私と猫の7日間戦争
あーあ。今日も無駄に一日が終わってしまう。たまには草むしりでもするかぁ。暑いし面倒くさいけど。
始まりは何の変哲もない普通の休日だった。
我が家には小さいながら庭がある。しかし、手入れもほとんどしておらず、雑草が伸び放題だ。時には自分の背を超えそうなほどに生い茂り夏場の蚊はものすごいことになる。
よしっ。私は覚悟を決め、草むしりをすることにきめた。長袖、長ズボンに軍手、麦わら帽子という完全防備で草をむしる。むしる、むしる。すぐさま市指定のゴミ袋(大)が3ついっぱいになった。
庭の一角に雑草の生えていない場所を見つけた。旗竿地で光が入りにくい我が家では一番日当たりのよい場所だ。そこに猫の糞が鎮座していた。もうカラカラに乾いていたため、スコップですくい取り、袋に入れる。時々庭を横切る片目の黒猫。あいつが犯人に違いない。
綺麗になった庭というのは気持ちの良いものだ。私は心地のよい疲労感につつまれながらその日の労働を終えた。
やり始めるととことんこだわってしまうのが私の性格である。
翌週も少し生え始めた雑草を抜く。綺麗になった庭はやはり気持ちがいい。花でも埋めてみようかしら。そんな事を考えながら、先日の日当たりのよい場所をみると、そこにまた真新しい糞が一つ。
「ニャア」
振り返ると塀の上に奴がいた。左目に大きな傷を負った隻眼の黒。奴がニヤリと笑ったように見えた。そして、一歩踏み出した私を尻目に悠々と隣の塀に飛び移り、姿を消した。
新しい糞は強烈な臭気を放っていた。
次の日も、またその次の日も、糞害は続いた。
私の怒りも限界に達しようとしていた時、私はついに見つけた。近所でも有名な猫屋敷。そこが奴の寝ぐらだった。
庭をそっと伺うと数匹の猫どもがガリガリと窓を引っ掻いている。次の瞬間、ガラリと家の窓が開き、猫の餌らしきものが庭に投げ込まれた。
「ミャオオ!」
「ミャーオー!」
猫どもは先を争いながら餌に群がっている。その中に黒い隻眼の奴を見つけた時、私の怒りは頂点に達した。
ピンポーン。
玄関に周りインターホンを押すが誰も出ない。しかし、中にいることは分かっているのだ。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。
私はインターホンを連打した。
「はい」
ドアから顔を出したのは中年の女性だった。思っていたより若い。私と同じくらいだろうか。しかし、その顔は酷くやつれ、目からは生気を感じられなかった。
てっきりデフォルトの老婆が出てくると思っていた私は予想外の人物の登場に戸惑ったが、とにかく自分の言い分をまくし立てた。
「あんたの所の猫がウチの庭に糞をして困ってるんですよ!躾もできないんなら猫なんて飼わないで下さい!」
女性は消え入りそうな声で返答した。
「あ、あの……、でもウチの猫じゃ……」
「あんたの庭にいんのよ!いつも糞をする黒い奴!」
「あの……、でも……」
「とにかく!早くなんとかできないなら」
バタン!
私の言葉が終わる前にドアが閉められた。
その後は何度インターホンを鳴らそうが全く反応はなかった。
ダメだ。この飼い主は全く当てにならない。
怒りを抑えながら家に戻ると、いつの間にか真新しい糞がまた増えていた。
そうですか……。そう来ますか。頭のおかしい飼い主など当てにはしない。やはり頼れるのは自分だけ。たかが猫の分際で人間様に楯突くとどうなるか教えてあげましょう。
『猫回れ右、ストロング(顆粒タイプ)』
ホームセンターで購入したのは人類の叡智を結集した発明。猫の嫌う柑橘系の香りの結晶である。
どれだけ撒けばよいのだろうか?とりあえず、半分ほどを例の場所へ撒いてみる。オレンジ色の顆粒はこんもりとした小山となり、周囲に鼻を突くような柑橘系の香りが広がった。
フッフッフ。しっぽを巻いて逃げ出すがいい、猫だけど。私はニヤリと笑い、勝利を確信していた。
次の日の朝
私は目を疑った。人類の叡智の結晶であるはずの『猫回れ右、ストロング(顆粒タイプ)』は無残にも周囲に撒き散らされ、その中央には双子の目玉焼きのように寄り添う真新しい糞が二つ。
「ミャア」
背中から聞こえた声に振り返ると、いつもの隻眼の黒と、一回り大きいがっしりした体躯の黒猫が塀の上からこちらを見下ろしていた。
私と猫達の戦争は熾烈を極めた。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。私は猫どもの習性を調べ尽くした上で罠を張り巡らせた。古典的ではあるが水を入れたペットボトルを置き、通り道の塀の上には鉄条網を巻きつける。さらに『猫回れ右、超ハイパーストロング(顆粒タイプ)』をそこらじゅうに撒き散らす。毒々しいほどの赤色の顆粒が頼もしかった。
猫ども。戦いとは二手三手先を考えて行うものなのだよ。さぁ、見せてもらおうか、君たちの戦いとやらを。
しかし、翌朝庭を見た私は愕然とした。
庭の中央に私を嘲笑うかのように真新しい糞が三つ。最後の砦であるはずの『猫回れ右、超ハイパーストロング(顆粒タイプ)』でさえも綺麗に庭の隅へと追いやられていた。
「ミャーオー」
塀の上には昨日見た二匹に加え、でっぷりとした貫禄のある黒猫が増えていた。どうやら奴がボスの様だ。他の二匹に合図をすると、鉄条網を悠々と飛び越え、去って行った。
人類の知恵の結晶は呆気なく敗れ去ってしまった。もう、為す術もないのだろうか?いや、まだ残されている。それは人類が発明した史上最悪の発明。悪魔が創造し得た兵器。それが私の最後の希望となるかもしれない。
数日後、Amazonからそれは届いた。奴らの毛以上に黒く光るその姿。ずっしりとした本体の先に開く丸い穴はアナコンダの口のように奴らの野望全てを飲みこむことができる気がする。
コルト・ガバメント M1911。コルト社が生み出した史上最高のハンドガンである。アメリカ人銃器設計者のジョン・ブローニングが開発したこの銃は、その射撃の正確性と殺傷能力の高さから長い間アメリカ軍の正式銃であり続けた。
もちろんこれはそのレプリカである。ガス注入式のガスガンではあるが殺傷能力はほとんどない。
ガスを注入し、BB弾を詰め、奴らを待つ。少し脅かせばもう来ないだろう。
早く、早く来い!私は生まれて初めてのハンティングに興奮していた。
果たして奴らは来た。まるで道に転がる石をまたぐかのように、黒い三匹の怪物は鉄条網を軽々と飛び越え、庭を我が物顔で闊歩している。どうやらここ数日の私の静けさにすっかり油断しているようだ。
狙うは一番近くにいる隻眼。私の胸が高鳴る。汗でグリップが滑る。落ち着け、落ち着け。当てなくてもいい。ただ脅かせられればそれでいい。
「勝利の栄光を私に!」
バシュッ!
銃身から弾が発せられる。スローモーションのように飛んでいく凶弾は、予想以上に真っ直ぐな軌跡を描き、正確に隻眼の頭を撃ち抜いた。
「ギャオ!!」
稲妻に撃たれたかのように奴は飛び上がるとパタリとその場に倒れた。
脅かすだけ、脅かすだけ……。
私はその言葉を反芻するが、私の思いは叶わず、奴の身体はピクリとも動かなかった。開いていたはずの片方の目から血が流れていた。
殺ってしまった?私が殺した?まさか?
ボスが隻眼の方に近づき、そっとその顔を舐める。やがてその死を確認したかのように、その場を離れていった。もう一匹のデカ猫が隻眼の亡骸を咥え、そのあとに続く。
「待って!違う!ちがっ」
ボスは叫ぶ私の方をじっと睨み、
「シャァァァァー!!」
と私を威嚇し、去って行った。
◇◇◇◇◇◇
猫の絆は深い……。
猫は仲間の死を忘れない……。
猫は仲間を殺した奴を決して許さない……。
今、我が家の庭には十数匹の猫がいる。
「ミャーオー!」
「ナーオー!」
「ミャオーン!」
昼も夜もうるさく泣きわめき、窓をガリガリと引っ掻いている。
「お前が殺した」
「お前が殺した」
「お前が殺した」
「お前が殺した」
私には奴らの声が聞こえる。
猫は私の事を決して許さない。
ガリガリガリガリガリガリガリガリ
また窓を引っ掻く音がする。
「償え!」
「償え!」
「償え!」
「償え!」
私は抵抗する気力も無く、窓を開け、餌を巻く。窓に張り付いていた猫たちは餌の方へ群がっていく。これで少しだけ静かになる。
ボスはこちらを見てニヤリと笑い、餌の方へ歩んでいった。
私は負けたのだ……。
そして、今日もリビングにチャイムが鳴り響く。
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポンピンポンピンポン!
「ちょっと!いるんでしょ!お宅の猫ちゃんがねー!!」
最後までお読み頂きありがとうございました。
久しぶりに普通の小説を書いた気がします。あっ、ちなみに、黒猫達の名前はガイア、マッシュ、オルテガといいます。分かった方もいらっしゃるでしょうが。
ご意見、ご感想いただければ嬉しく思います。