。

 どうして、あたしはあんなどうでもいい奴に、こんなにも心を乱されてしまうのだろう。




 ×




 おい、もう曲始まってるじゃないか。何やってんだ。お前はスーパーアイドル、山橋麗奈だろ?

 あんな大口叩いて置きながらこのザマかよ。

 本当、いい加減にしろよ。そんなの、馬鹿みたいじゃないか。




 ***




 その瞬間、目が、合った。

 たった一言も交わしていないのに、何かが通じた気がした。

 そうだよ、見たかったんだ。

 どうすればいいのかわからなくて、動けなくなって、求められるものを模索して。

 気づけばもう逃げ出せない檻の中。

 そんな、まるで鏡を見ているような気分にさせるその姿が痛々しすぎて、見ていられなくて、辛くて、悲しくて……泣いてしまいそうで。

 でも、そんなあいつが、変わる姿を見れたなら。

 動き出す姿が見れたなら、それはきっと、自分にとっても大きな希望になって。

 嬉しくて、泣けるような、そんな素晴らしい瞬間に、きっとなる。




  俺 

  ×   とあいつは、こんなにも似ているのだから————————

 あたし




 ***




 ああ、そうか、こんなにも簡単で、単純なことだったんだ。

 あたし自身が、あたしの歌で変わる、あいつを見たかったんだ。

 なんて道化。なんて間抜けだろう。

 ステージは困惑の色に染まり、楽器隊の人たちは明確な怒りを持ってあたしを睨みつけている。

 こんなことをしたら、どうなってしまうかわからない。

 いや、もうとっくに手遅れなのかもしれない。きっとものすごく怒られ、最悪ネットで叩かれたり雑誌に有る事無い事書き殴られるかもしれない。

 でも、それでもさ。

 あたしはどうやったって、ただの女の子だったんだ。

 トップアイドルだとか、スーパーアイドルだとか言われたって、結局それは変わらないまま。

 夢を“見せる”ことよりも、夢を“見たい”。それを優先してしまうような、わがままな女の子なんだ。

 だから、ごめんね香奈。事務所の人も、美香も、もちろんファンのみんなも。

 そして……何より、今までのあたしを作り、守り続けたあたし自身へ。

 これは、この曲は、最大の裏切り。

 誰のためでもない、自分のために歌う曲なのだから。


 すうっ、と、息を吸い込む。

 その時、鳴り出したピアノの音。

 もちろん楽器隊から流れる音楽ではない。だって、この曲を聞いたことがあるはずないのだから。

 聞こえるのは明らかに作曲ソフトで作った、安っぽい打ち込み音源。それが、ドーム中に流れ出しているのだ。

 こんなことができるのは、唯一この曲を知っている、あの子だけ。

 ちら、と、舞台裏を見る。

 そこには、頭を抱えながらも、笑いかけてくる、愛しの妹の姿があった。


 まったく、ここまでやらかしても予想通りだなんて、さすがにお姉ちゃんびっくりだ。

 ——————でも、ありがとう。


 香奈が、あたしの背中を押してくれるというのなら、もう何も恐れるものなんてない。

 緊張も何も吹き飛んだ。

 胸を張り、高らかに歌おう。




 “あたしの歌”を!




「歌います、『NEXT』!!」



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