第17話
家に帰った後も、ヒナタはこれまでにないぐらい上機嫌だった。
風呂に入って、これから寝ようというときになってもまだ、髪を乾かしもせず、ごろごろと落ち着きなくベッドの上で暴れまわっていた。ふふふふふふ、とか、へへへへへへ、とかにやけきった顔で笑い声を発しているが、かなり不気味だ。今までとは違う不気味さがある。
「ほんっと夢みたーい。明日も藤崎くんに遊びに誘われちゃったあー、ふふ、ふふふふふ」
ヒナタの手には、放課後、藤崎から渡された映画のチケットが握られていた。どうやらホラー映画らしい。俺様は「ウォーリーを探さないで」で懲りてしまったから、わざわざ怖いものを見ようというやつの気が知れない。だが、ヒナタは楽しみで楽しみで仕方がないようだった。俺様は、一日中ずっと、びりびりと電流で痛めつけられて、今にも意識がふっ飛びそうなのに、呑気なもんだ。だが、憎まれ口一つ叩こうとしたら、今必死に耐えている電流によるうめき声が漏れてしまいそうだ。
「どしたの?」
ヒナタは俺様の様子がおかしいことに気づいたのか、緩みきった顔で、でも少し心配そうに俺様を見た。それと同時に電流の力も弱まって、だいぶ楽になった。
「いや、なんでもない」
やっとのことで声を発する。
「具合悪そう。悪魔でも風邪ってひくの?」
ヒナタはしゅんと眉を下げた。脳内の痛みがすっと引いて、俺様はここぞとばかりに声を張り上げた。
「ひくわけがないだろう! ちょっとばかし頭が痛かっただけだ! 俺様は無敵なのだ、ハッハッハッ」
「無理しちゃって」
ヒナタはそう言うと、起き上がって部屋の隅に座っていた俺様に近づいてきた。
そして、俺様の額に手を当てる。
「ぐるぐるぐるどーん! いたいのいたいの、とんでけー!」
と、当てていた手を使って、本当に痛みを何処かに飛ばしてしまうが如く、その手を振り上げた。
「治った?」
ふわりと笑う。びりりっとまた電流が流れ始める。
「……何だそれは」
「ヒナタ流黒魔術です!」
えっへん、と言わんばかりに自信満々に胸をそらす。
「バカか、お前。俺様の黒魔術を人間ごときが使えるわけがないだろう。それに、黒魔術は不幸と苦しみを与える魔術だ。俺様の頭痛を治してどうする」
ヒナタは、きょとんと不思議そうな顔をする。
「悪魔さんの魔法は、確かに私の嫌なことばっかりだったけど、でも、結果的には私を幸せにする魔法でしょ? それに、この前は私の足の怪我も治してくれたし」
俺様は思わず、う、と言葉に詰まった。確かにその通りだ。
「私ね、今、すっごく幸せだから、悪魔さんに幸せのお返しがしたいんだ。私に出来ることなら何でも言ってね。悪魔さんは私の大事な大事な友達だから」
ヒナタの笑顔はふわふわとして優しくて、俺様はどうすればいいか分からなくなった。頭に流れ続ける電流は、予想以上に俺様の精神力を蝕んでいたらしい。ヒナタの優しさは、俺様の心に簡単に染み込んでくる。
ヒナタが俺様のために出来ること。そんなことは決まりきっている。ヒナタが不幸になることだ。
だが俺様は、ヒナタにずっと笑っていて欲しいと思った。悪魔にさえも幸せを分け与えたいと思うほどの優しい心を持ったヒナタが、ずっと、幸せでいて欲しいと思った。
「お前は、本当に変わった人間だ」
「私を幸せにしちゃう悪魔さんに言われたくないなー」
ヒナタはくすくすと楽しそうに笑った。その笑い声がまた、俺様の頭に劈くような痛みを与えたが、歯を噛み締めて、声を漏らさないように必死で耐えた。
見習い学校では、こんなこと習わなかった。人間は貪欲で高慢で愚かで、悪魔が不幸にして当然な存在なのだと、それだけを教えられて、俺様はヒナタにとり憑いた。人間がこんなにも優しく温かいのだと、俺様は知らなかった。それはきっと、知ってはいけないことだったのだろう。
俺様は、幸せに満ちた笑顔を浮かべる優しい人間を、不幸になど出来ない。




