第20話
サーサーという音で目が覚めた。何の音かと思えば、外は細い雨が降っていた。部屋は薄暗さを増して、どんよりと暗くなっていた。どのくらい寝たのだろうか、と時計を見ると、一時間ほど過ぎていた。体に覆いかぶさってくるような疲労感も少し楽になっていた。
もしかして、雨が降っていても、まだ探しているんじゃあるまいな。
ヒナタならやりかねない。ヒナタは人間だ。こんな雨に打たれて体を冷やしてしまえば、風邪を引いてしまう。窓の外を覗いてみた。だが、ヒナタの姿はない。良かった。ペンダントを見つけたのか。いや、それとも雨が降ってきたから諦めたんだろうか。
だが、部屋には入ってきていないみたいだ。一階にでも居るのだろうか。部屋から出てみる。だが、人の気配がしない。ヒナタの母親は、土日は仕事が入っているから家に居ないと言っていた。だから、一人で居るのだとは思うが、物音一つしないのはおかしい。降りてみても、誰もいなかった。
ヒナタが消えた?
血の気が引いた。まさか、誘拐なんぞされていないだろうな。ヒナタは俺様の素晴らしいセンスで短い髪にしてから、可愛くなったからな。そんな輩が出てきてもおかしくない。しかも雨に濡れていたら、妖艶さもプラスされてしまうのではないのか。
いやいやいや、他の奴らがヒナタを傷つけるのは、この俺様が許さないぞ。
俺様は外を飛び出した。傘なんて差していたらまどろっこしい。黒い羽を最大限にまで広げ、羽ばたかせる。雨脚が強くなってきた。雨は容赦なく、俺様の体を濡らしていく。飛んで下から町を見下ろすと、どいつもこいつも傘を差していて、どれがヒナタなのかちっとも分からない。いや、ヒナタが誘拐されたのだとしたら、傘なんか差していないはずだ。だが、雨が降っているのに傘を差していない奴は居ない。そもそも、車で連れ去られてしまったのか? それだったら尚更見つけるのは難しい。
いや、誘拐なんてされてなくて、もしかしたら拗ねてヒナタ自身がどこかに隠れているのかもしれない。そう思って、思いつくところはすべて見回ってみた。学校の屋上、防波堤、ヒナタの教室、体育館、どこにも隠れていなかった。
「へぶしっ。ええい、くそう」
雨に打たれた体は冷たくなって、くしゃみがでた。そろそろ、一度、家に帰ってみよう。もし居なかったら、本当に誘拐されたかもしれないし、本腰で探さないとヒナタの命が危ない。
*
だが、そんな心配は無用だったようだ。ヒナタは部屋に居て、首元にはペンダントをつけている。体も濡れていなかった。そんなヒナタは窓からびしょぬれになって入ってくる俺様を見て目を丸くした。
「どうしたの? 悪魔さん」
「どうしたの、はこっちのセリフだ! 今まで何処に行ってやがった!」
「何処って、コンビニだけど……。ペンダント見つけてから部屋に戻ってみたら悪魔さん寝てたし、起こしちゃ悪いかなって思って。とりあえず、タオル取ってくるね」
ヒナタはそう言って部屋から出て階段を下りていった。そうか、コンビニか。その線は考えていなかった。体が全く濡れていないことから察するに、ヒナタは傘を差してコンビニに行ったのだろう。傘を差している奴は最初から眼中に入れてなかったからな。見つからないはずだ。
ヒナタはしばらくして、大きなバスタオルを持って部屋に入った。ヒナタは怒ってもいなければ、悲しんでもいない。いつもと同じ笑顔を、俺様に向ける。
「もう、こんな雨の中散歩してると風邪引いちゃうよ?」
ヒナタは歩み寄って、バスタオル越しに俺様に触れた。
「散歩なんかじゃない! 俺様はヒナタを心配して――」
「よく言うよ。藤崎くんから貰ったペンダントを外に捨てちゃったくせに」
ヒナタは俺様の言葉を遮ってそう言うと、唇を尖がらせる。そうだった。俺様は言葉が詰まってしまった。すると、ヒナタは申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんね」
「どうしてヒナタが謝る」
「悪魔さん、ずっと頭痛いの、我慢してたでしょ?」
「う」
また言葉が詰まってしまった。ばれないように必死で我慢していたのに気づかれていたのか。
「体調すごく悪いのに、私がはしゃいでたから、イライラしちゃったんでしょ? ごめんね。私、舞い上がってて、悪魔さんが辛そうなの、気づけてなかった」
電流が流れていた、とは気づいていないみたいで、ほっと胸を撫で下ろす。ヒナタは、「あ、そうだった」と言って、部屋の隅っこに置いていたビニール袋を此方に持ってくる。コンビニで買ったものらしい。ヒナタはビニール袋の中から取り出したものを俺様に見せた。
「効くか分かんないけど、頭痛薬と、あと、プリン。悪魔さん、早く元気になってね?」
思わず、息が止まった。取り出されたものは、確かに、頭痛薬とプリンだった。俺様はあんなにひどいことをしたのに、ヒナタは、俺様の頭痛を治すための薬と、俺様の大好物のプリンを買ってきたのだ。こんな、俺様のために。
びっくりして、嬉しくて、恥ずかしくて、情けなくて、他にもいっぱいの、色んな感情が一気に込み上げて来た。
「このコンビニのプリン、お母さんの作ったプリンの次に美味しいんだー。悪魔さん、プリン好きだったでしょ? あ、頭痛薬だけじゃなくて、風邪薬も買ったほうが良かったかもしれないね。こんなにびしょぬれだもん」
ヒナタはへらへらと笑いながらそんなことを言っている。
「なんで……」
「ん?」
ヒナタが顔を上げた。
「なんで、へらへら笑ってやがる! 俺様は悪魔だ! ヒナタを不幸にするために来た悪魔だ! ヒナタのことなんか、大嫌いだ!」
声が震えながらも大声を出した。大声を出さないと、目に溜まった涙が今にも零れそうだ。
「そうかもだけど、それ以上に、私にとって悪魔さんはすっごく大切な存在なんだ。だからさ、大嫌い、なんて嘘なんかつかないでよ。嘘でも傷つくんだからね」
ヒナタはひどく、ひどく、優しい顔をしていた。そして突然、ぎゅっと、抱きしめてくる。雨に打たれて体が冷えているせいだろう。ヒナタの温かい体温が直に伝わってくる。びっくりして、瞬きした反動で、大粒の雫が頬に零れた。
「なななな、何をする! う、嘘なんかじゃないぞ!」
「嘘だよ。だって、悪魔さん、ペンダント投げ捨てて、大嫌いって言った後、すごくすごく哀しそうで、言われた私よりもずっと傷ついた顔してた。それに、今さっきだって、私を心配して探してくれたんでしょう?」
もう、駄目だ。我慢していたはずの涙が、堰を切ったように、ぽろぽろと零れていく。滲んだ視界の端には、ヒナタの白い首筋があった。その首元に噛み付けば、ヒナタの魂なんかすぐに喰える。だが、そんなことは出来ない。魂を喰った後、ヒナタの優しさには二度と触れることは出来ないし、ヒナタの笑顔は永遠に奪われてしまう。そう思うと、怖くてたまらなかった。
もう誤魔化せない。俺様はヒナタが好きだ。そして、俺様は悪魔なんかじゃない。ただの臆病者だ。




