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BloodKnight & BlackVamp

作者: 八峰航樹

 木々も煉瓦も地表も黒く焼け焦げ、池も小川も蒸発した完全なる焦土。丸く不自然に切り抜かれた城壁。隅々で赤く輝く小さな炎。大地を穿つクレーター。空を覆い隠す猛煙。死の世界と化した大地で、瓦礫の山と化した城のバルコニーに漆黒のローブ纏った少女が佇んでいる。


 彼女は、辺りに燻る残り火が色褪せて見えるほど美しい深紅の瞳を爛々と輝かせ、バルコニーからかつて中庭であった地区を見下ろしていた。かつては千人もの人々を招き入れ、祝典の舞台となっていた広大な敷地も、今や一面に散乱する煉瓦や真っ黒な倒木しか見当たらなかった。


 いや。


 彫像や煉瓦に埋もれて横たわる太い樹が、僅かに動いた。

 少女は即座に――というより、まるで予期していたかのようにその動きに先だって――その場所に手をかざす。少女の右手になぞられる様に、複雑な模様を持つ紫色の魔法陣が現れ、その陣が圧縮されて赤い稲妻を纏った黒い球体として発射される。放たれた魔術砲弾は、着弾と同時に数十倍以上のサイズにまで膨張し――その場にあった全ての存在を消し去ってしまった。


 だが、少女は未だに瞳を輝かせながら庭園をじろりと見渡している。そして、その視線が未だに形を残している薄い煉瓦の壁に留まる。


「ふん、暗愚なる人間よ。我に仇成すことは即ち自ら歩んだ道を、そしてその中で得た全てを我に捧げることであるぞ。……命を含めてな。貴様にその覚悟があるのか?」


 少女は再び、何も無い空間に腕を伸ばした。広げた手のひらから、先ほどとは模様の違う魔法陣が現れ、しかし同じように圧縮される。

 次の瞬間、彼女の右腕には紫色に光り輝く、長く細い大剣が握られていた。使い手である少女自身の背丈を二倍近く上回っているだろうか。刀身はおろか柄も光り輝き、炎のように僅かながらも揺らめき続けている。およそ物質的な存在には見えず、どちらかというと「紫色の稲妻を剣の形に固定したもの」と形容するに相応しい得物であった。


 少女は壁に向かって大剣を軽くふるった。バルコニーから壁までは百メートル以上の距離があるにも関わらず、壁は紙切れのようにあっさりと斬り崩される。


「出てこい小娘。どちらにせよ貴様は死ぬか、我が眷属となるのだ。せめて我の歓心を買うために媚びへつらう努力をしてみせるがいい」


 数秒の間を置いて、斜めに切断された壁の向こうから一人の女性が現れた。土で汚れた、薄緑色の質素な衣服に身を包んだその女性は、お世辞にも高い身分の出身には見えない。成人を迎えているかもしれないが、あどけなさの残る顔つきの女性だ。少なくとも外見的には間違いなく少女よりも年上だろう。


 女性は、両足を振わせ、両手を強く握りしめ、唾を飲み込んで乾いた喉を潤し、そして意を決したように叫んだ。


「ア、アンタみたいな化物の……吸血鬼の手先になるぐらいなら! 死んだ方がマシよ!」


 その声は、城を囲む稜線にまで響き渡り、弱々しく反響して二人の耳にこだました。


「……そりゃそうか」


 少女は――いや、吸血鬼は表情を曇らせ、反響した女性の声よりも、そして先ほどまでの尊大な口ぶりからは想像できないほどの小さな声で呟いた。

 しかし、すぐにその瞳に炎の輝きを取り戻し、邪悪な笑みを浮かべて女性に魔剣の切っ先を向ける。


「いいだろう、小娘! 貴様の最後の懇願を聞き入れよう! 我が手で最期を迎えることに恐怖し、後悔し、憎悪しながら惨めに無様に死に絶えよ!」


 吸血鬼がその華奢な腕を振い、剣を投げつけた。創造主の手を離れた瞬間、剣は螺旋状に変形し、空気を裂きながら女性へ向かって襲いかかる。


「ひっ……!」


 女性は避けることも、尻もちをつくことも出来ず、ただただ目の前に迫る死を呆然と眺めている。しかし、剣が目前まで迫った時、彼女は目を閉じて、満足したように微笑んだ。


「はいはい! まだ諦めるのは早いよ!」


 その声を聞き、女性は驚いた様子で目を開いた。鈍く輝く銀色の甲冑と、暗い深紅のコートを羽織った騎士が、放たれた魔剣を右手で掴んでいつの間にか女性の目の前に立っている。


「き、騎士さん……」


「吸血鬼相手に啖呵を切ったのは凄いけど、お姉さんが死んでも誰も喜ばないでしょ。親御さんも、友達も、村の連中も、依頼を受けたこの俺も。……あ、あと婚約者さんも」


「ここ、婚約者なんかじゃないです! そ、それよりも騎士さん、さっき……」


 呆気に取られ、そして慌てふためく女性とは正反対に、紅い騎士は滑稽な態度であった。彼が女性に背を向けていること、そして全身を鋭く歪な甲冑で覆っているためにその表情は全く分からない。しかし、トカゲの頭のような奇妙な兜の奥から聞こえる声は、くぐもっていながらも力と余裕に満ちている。

騎士が右手に力を込めると、禍々しく輝く魔術の剣は、あっさりと霧散してしまった。


「まあ経験に鍛錬、幸運、勘、そんでもって金と命への執着があれば、あれぐらいじゃくたばらないよ」


「は、はあ……」


「それよりもお姉さん、ここから離れて――くっ!」


「ひゃあ!?」


 突然、女性と騎士を激しい熱風が襲った。女性は転がる様に地面に倒れ込む。騎士が兜を手で守りながら正面を睨むと、二人から少し離れた場所に吸血鬼が立っていた。その熱風自体は攻撃ではなく、業を煮やした吸血鬼が二人の目の前に瞬間移動した際に生じたものだったらしい。

 騎士は女性を庇いながら、右腕で腰に差した剣を引き抜いてそのまま片手で構える。周囲の炎の輝きを反射して美しく輝くその剣は、刀身の中央が直線状に肉抜きされており、空洞となったさらに中央には、緑色に輝く細長い宝石のようなものがはめ込まれていた。


「なあ。無視されたからって怒るなよ、吸血鬼さん」


「そう焦るな、人間よ。我は寛大であるが故にそうそう怒りに身を任せはしない。ただ、我の魔術から生き延びた貴様という存在を間近で眺め、この手で直接いたぶりたくなったのだ」


 吸血鬼は再び魔剣を生み出した。騎士の剣は、吸血鬼のそれに比べると短く、頼りがいが無い。


「見た目は可愛い子供の癖にいい趣味してるね。お姉さん、立てる?」


「は、はひっ」


「よし。それじゃああっちの川の……あれ? いつの間に干上がったんだ? まあ、いいや。川あらため、あっちの溝まで離れて。大丈夫、こいつは俺が食い止めるよ」


「わわっ、分かりました!」


 上半身だけを起こしていた女性は、急に怪物が目の前に迫ってきたことでさらに動揺しているようだった。しかし、なんとか起き上がるともたつきながらも駆け足で干上がった川まで走っていった。

 騎士は彼女が溝に隠れたことを流し目で確認すると、再び吸血鬼に向き直る。


「さて。これで思う存分、戦えるな」

「ああ。これで思う存分、殺せるな」


 騎士と吸血鬼の間に、沈黙が流れた。


「………………」

「………………」


 先に動いたのは、吸血鬼だった。特に何かしたわけでもないが、突然その漆黒のローブを含めて、肉体がまるで砂の彫像のように細かい粒子となって崩れ去っていく。瞬く間に黒い霧と化した吸血鬼が、騎士を中心に中庭全体を覆い尽くす。


「おいおい……もう少し手加減してくれよ」


 騎士は剣をしっかりと両手で握りしめる。剣に飾られた宝石の輝きが、僅かに増す。


『さあ、人間よ。我を失望させないでくれ』


 騎士の身体を飲み込んだ霧から、吸血鬼の声が響く。


「期待してくれるのは嬉しいけどね、そっちのそれってやりすぎじゃない?」


『案ずるな。今の我は貴様に傷一つ付けられん。……まあ、この者たちは違うがな』


「いや、そうじゃなくって。……『この者たち』?」


 ――カチカチカチ。


 霧の中から、妙な鳴き声が聞こえた。それも騎士を囲むように、四方からだ。

 騎士は神経を研ぎ澄ます。側面や背面から襲われても対応できるように、脚を開き、剣を持つ手を腰の位置まで下ろして、待ち構える。


「ギイイイッッ!」


 最初の攻撃は、背後からだった。騎士は剣を素早く逆手に握ると、そのまま振り向きもせずに、剣を鞘に納めるように音のする位置に向かって切っ先を突き出した。

 柔らかさと僅かな堅さを併せ持った、『何か』を貫く感覚。

 だが、騎士には『何か』を確認している暇は無い。

次は右斜めからだ。同じような鳴き声をあげながら、別の『何か』が迫って来る。黒い霧は敵の影を完全に隠しているが、それでも常に相手が叫んでいるため、騎士としては敵との距離を測るのにそれほど苦労はしない。

 飛びかかってきた敵の影を、剣を振り上げて突き刺す。


「残念でした! ついでにお顔を拝見! ……うっへえ、グロすぎだろ」


 騎士が刺し殺した相手は、やはり狼であった。しかし、普通の狼とは明らかに違う。まず、口が上と下に――ではなく、キチン質らしき物質でできた顎が四方に開いている。目も昆虫の様な複眼であり、背中は毛皮ではなく分厚い鱗で覆われている。とはいえ、騎士の剣は怪物の腹から入って背中を貫通しているので、見た目ほど堅牢ではないようだ。


「ギイイイイガッ!」


「おっとと。甘い甘い」


 つい観察に夢中になっていると、三匹目の怪物が襲いかかってきた。騎士は二番目の怪物を貫いたままの剣を横に構えると、その場で一回転し、その勢いで二番目の怪物を剣から離すと共に、そのまま三番目の怪物――左斜め後ろから襲ってきた――を切り裂いた。

「ギギ……」

 やはり同じ姿をした狼と昆虫を混ぜ合わせたような怪物は、その一撃で頭と上あごを斬り飛ばされると、地面に落下して「カチ……カチ……」と下あごを力無く打ちつけて息絶えた。


「ブサイクなペットじゃなくて、可愛いお嬢さんと戦いたいな! ……出てこいよ、終わりにしようぜ」


『なかなか口説き上手ではないか。そうだな。やはり貴様は我がこの手で――』


 霧が一ヶ所に収束していく。


「殺してやろう!」


 少女の姿に戻った吸血鬼が、低空を滑る様に駆け抜けてくる。右手には、やはり魔剣が握られていた。


「無駄だって!」


 騎士は剣から左手を離すと、勢いよく突っ込んできた魔剣の先端を掴んだ。すると、再び邪悪な魔術で出来た刀身は霧散し始める。


「ほらね」


 騎士はそのまま、右手で吸血鬼を袈裟斬りしようと剣を振り上げる。だが――。


「いいや、そうでもないぞ」


 吸血鬼は、今度は両手に(・・・)魔法陣を展開した。二つの魔法陣が同時に圧縮され

、そしてそれぞれの手に魔剣が現れる。


「なっ!?」


「兜を被っていても分かるぞ。貴様は今、中々よい顔をしている。ははははは!」


 そのまま吸血鬼は両方の剣を騎士の胴体に突き刺した。刀身の長さ違い過ぎる。騎士の攻撃が届く前に、彼女の生み出した鋭利な魔力の塊が騎士の着込む甲冑に触れ、そしてその甲冑を突き破る。

 ――ことはなかった。

 二本の魔剣は、どちらも甲冑に触れた瞬間に、騎士の手に握られた時と同じように霧散してしまったのだ。


「驚いた?」


「……ふん。ま、こんなものか」


 騎士の予想に反して以外にも吸血鬼は動揺していなかった。むしろ達観さえしているようだった。だが、そんなこととはお構いなしに、騎士は振り上げた剣を幼く邪悪な存在に向かって全力で叩きつける。


「これで! 終わりだああああああああああ!」


 騎士の剣が吸血鬼のローブを、次にその肉体を、そして再びローブを斬り裂き、勢いを損なうことなく振り切られた。


「ふふ……。では、『あちら』で……待っているぞ」


 吸血鬼はそう呟くと、灰となって、そしてその灰も粒子となって消え去った。


「あー、しんどかった」


「騎士さん!」


 どっと疲労に襲われ、騎士がその場に座り込んでいると、女性が信じられないという顔つきで駆け寄ってきた。


「た、倒しちゃったんですか!?」


「え!? 駄目だったの?」


「あ、いやいや違います! でもまさか本当に勝っちゃうなんて……。あ、あの怪物……吸血鬼だったんですよね?」


 女性は興奮が覚めやらない様子だが、騎士は自慢するわけでもなく女性に言葉を返す。


「まあ真祖と言っても不死身じゃないからね。まー、これで約束の報酬は貰えるし、お姉さん達の村も安全になったし。良かった良かった」


「はい! あ、そうだ。その報酬なんですけど」


「ん?」


 女性は申し訳なさそうにしている。


「ほんっっっとうに金貨十五枚、銀貨五十枚、二週間分の食料だけでいいんですか?」


「んー……貰い過ぎ?」


「少なすぎます! 真祖を倒したんですよ!? 皇帝陛下直々に……いえ! 教皇様から祝福を授けてもらえるぐらいの働きです!」


 まるで自分のことのように興奮する女性を見て、騎士は苦笑する。


「いやいや、俺はそういうのいらないし。あ、じゃあもう一つ追加でお願いできるかな」


 騎士は「禁欲的すぎますよう」と嘆く女性に向かって人刺し指を突き立てる。騎士としては真面目な口調で言ったつもりであり、女性もそれを感じ取ったのか、少しだけぽかんとした様子だったが、すぐに真剣な表情に戻り対応する。


「はい! 何なりと!」


「あの吸血鬼のことだけどさ。お姉さんだけでいいから、普段は忌み嫌ってもいいから、アイツもお姉さん達と変わらない人間だった頃があったってことを、心の片隅に置いておいてほしいんだよね」


 女性はきょとん、としている。


「私達と同じだった頃……ですか」


「まあ、そういう時期があったってこと。アイツがしでかしたことをいつまでも恨んでもi

いし憎んでもいいから、たまーーーに『あの吸血鬼も人間だった』ってことを思い出して欲しいのさ。『人間だったのにあんなことをした』ってことでもいいからさ」


「……はい! 分かりました。公には言えませんけど、私だけの秘密ってことで覚えておきますね」


 彼女は嘘を吐かない人間であるということを暫く村に滞在して理解していた騎士は、その笑顔を見て心が穏やかになった。







 翌日。


 騎士は相変わらず甲冑とマントに身を包み、そして吸血鬼討伐の成功により村から手に入れた大量の食糧を載せた荷台を引きながら、湖に沿った道を進んでいた。


「なんてこった。金よりも食糧の方が重いじゃないか。やっぱり二週間分は必要ないんじゃ」


 ぶつくさと呟きながらも荷台を引く騎士であったが、暫く進むと荷台から手を離してしまった。


「重すぎるんだよお! こっちは鎧も着てるんだぞ!」


騎士はそのまま振り返り、荷台を睨みつけた。荷台には、チーズやら燻製やらパンやら乳牛やらが山積みされている。


「……よし! メアリー、お前とはここでお別れだ。自然の中でも元気に――ぶっ!?」


 ガンッ、という音と衝撃が、騎士の兜を襲った。

 重量削減のために乳牛(村長曰く「メアリー」)に結ばれた縄に手をかけようとした瞬間、握り拳ほどもある大きな石が騎士の兜に向かって投げつけられ、見事に命中したのだ。


「痛ってえな! なんだよ、いるなら手伝え!」


 辺りを見回すと、自分が先ほど通り過ぎた道の傍に生えている大きな樹の枝に、黒いローブを羽織った少女が腰かけていた。


「何が手伝えだ。お前が加減しなかったせいで、私は回復が追いつかんのだ」


 少女は枝に脚をかけると、そのまま勢いよく跳躍して騎士の目の前に降り立った。間違いなく、つい先日たおした吸血鬼の少女だ。


「『少しの間だけでいいから本気で戦おう』って言ったのはお前だろ」


「知ったことか。それにあの小娘に余計なことまで言いおって。……ああ、言っておくが、パン屑一かけらでも手放すことは許さんぞ」


 一方的に言い放つと、吸血鬼は特に手伝うわけでもなく、すたすたと騎士が進んでいた方向に歩き始めた。


「はいはい。……よっと」


 騎士もまた、吸血鬼の後を追うように道を進む。


「で、次はどうするつもりだ?」


「ん? 二週間後に決めようよ」


「無計画な。あの村を襲おうとしていたカルト共を先に倒してしまったから、わざわざこんな茶番をする羽目になったのだ。いいか? 次は先に依頼を受けろ」


「人命ぐらい優先させてほしいもんだ」


「知ったことか。……道が分かれているな。右に進むぞ」


「ん? いや、左の方が平坦じゃない?」


「早くしろ」


「はいはい」


 紅い鎧の騎士と黒衣の吸血鬼という奇妙な二人組は、緩やかな上り坂をゆっくりと登っていく。騎士はいつか死に、吸血鬼は永遠を生き続けるが、その時が来るまで、二人の旅が終わることは無い。

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