ナチュラルメイク
就職活動がしんどかった時期にふと思い立って書いたものです。
読めたもんじゃないかもしれませんが、ご容赦頂けますと幸いです。
「私、今修理中だから」
だから来ないで、と言われていたにも関わらず月野透は彼女の家を訪れた。幸い家には上げてもらえたものの、彼女はサングラスにマスクという格好で出迎えてくれたきりずっと寝室にこもりっぱなしである。これでは家に来た意味が無い。どうしてよりによって記念日の数日前に手術などするのだろう。
「修理中」というのは美容整形の手術を終えた後のダウンタイムのことである。透の彼女_ミミカは二日前に手術を受けていた。どこをいじったのかは教えてくれないが、とにかく今は酷く腫れていて、絶対に顔を見せたくないらしい。確かに出迎えてくれたミミカの顔は、マスク越しにもそうとわかるほど膨れていた。
そんなミミカは現在、来ないでと言ったにも関わらず訪ねてきた彼氏に対して驚き、傷心中のようである。確かに、先程の膨れた顔を見れば来られたくない気持ちは理解できる。そうでなくとも自分のやったことは非常識だろうと思う。しかし。透は釈然としなかった。余程整形について関心の無い人間でなければ施術後のダウンタイムについては知っているはずだ。何故、付き合い始めてから三周年の記念日があるこのタイミングで手術などしたのだ。
「間に合うと思ったんだもん」
扉越しにミミカのすすり泣く声が聞こえてくる。
「こんなに腫れが長引くと思わなかったの・・・。今日までに綺麗になって、透のこと喜ばせたかった・・・」
弱弱しい声でいじらしいことを言われ、透はつい、問い詰めるように手術の理由を訊いたことを恥じた。そうなのだ。ミミカが整形手術を繰り返すのは単なる自己満足だけではない。透の為でもあるのだ。ミミカはいつも、自分の全てを透の好みに近づけようと努めている。
「ごめんなさい・・・。大切な記念日なのに」
「いや!良いんだよ。俺の方こそキツい感じになっちゃってごめんな?」
しおらしく謝るミミカに対して、透は思わず子どもをあやすような口調になる。やはりこういう女の子は可愛い。怒らず、泣いて謝るだけの女の子は、とても可愛い。
しばらくの間扉越しにすすり泣きの声がきこえた。透はその間寝室の前でミミカが泣き止むのを待っていたのだが、数分後唐突にそれは止み、こん、と内側から扉がノックされた。「どうしたの?」。訝しく思い、尋ねる。
「あ・・・、少し隣の部屋に行っていてくれない?追加の薬が服みたいから」
「薬?どこにあるか言ってくれれば俺が取って来るよ」
「ありがとう。でも、水が無いと服めないから、とにかく隣に行ってて」
ミミカの口調が少し強いものになっている。薬が切れかけている証拠だろう。透は慌てて隣の部屋に入った。
やがてミミカが寝室から出て行く音がした。薬を水と一緒に服用するのならマスクを外さなければならない。その時の顔を見られたくないという焦りから、強い口調になっていたのもあるのだろう。透も特に見たいとは思わないため、大人しく部屋の中に居ることにする。
見回すと、部屋の中の物は全て布で雑に覆われていた。透が来るかもしれないと思い念のためにやったのだろうか。透を家に招くとき、ミミカはいつもこうして見せたくない物を隠す。こんな布一枚、めくってしまえば中身は簡単に見られるのだが、透は敢えてそれをしない。ミミカの隠し事を詮索したいなどと思ったことがないのだ。何かを覆い隠す布は、可愛らしい花柄だった。女性らしさを感じ、笑みがこぼれる。
しばらくして、ミミカがそっと寝室に戻る気配がした。透は慎重に部屋を出ると、ミミカのいる部屋の扉をノックする。「・・・なぁに?」と中から可愛らしい声がした。
「あのさ、俺、もう帰るね」
「え・・・?」
「プレゼント、ここに置いておくよ」
そう言うと持参していた紙袋を置いて、玄関へ向かう。突然帰ろうとする恋人に、ミミカが「・・・寂しい・・・」と呟いた。一瞬だけその声に後ろ髪を引かれる思いがしたが、いつまでも扉越しに喋るのも面倒くさい。透はためらいなくミミカの家を出た。鍵をかけておくように、といった声掛けすらしなかった。
「おかえり、智洋」
一日働いてため込んだ疲れも、この声を聞いた瞬間吹っ飛んでしまう。いや、吹っ飛ぶというと大袈裟だが、心も体も多少軽くなるような気が、佐々木智洋はしていた。「ただいま」と言いながら佳奈子の頭を撫でる。佳奈子は、照れたように首をすくめて智洋の手から逃げた。
「ご飯にする?それとも先にお風呂にする?」
智洋が帰ると彼女はいつもこの質問をする。上目遣いで主人を見つめる顔は整っているが少し目が離れており、そのせいで美人とは言い切れない顔立ちになっている。しかし智洋にとってはこれ以上ない程の完璧な造作であった。
「腹減ったから先に飯食いたい」
「わかった」
軽やかな足取りで台所へ向かうと、佳奈子は二人分の料理を盛りつけ始めた。まだ食べていなかったのか。意外に思う。今日は帰りが遅かったから、先に食べているだろうと思っていたのに。
「今日のサラダはね、ドレッシングを手作りしてみたの」
「そうなのか?」
「うん。自信あるから楽しみにしてて」
得意気に話す彼女を、心から愛おしいと思う。大切な、俺のパートナー。
智洋が佳奈子を購入したのは三年ほど前のことだった。女性に対する理想が高すぎたのか、はたまた自身のスペックに問題があったのか、三十を目前にしても未だ恋人のできたことのなかった智洋は、思い切って人形を買った。人工知能を搭載した、要は人型のロボットである。非常に精巧なつくりで、初めて見たときは仰天した。ぱっと見どころか、よくよく見ても人形には見えないのである。店にはそんな人形が、美人なものから醜いものまで大量に揃えられていた。智洋はその中から比較的自分の好みに近い見た目のものを選び、佳奈子と名付けた。初期設定の段階ではその名前と、自分が帰ってきたときに必ず「ご飯にする?お風呂にする?」と訊くことだけを設定した。外から帰ってきて妻にそう訊かれることは、学生の頃からの憧れだったのだ。他にも細かい性格や所作を設定することはできたが、智洋にそこまでの熱意は無かった。そもそも半分は遊びで買ったようなものなのだ。試しに使ってみて、面倒になったら初期化して売るか捨てるかすれば良い。
しかし、今や智洋に佳奈子を手放すなどという考えは微塵も残っていなかった。佳奈子はもう人間だ。いや、人間ではないのだが、同じ空間で生活していると人間だとしか思えなくなってしまう。顔や体の造作に加えて、佳奈子は声にも動きにも喋り方にも不自然なところがなかった。全く無い訳ではなかったのかもしれない。しかし外に出れば、もっと不自然な人間は山ほどいる。
「ほらぁ、美味しいでしょ?ドレッシング!」
佳奈子が得意気に言う。こういう時の癖で、小鼻が少し膨らんでいた。
この子は唯一無二の存在だ。俺と三年間もの間生活を共にしてきた、かけがえのないパートナーだ。人間のような人形と過ごすうちに、智洋はこう考えるようになっていた。もはや佳奈子が人間であるのか人形であるのかさえ、些末なことであるかのように思えた。
「美味しいよ。でもだからといってサラダの量多すぎない?」
「智洋はほっとくと全然野菜食べないんだから。こういう時にでももりもり食べてもらわないと!」
「んん~」
山盛りのグリーンサラダを見ながら智洋は首をかしげる。正直、葉菜類は好きではない。だが、これも自分の健康を考えてのこと。いわば佳奈子の愛情なのだ。
「まぁ、俺も年だしなぁ。でもやっぱり葉っぱってあんまりなぁ・・・」
ぶつぶつと言いながら青臭い葉を口へ運ぶ。そんな智洋のことを佳奈子はどこか安堵したような目で見ていた。人形に感情は無い。安堵したような目といっても、その奥に本当の感情があるわけではない。だがそれは、場合によっては相手が人間でも同じなのかもしれなかった。
「修理中」の期間が終わり久々に見たミミカは、相変わらず綺麗だった。せっかくわざわざ手術をしたのに「相変わらず」などと言ってしまっては元も子もない。だが透にはもはやミミカのどこがどう変わったかなどわからなかった。
「ありがとう。わざわざこんな素敵なお店に連れてきてくれて。本当に嬉しい」
ミミカが言う。透がどこかの店にエスコートした際には必ず発せられるセリフだ。透は黙って頷いた。
交際三周年を祝うデート。その最後に、透はこの店で夕食をとることを決めていた。ミミカは嬉しそうな表情をしているが、料理は全て一人分、透の前にしか運ばれてこない。体系維持とアンチエイジングのため、ミミカの食生活は全て栄養管理アプリによって決められている。予定外のものを食べてはいけないのだ。
ただぼんやりと夜空を見たり、料理を見たりしている女の前で、透は運ばれてくる料理をゆっくりと食べる。ミミカは、何も面白いことなどないのに、口元に微笑を浮かべて透を見ていた。退屈して携帯や文庫本を取り出すこともない。ただ大人しく、透の恋人として目の前の椅子に座っていた。
こんな子だったかな。透は思う。ミミカは、こんな女だっただろうか。一日中顔に同じ種類の笑みを貼り付けているような、そんな女だっただろうか。少なくとも数週間前までは、多少不機嫌になったり怒ったりすることもあったような気がする。しかし、そこで透は思い出した。ミミカの穏やかな性格は薬によって作られているのだ。今日はデートだからいつもより多めに服用してきたのだろう。それだけのことだ。恋人の大前提を忘れていた自分に、思わず笑ってしまいそうになる。奇妙な笑みを口元に浮かべた透を見ても、ミミカは何も言わなかった。夕食を終えると透はミミカを自分の居宅に招いた。都内一等地の高層マンション。ここに連れてくる度ミミカは心から嬉しそうな顔をする。透の自尊心をくすぐる、可愛い顔だ。
「相変わらず凄いところに住んでるのね。ここに来ると、私なんか場違いなんじゃないかって緊張しちゃう・・・」
「緊張なんてすることないよ。俺の家なんだから」
エレベーターで15階まで上がり、部屋に入ると透はミミカをいきなり抱きしめた。柔らかい体から人工香料の匂いがする。つむじに鼻先を当てても、やはりそのわざとらしく甘い香りしかしなかった。
「透・・・」
ミミカの体を、そっと離す。また少し小さくなったような気がする。透と出会ってからミミカは少なくとも5cm以上、身長が縮んでいる。小柄な女の子が好きだと透が告げてから、ミミカは本当に頑張ったのだ。
「映画でも観ようか」
そっと腰に腕を回し、ミミカをリビングのソファまでエスコートする。よくよく見てみるとミミカの足取りは少し不自然だった。なるほど、と思う。
ソファに座ると透は早速目の前にある液晶画面の電源を入れ、操作を始めた。画面いっぱいにずらりと映画のタイトルが並ぶ。こういった場合の定番といえばやはり恋愛ものであろう。透は目についた恋愛ものの映画を選択し再生した。画面に映像が流れ始める。二人は無言でそれを眺めた。
約三時間ほどの映画が流れる間に、透は二度程トイレに立ち、ピーナッツを一袋食べた。ミミカは一度だけ台所に行って薬を服んだ。何の薬を服んだのかはわからない。やがて物語も終盤に差し掛かったころ、透は不意にミミカの頬を撫でた。すべすべとしたなめらかな頬だ。少し冷たい。
「なぁに」
甘えるような声を出して、頬を撫でる透を見上げる。不意に透は自分を見つめる彼女の黒目に触れたくなった。それは艶々として、何かしらの果物のように見えた。怒りや悲しみといった感情が、その奥に潜んでいるようには見えない。
「やだぁー、もう、ビショビショ」
佳奈子がハンカチで濡れた全身を拭きながら言う。むき出しの腕や足より先に、着ているワンピースを拭くところが佳奈子らしいと智洋は思った。
「智洋も早く拭きなよ。風邪ひくよ?」
「拭く物持ってないんだよね、俺」
「やだ。大の大人がハンカチも持ってないの?」
口元に手を添えて大袈裟に驚く。智洋が恥ずかしそうに笑うと、使っていたハンカチを絞って渡してくれた。「もう小学生じゃないんだから、ハンカチくらい忘れずに持ち歩きなよね」と小言も忘れない。
この日、智洋と佳奈子は水族館に来ていた。数日前、家で水生生物のドキュメンタリー番組を観ていた佳奈子が「本物のマンボウを見てみたい」と言い出したのだ。そのため智洋はマンボウの見られるこの水族館を探し出し、佳奈子を連れてきた。お目当てのマンボウは無事に見ることができ、佳奈子も満足していたのだが、その後何気なく観に行ったイルカショーでここまでずぶ濡れになったのは想定外だった。できるだけ近いところで見た方が迫力があって良いだろうと思ったのだが、失敗だっただろうか。
「ごめんな。その服、新品だったのに」
ずぶ濡れにさせてしまったことを謝ると、佳奈子はきょとんとした表情になった。しかしすぐに怒り顔を作って言う。
「本当だよ。智洋が前の方で見ようとか言うから」
勘弁してよね、と頬を膨らませる。智洋が続けて謝ると、佳奈子はその背中をバシンと叩いた。
「ちょっと、謝らないでよ。冗談じゃん」
「・・・え?」
「別に濡れるのくらい平気だよ。ていうか前の方で見たからめちゃくちゃ面白かったし。私、ゲラゲラ笑ってたでしょ?」
そう言い、人差し指で自分の顔を指す。あのショーはゲラゲラ笑って観るタイプのものではないと思ったが、佳奈子が全く怒っていない様子であることに智洋は安堵した。女性といえば服装や髪型にこだわりを持っているイメージが強かったため、ずぶ濡れになった佳奈子を見て、不愉快にさせてしまったのではないかと不安だったのだ。せっかく二人きりで出かけているのに、嫌な思いはさせたくない。
「でもびっくりしたぁ。あんなに水かぶるとは思わなかったから」
「本当だよな。最前列じゃなきゃそんなにこないだろうと思ってたんだけど」
「ねー。てかイルカって賢いんだね」
二人でショーの感想を言い合いつつ、まだ見ていなかった水槽を眺めて回る。佳奈子はどの水槽を見てもはしゃいでいた。ここまで新鮮な反応を示す大人も珍しいため、智洋は驚いたが、すぐに佳奈子にとっては初めての経験なのだと思い出す。佳奈子に、智洋と出会う前の人生は存在しない。他の人間にとっては当たり前でも、佳奈子にとっては未経験の物事というのはたくさんあるのだ。
全ての水槽を一通り見終えると、佳奈子は迷うことなくお土産コーナーに向かった。早足で歩いていく後姿からははしゃいだ雰囲気が滲み出ており、まるで子どものように見える。智洋はそんな恋人の様子に少々呆れつつも、佳奈子をここに連れてきて良かったと心の底から思った。
「うわー、可愛い!ねぇ、ぬいぐるみって欲しくない?」
目を輝かせて言う佳奈子の腕には可愛らしくキャラクタライズされたジンベエザメのぬいぐるみが抱えられている。智洋が正直に「欲しくはないけど買いたいなら買って良いよ」と言うと、佳奈子は残念そうにぬいぐるみを戻した。
「良いの?」
「良いよ。智洋とお揃いで欲しかったのに、智洋が欲しくないなら意味無いもん」
「あー・・・」
そういうことなら嘘でも欲しいと答えておけば良かった。智洋の後悔をよそに、佳奈子はまた違うお土産を物色し始めている。「あ!紅茶缶なんて売ってある!素敵―!」。普段は紅茶など殆ど飲まない癖にそんなことを言う佳奈子に、思わず苦笑する。
「あ、ねぇ知ってる?アイスティーって、高い所から淹れた方が美味しくなるんだって!」
「へー、何でなんだろうな」
「何か、空気が入るから良いとか何とか。お昼のテレビで言ってた」
言いつつ佳奈子は紅茶缶を持っていたカゴにポイと入れる。やはり買うのか、と智洋は思った。
しばらく二人で店内を物色した後、最終的に紅茶缶と、お揃いのキーホルダーを一つずつ買って建物を出た。佳奈子が名残惜し気にパンフレットをめくる。「次はふれあいコーナーにも行きたいなぁ」などと呟いている。余程楽しかったのだろう。
「お昼、どうする?何か食べたいものとかない?」
智洋が訊くと、佳奈子はうどんが食べたいと答えた。希望に応えて、二人で近くにあったうどん屋に入る。そこそこ繁盛している店だったが、14時を少し過ぎた頃だったこともあり、待たされることはなかった。二人用のテーブルに案内され、メニューを渡される。しばらく悩んだ後、智洋はきつねうどんを頼み、佳奈子は天丼を注文した。
「うどんが食べたいんじゃなかったの」
そう指摘すると「気が変わったんだもーん」とおどけて言う。口をすぼめた表情が、とても可愛らしいと思った。不意に智洋の胸に、えもいわれぬ愛おしさがこみ上げる。
「だって天丼の写真すっごい美味しそうだったしさー、それに、野菜たくさんで体にも良さそうだし?」
「そっか。・・・佳奈子」
「何?」
改まって名前を呼ばれ、佳奈子が首を小さくかしげる。智洋は一瞬口ごもった後、恥ずかしさから顔をうつむけて言った。
「その・・・これからも、ずっと一緒に暮らしていこうな」
突然発せられた脈絡の無い言葉に、佳奈子は一瞬きょとんとした表情になる。しかしすぐに破顔し、「うどん待ってる間に言うこと?それ」と笑い飛ばした。少しだけ頬が赤くなっていた。
★★★
「俺と結婚してほしい」。そう言って透が指輪を見せると、ミミカはにこにこして「はい」と答えた。返事はほとんどわかりきっていたものの、そう言われたときには多少安堵した。一生独身でも困りはしないが、やはり子どもは欲しい。もちろん結婚しなくても子どもはできるが、それでは色々と面倒だろう。
プロポーズは、レストランでした。以前ミミカを連れて行ったのと同じ店だ。そこで夕食をとり、少しだけ酒を飲んでから、結婚してほしいと告げた。実のところ、透には結婚するということがどういったことなのかがよくわかっていない。世間には「結婚」という言葉にやたらとロマンチックなイメージをつけたがる者もいるようだが、書類の上で家族になるだけではないかと思っている。今時、結婚していても別々に暮らしている男女など普通だし、苗字だって結婚など関係なしに好きなタイミングで好きに変えることができる。古くから続いているだけのこの儀式に、一体何の意味があるのだ?そう思いながらも、透はそれを行う。自分の子孫が欲しいからだ。女性を妊娠させることを世間は許さないが、結婚さえすれば許されるどころか祝福してくれるらしい。であれば、やはりそうした方が良いだろうと考えたのだ。
「ねぇ、透くん」
隣に座っていたミミカが、突然口を開いた。二人は現在、レストランから自宅マンションまで車で向かっている最中である。運転を始めてからはずっと黙っていたため、突然名前を呼ばれて少し驚く。「何?」と訊くと、ミミカは申し訳なさそうに言った。
「そこのコンビニで、車停めてもらっても良い?」
恐らくトイレを借りたいのだろう。透は鷹揚に頷いた。言われた通り、コンビニの駐車場に車を停める。ミミカは礼を言って車を降りた。店の中に入る足取りは、やはりまだ少し不自然だ。骨を切ったのだから仕方ない。
いつもなら大人しく車の中でミミカを待っているのだが、今日はふと思い立って店の中に入ってみることにした。車を降りる。
中に入ると、白っぽい照明に少しだけ目が眩んだ。栄養ドリンクでも買おうとドリンクコーナーに向かう。ショーケースを眺めていつも飲んでいるものを探していると、足元に紙きれのような物が落ちていることに気づいた。拾い上げて見てみる。写真のようだ。若い女が、定食屋かどこかで丼のご飯を食べている。真正面から撮られているが、こちらを向いていない上表情も作っている風ではないため、不意打ちで撮影したものだろう。友人か誰かが撮ったのか?
写真を持ったまま顔を上げると、目の前に男が立っていた。驚いて少し後ずさる。
「あ、あの、その写真・・・」
少し太った、冴えない感じの男だ。眉をハチの字にし、不安そうな顔で透を見つめてもごもごと言っている。
「あ、この写真、あなたのですか?」
「はい。そうです!」
いきなり歯切れよく答えた男に、少しぎょっとする。「大事なものなんです。亡くなった恋人の・・・」。訊いてもいないのにそう説明され、透は何故だか少し興味が湧いた。男に尋ねる。
「恋人さんの写真なんですか?」
「はい。そうです」
「へぇ、生前の・・・ってことですよね?」
前触れもなく投げつけられたあまりに不躾な質問に、男の表情が固まった。無神経な上無礼な質問だということは、透にもわかっている。しかし相手はもう二度と会うこともないであろう見ず知らずの冴えない男。多少怒らせたところで特に問題はないだろうと考えたのだ。他人の心の傷をえぐるような真似をするべきではないなどという考えは、透にはほとんど無かった。
「あ・・・はい、そうです。生きてた頃の・・・」
「病気か何かですか?」
「いえあの・・・何なんですか?あなた」
無遠慮に質問を重ねる透に、男が困惑と怒りの混ざった視線を向ける。当然の反応だ。これ以上質問するとまずいと判断した透は「あ、お気を悪くされたのでしたら申し訳ありません」と慇懃に謝り、そそくさとその場から立ち去った。
結局ドリンクは買わず車に戻り、しばらくするとミミカも戻ってきた。「待たせてごめんね」。助手席に乗り込むミミカを何とはなしに眺める。顔もスタイルも人間とは思えないほど完璧だ。先程の写真の女も美人といえば美人だったが、少し目が離れすぎていた。修正に修正を重ねてきたミミカとは比べ物にならない。妻になる女が自分好みの美しい容姿であることに、透は大いに満足した。
「愛してるよ、ミミカ」
そう囁くと、ミミカはにっこりと微笑んで「私も、透くんのことが、大好き」と言い返した。ミミカもいつか死ぬのだろうか。透はエンジンをかけ、車を発進させた。




