第19話
「ただいまー、悪魔さん」
ヒナタは頬が緩みきった顔でドアを開けた。そして俺様の顔を見ずに、ベッドに直行してダイブする。俺様がどんな思いで何時間も痛みに耐えてきたかもしらないで、ヒナタは「ふふふ」なんて笑い声を漏らしている。藤崎とのデートは上手くいったらしい。めでたいことだ、俺様の気も知らないで。今まではこんな笑顔を見ていると、俺様まで幸せになっていたのに、今は何だか無性に腹が立つ。自惚れ悪魔の警告のせいだろう。びりびりと流れる電流が、今までと違って強く俺様の頭を締め付け、理性を蝕んでくる。
ヒナタは、「キャー」とか「へへへ」とか変な声を上げながらベッドをごろごろした後、起き上がって、壁に寄りかかったまま、一言も発していない俺様のところへ近寄ってくる。
「悪魔さん、見て見て! これ、藤崎くんにプレゼントしてもらったんだあ。幸福のお守りだってー」
ヒナタは首元に何かを付けている。四葉のクローバーを象ったいかにも安っぽそうなペンダントだった。
「悪魔さんがどんなに私を不幸にしようとしても、きっとこのペンダントが守ってくれるよ」
さっと、冷たいものが心を撫でたようだった。
――そんな安っぽいペンダント程度で、俺様がくたばるだと?
何だ、この感触は。理性がどんどん剥れて、本性が剥き出しになっていく。
違う、ヒナタはそんなつもりで言っているんじゃない。俺様の心のどこかで叫んでいる声がした。だが、その声も、がんがんと容赦なく締め付ける頭痛が揉み消していく。
――俺様は、悪魔だ。ヒナタを不幸にするのが使命だ。どうすれば、ヒナタは不幸になる?
「ヒナタは、俺様のことが好きなのか?」
「え? ど、どうしたの、いきなりー」
ヒナタは頬を赤らめ、目をぱちぱちさせる。少しだけ視線を宙に彷徨わせた後、はにかみながら言った。
「うん、大好き、だよ? どうしたの?」
俺様は、ヒナタの首につけたペンダントを無理矢理奪い取る。ヒナタは突然のことでびっくりしたのだろう。小さく悲鳴を上げて、目を瞑った。その間に、俺様は窓を開けて、手の中にあるペンダントを思いっきり外へ放り投げた。ひどい頭痛でさっきまで立ち上がるのも苦しかったにも関わらず、今は体が軽い。
「俺様はヒナタがだいっきらいだ!」
思わず、口をついて出た。そんなこと、全く思っていないのに。
ヒナタは、びっくりしたように固まっていた。ぷつりと、今まで流れていた電流が嘘のように無くなって、頭がくらくらした。それでも、どくん、どくん、と煩いほどに心臓が高鳴っている。悪魔の血だ。直感的にそう思った。悪魔は、人間を不幸にするために存在している。だからこそ、悪魔の本能は、人間を不幸にすることなど、全く厭わないのだろう。今ならば、魂だって喰えるんじゃないのか。
それが例え、とても大切に思っている存在だとしても。
そう思った瞬間、急に理性が戻ってきた。俺様が俺様でないような感覚がして、急に恐ろしくなる。
――「お前が正気に戻っていると願ってるよ」
自惚れ悪魔の言っていたことを思い出す。これが、俺様の“正気”なのか?
ヒナタは唇を噛んで、そのまま、部屋を出て行ってしまった。しばらくして、玄関のドアが開き、乱暴に閉まる音がする。俺様が投げ捨てたペンダントを取りに行ったのだろう。ここは二階だ。しかも、俺様が投げたところは空き地になっており、伸びきった草が無造作に生えている。空は灰色で重々しい雲に覆われており、薄暗い。こんな状態で、あの小さなペンダントを見つけるのは難しいだろう。窓越しに、ヒナタが空き地に足を踏み入れているのが見えた。
「すまん、ヒナタ」
消え入りそうな小さな声だった。こんな声が、外にいるヒナタに届くわけがない。これで、不幸度がどれぐらい戻せただろうか。大好きな藤崎のプレゼントを投げ捨てて、大嫌いだと言った。
きっと、まだ、全然戻せてない。ヒナタはひとりぼっちだったのに、人見知りを克服して友達ができたし、想い人の藤崎にも告白をしてデートをした。惨めったらしい最初と比べて、今のヒナタは自分自身に対して自信を持って、毎日を楽しんでいる。明らかに、俺様はヒナタを幸せにしている。
ヒナタは草をかき分けながら、ペンダントを探している。黒魔術でペンダントを出してやろうかと思ったが、そんなことをしては、俺様のさっきの行動の意味が無くなってしまう。それに、また、ヒナタの不幸度を戻せるかどうかも自信がない。俺様は本能に頼らなければヒナタを不幸に出来ないほど、愚か者になってしまったのだ。
ヒナタは、ちっとも悪くない。これは、俺様が俺様自身を守るためにやったことだ。いっそのこと、ヒナタも俺様のことを大嫌いになってしまえばいい。大好きだなんて言われた後に不幸にするのは心が痛むからな。
当たり前だが、今はちっとも電流が流れていない。だんだん体がだるくなり、視界がぼやけてくる。これが眠気、というやつなのだろうか。悪魔は睡眠など本来はとる必要がないのだが、極度のストレスを与えられると眠くなるらしい。しばらくして、ぷつり、と意識が途切れた。




